6.牢獄の思い出
格子のはまった地下牢の窓からは城の庭の一部が見えた。向かいの牢から夕日の真っ赤な光がスポットライトのようにロリスを照らす。真っ赤に燃えたような顔、光に眩しさに目を細める。
「とんだ扱いだな」
夢から醒めた現実。もしあのまま反対されても音丸の家にいれば何も恐がることもない、命の危険に脅かされることはなかっただろう。この国に帰って来たということはすなわち、死を覚悟するということだ。
夕日に目をやられたのか、夕日が作り出す紅色と白色の光の中、ぼんやりと向かいの牢に人影が見えた。既に会わなくなってから9年の月日が経っている。
凛々しく、鋭い目を持つ少年が片膝を立てて、背中を壁につけて座り込み、ロリスのことを見ると口元を緩ませた。
「おめぇはバカだなぁ。やっとオレの気持ちわかるだろ?」
白銀の長髪をかきわけながらあざ笑う。厭味をたっぷり染み込ませて言うが、それほど嫌には感じない。ロリスは微かに笑い、頷く。
「そうだな。捕まることはわかっていた。私はバカだ」
「おめぇ、オレのこと忘れていただろ?」
白銀髪の少年はそっぽをむき、呟く。確かにロリスはこの牢に入るまですっかりこの少年の姿形を忘れてしまっていた。最後に会ったのが9年前。最初に会ったのが今から10年もの前の話だった。
たたたたたっ
二つの細かな足音が赤い絨毯を敷かれた廊下に響く。青髪の少女が栗毛色の少女の手を引き、階段を駆け降りる。暗い石段を下り、松明でほのかに明るくなった石造りの部屋。階段を降りきり、壁に背中をつけると二人の少女は笑い出した。
「あはははははは」
「クスクス、おっかしー」
「あの時の驚き顔。見ましたか?姫殿」
青髪の少女、ロリスは笑い泣きで目を潤ませながらナロミーネの方を向いた。ナロミーネは腹部を押さえながら涙を拭う。
「兵士たちの部屋に電撃訪問は面白かったですね」
「あの慌てっぷり」
腹部を押さえてロリスはしゃがみこむ。いくら鍛えているとはいえ、笑いながら走ってくるとなると腹筋が崩壊しかける。
「クスクス…えと?ここは…」
ナロミーネは笑いをとめて周りを見回した。石造りの部屋で声が響く。鉄の格子が立ち並ぶ様子は不思議な空間だった。
「牢獄…だろうか」
罪人が閉じ込められる場所。幽閉される場所。比較的平和なフェンリルでは凶悪犯罪など起きず、罪人がいないはず。
今のところ事件という事件は聞かないし、牢に入れられたという話は聞いたことがない。
「牢には魔物が住むと聞きますが…」
ナロミーネが怖々と辺りを見回すとロリスが庇うように前に立つ。
「何が出て来ようと、私が姫殿をお守りする」
剣の柄を握り、奥の方へこそりこそりと歩み寄る。格子越しに人影を見つけて剣の柄を握り直す。
「どうしてガキはこんなにもうるせーんだ?」
これが彼の一言目だった。白銀の髪に黒いズボン。白い肌を露にする黒のタンクトップを着て座り込む少年。どう見てもロリスと同じくらいか、それ前後に見える。
「な、ガキってお前もだろう!」
ロリスは唐突に見知らぬ者に侮辱され、憤慨した。ナロミーネもロリスに続いて格子越しを覗く。
「フン、ピーピー騒がねーよ」
白銀の髪の少年は頬杖をつき、つまんなそうに言った。ロリスの方もここで反論すれば泥沼化すると思い、一歩譲ってひとつ大人になった。
「何でここにいるんだ?君は」
「ここの兵士に聞けよ」
ロリスの質問に白銀の髪の少年は耳を傾けていたが、ぶっきらぼうに答えた。
「今いない」
「チッ」
ロリスは周りを見回し、牢兵が見当たらなかったのでそのことを告げると白銀の髪の少年は明らかに嫌な顔をして、聞こえるように大きな音で舌打ちした。
渋っていた白銀の髪の少年が口を開きかけたころに
「なっ、姫様!何でこのようなところにっ」
牢兵が帰ってきた。もともとそんなに凶悪な者が入獄しないので見張りも休憩休憩で警備が手薄なのだ。その日は牢兵が戻ってきてこんなところにいてはいけないやら危険だとやら曖昧なことを言われて追い出された。
「何故あの少年が牢の中にいるのだ?」
「罪人だからですよ。傷害罪の」
牢兵が語ったのは、森での訓練を終えて帰還中にあの少年と出会い、噛みつかれたそうだ。その傷害のせいもあるが、他にも意図があり、あの少年は森で狼に育てられた可能性があるとして保護、幽閉したのだ。そのまま放ってしまったら噛みつかれるという事件がまた起きるかもしれない。そこらを考慮し、牢に入れているそうだ。
ロリスはその話を聞き、ますますあの少年に興味を抱き、牢兵がいないタイミングを見計らって牢に忍び込んだ。
「おい」
丸くなってうずくまっている少年に向かって小声で声をかける。少年はピクリと体を震わせて迷惑そうな顔をロリスに向けた。
「私の名はシャロレイド・ロリスだ。そなたの名前は?」
ロリスは胸に手を当て、必死に言った。狼に育てられたのではないだろうかという話を聞いて、自分の言葉が通じないのではないだろうかと思ったのだ。一種の馬鹿にした態度ではあったが。
白銀の髪の少年はしばらく黙っていた。ロリスは言葉が通じなかったのかと内心焦っていたのだが、黙ってじっと白銀の髪の少年を見ていた。
「…聞いて何になる?」
望んでいた解答とは異なるものだった。ロリスは少し考えた後
「呼び易くなる」
と言った。考えて見れば解答にもなっていない気がしたが、とりあえずそれで様子を見ることにした。
「…そうか。オレはシルバー・ウォルフ」
「ウォルフ殿…か」
ロリスは考え込むように黙り込み、少し間をおいてからニコッと笑った。
「何でお前はここに来るんだ?」
「ウォルフ殿がいるから…だろうな」
「どういう意味だ?」
「城の者以外と話すのが面白いのだ」
ロリスはナロミーネが勉強中に地下牢に行き、見つかっては追い出された。ナロミーネはロリスの話す地下牢での話を楽しみにし、聞いていた。
しかし、牢兵の監視が厳しくなるとロリスも徐々に地下牢には行かなくなっていった。そうして行かなくなり、会わなくなり、ナロニカ戦役がはじまった。
「あれから9年。ナロニカ戦役でウォルフ殿は亡くなられたのだろうか…」
ロリスは小さく呟いた。夕日が見せていた幻影はとっくの昔に消えていた。向かいの牢は冷たい黒っぽい鈍い光を放っていた。
静寂が包み込むと、襲撃時に殴られた左頬が痛みだす。そっと冷たい手で触れて押さえると結構な熱を持ち、腫れている。確か殴った彼は最初ロリスのことを男だと思っていたし…。
「あの兵士め…」
目を閉じ頬を押さえて横になる。
コツコツ…
「女、取り調べだ。来いっ」
牢兵がやってきて牢の鍵を開け、ロリスを連れ出す。牢の奥に明かりの灯っている部屋に槍を持った二人の兵士とどっかりと座っている男がいた。
「俺が取調べをする」
「代表ということか」
太い声が男から発せられる。それにロリスが言葉を発すると後ろにいた兵士がロリスの頭を叩いた。
「図が高いっ、この罪人が」
「代表と言えば代表だが、俺は司令官だ。さっそく質問に入る」
間を少し置くと勝手に司令官は質問しはじめた。
「この城に侵入した目的はなんだ?」
「まず聞きたいのはあなたたちはナロニカ軍か?」
「俺が質問したんだ。答えろ!」
司令官は怒鳴る。兵士たちがロリスに槍の刃先を向ける。
「それはあなたたちがナロミーネ姫を知っているか否かで決まる」
ロリスは不敵な笑みを浮かべ、司令官を見るその態度が気に入らなかったのか、側にいた牢兵がロリスのことを突き飛ばす。
「貴様に発言権はないっ!」
「人権もないようだな」
「当然だっ!罪人は人ではないっ!」
ロリスの冷静沈着な態度に苛立った司令官は机を叩く。牢兵は腰に差していた剣を抜き、ロリスの喉元に先を当て、脅す。
「私を人と見ない…そうだな?」
「いい加減にしろこの女っ!!」
牢兵が青筋をたてて剣を振りかざした。ロリスは両手を広げられるだけ広げ、手錠の鎖で刃を防いだ。
「何っ!?」
「ならば、これは人権を求めての戦いだ!」
ロリスはニッと笑うと牢兵に向かって蹴り上げ、顔面に靴の底をぶつけた。顔面の中心にロリスの靴がめり込み、くっきりと跡を残す。よろけた牢兵の横顔に鋭くロリスの靴の先が入り、ぶっ飛ばす。
「女ッ!!」
司令官の脇にいた兵士二人が槍を突き出す。槍の柄を蹴り上げ、狙いをぶらすと懐に入って急所を蹴り上げる。兵士は呻いて崩れ倒れる。
「くっ抵抗する気かっ」
司令官は剣を抜き、突進して来る。
「当然だっ。そんな理不尽があるかっ!」
ロリスは司令官の剣を避け、取調べ室内を逃げ回った。隙ができた瞬間ロリスは司令官の弁慶の泣き所を蹴り、それを何度も繰り返しているとついに司令官は呻いてすねを押さえて屈み込んだ。
ロリスはその様子を見て取調べ室から駆け出していった。
「お、追えっ!」
司令官は涙目になりながら倒れて呻いている兵士たちを叩き起こし、追わせた。こうしてロリスは脱獄したのだった。




