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初恋13

「翔平君?」


キスの合間に、どうにか声をかけてみると。


「萌、いいのか? こんな俺で」


いいのか、なんて聞いておきながら、翔平君は私の背中と腰に腕を回して抱き寄せた。


絶対に私を離さないという気持ちをそうやって強く見せられれば、頷く以外の選択肢なんてないのに。


もちろん私はどんな翔平君だって好きだから、選択肢はひとつだけだ。


キスを続けようとする翔平君との間に手を差し入れてほんの少し距離を作ると、悲しい視線を向けられた。


それすら素敵だと思えてしまう私は、本当に翔平君が好きなんだと実感する。


「ねえ。こんなに弱ってる翔平君も格好よく見えるなんて、私もどこかおかしいかもしれないよ。そんな私でもいいの?」


私の気持ちが伝わるようにゆっくりとそう言うと、翔平君は一瞬だけ驚いた表情を見せた。


私の言葉に不意を突かれたのかもしれない。


昨日まで、私は自分の気持ちを素直に翔平君に伝えたこともないし、好きだと口にしたこともない。


たとえその気持ちを翔平君が気づいていたとしても、お互いにそれを確認し合ったこともない。


そんな私が軽口をたたいて翔平君に詰め寄るだなんて、驚いたに違いない。


雨のせいで心が弱っている翔平君につけこんだ感も否めないけれど。


私はゆっくりと翔平君の頬を撫でた。


ほんの数時間前まで、ほかの男性とのお見合いのためにエステで体を磨き、髪形も整えてもらっていたというのにこの状況。


人生は何が起こるかわからない。


気持ちを伝え合い、私は翔平君のものだという嬉しくも予想外の展開を受け入れた途端、自信にも似た強さが生まれ私を動かしている。


「二十年近くそばにいるんだから、翔平君が強いだけの人じゃないってわかってるよ。ピーマンが食べられないとかカレーは甘くないと嫌だとか。それに、雨の日が苦手だって、ちゃんと知ってるから」


最後の言葉を口にしたとき、翔平君の顔が歪み、ちくりと胸が痛んだ。


けれど、そんなことを気にしない振りで笑う。


「そんな顔をしちゃだめだよ。せっかくの男前が台無し」


重苦しい雰囲気にならないよう、明るくそう言って、翔平君の眉間にできた皺をそっと撫でた。


「正確に言えば、雨じゃなくて傘が苦手だってこと、知ってるし」


「……だよな。この五年でかなり平気になったけど。雨の日の出張すらできずにいた俺がどうにか傘を見ても気持ちを落ちつけられるようになったし」


「うん。それも兄さんから聞いてる。傘が苦手な自分を克服しなきゃ、夏の日傘だらけのオフィス街は歩けないって言って頑張ったんでしょ?」


「あいつ、まじでしゃべり過ぎ」


翔平君はちっと舌打ちし、私の肩に顔を埋めた。


首筋にかかる吐息と一緒に翔平君の額がぐりぐりと揺れて肩が痛い。


そんな甘えた仕草が嬉しくて、私もその背中に腕を回して抱きつくと、同じように目の前の胸元にぐりぐりと額を押し付け、くぐもった声でつぶやいた。


「私もとっくにシミが気になる年頃だから、夏のデートには日傘が登場するからね」


軽い口調で話したつもりだけど、どこか探るような声音は隠せなかったのか、翔平君の手が、私の気持ちを察したように、背中を撫でてくれた。


「そういえば、夏に海に行ったときにできたシミは消えたのか?」


「え?」


「樹や園子さんと一緒に泳ぎに行ったときに焼けてできたシミ。消えたのか? 美白用の化粧品ばしゃばしゃ塗ったって言ってたよな」


「えっと……手入れの甲斐なく消えてません。今でも背中を鏡で見ると、ちらほら残ってる。年も年だし、きっとこのまま消えないと思う」


私ですら普段は忘れているのに、夏にできたシミのことを覚えていたなんて、驚いた。


毎年恒例の海水浴は私が小学生の頃から続いているけれど、今年も兄さんと園子さんとで出かけた。


翔平君のご両親が所有する別荘で過ごす二泊三日は私にとっては特別な時間で、毎年楽しみにしている。


この夏も四人の都合を合わせて楽しい時間を過ごしたけれど、真夏の太陽の下で泳ぐということは、日焼けとの戦いでもあり大変なのだ。


子どもの頃は気にすることもなかったのに、年齢を重ねるにつれてシミも増え、日焼け止めを塗ってもいつもその戦いに負けている。


負け戦だとわかっていても、翔平君と一緒に過ごせる時間との引き換えなら、何度でも負けてやる。


なんて意気込みも、背中を見るたびため息に変わるんだけど。


今年の夏のシミも、今でもその存在感を放ちつつ私の背中に鎮座している。


そのことを翔平君は思い出したようだ。


「あれだけ俺が日焼け止めを塗ってやったのに、恐るべし紫外線だな」


くすくす笑う翔平君につられて、私も笑いを返した。


「笑いごとじゃないんだけど。来年はもっと強力な日焼け止めを用意して、上に何か着ようかな」


「俺は萌の背中にシミがあってもなくてもいいけど、それを見るのは俺だけにしてほしいかな」


「ん? 翔平君だけ?」


「ああ。この先ずっと、萌の背中だけじゃなく、全部。見るのも触れるのも、俺だけにしろ」


熱のこもった瞳を見れば、翔平君の言葉の意味することはすんなりと理解できた。


「……もちろん、了解です」


背中だけでなくすべて、翔平君にしか見せないと決意する。


それは、この先ずっと、翔平君以外の男性とは親密にならないということで。


「そうだな、海に行くときはパーカーでも羽織ってろ。萌の背中のシミすらほかの男に見せたくないからな。そうしろ」


しっかりとその独占欲を見せる様子に、足元からくずおれそうになった。


さっき、気持ちを通い合わせたときよりもいっそう体が熱くなって、ふわふわと体が揺れている。


翔平君以外の男性に私の体を見せることなんてないに決まっているのに、それを確認されたようで。


好きだと言われたときよりも、翔平君を近くに感じるなんて思ってもみなかった。


翔平君が私のことを大切にしてくれる。


それも、親友の妹としてではなく、ひとりの女として、懐の中でかわいがってくれると伝えてくれた。


「翔平君が雨も傘も苦手になったあの事故のことは、今思い出してもドキドキするし、何よりも翔平君が無事で良かったって思うけど。それがきっかけで翔平君の近くで就職してこうして翔平君が私のこと抱きしめてくれて」


「萌?」


翔平君の体にしがみつくように話す私に、翔平君は訝しげな声を落とした。


それに構わず、私は続けて想いを口にする。


「あの事故を思い出すから、翔平君は傘を見るのが嫌で雨も苦手になった。見た目はいいし仕事もできて、誰が見ても格好いい翔平君の唯一の弱点。それを翔平君が気にしてるのも知ってるけど。そんなちっちゃなこと、関係ないのに。私は翔平君がこうして生きていてくれることに感謝してる」


「生きてるって、それは大げさだろ」


翔平君は、私の背中をポンポン叩いて小さく笑うけれど、私にとっては大げさでもなんでもない。


あの事故で私は希望していた企業への就職を断念したけれど、そんなこと、翔平君が無事でいてくれたことに比べればどうってことない。


もしもその気があれば、自動販売機の設計ができる別の会社を探して採用試験を受けることだってできたはずだ。


けれど、翔平君が無事だと知った途端そんなことどうでもよくなった。


そして、自分は翔平君から離れてまで貫きたいほどの強い思いは持ち合わせていないと気づき、案外悩むことなく今の事務所への就職を決めた。


けれど、翔平君は希望する就職を断念させた私に申し訳なく思い、気に病んでいるけれど、私はこうしてふたりで笑っていられるだけで、それだけでいいのだ。


もしもあのとき、翔平君に向かってきた傘があと数センチずれていたら、翔平君はよけきれないまま階段を転げ落ちたかもしれない。


打ち所が悪くて取り返しのつかない大怪我をしていたかもしれないし、命を落としていたかもしれない。


その可能性を考えると、今でも怖くてたまらない。


翔平君がいない世界なんて、想像するだけで体が痛みを覚える。


「大げさでもなんでもいい。翔平君が格好悪くても弱虫でもいい。どんな翔平君だって一緒にいられればそれでいい。だから、雨や傘が苦手なことくらいで私は翔平君のこと嫌いになんてならない」


私の気持ちを軽くみないでほしい。


何年、翔平君の近くで恋心を大きく育ててきたと思っているんだと、言いたくても言えないのは惚れた弱みとでもなんとでも。


「とにかく、翔平君がどんなに情けなくても弱っていても、それに誰からも相手にされないみっともない男になっても、私の気持ちは変わらないから。それに、気づいてると思うけど、小学校の卒業式の日に翔平君に恋してからずっと、この気持ちは右肩上がり継続中なんだからね。ちょっとやそっとじゃぐらつきません」


ひと息にそう言った瞬間、自分が口にした言葉を振り返って焦るけれど、まだまだ言えそうな勢いだ。


「私、えっと、翔平君が仕事でミスして……あ、たとえば、だからね。で、事務所をクビになったりして路頭に迷っても、私は翔平君が好きで、離れないし、それに……」


ほかにもまだ言える。


翔平君への想いを口にしてもいいとなった途端、ため込んでいた感情が次々と口を突いて出てきて止まらない。


「それにね、…っ翔平くん?」


「黙れ。これ以上何も言わなくていい」


「い、言わないけど……く、くるひー」


自分から抱きついていたとはいえ、その私を抱え込むように強く抱きしめられて、息が詰まる。


けほっと咳込んだ私にお構いなく、翔平くんの力はすべて私に注がれている。


「わかってるつもりでいたけど、甘かったな。萌が俺のことをどれだけ好きか、ようやく実感した」


「う、うん……」


「だから、俺はこの先どんなにみっともない姿を見せてでも、どれほど萌を独占したくて格好悪いことをしようとも、構わず自分の気持ちを貫くから、覚悟して付き合え」


「それは、もう。よ、よろこんで」


言葉は乱暴だけど、その声音の中にある優しさと不安定さに気づかない振りで、私は大きく答えた。


そして再び抱きしめられて。


「しょ、しょーへーく……ん。くるしいんだ……けど。こほっ」


再び何度か咳込んだけれど、翔平君の腕の力が弱まることはない。


私は、長い間欲しいと願い、そして諦めていた温かさに浸りながら、これ以上はないというほどの幸せに浸っていた。





翔平君が苦手な雨が、朝にはやんでいますようにと願いながら。













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