14.学校を休んでまで
「――の…、―じどの……こーじ殿っ!」
「んん……眠いよ……まだ寝てるー…」
ゆさゆさと揺さぶってくるロリスの手を払いながら音丸は寝返りをうつ。しっかりと毛布を体に巻き付け、頭からすっぽりかぶろうと精一杯伸ばす。そんな音丸を見てロリスは小さなため息をついた。これはどう起こせばいいのだろうか。このまま起きるのを待っていればいつになるかわからない。下手すると日が高ーく昇るまで起きないかもしれないのだ。さすがにそれはまずい。ロリスは音丸の肩をつかみ、大きく揺さぶった。
「うわわっ……って何だよ…」
音丸は揺らされ、カッと目を見開き、ロリスの顔を捉えると不満そうな顔をした。
「こーじ殿、今日は学校ではないのか?」
ロリスは腰に手を当て、音丸を見下ろす。音丸は起き上がり、後ろ髪を手櫛で何度か整えるとキョロキョロと周りを見回し、時計を探した。いつもならば枕元にあるはずなのだが、どうにも見当たらないのだ。
「あれ?」
「もう9時を過ぎているぞ…?」
ロリスは音丸が何を探してどうしようとしているのかをいち早く察し、先程見てきた時計の時刻を言った。9時を過ぎていると言えば、とっくに学校が始まってしまっている時間である。
「嘘…弓は!?」
音丸は一瞬呆気に取られていたが、やっと頭が働き始めたのか、バンッとベッドを踏み切り、勢いよく飛び降りると廊下に向かって走る。
もし弓が寝ているのならば、自分のせいで一緒に遅刻にさせてしまうことになる。
「あ、弓殿なら朝方に出掛けられたぞ?」
「え?」
音丸はつんのめって部屋の外の壁に激突した。
「確か……そうそう。こーじ殿に『初遅刻おめでとー。バーカ』との伝言をされていたぞ?」
ロリスは弓の口まねをしながら伝言を音丸に伝えた。そのセリフを聞き、大きくため息をついた後、「起こしてくれればよかったのに」と呟き、階段を駆け降りていった。
まずは遅刻の理由などを学校側へ報告しようとしたところ、丁度電話が鳴りだし、音丸はビクッと反応した。高鳴る心臓を抑えながら受話器に手を伸ばし、耳に近付けた。
「音丸か?どうした?大丈夫か?」
唐突に聞こえてきたのは機械を通した担任の声だった。本来ならば「清和学院高等学校の――」と形から入るのが普通であろうが、音丸の場合は両親もいなく、電話も音丸以外出ないということがわかっているのでこのような声掛けをしてくるようだ。このように朝に連絡がくるのは初めてで、経験はなかったが…。
「あ、はい。音丸です。先生、すみません寝坊してしまって…」
「おぉ?寝坊か。珍しいな。今まで遅刻履歴すらないだろ?」
「あ、ほんとすみません。今から準…」
「今日は音丸は休むわー」
ひょいっと音丸の手から受話器が奪われ、弓がボソッと呟いた。
「は?何だって?」
「ちょっと弓、何言って…」
「という訳でせんせー、よろしゅう」
「ちょっと待て、おかし…」
弓はぶつりと電話を切り、カチャリと受話器を置いた。音丸は何が起こったかよくわかっていなかったが、徐々に把握し、怒りが込み上げて来た。
「何勝手なこと言ってんだよ!僕は学校に…」
「まあまあ落ち着け、お腹空いてイライラしてんだろ?」
弓は手に持っていたコンビニ袋を音丸の鼻先に突きつけた。さらに言おうとしていた音丸はコンビニ袋を突きつけられ口をつぐんだ。事実お腹は空いていたし、イライラもしていた。遅刻をしているのに自分でご飯を作らないといけないということも遅刻に至る原因が寝坊であることも自分を許せなかった。
「何…これ…」
そう言うのがやっとだった。弓の気遣いが嬉しかったが、今電話の件について怒ったばかりだからどうにも素直にお礼を言う気にはなれなかったのだ。
「コンビニおにぎり」
金持ちのお嬢様がコンビニのおにぎりを買ってくるというのも何だか滑稽である。
「ロリス。飯だ」
弓の声に反応するか否か、ロリスがリビングに入ってくる。
「今日はロリスの家探ししなきゃいけないだろ?どっかの誰かさんのせいで…」
「な…馬鹿言うな。何で僕が付きあわなきゃ…」
「何でもだ!…追い出すんだから責任持って面倒見ろ」
言い返そうとする音丸を一喝し、おさえ込んだ。音丸は開きかけていた口をつぐみ、ロリスは何が起きたのかと目を丸くした。まるでそれは穏やかな草原に突然嵐が現れ、去ったかのように辺りを静寂にした。理不尽とも思えなくもない言い分であった。
「えと…弓殿?」
「あ、ん。食っていいぞ?」
「あ、あぁ。うん」
空気が重々しかったため躊躇っていたロリスも弓の「食べていいよ」という許可をもらい、一安心したらしい。ホッとかるく息を吐いて袋からおにぎりを取り出す。
しかしそこからが大変だった。どうやって包みを開けるのかわからず、くるくるとおにぎりを回して開け口を探して奮闘していた。
弓は気付いていないのか、それともわざと知らないふりをしているのか、大変そうなロリスを無視し、自分用のおにぎりを選ぶのに必死になっていた。
「ほら、貸してごらん」
音丸は軽くため息をつくと、ロリスの目の前に手を出した。ロリスは一瞬何のことかわからず、キョトンとした顔で音丸を見つめた。が、おにぎりのことを指しているのだとわかり、散々いじくり回し、形が変形しかけたおにぎりを音丸の手へと渡した。
「これはここをこうするの」
三角形の頂点のぴろろんと飛び出した赤い紐のようなものを人差し指でピロピロと弾いてロリスに見せ、つまむと一気に引っ張った。ピリリリリリっという音ともにビニールの包装はあっけなく裂けた。破れ目からはコンニチハと言わんばかりにおにぎりの海苔が顔を出す。
「おぉ…」
ロリスは未知のものを真剣に食い入るように見つめている。そんなに見つめられるとこれから現れるおにぎりが赤面してしまい、なかなか出てこなくなってしまうのではないだろうか。
「それで、このピロピロを取ったら、次に両脇の三角の包装を取る」
音丸は海苔が破けないようにと慎重に引き抜く。今までコンビニのおにぎりをどれほど食べてきたかは数え切れないほどだ。
その技が今、発揮される!
「はい、どうぞ」
無事、おにぎりは無傷でロリスの手元へと戻された。ロリスは戻ってきたおにぎりを奇跡の生還者と言わんばかりに眺め回し、その視線は音丸の瞳へと移動した。
「ありがとう、こーじ殿」
「あ、いや。どういたしまして」
ただ当たり前のことをやったまでだ。特に苦労した訳でもないし、それぐらいのことでお礼を言われるのが不思議だったし、またくすぐったく感じたのだった。
「やっぱ優しいな音丸」
やはり弓は気付いていたのだ。弓はおにぎりをほお張りながらニヤニヤと笑っている。そして次に言わんとしている言葉を音丸は容易に想像することができた。
「その優しさで…」
「だから、一緒に住むと思いやりは違うの!」
弓の言いかけた言葉を遮って音丸は断る。
弓はかるく肩をすくめ、立ち上がると冷蔵庫を勝手に開け、牛乳パックを取り出す。どうやら自分の家と勘違いしているような振舞いだ。
「ふむ、美味しいな。おにぎりはやはり魚卵に限る」
「魚卵って…」
「筋子のことか」
弓がロリスの食べていたおにぎりの中身を覗き込みながら頷いた。確かに魚卵である。『おにぎり』のことを知っていることから、ロリスの住んでいる国に『おにぎり』は存在し、その中身に魚卵を入れる、ということが推測できる。もしかすると食文化は結構こちらの世界と近いものがあるのかもしれない。
「ロリス、それ食べ終わったら出掛けるからな」
「ん?…あぁ、家を出なければならないのだな…」
ロリスがおにぎりをくわえながら顔を上げ、悟ったような顔をし、寂しそうに言った。何度も何度もさりげなく責められ続けるため、ロリスとの同棲を拒否した音丸の気持ちはだんだん正当な理由から意地に変わっていくのが分かった。
「ま、それもあるが…まずは、住む家や衣服類、あとは連絡手段として携帯が欲しいな。それらを探すぞ」
弓の話を聞いて音丸はロリスの服装をまじまじと見つめる。埃や血で薄汚れた赤い衣服。ところどころ白っぽくなっている。ロリス自体は生き生きしているが、服自体はすでに「僕はもうもう疲れたよパトラッシュ」と言っているようだった。
視線はロリスの胸元から顔にいく。頬にはところどころ少し青っぽい痣ができ、女の子としては痛々しく、見るに堪えない姿であった。服装もそうであるが、とてもその顔では歩けないだろう。
「その格好で歩かせる気なの?弓」
「まさか。服とか帽子とか貸してくれるだろ?」
やっぱり音丸の姉、加奈の物を貸してもらう気でいる。音丸もそこまで人は悪くないため、特に断る理由もない。勝手に姉の物をいじるというのもよくない気はするが、致し方ないだろう。
「あっちの部屋にあるから取ってきなよ」
弓はロリスの手を引いてリビングを出て行った。
「おぉー、こーじ殿、高い建物が沢山だぞ」
ロリスはキョロキョロと周囲を見回しながらはしゃいだ。ロリスは着替え、クリーム色の帽子を深々とかぶり、ブルーのシャツにスカイブルーのジャケットを着て、白いパンツズボンをはいていた。どう見ても今の子っぽさが出ているし、青アザなどは帽子のつばの陰に隠れ、気にならないようになっている。すっかり化けたって感じだ。
しかし、やはり狐は狐。化けたところで無知という尻尾を出している。
「変わった格好をしているのだな」
ビジネススーツを着込んだ女性を指さしては一人で盛り上がっている。昔見たアニメの内容である、とある男の子の前にある日なんとか惑星から来たヒロインを町に連れ出すようなシーンを思い出した。
「ま、ロリスが変わってんだけどな」
さらっと弓が言い、腕時計をちらりと見る。
音丸は何故ついて来たのだろうと不満そうな顔を顔いっぱいに出して、むすーっとしていた。嫌がる音丸を弓は自分一人じゃ大変だから来いっと強引に引きずり出したのだ。
「何で僕まで……」
「まだデパート開かないから先、不動産に行こうぜ」
弓は向かっていたデパートの方向から急転換し、不動産の看板をぶら下げている不動産へと向かった。店のショウウインドーのガラスには所狭しと空き物件の情報が掲載されている。
家賃がいくらだとか、何LDKだちか、交通の便がいいとか、徒歩何分、花火大会見れます。など。
「広さは掃除とかも大変だから2LDKだな。あとは学校に遅刻しないよう、近くして……あとは女の子の一人暮らしってのだから、セキュリティーが一番心配だな」
弓はまじまじとマンション一覧をまじまじと見つめる。みんな学校より遠かったり、オンボロアパートだったり、裏路地にひっそりと建てられたところだったりと割と条件に当てはまらない。弓は思い切って店内に踏み込んだ。
「この条件に当てはまる物件を探してもらえる?」
弓は学校周辺の略図と先程並べあげた条件を書いた紙を受付の社員に手渡す。メガネをかけたきびきびした女性社員は見た目どおり、きびきびとした口調で言った。
「一時間ほどお時間を頂きますが、よろしいでしょうか?」
一時間もここで待機というのもつまらない。弓は少し考えた後に午後にまたくると告げ、不動産をあとにした。




