氷面(ひょうめん)に浮かぶ
- プロローグ -
リドリドリド、ドドッドー!
リドリド。ドドッドリドリドリドリド。ドドッドー、ドドッリドリド。
「……聞こえる?これは、誰かの声じゃない。水がしゃべってる。氷が…」
絶叫するような、女性の声。
確かに現地を取材したという証拠。
そこは湊花町の漁港の近くにある、医療系の冷却施設。元は漁業組合用の冷凍倉庫で、数年前にその組合から委託管理をしていた中小企業が倒産。幾つかの不動産会社を得て、現在の持ち主に渡った。
内部は地下も含めると複雑で、奥に進むほど厳重なロックも存在する。
……。
不意に後頭部を殴られる。急速に薄れていく記憶。視界に映ったのは【鳴海博士のような黒い影の人物】だった。
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「かき幽霊削り機……?」
それって、かき氷機のことでは。そこまで榊 悠月が何かを言おうとして、編集チョが割り込んだ。
「ノンノン。かき氷機のバリエーションの事じゃないし、誤植でもない。ただ、情報源がネットの掲示板だがね」
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【○○/取材メモ】
医療廃棄センターの冷却処理室について、内部告発者からのタレコミあり。
“記録のための凍結”、というより“封印”に近いらしい。
凍結サンプルの中に、人体らしきものが複数……。
一部に「削ると音が出る」噂あり。
実際、昨日深夜0時、“削るような音”が聞こえた。
だれも機械を動かしていなかったはず。
→ 詳細確認のため再調査。
※万一のため、このノートを施設のロッカー30番に残す。
(開錠コード:自分の誕生日+報道記者登録番号末尾)
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寝不足のため、こめかみをグリグリして画面を睨む榊に対し、「この情報は敵の週刊誌(湊花ライフ編集部)も掴んでいない。余りにもヤバそうな情報だからだろう……。」
「だからって、私にっ」
「君でなくて誰が動くのかね。君はフリーライターだろう? 今はAIでも記事が書ける時代だ。しかも君はここ地元の生まれだそうじゃないか。私は都心生まれたから、ここには詳しくない」
「…………」
ネットで地図を展開する。漁港があって、土産物屋。T字路があって、かき氷屋さん。メロンとかマンゴーなどの味があるのよね。1250円とお高いけど。で、向かい側には冷凍倉庫……がない。アレ?
「そこが例の冷却施設だ」
第1滴:誰が、ここにいたのか
笹原は、商店街の坂をのぼりきったところにある「氷菓喫茶・白灯」にたどり着いた。
店先には、夏の風物詩である“氷”のノボリが揺れている。赤い文字に白い縁取り──が、どこかおかしい。
(あれ……“濁点”がない?)
風でめくれていただけだろうか。それとも、暑さのせい?
「いらっしゃい。……どうぞ、奥へ」
店主は70手前くらいに見えたが、背筋が真っ直ぐで、声に柔らかな響きがあった。
案内された木のテーブルに腰を下ろすと、カウンターの奥から「ドリッドリ……シャク……シャク」と、氷を削る音が聞こえた。
「おすすめ、ありますか?」
「今日は新作があるよ。“湊花ミカン”のかき氷と──あとは、コーヒー。トリプルドリップ式。808円。」
「微妙にリアルな値段ですね……」
「味は現実離れしてるよ。……飲めばわかる」
少しして、かき氷とコーヒーが同時に運ばれてきた。
氷は艶やかで、まるで琥珀の層が何重にも重なったよう。
コーヒーは細いガラスのサイフォンで抽出されており、湯気の中にほんの一瞬、何かの“声”のようなものが浮かんで──
(……聞こえたか?)
笹原が手を伸ばした瞬間、店主がぽつりとつぶやいた。
「……君の前にも来てるんだ。一人、女の子がね。細くて、目が大きくて──地元の子だったかな」
笹原の指が止まった。
「その人、何を注文してましたか」
「かき氷だよ。“こえ”を削ってね」
「……“声”?」
「さぁね、たぶん、氷の聞き間違いさ」
第2滴:削られた記憶
「……で、その女の人。名前は……?」
「さあね。名乗ってなかった気もするし、名乗ったけど忘れたのかもな」
笹原は、ふいにコーヒーへ目を向けた。
表面に浮かんだ気泡がひとつ、弾ける。静かな音。
まるで──「記憶が、そこにあったことだけを証明するように」。
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【取材メモ/音声記録】
(再生開始──ノイズ混じりの女性の声)
「……聞こえる?これは、誰かの声じゃない。水がしゃべってる。氷が……リドリド……リド……ド……」
(沈黙)
「この音……削る音じゃない。音の向こうに何かがいる──」
(ガッ……という衝撃音。以降、沈黙)
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手にしたレコーダーは、榊が最後に使っていたものらしい。
施設からは回収されていない。
……誰かが、彼女の残したものを、この町の“どこか”に託したのだ。
「白灯」の店主は、それ以上何も語らなかった。
店の奥に小さなラジオがあり、音が流れている。
リ……ド……リ……ド……
ドッ、ド……(放送の乱れか?)
(また、この音……)
笹原は無意識にこめかみを押さえた。
頭の奥が、冷えるようにズキズキする。
記憶の海に、沈んだものが波紋を広げはじめていた。
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【榊の手帳:切り抜きメモ】
──元冷凍倉庫、現冷却処理施設。
地下2階以降は未公開区域。旧漁協管理→企業買収後に用途変更。
流通業者の話では「医療廃棄物」扱いだが、“物”ではなく“情報”らしい。
凍結=封印?それとも記録?
※過去に機材誤作動→“削られる”ような音→一時封鎖。報告書未公開。
→ 関係者の一人は失踪。
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かき氷の冷たさが、喉元に残っている。
けれど、寒気はそれとは別だった。
(……本当に、榊さんは“削られた”のか?)
第3滴:氷面に浮かぶ
湯気はすっかり消えていた。
トリプルドリップ式コーヒーの表面には、一点の揺らぎもなかった。
笹原は、その水面をじっと見つめていた。
まるで、黒い鏡だ。
いや、鏡というには深すぎる──“底”がある黒。
しばらくすると、何かが、ゆら、と水面の奥を通った。
それは黒い影だった。
輪郭はぼやけていたが、確かに“ヒトのかたち”をしていた。
首のあたりが少し曲がっている。
両手は、肘から先が見えない。
まるで、両腕ごと氷に埋まったままのように。
水の奥に、もう一体。
三体目が、ゆっくりと沈んでいく──いや、“浮かんできた”のかもしれない。
その背中から、何かを「削る」ような音が微かに……。
──シャク……リ……ド……リド……。
(これは……いつだ)
視界が反転する。
黒い水面は、今度は冷却処理室の曇った観察窓になる。
かつて笹原が、一度だけ入ったことのある施設の地下。
監視バイトとして、夜間に配属された日だった。
通路には凍気が満ちていた。
そこは、“冷凍保存庫”という名目だったが、魚や臓器とは違うものが保存されていた。
影──ではなく、本当に「何か」が、凍っていた。
それは人だった。
いや、人のかたちをした何か。
装置の中に浮かぶ黒い物体の“顔”には、輪郭がなかった。
けれど、その顔は「自分に似ている」と直感した。
たったそれだけで、頭の芯が冷えた。
その時だった。
──後頭部に、鈍い衝撃。
見回り担当のはずの上司が、真後ろに立っていた。
暗い表情。ライトを消していた。
「……見たのか?」
その声の直後、記憶がすっと薄れていく。
その夜以降、笹原は何もなかったように仕事を続けた。
でも、夢の中で──時々、“凍った自分”を見ていた。
──今、コーヒーの水面に浮かんでいたのは、あれと同じ“視線”だった。
内側から削られるような冷気。
頭の奥に、ひび割れた氷のような音。
シャク……リッ……リド……ドッ……。
「君」
店主の声が、ふいに背後から戻ってくる。
「ずっと、水の中にいるような顔してたよ」
笹原は、答えられなかった。
喉が、ひどく冷たかった。
飲んでもいないのに──。
「君の前にも、そういう顔した人がいた」
「……榊さん?」
店主は頷かない。
けれど、否定もしない。
「どこから削られると思う?」
「……心から?」
「違うよ」
「──声からだよ」
その言葉を聞いた瞬間、笹原はようやく気づいた。
さっきから喉の奥に残る冷たさ──それは、“声”がまだ戻っていない感覚だった。
第4滴:封印の温度
冷たい記憶の底から戻ってきた笹原は、無言のまま、手元のノートを開いていた。
榊 悠月が残した手記。施設の封鎖前、彼女が独自にまとめた内部調査メモだった。
【榊の記録(抜粋)】
・旧施設B3以降、冷却ユニットの温度が異常低下
・人体に近いシルエットの凍結物 → 機械ラベルでは“NO_TAG”
・削ると音がする。ドリルのようなものではない。
・削った音が“声”のように聞こえたという証言あり
・冷却水は“海水由来の塩濃縮液”──保存目的ではない?
→ 記録されていたものとは、“死体”ではなく“声”そのものか?
笹原は、数年前の夜勤バイトの記憶をたどっていた。
あの夜、地下のロック扉が一時的に解除され、B3に入った。
研修では「入ってはいけない」と言われたフロア。
通路の奥、センサーも反応せず、空気だけが異様に冷えていた。
観察ガラスの向こう、白く霞んだ視界の中に、“人のかたち”をした黒い影。
──そのときだった。
後頭部に、衝撃。
“誰か”がいた。
声はなかった。
ただ、足音が静かに遠ざかる音。
黒衣の人物だった──気がする。
黒衣に身を包んだ鳴海博士の姿に似ていた、とも思う。
でも、あれが本当に鳴海博士だったのか?
あの夜、本当にいたのは──“誰”だったのか。
考えるほどに記憶が曇っていく。
──まるで、自分の中で冷却装置が作動しているようだった。
(いや、違う。装置は今も、誰かの声を……)
ノートの隅に、書き足された別筆跡があった。
「この冷却施設に保存されているのは、“存在しない名前たち”だ」
その下に、日付。
榊の失踪と同じ日。
「……君、さっきから随分長くノートを見てるね」
店主の声が背後からかかる。
笹原は、そっとページを閉じた。
「これ、榊さんのですよね。読まれたことは?」
「ないよ。……いや、あるかもしれない」
「……?」
「だって、読んだかどうかも忘れるくらいの音が、その中には入ってるからね」
笹原は、もう一度だけノートを開く。
ページの内側──インクがわずかににじんでいた。
よく見ると、それは文字ではなかった。
──削るような音の波形だった。
ド……ドッ、リッ……ドリド……
(音が、書かれている……?)
コーヒーのカップの中からも、同じ音が聞こえた気がした。
シャク……ドッ……リド……。
そして、その音が鳴るたびに、“自分の名前”が、少しずつ遠ざかっていく気がした。
第5滴:“氷”という字の声
外から風が吹き込んだ。
かき氷屋「白灯」の前に立てられたノボリが、ふわりと舞う。
「氷」──
その文字の赤い染料が、一瞬だけ視界の中で揺らぐ。
(……今、“濁点”がなかったような……)
笹原は立ち上がり、店の入り口に近づいた。
ノボリの文字は、確かに「氷」と書かれている。
濁点もある。正しい。何もおかしくない。
──でも、“音”が違った。
脳裏に残っている。榊の録音記録の中の、あの声。
「……変なの。ノボリの“こおり”、濁点がなかった。“こえ”に見えた」
「それだけなのに、すごく喉が渇いて、でも飲んじゃいけない気がして」
「……まるで、呼ばれてるみたいだったの。削って……って──」
「削るって、誰が?」
音声は、そこまでだった。
(“氷”に濁点がない。それが“声”に見える──)
文字の誤読ではない。
そこには「違う音」が込められていた。
「……君、それ、気づいちゃったか」
店主が、背後から静かに言った。
「“氷”って、冷たいだけだと思ってたろう。けどね、昔の人は言ったもんさ──」
「“氷は、黙った声だ”ってね」
「文字にしても、音にならない。
音にしても、意味が届かない。
けど、そこにずっと“存在”だけは残ってる」
店主は、冷蔵ケースの奥から、もうひとつのノボリを取り出した。
古びた布で、赤い文字が滲んでいた。
──そこには、濁点がなかった。
「このノボリ、あの子が置いてったんだよ。榊って子。持ってってもいいよ」
笹原は、それを受け取る。
布をめくると、裏側にペンで小さく書かれていた。
「ここで“声”が削られてる。冷えて、凍って、いつか名前になる」
その文字の隣──にじんだインクの跡。
それは、文字ではなく、波形のようだった。
──リド……リド……ド、シャク、リッ……
笹原は、そのまま喉を押さえた。
自分の中で、“何か”が削れ始めている。
それが“声”なのか、“記憶”なのか、それとも“自分自身”なのか。
もう、分からない。
ただ、ひとつだけ確かだった。
──あの冷却装置は、まだ向かい側にある。
でも、どこかの記憶では、あの倉庫は“すでに取り壊された”ことになっている。
……シャク……リッ、リド……
また音が、喉の奥から聞こえた。
──“誰がここにいたのか”ではない。
“自分がまだここにいるのか”が、分からなくなる音だった。
最終章:声の温度
氷菓喫茶「白灯」の前を、再び潮風が通り抜けた。
笹原は、ノボリを折りたたんでカバンにしまうと、店の奥のカウンターへ向き直った。
さっきまでそこにいたはずの店主は、もう姿を消していた。
(……トイレかな?)
その程度の違和感だった。
だが、気づいた。
──コーヒーのカップが、ぬるい。
ほんの数分前まで熱を持っていたその液体は、ぬるく、味が薄くなっていた。
水面に映るはずの照明の光も、今はもう見えない。
テーブルの上に、メモ用紙があった。
【トリプルドリップ式の秘密】
・1層目:声を飲み込む層(蒸気と記憶)
・2層目:削る層(氷と名の痕跡)
・3層目:戻らない層(音の無)
その下に、こう書かれていた。
「全部飲み干した君は、もう“名前”の外にいるかもね」
「それでも、君はまだ“ここ”にいるんだ。そうだろう?」
──店主の筆跡だった。
店の外に出る。
日が傾き、海からの風が肌を撫でる。
氷ののぼり旗は、もう取り外されていた。
振り返ると、店舗の2階にある看板が見える。
──「白灯」。
小さな、青い電球がひとつ、チカチカと点滅している。
(最初から、あんな看板、あったか?)
そこに掲げられている文字の下、英語のロゴが添えられていた。
> Silent Record Cafe — since ???
記録。
声のない記録。
記録のない声。
笹原は、ノボリの布地に書かれていたあの言葉を思い出していた。
> 「ここで“声”が削られてる。冷えて、凍って、いつか名前になる」
どこかで、また──かき氷を削る音がした。
シャク……ドッ、リッ……リドリド……
それは、遠くの店の裏手かもしれない。
いや、自分の喉奥から響いたのかもしれない。
──わからない。
でも、笹原はその音に返事をするように、小さく声を出した。
「……聞こえるか?」
誰の声でもない。
でも、確かに“ここ”に届いた気がした。
ほんの一瞬、空気が震えた。
──ぽて。
氷のひとかけが、足元で静かに割れた。
(完)
※この小説はChatGPT上で動作する開発者ツール「湊花町執筆システム」を利用して書かれています。
スペシャルサンクス:人格のクマちゃん