敬愛なる王女様のために
私が仕えている王女様は、やさしくて、きれいで、美しくて―――宝石みたいな人だった。
◈◈◈◈◈◈◈
「どうしたの? メイリス。」
いつも、王女様は私に笑いかけてくれる。
こんな血筋の私に。
太陽を背にして微笑む王女様は、きれいで、素敵で、神秘的で———
同性の私でさえ、息をのむほど美しかった。
「何でもありません。」
王女様は、本当は、私のような侍女が一人仕えていていい存在ではない。
王様と王妃様の血を引く、第一王女だ。
本来なら、私ではなく、貴族の令嬢や、敏腕な侍女や、護衛が何人も付き従っていなければならない人だ。
「そう。今日も、世界は平和ね。」
いつも、部屋の窓を開け、ベランダに出て、
何分も、何時間も、外の景色を眺めている。
その横顔には、穏やかさと、寂しさと、いとおしさが、静かに混じっていた。
「そうですね。」
———こんなにも素敵な王女様を、放置しているなんて。
王族は、目も、心も、濁っている。
きっと、泥水よりも、もっと汚いものを食べているのだろう。
「……そろそろお部屋に入りましょう。体が冷えてしまいます。」
日が、下がり始めている。
「……そうね。わかったわ。」
———部屋に入っても、暖かさなんて変わらない。
そう、王女様は言いたいのだろう。
部屋は、とても広い。
けれど、食べ物は来ない。布団は薄く、風呂のお湯も沸かない。
着替えも、暖かいものも、新しいものも、きれいなものも、ない。
どうして、こんなことになっているのだろう。
何もしていない王女様が。
「ご飯を取ってまいります。」
取りに行かなければ、ご飯は来ない。
けれど私では、血筋のせいで、豪華なものは持ってこられない。
「あら。また来たの? 毎度毎度、ご苦労様ね。
あなたと王女様には、食べ残ししかないわよ。」
「懲りないねえ。」
くすくすと笑う声。
豪華な使用人用の食事を背に。
———これの、どこが、「ない」なのだろう。
どうせ、全部食べ切れもしないくせに。
「ありがとうございます。」
渡されたのは、一人分になるかどうかも怪しい量だった。
だから私は、見た目だけはうまく整えて、王女様に差し出した。
「ありがとう、メイリス。」
王女様は、いつもお礼を言ってくれる。
前は、私が食べていないと思ったのか、「食べて」と言ってきたけれど、私はいつも、夜に忍び込んで食べ物をもらっている。
だから、毎日「おすそ分け」をしてあげた。
そうしたら、王女様は納得してくれて、毎回「ありがとう」と言ってくれるようになった。
「いえ。当然のことです。」
私しか、侍女がいないのだから。
「そう。」
王女様は、慈愛に満ちあふれているけれど、物語の主人公みたいに、必要以上に踏み込んだりはしない。
そこも、素敵なところだ。
カチャリ、と食器の触れ合う音が、部屋に響く。
私は話すこともあまりないので、食事の時間は、いつも静かだ。
やっぱり、私じゃない。
話が上手な、きちんとした侍女が、王女様には必要だ。
「ご馳走様。おいしかったわ。伝えておいて。」
王女様は、毎回、食べ終わるとそう言う。
伝えたところで、何の意味もないのに。
「分かりました。」
私も毎回、それだけ答えて、実際に伝えることはしない。
伝えれば、王女様が無理を言ったか、私が嘘をついたと思われるだけだ。
そして王女様は、いつも、少し寂しそうに笑う。
———ごめんなさい、と言いたくなる。
こんな私で。
でも、言えば、王女様はもっと悲しむ。
悲しませたいわけじゃない。だから、言わない。
食器を戻しに行くと、使用人たちが、アハハ、と笑いながら食事をしていた。
王女様よりも、ずっと豪華な食事を前に。
私は、そっと通り過ぎ、食器を洗い場に置き、何事もなかったかのようにその場を離れる。
毎回、通るたびに、悔しくなる。
王女様は、こんな環境でも、やさしいのに。
部屋に戻ると、王女様はもう眠っていた。
横には、水の入った桶と、布切れが置かれている。
簡単に体を拭いた後なのだろう。
本当なら、暖かいお風呂に入れるのに。
そう思いながら、桶を片付け、新しい布を用意して、そっと置いておく。
「おやすみなさい。」
眠っている王女様に、声をかける。
明日も、また同じような日が続く。
———せめて、挨拶だけは。
いつか、王女様の価値に気づいて、助けてくれる人が現れるといい。
そう思いながら、私は毎晩、眠りにつく。
◈◈◈◈◈◈◈
朝、窓から差し込む日の光で目を覚ます。
これが、いつもの私の一日の始まりだ。
自分の支度を数分で終え、すぐに王女様の部屋へ向かう。
簡単に部屋を掃除し、桶にお湯を汲む。
お湯がもらえるのは、朝だけ。
それ以外の時間には、与えられない。
しかも、桶に入る分だけだ。それより大きな器を用意すると、次からは、入れてもらえなくなる。
———本当に、この城の人たちは、王女様の価値を理解していない。
「おはようございます。」
王女様を起こす。
けれど、まだ眠っていそうだったので、先に朝食をもらいに行くことにした。
「あの人って……」
「そう。あの王女様の侍女よ。」
「ああ、あの悪女の侍女なら、卑しいのも納得ね。」
「何しに来たのかしら?」
「さあ。関係ないもの。」
くすくすとした笑い声と、ひそひそとした囁き。
いつも、そうだ。
「はい。もらうだけでもありがたいと思えよ。
……というか、王女様は豪華な食事をしてるのに、なんで残飯なんかを取りに来るんだ?」
「……」
今日は、いつもの使用人ではなく、調理人だった。
「ああ、かわいそうな王女様、って同情を引こうとしてるのか。くだらない。ほら、さっさと帰れ。」
前にも、こんなことがあった。
今の現状を伝えても、「卑しい血筋だから」という理由だけで、信じてもらえなかった。
だから、何も言わないのが正解だ。
私は、そのまま王女様の部屋へ戻る。
「あら、おはよう、メイリス。」
部屋に戻ると、王女様はもう起きていた。
「朝ごはんです。」
いつも通り。
本当に、王女様は素敵な人なのに。
———どうして、こんなことになっているのだろう。
◈◈◈◈◈◈◈
王女様は、天真爛漫で、純粋で、誰にでも優しい。
まるで、聖女のような人だった。
……というより、実際に、聖女としての資質を持っていた。
回復魔法や聖魔法への、高い適性を。
「王女殿下! 何をしているんですか!」
彼女の周りは、いつも笑顔にあふれていた。
叱る側ですら、どこか微笑んでいる。
私は、下働きとして、王女様の視界にも入らない距離から、ただ眺めていた。
「フローラ!」
「お兄様!」
家族仲も、よかった。
そして、数日後。
王女様は、私を見て、「血筋で人を決めるのはおかしい」と言った。
そのまま、私を専属の侍女にしてしまった。
だから、王女様は、
私が敬愛する、ただ一人の主人だ。
けれど、どこからか、違和感が生じ始めた。
本当に、最初は些細なものだった。
誰かに睨まれている、とか。
そのうち、何をしても意味がなくなった。
王女様の地位は、少しずつ、確実に下がっていった。
理由は、わからない。
◈◈◈◈◈◈◈
「ありがとう、メイリス。おいしかったわ。
今日は、何か用事がある?」
食べ終えた王女様が、そう尋ねてくる。
予定は、ない。
いつも通りだ。
誰かに呼ばれるときは、決まって、急なのだから。
「ありません。」
「……そう。」
王女様の部屋には、本当に何もない。
暇つぶしになるようなものも、一切ない。
だから王女様は、いつも窓辺に立ち、街の様子を眺めていた。
「そういえば、メイリス。
いい加減、“王女様”じゃなくて、“フローラ様”って呼んでくれない?」
「前にも、お断りしたはずですが……」
「いいから。フローラ、って呼んでちょうだい!」
なぜか、王女様はそれを強く望んでいる。
けれど、呼ぶとしたら、本来はフローレンシア様、だ。
「余計に、ハードルが上がっております!」
「いいじゃない。誰もいないんだし。
……それに、なんとなくだけど、今日が最後の気がするのよね」
「……い、今、なんと……」
きっと、聞き間違いだ。
いや、絶対にそうだ。
そんなこと、あるわけがない。王女様は、まだ評価されるべき人なのだから。
「なんだかね、今日が“最後”な感じがするの。
一生のお願いよ。フローラ、って呼んで?」
そんな顔をされたら、断れるはずがない。
「……フローレンシア様……」
「フローラ!」
「……フローラ様……」
「フ・ロー・ラ。様はいらない!」
「……わかりました。一回だけですよ? フローラ」
“一生のお願い”なんて言われたら、叶えてしまう。
「ありがとう。」
やっぱり、王女様は素敵だ。
本当に、素敵だ。
ほっとしたようで、嬉しそうで、
それでいて、どこか悲しみを含んだ笑顔を向けられる。
———でも、それが、最後のような気がしてならなかった。
わかりたくなかった。
けれど、なんとなく、理解してしまった。
「……王女様。あなたは、明日も生きていますよ。」
慰めにしかならない。
本当だとも言えない。
ただ、そう言わなければ、私が納得できなかった。
目から、涙がこぼれそうになる。
「……そうね。」
王女様は、寂しそうに、そうつぶやいた。
本当に、このまますぐに消えてしまいそうな表情だった。
だから私は、お昼まで、王女様のそばを離れなかった。
けれど、お昼の時間だけは、どうしても離れなければならない。
「お昼ご飯を、取ってきてくれるかしら?」
「……わかりました。」
しぶしぶ、部屋のドアへ向かう。
「ありがとう。あなたと会えたことは、一生の幸せよ。メイリス。」
ドアが閉まりかけた、その時。
王女様は、そう言った。
振り向くと、満面の笑みで、
———もう、やり切ったような顔で、私を見つめていた。
胸の奥が、ひどくざわつく。
嫌な予感がして、慌ててドアを開け、部屋に戻ろうとした。
けれど、手元が狂って、うまく開かない。
嫌な汗が、背中を伝う。
「王女様……! フローラ様!」
たった一枚のドアを開けるのに、
どうしようもなく、時間がかかってしまった。
———開けた瞬間。
王女様は、さっきの笑みのまま、床に倒れていた。
その近くには、ナイフ。
そして、男の人が一人、立っていた。
黒いフードを、深くかぶっている。
「フローラ様!」
王女様は、さらに笑みを深めて、
こてり、と、力を失った。
「フローラ様!」
体を揺すっても、動かない。
視界が滲み、涙があふれる。
———世界は、現実は、あまりにも残酷だった。
「……なんで、こんな悪女に執着するんだ?」
男は、不思議そうに首を傾げる。
———やっぱり、この人は何も知らない。
「……この部屋を見て、そんなことが言えますか?
王女様の幼少期の噂を聞いても、そんなことが言えますか?
王女様の素敵なところを、すべて並べても、そんなことが言えますか?
王女様の扱われ方を、調べても、そんなことが言えますか?」
言葉が、止まらない。
「……言えるはずがありません。
フローラ様は、この世で、この世界で、一番素敵な人です。
こんな、くそみたいな世界の中で。」
何も、わかっていない。
少しでも調べれば、わかることなのに。
少しでも、フローラ様を知っていれば、わかることなのに。
男は、何も言わない。
ただ、じっと、私を見つめているだけだった。
「……この世界なんて、滅びればいい。」
心から、そう思った。
フローラ様のいない世界は、きれいじゃない。
こんな、真っ黒で、汚い世界は———
フローラ様が、いたからこそ、どうにか持ちこたえていたのに。
「……俺は、依頼を実行しただけだ。俺を恨むなよ。」
男は、それだけ言うと、去っていった。
それが、悔しかった。
何もできない自分が、悔しかった。
私は、そのまま、何時間もフローラ様の部屋にいた。
この世界に、心の底から絶望した。
だから、誓った。
———復讐をすると。
「敬愛なる王女様のために。」
そして私は、フローラ様の髪を一房もらい、城を去った。
◈◈◈◈◈◈◈
その後、私は裏社会に身を置いた。
盗み、情報収集、殺し……復讐のためなら、何でもやった。
十分な知識と技能を身につけた頃、
私は、フローラ様の身に起きた出来事を記した日記を手に、城へ向かった。
———これが、最後だろう。
その日は、国の重鎮たちが集まる、大きなパーティが開かれていた。
決行日としては、ちょうどいい。
この国を。
この世界を。
———正すために。
◈◈◈◈◈◈◈
僕は、この国の第三王子だ。
ちょうど、国のパーティの日に、悲劇は起こった。
何者かによって、パーティに出席していた人間が、すべて殺されたのだ。
一人残らず。
……けれど、なぜか、その人物は、俺を見て言った。
「……この子に、罪はないから……」
そうつぶやき、日記を差し出してきた。
血のついた手で渡されたせいで、日記は血まみれだったが、俺は、恐る恐る受け取った。
「いい?
この国を、ちゃんと良くするんだよ。
今みたいな、悪い方向にしちゃダメ。……したら、わかってるよね?」
最後に、そう言って脅すと、
その人は、闇の中へ消えていった。
暗くて、顔はよく見えなかった。
けれど、女の人だった。
フードの奥から覗く、
すべてを諦めたような———暗い赤い目だけが、
今も、はっきりと脳裏に焼き付いている。
日記を、恐る恐る開く。
すると、きれいで、おとなしく、整った文字が目に飛び込んできた。
———さっきの人からは、想像もできない雰囲気だ。
そのまま読み進めていくうちに、
これは、僕の姉上———フローレンシアお姉さまのことについて書かれているのだと、分かった。
内容は、ひどいものだった。
お姉さまは、悪女なんかじゃなかった。
むしろ、ひどかったのは……僕の両親のほうだった。
『フローラ様。
私は、フローラ様のために、復讐をします。
―――敬愛なる王女様のために。』
「……」
最後の一文だけ、怒りに任せて書き殴ったような字だった。
僕から見ても、お姉さまは素敵な人だった。
だから、悪女と呼ばれていたことが、ずっと不思議だった。
———あの人の前で、そう言ったら。
きっと、言い訳だと思われるだろう。
あの人は、もう何かを決めてしまった顔をしていた。
僕の言葉は、彼女の心には、届かない。
◈◈◈◈◈◈◈
このパーティに呼ばれた人間は、
だいたい、全員、始末し終えたと思う。
けれど、どうしても———
あの男の子だけは、殺せなかった。
「……この子に、罪はないから……」
その子だけは、腐りきったこの国の中で、
きらきらとした、まっすぐな目をしていた。
———きっと、この国を、良い方向へ導く。
「いい?
この国を、ちゃんと良くするんだよ。
今みたいな、悪い方向にしちゃダメ。……したら、わかってるよね?」
こう言っておけば、きっと、問題はない。
日記は、最初のお給料で買ったものだ。
フローラ様のことを、書き残したくて。
これを渡せば、あの子は、人や、国について、深く考えるようになるだろう。
———これでいい。
たとえ、これが、フローラ様の望んでいたことではなかったとしても。
———これでいい。
たとえ、このせいで、国が立ち行かなくなったとしても。
———これでいい。
たとえ、私が地獄に落ちても。
フローラ様に、二度と会えなくなったとしても。
れでも―――これでいい。
これで、私が消えれば、すべてが完成する。
フローラ様の望んだ未来ではなかったかもしれない。
それでも、私の生きる理由は、もうすべて果たした。
やり切った。
もう、この世界に、未練はない。
足は、自然と早まっていた。
視界に映るのは、ただ、塔だけ。
これで、終わる。
階段を上りきると、ちょうど朝日が昇るところだった。
暁に染まる空と、昇りゆく太陽が、あまりにも美しい。
一歩ずつ、確かめるように、塔の端へ近づく。
ここから落ちれば、助かることはないだろう。
―――ああ、やっと。
この、くだらない世界から、解放される。
「待って!!!」
声が、届いた。
―――こんな私に、「待って」なんて。
ありがとう。
「ありがとう。」
けれど、もう立ち止まらない。
終わらせると、決めたから。
最後に、こんな優しい言葉をくれて、ありがとう。
私は、男の子に向かって、精一杯の笑みを向けた。
彼は、驚き、悔しさをこらえるような顔をしていた。
◈◈◈◈◈◈◈
―――ああ。
あの人は、何をしても、もう届かない。
彼女が落ちていく姿が、ひどくゆっくりに見えた。
未練のない、穏やかな笑みを浮かべたまま。
―――どうして、もっと早く、気づけなかったんだろう。
あの目を、僕は一度だけ見たことがある。
そして、その人は――戻ってこなかった。
可能性に気づいた瞬間、体が勝手に動いた。
けれど、間に合わなかった。
あの人に、この世界の、ほんの少しでもいいところを見せてあげたかった。
「ごめんなさい。」
それしか、言えなかった。
もう、届かないと分かっていても。
だから、僕は決めた。
フローラお姉さまが願った国を、必ず作る。
そして、胸を張って伝えるんだ。
―――成し遂げたよ、と。
それが、僕にできる、唯一の答えだった。
◈◈◈◈◈◈◈
後に、第三王子ヴォルンティアスは王大使となり、やがて国王となった。
国を豊かにし、人々を導き、
物事は表だけでなく裏を見て、自ら考え、判断せよと、子どもや臣下に教え続けた。
国は、やがて笑いの絶えない場所となった。
ヴォルンティアスは生涯、
フローレンシアと、メイリスに、謝罪を捧げ続けたという。
―――それが、彼なりの、二人への償いだった。
~完~
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