9.青髪の女
厨房を飛び出したロリスは自分の剣を取り戻すべく、地下牢へと再び戻った。今ならばまさか再び戻って来るはずがないだろうと油断しているはずだ。
窓からは薄明るい光が差し込んでいる。夜は明け、朝が足早にやってきているのだ。人気のない廊下を素早く走り、地下牢への階段を駆け降りる。ここまで人を見かけないと本当に捜しているのだろうか?と不思議に思ってしまう。
「とりあえず、恨みは晴らすべきだな…」
ロリスはそう呟き、物陰から牢兵室にいる牢兵を覗き込んだ。司令官の前だと言って頭を叩いてきたり、いやらしい眼差しを向けてきたり、自分のことを散々ぞんざいに扱ってきたのだ。仕返しの一つや二つをやってやらねば気が晴れない。
ロリスは牢兵の背後に回り込み、腕と腕の間に牢兵の頭を通し、グッと引くと手錠で縛られている手首のところで首を締めつけられ、牢兵の首が絞まる。
「うぐっ!…な、なんだ!?」
突然の襲撃に驚き、牢兵は首を絞めてくる手をつかみ、抵抗する。少し首をひねり、相手がロリスだとわかると目を見開いた。
「あ、女ァー…」
牢兵は椅子を蹴って立ち上がり、体全身を使って抵抗する。ロリスは腕をもっと手前に引き、首を絞める。牢兵の方も思ったより抵抗が強く、ロリスは勢いで壁に背中を叩きつけられた。
「くっ…」
「この…」
しばらく揉み合いが続き、お互いに壁に叩きつけ合い、最後にロリスが牢兵の頭を勢いよく壁に叩きつけ、決着をつけた。牢兵は白目を剥いて崩れ倒れた。
「…はぁはぁ、手錠が随分なハンデだったな」
ロリスは乱れて大きく開いた胸元を直せるだけ直し、大きく息をついた。無茶をすると無理な力がかかり、関節を外してしまう可能性もあるのだ、あまり無理はできない。
「しかし、これで終わったと思うなよ?牢兵」
ロリスは気絶している牢兵を見下ろしながら憎々しげに言う。とりあえず、今は自分の剣を探すことから始める必要がある。ロリスは一通り牢兵室を眺め回すとすぐにテーブルの上に乗せられている剣を見つけた。
「管理体制がずさんだな」
ロリスはクスッと笑いながら剣をとり、腰に差し直す。目的は一応果たしたのでロリスは再び気絶している牢兵を見下ろした。牢兵の胸倉をつかみ、上に持ち上げると、ロリスの入れられていた牢の中へと牢兵を投げ込む。
「さて、と。仕返しタイムだ」
ロリスは冷たくよく通る声で言い放つと、牢兵の腹部を蹴った。右腕をとってねじりあげると
「~~~~!?」
声にならない声をあげて牢兵が目覚めた。
「さぁて、私の質問に答えてもらおうか」
「んなぁんだよっぉ!」
抵抗しようとしたところ再び腕をねじり上げ、牢兵は声を裏返らせた。まず聞きたいことはこんな下っ端でも知っている情報であろう。聞き出せるだけ絞り出そう。
「さて、この城はナロニカ軍に占領されたのか?」
「ぐ…ああそうだ。ナロニカ戦役以降ナロニカ国の一部だ」
誇らしげに牢兵が言ったのでロリスは牢兵の足を踏んだ。牢兵は苦痛に顔を歪める。
「ナロミーネ姫はどこにいる?」
「ナロミーネ?…誰だ、それは」
やはり期待していた一番の情報が入らなかったのだ。どんな情報よりも姫の安否を知りたい。ただそれだけなのだ。
「フン、知らぬのか…なら―」
腕の骨を折ろうと思った瞬間、牢兵がふと言った。
「亡国の姫のことかっ!?」
「フェンリル王国の姫君だ」
「そ、それなら、三階の部屋で病を治してゆっくりと養生さ…」
牢兵は壊れたラジオのように声を裏返らせながら情報をだだ漏れにした。ロリスが情報を牢兵から聞き出そうとしたのは、まず下っ端だからという理由が一つある。上官ではないためずる賢くなく、陥れられることがないということだ。
今言った牢兵の情報を鵜のみにするかは微妙なところだが、上官の場合、情報がよく行き交う。わざと兵士を集める場所を姫のいる場所と言えば、ロリスを捕まえることができる。兵士の集まる場所を把握しているし、牢兵は多くを牢の監視ですごすため情報が乏しい。ロリスが必要とする最低限の情報さえ知れればいいのだ。
「ふむ。ご苦労さまだ」
「おまえ…まさか、フェンリルの……」
「余計な詮索は身を滅ぼすぞ?」
ロリスはニヤリと笑い、牢兵の顔を覗き込んだ。牢兵はロリスの顔を見てみるみる恐怖で顔をくしゃくしゃにする。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ―…」
牢獄中に牢兵の断末魔が響き渡った。
「おい、兵士長から侵入者からの剣を持ってくるように……」
牢獄の階段をゆっくりおりてきた兵士が目を見張った。牢獄中の床に飛び散った無数の血痕。牢兵室には人の気配はなく、椅子は無惨にも倒れ、ランプはぼんやりと空室の空間を照らし出していた。
「おい…マジかよ…」
先程から目を釘付けにされているのは、一つの牢屋の中に倒れている人だった。
それもそのはず。本来見張る側であるはずの牢兵が血まみれでぐったりと牢に閉じ込められていたのだから―
ロリスは牢獄から飛び出し、三階へと向かった。
「姫が、姫殿が生きておられる!」
またとない朗報だった。自分がすべきと思っていた使命にやっと終焉が見えたのだから。姫の無事を確認して、それから再び姫の守護兵となって…ずっとお護りしていくのだ。
自分の使命の邪魔する者は切り捨てるのみしかあらず。
ロリスは次々飛び出してくる兵士たちを愛用の剣で切っていく。一度斬られれば大抵は痛みで追ってこない。目指すは姫のいる部屋のみ。
ふかふかベッドの上に横たわる女の子に向かって男が優しく語りかける。
「ナロミーネ、今日の気分は如何ですか?」
「…よくはないわ。外にも出たくもない」
ナロミーネは首を静かに振り、目を閉じた。そんな様子を男はため息をつきながら見る。
「少し聞きたいことがあるのですが…いいですね?」
「何かしら?」
「シャロレイド・ロリスは……」
男が名を口にした瞬間、ナロミーネは露骨に嫌な顔をした。その話は何度も何度もしてきた。その話をする度にナロニカ戦役の悲劇を思い出すので嫌っていたのだ。
「その話はもうやめてって言ったでしょ。あの子はナロニカ戦役で死んだのよ」
「そうでしたね。それで?どこにお墓があるのですか?」
「それは…」
ナロミーネは言葉に詰まり、うつむいた。
「あれほど長い月日をほとんど離れず護衛をした守護兵のことをそんなに簡単に諦めることができるんですか?」
「死んだの!あの子は…」
男の責めるような口調にムカッときたナロミーネは怒鳴り散らすように男に向かって言う。男は閉口したが、その目はナロミーネを貫いていた。
「…失礼します。コルン兵士長、朝早くから申し訳ありません…」
兵士が一礼して入室してくる。兵士はナロミーネに敬礼した後、男に話しかける。
「何事ですか?昨夜から騒がしい気が」
「侵入者が逃走しまして…未だ見つかりません」
「特徴と危険度は?」
「青髪の長髪で、女だということで今は確か手錠をしているかと…武術は長けている様子です。兵士たちが次々とやられているとの話ですが……あ、剣の紋章は四本の牙と剣が二本、十字が……」
「フェンリル王国の…」
兵士の会話を聞き、ナロミーネが呟いた。フェンリル王国の紋章は、十字架に剣二本がクロスし、その四隅に獣の牙が描かれている。
「…わかりました。なんとしてでも捕らえなさい。ナロミーネ、この特徴に思い当たる節はありませんか?」
男は兵士に命令し、背中を向けたままナロミーネに静かに言った。ナロミーネはわずかに震えていた。
「あの子が生きている……?」
「何故6年も経った今なのか…気になりますけどね」




