十
古本屋のバイトと違って、ファミレスの方には老若男女ありとあらゆる人々が訪れる。私はそういう人たちを観察するのが好きで、今日は窓際の四人掛けに座った若いカップルを見ていた。高校生、いや、中学生かもしれない。二人でドリンクバーだけを頼んで、かれこれ一時間くらいずっと座っている。楽しげに話すでもなく、深刻に頭を抱えるでもなく、どこか二人とも浮遊感に包まれてぼんやりとしていた。
一応仕事中であるから、ずっと彼らを見守っているわけにもいかないのだが、気がつくと私の視線は吸い寄せられるようにその席に向かっていて、彼らはそれを知ってか知らずか、たまに私の方を見る。視線がかちあって、お互いに気まずく視線を逸らす。そういう動作も、後ろめたさはあるが、私は嫌いではなかった。電車でインスタント恋愛をするようなものだ。この人かっこいい、この人可愛い。そうして見つめて、視線がぶつかって、気まずくなる。次の駅で降りてしまうの? 降りる駅一緒だ。そんなことに一喜一憂する、インスタント恋愛。それと似ていて、私はカップルの男の子の方の姉にでもなった気分で彼らを見ていた。勝手に名前を付けて、マサヨシ、早く本題話しなよ、と思っていた。
私の上がりの時間になっても、二人は帰る様子も話す様子もなかった。賄いを貰うという理由で店に残った私は、当たり前のように彼らの傍の席に座った。夕方の入り口の辺りで、嵐の前の静けさというのか、客はまばらだ。
頼んだハンバーグのサラダセットが来て、私は一人でいただきます、と呟く。
そうして食べていると、小さい声が後ろで聞こえた。真後ろには架空の弟であるマサヨシが座っている。
「どう、するんだよ」
深刻そうに言うのだが、声が高い。中学生だな、と直感する。
女の子の方は、どういう表情をしているのだろう。不自然に振り向くことも出来ず、私はハンバーグを口に運ぶ。
私は女の子の話を聞いて、泣きそうに、吐きそうになって、途中で席を立って帰った。
山村くんはオムライスを作りながら私を出迎え、ご飯食べてきた? と相変わらずの間抜けな声で聞いてきた。食べてきたけど、食べてきていないような、そんな具合だと言うと、何かあった? と聞いてくる。そう聞いてくるように私が仕向けた会話だし、彼もそれに気づいていて乗ってきた。
机の上のオムライスを食べながら、山村くんは唸っていた。
「ありがちな話だけど、いかんせん若いなあ」
「ありがちであってはいけないことなんだけれどね」
「まあ僕は、良くある話だし、平気だと思うけどね。なんとかやると思う」
「良くないことがよくあっても、それは平気な理由にはならないよ。そういう人たちが多いからって、うまく折り合いつけてる人が多いからって、それぞれがどうその問題に向き合っているかは、わからない」
「突き放すようだけれど、僕はその子たちと関係が全くないし、自分ならそういうミスは犯さない。ミス、と言いつけてしまうのもどうかと思うけれどね」
その話はそれで終わる。山村くんは逃げるように風呂に入ってしまう。
一人残された私は、マサヨシの彼女の言葉を思い返していた。
「私たち、中学生なんだよ? 子どもなんて、育てられない」
その二人の会話に過敏に反応してしまったのには、家族の影響があるかもしれない。私の母親は、汚い女だ。私は彼女のせいで、風俗というものを偏った見方でしか見れない。
高校生の時、私はそれでいじめられた時期があった。
「お前の母親は売女なんだろ? お前もそうなんだろ、やらせろよ」
雌豚。売春婦の娘。エンコー女。そんな幼稚な文字が机の上にマジックで書かれていた。私はそれをどこか俯瞰していた。全て馬鹿らしい、と思っていた。私はその中心にはいなくて、そうやって醜く人を罵る人間たちを上から見下ろしている。馬鹿だ、下らない、死ねばいい。そう思っていた。
一度、放課後に図書室で本を読んでいると、ひそひそと私を取り囲むように話し声が聞こえてきたことがあった。
「あいつ、言えばやらせてくれるらしいぜ」
「まじかよ、結構可愛い顔して淫乱なんだ」
「俺の友達がやったって言ってたぜ」
「俺も頼もうかなあ」
死ね。
そう思って私は無視を決め込んでいた。
その時、私には友達という友達など居なかった。どういう立場であれ私の擁護をする人は、男なら「すでにやらせてもらったやつ」とされ、女なら「あいつもエンコー仲間」と呼ばれたからだ。私はそれまで仲良くしていた人たちがそう呼ばれるのが嫌だったし、向こうもそう呼ばれることなど心外だったのだろう、打合せもなく、お互いに疎遠になった。
誰も庇ってくれない。だから皆同じだ。醜い。小さい。絶対的な敵を作らないと彼らはまとまることすらできない。下らない。死ね。死ね。死ね。
そんな負のスパイラルから私を助けてくれた子が、亜紀だった。彼女も周りから同じような扱いを受けていた。
「言えばやらせてくれる」「エンコー女」
代わる代わる彼氏を作る彼女は、そんなことを言われている子だった。
だが彼女は私と違って、気丈だった。
「言えばやらせてくれると思ってるなら、言ってこいよ。そんな度胸もないやつと誰が寝たいと思うんだよ。もちろん言ってきても、やらせないけど」と笑っていた。彼女は決して万人から好かれたわけではないが、仲間は多かった。
その図書室の時も、亜紀はたまたま同じ場所に居て、彼らの声を聞いていた。私は背後で彼女の怒鳴り声を聞く。
「お前らみたいな気持ち悪いやつら、美也ちゃんには似合わないから、顔面全部洗い流して出直してこいよ。のっぺらぼうの方がまだまし」
男どもの言い返す声がしたが、結局、亜紀も含め彼らは図書室から追い出されて職員室に移動した。私はあとになって、亜紀だけ残る職員室に呼ばれて、先生から「お礼くらい言ったらどうだ」となぜか怒られた。
「なんで私がお礼されなきゃいけないんですか」と亜紀はぶっきらぼうに言って、なぜか怒っていた。「勝手なことして美也ちゃん巻き込んだんですよ、彼女はただ静かに読書したかっただけでしょ。先生、生徒の個性、何にもわかってないんですね」
その後私をそっちのけで二人が喧嘩を始めたので、さっさと出て行く。彼らが付き合っている、という噂を聞いたことがあったからだ。
ともあれその日から、私は亜紀と仲良くなり、男子にも女子にも仲間の多い亜紀の力なのか、陰口も無くなった。「私みたいに派手な格好してるならともかく、親がどうとかでなんか言われるの、うざいから」と亜紀はあえてそうなるように機会を窺っていたのだと、ある日明かしてくれた。確かに亜紀はミニスカートに派手な化粧、髪も金に近い茶色をしていて、田舎の公立校では群を抜いて目立っていた。その点私は、ひざ下のスカートに、化粧っ気もなく、真っ黒のロングヘアーを垂らしていて、目立つタイプではなかった。
私はその時期から母親を憎んでいたし、そういう、不埒なことが大嫌いになった。
だから、中学生が子どもを作った、なんて事実を、悲しくなりながら聞いていたのだ。
ファミレスのバイトは週に二回だけだったが、私はシフトを確認するだとかなんとか言い訳を付けてはよく店に足を運んだ。居ないだろうか、と。
会ってどうする、ということではなかった。話してみたい、とだけしか考えていなくて、その内容も特には決まってなかった。どうして、なぜ、と聞けば良いだけなのかもしれない。でも彼らに、答えることなんてできない。それは、私が好奇心の塊だからわかることだ。やってみたい。それだけだったのだろうと思えてしまうことが、いいことなのか悪いことなのかは、わからない。私はただ、話してみたかった。
山村くんはぼんやりとした様子で私の顔を見ていた。
「マサヨシはきっと、それでもうまくやるよ。僕の友達も、高校生の時に子どもを産んだよ。派手でも地味でもない、普通の子だった。でも、父親が誰なのか、本人は決して言わなかった。当時その子と付き合っていた人は、会ったことはあったけど、同じ高校の人じゃなかったし、責めることは出来なかった。彼女もそれを望んでいないみたいだったし。難しい問題だなって思う。当人しかわからないことなんだよ。僕も、若い子がそういうのしてるの、好ましく思ってないけど、仕方のないことは多いんだ、世の中」
私は黙って聞いている。
「少なくとも僕は、子どもの為、なんて言わなかっただけ、良いと思うよ。自分たちの勝手な行為で、勝手に作ったくせに、この子のことを考えると可哀想で産めない、って、そう言わなかっただけ良いと思う。自分たちの都合で、育てられないんだ、ってわかってるだけ、良いと思う。まあ、好ましくはないんだけれど」
笑いながら、彼はゆっくり手のひらを私の頭に載せる。
「子どもは親を選べない。親も子どもを選べない。アトランダムに関係を作られてしまう。仕方のないことなんだ。
だから美也さん、泣かないで」
2011年5月にmixiに載せたものを加筆・修正せずそのまま。




