第一章 1、沈む街の灯
夜の砂漠に雨が降っていた。雨粒は星のように静かに落ちて行き、砂に触れた瞬間古い記憶の影を浮かべながら消えていく。
少年は砂漠に浮かんだ船の甲板に座り、星図を逆さに広げていた。「…..間違ってる いや、多分、全部嘘だ」 見知らぬ方向を示す北極星、変わったのは星か、世界か、自分か。
その時耳元で声がした
「座標刻印(コーディネイト•シジル)を持つもの。時の抜け穴は、3度しか開かれぬ。」振り返った先には、砂に半分埋まった骸骨だけがあった、その眼窩に小さな光の欠片が揺れていた。少年がそれに触れた瞬間ーーー
世界が海に沈むビジョンで塗りつぶされた。 それは200年前のアヴィス大崩壊の記憶だった、ただ一つ、歴史の本には無い”ありえない光景”が混ざっていた。崩壊の中心で、少年自身が立っていた。
海は、呼吸をやめたように凪いていた。
薄い霧が港を包み、浮かぶ廃船群の影がゆっくりと形を変えていく。ヴァインド港は200年前の大波で半分沈み、それ以来「沈む街」と呼ばれるようになった。
波止場の下には、かつての繁華街の屋根が水面直下に眠っている。人々はそこを覗いては「運が悪けりゃ顔を覗き返される」と冗談を言う。
ヨルは濡れた木箱の上に腰掛け、奇妙な羅針盤を覗き込んでいた。その羅針盤の針は北を示さず、海の奥底を指して微振動している。
「またそれ見てんのか、ヨル」
声をかけたのは年上の幼馴染、セイジ。片目に海賊の襲撃で負った傷があり、視力を失っている。
彼女は左手に古びたランタンを掲げ、波止場の奥からやってきた。
「船長が呼んでる、『また赤潮がくる』って」
赤潮ーーーこの辺りでは不吉の兆しだ。港の奥からは微かに鉄の匂いがした。
船宿「黒牙」は沈みかけた巨大な商船を改装して作られている、内部は傾いており、テーブルは片側の脚を切って水平にしてある。迷路のような廊下は、元の船室と新たに作られた木造部分が入り混じっている。
ヨルとセイジが奥の部屋に入ると、そこには三人の男達がいた。
(船長ブリム) 白髪の髭が混じり、右耳にだけ古い金貨を改造した耳飾りをしている
(航海士クローヴ)机一面に星図と海流図を広げている青年
(無口な老人テホ)床に座って記録石を削っている。
ブリム船長はランタンの灯を少し落とし、低い声で言った。
「ヨル、その羅針盤をもう一度見せろ」
ヨルが羅針盤を差し出すと、クローヴが食い入るように見つめる。
「……動いてるな。赤潮が近い時だけ、こうなるんじゃないか?」
ヨルは頷く、数日前もそうだった。だが今回は振動が強い。
そこでテホ老人が口を開いた。
「港の南、アヴィス礁の下。 そこに”二つ目の月”が沈んどる」
潮がわずかに揺れた。その瞬間、船宿の床板の下から微かな鼓動音が響いた。
ヨルは背筋が凍るのを感じたーーそれは海のものではない、人間の鼓動に近いリズムだった。
その夜、港町ヴァインドはいつもより静かだった。
酒場からは酔った客の笑い声が消え、海鳥の鳴き声すらしない。風は止み、霧だけが地面スレスレに漂っていたーーーちょうど、街全体が呼吸を忘れる瞬間のように。