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座標  作者: Metanfetamin
4/6

吊り街〜フィジーの削除〜

円環の門の前、透明な破片がさらに細かく砕け、

まるで内側の虚無へと吸い込まれる雪片のように回転していく。

その中心から吹き出す”圧”は、音も光も持たないのに、皮膚の下で脈打っていた。


セイジが片膝をつき、青い光を地面へ叩きつける。

波紋のように広がった光の円が三人を囲む。

「誰か一人の厚み(フィジー)を……置いていく、それが最小限の代償」

目を閉じて決めるわけではない。

彼女は最初から決めていた顔だった。


「ブリム    あなた。」


「理由は?」

ブリムの声は静かだ。怒りも驚きも、刃のような感情も含まれない。

その時点でもう、彼は薄々悟っていたのかもしれない。


「あなたは感情が強すぎる。怒りも悲しみも、全部背負いすぎる。この層の向こうでは、それが自分を壊す毒になる。」

セイジはブリムの胸に手を当てる。

「だから……削るのは”感情の厚み”。喜びも、後悔も。」


ヨルが一歩前に出た。

「ちょっと待てよ、それって….ブリムがもう、人間じゃなくなるってことだろ?」

「違うわ。ただ”揺らぎ”を持たなくなるだけ。」

しかしその声は、自分に言い聞かせるように硬かった。


青い光がブリムを包み込む。

体の表面から薄い影が剥がれ、霧のように舞って円環の内側へ吸われていった。

その影には彼の笑顔、怒号、涙が細切れになって漂っているのが見える。

ヨルが思わずその中の一欠片(先日の焚き火の夜、ブリムが笑った声)を掴もうとしたが、指先はただ冷たさをすり抜けただけだった。


光が収まると、ブリムの目は深い琥珀色から鈍い鉄色に変わっていた。

「….行こう。 必要ないものは捨てた。」

彼の声には一切の揺れも、温度もなかった。


三人は同時に円環の中心へ足を踏み出す。

破片の回転は臨界点に達し、一歩進むごとに視界が剥がれ、街の色と形は一瞬ごとに別の層へと置き換わった。

やがて全てが白く塗り潰され、視界が一度だけ完全な無音•無色に閉ざされた。


そして次の瞬間、そこに広がっていたのは


裏層の第一階、静止した海と逆さ吊りの街。


水面は限りなく滑らかで波紋一つない。

その上空には街が逆さまに貼り付いており、煙突から煙ではなく光が垂れ下がっていた。

空に太陽はなく、代わりに海の底から淡い銀光が照っている。


ブリムは景色を見上げても何も言わない。

ヨルは横顔を見つめ、そこにどこか別人のような冷徹さを感じ、思わず息を飲む。


地面は動かない。どれだけ視線を凝らしても、波紋一つ生じない不気味な平坦。

足元には深淵のような黒....と思いきや、その奥底から淡い銀色の発光が逆光のように広がり、

まるで海底の方が「空」であるかのような錯覚を作っていた。


ブリムは静かに一歩踏み出す。

だが、足跡も音も残らない。

体温が異常に低下しているのが、ヨルの腕に伝わった瞬間にわかった。

「….ブリムお前、冷たすぎじゃねぇか」

ヨルが腕を掴んだその手もまた、冷えて痺れるほど。

皮膚は硬く、血流が鈍い石像のようだった。


セイジは目を細める

「体温は….人間の平均より、5度は下がっているわね、筋肉反応も遅れてる」

「でも動ける」

ブリムは首だけ向け、鉄色の瞳で短く言い放つ。表情の筋肉が微動だにしない。

その声は海面の向こう側に響くような奇妙な遅延を帯び、耳に届くまでの距離感すら狂わせる。


彼の指先はやや硬直し、握力は以前の半分。

しかし、代償に得られたかのように手の震えも息の乱れも皆無。

恐怖も痛みも反応しないため、危険を察知する微細な反応も削がれている。


吊り街の下端から、紐のように垂れ下がる光の帯が数百本。

その一本にセイジがそっと触れると、それは”音のような感触”で震えた。

音が触覚として流れ込む….この層だけの物理だ。


ブリムは迷わず光の紐を握るが、冷たい手は温度差による警告を感じず、瞬間的に皮膚が白化。

それでも彼は離さない。痛みも無い。

ヨルが慌てて手を叩いて外さなければ、感覚神経まで凍結していたかもしれない。


「次の層へ行く時も、また”厚み(フィジー)”を削らなきゃならないのか?」

ヨルの言葉は海の静けさに食われ、ゆっくりと四方に拡散していく。


ブリムは無感動に頷く。

「問うな、ただ選べ」

その瞬間、ヨルとセイジの間で目に見えない亀裂が生まれた。

次は自分が削られるかもしれない     しかも、それは単なる能力ではなく、肉体そのものの機能喪失につながる恐怖。


この層での探索は、既にその思考を蝕み始めていた。


光の紐を登ると、空は海の底に潜り込み、海は空を覆い被せてくるように反転していた。

吊り街は、巨人の肋骨のようなアーチで構成され

その間を、透明な板のような”道”が交差していた。

だが、その道は視線の方向によって重力が変わる。

斜めに見れば「落下」し、真正面に見れば「平面」に変わる。

理屈ではなく、本能で避けるべき空間が街全体に網のように張り巡らされていた。


セイジが前に出る。

「……..あれ、見える?道の真ん中に黒い糸….」

糸は揺れているのではない。回転していた。高速で。

実体があるのに目で追えない速度で振動し、ここからでも皮膚がぞわりと総立ちになる。


ヨルが拳を構えかけた時、

ブリムは一歩踏み出し、振動の中心を無造作に跨ごうとした。


セイジが叫ぶ「止まって!」


だがブリムには危険察知の心拍上昇がない。

判断の呼び水となる感情が削ぎ落とされているため、眼前数センチの危険物に対する身体の反応が遅れる。

その足は、振動糸に半歩届く。


ヨルが飛びつき、ブリムの体を横から突き飛ばした瞬間ーーー

糸が空気を裂き、道の緑が一直線に切り裂かれ、真下の虚空に向かって崩落していく。


ブリムの肩には浅く無い傷。だが彼は顔も歪めず、むしろ一瞥もくれない。

腕から滴る鮮血を無造作に振り払い、目的地に向かって再び歩こうとする


ヨルが胸ぐらを掴む。

「お前、マジで死ぬぞ!痛くねーからって、死ぬ感覚もねーならなおさらだ!」


セイジは震えながら視線を逸らす。

(これは….削った厚み(フィジー)が思考だけじゃ無い。次は誰かの命を、自覚なしで奪う可能性がある)


ブリムが短く言った。

「代償は問うな。選ぶだけだ」


その声は海底の鈍い瞳のように低く響き、街の骨組み全体を微かに共振させた。

その振動が、なぜか街の奥から”応えるように”帰ってくる。

吊り街は、生きていた。


街の骨が軋むような音が、すぐ足元の透明床から腹の奥まで響いた。

骨組みの連結部が、次々と「カチリ、カチリ」と方向を変える。

それはランダムではなかった。

ーーーブリムの立っている位置を中心に、幾何学的な螺旋収束を描きながら迫ってきている。


セイジが息を呑む。

「….あいつ、ブリムを『見て』る」


見上げると、アーチ状の梁の裏側にびっしりと並んだ”眼”。

魚の眼のように潤っているが全ての虹彩がブリムに焦点を合わせている。

まぶたはなく、乾いたまま黒い瞳孔だけがブレずに収束している。


ブリムは一歩、前に出た。

恐怖も緊張もない。

それが     街の反応をさらに加速させる。


瞬間、足下の透明板が「音もなく」消えた。

ブリムの左足は宙を踏み抜き、落下。

その空間は、物理的な穴ではなく存在の欠落域だった。

踏み込んだ瞬間、音も色も時間すらも足首から吸い取られる。

普通の人間なら本能的に体を引き戻すが、ブリムにはその信号がない。


ヨルが即座に腕を掴むが、その腕から力が抜けーーーまるで握っているのが「肉」ではなく「抜け殻」のようだった。


街の梁が連鎖的に回転。

まるで絞り込むレンズのように、彼らの周囲の足場を一枚ずつ消していく。

ブリムを中心に、削られた空間が渦を描く。

その渦の底には、膨張と収縮を繰り返す巨大な”心臓”のような器官が脈を打っているのが見える。


そこに落ちたものは、都市の一部になると、セイジの直感が絶叫していた。


「ブリム!動け!置いてくぞ!」

「……..置いていけるものなら置いてみろ。」


ブリムは掴まれた腕を逆に捻り、ヨルを前方へ突き飛ばす。

重力が前方向に変わり、ヨルの体が別の足場へ叩きつけられる。

残されたセイジはーーーブリムの背後で崩れ落ちる足場と、迫る心臓の顎門(くち)の中間に立たされた。


ブリムがようやく振り向く。

その目には冷たい光だけ。

「この街は俺を食いに来ている。なら、食わせる順番を俺が決める。」


言い終えるや否や、骨組みが大きく鳴り、

吊り街全体が狩りの姿勢に入った。



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