スーパー タイムリープ&セール
日曜の昼過ぎ、俺は妻のお供でスーパーマーケットに出かけた。
コロナ禍以来、買い物は週一回で出来るだけ済ませるように心がけている…と妻が言っている。
野菜コーナーから豆腐や漬物の冷蔵コーナー、肉売り場を経て指定ゴミ袋などの日用品をゲットし、さらにパンやシリアル、牛乳などを買ってようやくゴールだ。
「あらラップを買い忘れたわ。戻るわよ」
妻がクイッとターンする。
俺は二段みっちり積んだ買い物ワゴンを「おっとっと」と崩れないように押さえながら後をついていく。
これは妻が言うところの『婦唱夫随』なのだ。もちろん文句などない。
スーパーを何周しようが黙ってついていけばよいのだ。そうなのだ。
「♪yo yo 妻がラップを買い忘れ そうカゴの中にはただカイワレ レッツゲリロン」
妻がチラリと俺を見て眼を鋭く細める。
「何なの、それ」
「ラップだよ、ラップ。最近ハマってるんだ。♪売り場過ぎたぜ このラップ 昼を食べ過ぎたぜ 俺ゲップ ウェッサイ 」
そうリズムを刻みながら俺は妻にウィンクをしてみた。
いきなり妻がたった今買い足したラップで俺の頭を殴打した。
「ぐっ」
「次にそれやったら殴るわよ」
「殴ってから言うなよ。うう」
ようやくレジを通って、なお俺が脳天をさすっていると店内アナウンスが聞こえた。
『ただ今 肉売り場で特売の豚コマ、さらに20%引きを始めました。ぜひこの機会に!』
妻の顔色が変わった。
「何というトラップ」
俺はここぞとばかりツッコむ。
「♪yay! 何と!you and rap?」
妻は俺の胸に肩をガシッとぶつけた。
「はあん?」
「ごめんなさい。もうしません」
チンピラに因縁をつけられたみたいだ。
「あなた、今からこの肉と取り替えてきなさいよ」
妻はエコバッグから豚肉パックを取り出す。
「無理だよ。もうお勘定を済ませただろう」
妻がため息をついた。
「まあ、そりゃそうね。仕方ない。やるか」
そう言って上を向いて眼をつぶる。
「何やってんだよ。店内でいきなり瞑想
野菜コーナーから豆腐や漬物の冷蔵コーナーを経て、ラップや指定ゴミ袋などの日用品をゲットし、さらにパンやシリアル、牛乳などを買って間もなくゴールだ。
「豚コマがもうじき安くなるからここで待機よ」
肉売り場前で急停止した妻が俺の押す買い物ワゴンを手で止めた
俺は二段みっちり積んだワゴンを「おっとっと」と崩れないようにおさえた。
これは妻が言うところの『婦唱夫随』なのだ。もちろん文句はない。
スーパーを何周しようが黙ってついていけばよいのだ。そうなのだ。
店内アナウンスが聞こえた。
『ただ今 肉売り場で特売の豚コマさらに20%引き始めました。ぜひこの機会に』
俺は唖然とする。
「すごいな。まるで割引シールのタイミングがわかっていたかのようだ」
妻はフフンと鼻を鳴らしながら早速豚肉のパックを二つ両手に取って匂いをかぎ、ひとつを戻した。
「勘よ。勘。尊敬しなさい」
「匂いをかいでひとつ戻すのはマナー違反だろう。仕草も勘も野生動物みたいだ」
いきなり妻が持っていたゴーヤで俺の頭を殴打する。
「誰が野生動物よ。殴るわよ」
「痛ててて…殴ってから言うなよ」
ようやくレジを抜けてエコバッグに買い物を詰めていると、妻がアボカドを手にしてじっと見つめた。
「どうした。野生動…勘のいい君でもアボカドの中身は判らないだろう」
「お尻が硬いわ。失敗した」
妻はアボカドの下半分を指で押さえながらそう言って、上を向き眼をつぶった。
「ははは、お尻がでかくて固い。まるで君の
野菜コーナーでは特にアボカドの吟味を念入りに行った。それから豆腐や漬物の冷蔵コーナーを経て、ラップや指定ゴミ袋などの日用品をゲットし、さらにパンやシリアル、牛乳などを買って、間もなくゴールだ。
「豚コマがもうじき安くなるからここで待機よ」
肉売り場前で急停止した妻が俺の押す買い物ワゴンを手で止めた
俺は二段みっちり積んだワゴンを「おっとっと」と崩れないようにおさえた。
これは妻が言うところの『婦唱夫随』なのだ。もちろん文句はないけどな。
スーパーを何周しようが黙ってついていけばよいのだ。そう…だよな。
店内アナウンスが聞こえた。
『ただ今 肉売り場で特売の豚コマさらに20%引き始めました。ぜひこの機会に』
俺は唖然とする。
「すごいな。まるで割引シールのタイミングがわかっていたかのようだ」
妻はフフンと鼻を鳴らしながら、一瞬見ただけですぐに中のひとつをカゴに入れる。
「勘がいいでしょう。ところであなた、アボカドのお尻が硬くてでかいのは誰のお尻に似てるって言いたいの」
「何だなんだ。俺がいつそんなことを言った」
俺は仰天して頭を手でカバーした。
「そうだったわ。それは前のターンだったわ」
妻がそう言ってから俺のポーズをじっと見つめた。
「何で防御姿勢なのよ」
「うむむ。そういえばそうだが」
心当たりが…あるような無いような。
妻は胡散臭いものを見る視線だ。なぜだかすごく不本意だ。
「もしかしたら…ほんの少し一緒にループし始めているのかしら」
妻の意味不明な呟きが聞こえたその瞬間、やや離れたレジで悲鳴があがった。
「きゃああああっ」
「離せええっ!」
「こらっ!暴れるなっ!」
若い男が二人の店員に腕を掴まれ、振りほどこうと暴れている。
白いTシャツ、穴だらけのジーンズで紺色の野球帽をかぶっている。
暴れたその肘が女性店員の顔に当たり、彼女が悲鳴をあげたらしい。
近くの女性客ふたりがコソコソと話している。
「万引きですって」
「まあ、お弁当をひとつ?」
「店員が捕まえて連れて行こうとしたら」
「怖いわね」
改めて両脇を固められ、しばらく大人しくなったように見えた万引き犯人がまた突然暴れ出す。
「くそっ、手を離せっ!」
片腕を振り払うと、穴だらけジーパンの尻からバタフライナイフが出てきた。
女性店員の大きな悲鳴に益々興奮した若者はナイフを開いて振り回す。
「騒ぐなああっ!」
かぶっていた野球帽が落ちて、若者の目線が下に向いた。
隙を見つけた店員がもう一度腕をつかもうとする。
「さわるなっ!」
その店員の腹に偶然ナイフの角度が垂直となって重なった。
今度は女性店員以外にも周囲のあちこちから悲鳴があがる。
うつ伏せに倒れた店員の腹から大量の血が床に流れた。
「何てこと」
妻が逃げるどころか、現場に近づこうとするのを見て俺は不安に駆られた。
彼女はこう見えて愛と正義の人なのだ。だが危険だ。
万引き犯の若者は倒れた店員を茫然と見ているが、その手にはまだ血まみれのナイフが握られたままだ。
俺は落ちた帽子のマークを見て「街のヤンキーはやっぱヤンキースか」などと妙なことを考えていたが、妻は何故かさらに前へ出ようとする。
俺は妻の肩に手をかける。
「おい、近寄るな。あぶな
「ここで待機よ」
肉売り場前で急停止した妻が俺の押す買い物ワゴンを手で止めた
俺は二段みっちり積んだワゴンを「おっとっと」と崩れないようにバランスをとった。
これは妻が何度も言うところの『婦唱夫随』でもちろん文句はない。
スーパーを何周しようが黙ってついていけば…って。
「待てよ。おい、これはどういうことだい。確かもうじきここで豚コマの特売が」
えっ、俺は何を言ってるんだ。
店内アナウンスが聞こえた。
『ただ今 肉売り場で特売の豚コマさらに20%引き始めました。ぜひこの機会に』
妻はまじまじと俺を見る。
「やっぱりあなたも一緒にタイムリープしたのね。面倒だわ」
「ま、ま、待て。タイムリープって」
「本日はこれで4回目ね」
「信じられないが本当だ。って何ということだ」
俺は店内をキョロキョロ眺め回して、それから妻の顔を見る。
「君は時を越える能力を持っているということか」
妻はムスリとしながら豚コマを手に取る。
「なぜかあなたも道連れにしながら、ということになったらしいけれど」
俺は興奮した。
「ぶ、豚コマとか買ってる場合じゃないだろう。もっと何かドーンと」
「この能力はスーパーマーケット限定なの」
妻は俺の興奮を冷たい眼で眺めながら、ラップの横に豚コマのパックを押し込む。
「へ?」
俺の間抜けな顔と声に妻が吹き出す。
「ウフッ、残念ね。ついでに言うとこのスーパーのこの時間帯、入店から店を出るまでの限定よ」
「何て…役に立たない」
妻がカボチャを手にした。
俺は慌てて脳天を防御する。
「や、止めなさいって。そんなもので殴られたら大変だ」
「チッ」
妻が舌打ちした。チンピラかい。
「…まあいいわ。行くわよ」
「どこに」
「決まってるでしょ。犯罪を防ぐのよ」
妻がキョロキョロと店内を見渡す。
「まさか」
「このさほど役に立たなそうな能力は多分このためにあったのよ。あの子と店員さんを救うの」
妻が弁当売り場に進もうとする。
「君も役に立たないと自覚はしてたんだ…ま、待てって。あの子って」
「まだあれは間に合うわ。完全な悪党には見えない」
俺は妻の腕を掴む。
「いやいやいや。万引きして逆ギレして店員の腹をナイフで刺したヤンキースだよ」
妻が俺の方を振り返ってギロリと睨む。
「ヤンキースだろうがドジャースだろうが、あなたさっきみたいなことを見過ごせるの?」
俺は言葉に詰まった。
「やるべきことをやるのよ。考えなくていいの」
ズンズンと弁当売り場に向かって歩いて行く。
グイグイとワゴンを引っ張るので必然的に俺も引きずられるようについていく。
「君はそう簡単に言うけれど…僕らが何か手を出して本当にハッピーエンドになるとは限らないだろう」
ズンズングイグイの妻が振り返る。
「ハッピーエンド?何それ」
急に止まったのでまたワゴンからいろいろ飛び出しそうになり、俺は慌てて手で荷物を抑える。
「ハッピーエンドというのはつまり、ハッピーなエンドということだよ」
「頭の悪い答えだわ」
「…」
「エンドなんかないのよ。人生はまだ続くの。あの万引きの子もまだエンドじゃないし、お腹を刺された店員さんもまだエンドとは限らない。どのみち先がどうなるかわかんないなら、やれることをやりたいようにやるのよ」
妻がワゴンを引っ張って、当然俺もおまけのように引きずられて弁当売り場に近づいていく。
「何が正解かわからなくてもいいの。二人を助けるの」
俺は妻の演説を聞きつつ、仕方なく横に並びブツブツ呟く。
「…立派なことを言っているようだが、この後どうするか君は多分ノープランなのだ。そしてあの万引き犯を見つけてワゴンごと俺を前に押し出す。そして言うのだ。『どうにかしなさいよ』と」
あの男がいた。
いなきゃいいのにと思っていたが、やっぱり弁当売り場で『のり弁』を睨みつけているさっきの若者を見つけてしまった。
ヤンキースの野球帽、白Tと露出の多い穴あきジーンズ、キョロキョロと目線が落ち着かない。
妻はワゴンごと俺を前に押し出した。俺の眼の前に奴がいる。
「ほら、どうにかしなさいよ」
耳元に妻の小声が聞こえた。俺には予知能力もあったらしい。
もうヤケクソだ。
俺はカゴからラップを取り出し、リズムをとって男の肩を軽く叩いた。
「♪yo yo これは役立つ包装ラップ 俺のは役立たずの素人ラップ」
突然妙なリズムで声をかけられた若者は当然だが眼を見開いて振り向いた。
なるほど気が強そうには見えない。
「なんだ、おっさん。さわんなよ」
いや、普通くらいだ。少なくとも俺よりは強気だ。
ええい、弱気になるな、俺。そうだ、やりたいようにやるのだ。
ラップを後ろの妻に放り投げ、俺はカゴからアボカドを取り出す。
「♪yay 固い尻はこのアボカド お前の尻はそう露出過度」
俺を睨みつけながらも、呆気に取られている男の尻ポケットから俺は素早くバタフライナイフを抜き出した。
「あっ!返せ」
若者は俺の手を掴もうとする。
俺は素早くナイフとアボカドを妻にパスし、かわりにゴーヤで身構えた。
周囲の客がなんだなんだと俺たちに注目し始めた。
「おっさん、いい加減にしろよな。ナイフを返さないとぶっ○すぞ」
ナイフ取られて強がってんじゃねえぞこの若造と俺は心の中だけで言い返して、さらに妻が後ろから差し出した一万円札を男の尻ポケットに差し込んだ。
「♪ 俺は気に入ったぜお前のナイフ これで買い取るぜと俺のワイフ レッツゲリロン」
何がゲリロンなのかサッパリわからんが、俺は若者の手にのり弁を持たせウィンクしてみた。
はっ、これやって妻に殴られた記憶があるような無いような。
だが若者はポケットから出した札と弁当の両方を見較べ、目を瞬かせている。
俺の謎の行動に何を言っていいのかわからないくらい戸惑っているようだ。
周りの客が何かのイベントか何かと勘違いして俺たちを囲み始めた。
今のうちに逃げよう。俺はベストを、いやベターを尽くした。
「♪yo yo お前の人生 まだエンドじゃない 出来るさ訂正 ハッピーはきっと想定内」
俺は若者に向けて(ラップもどきを)歌いながら大急ぎでワゴンを反転させた。
レジを済ませ、俺達はスーパーの出口から後ろを振り返った。
あの男がこちらをじっと見ている。
怒ってる?やっぱウィンクはまずかったかも。調子に乗りすぎた。
どうしたものかと思ったら妻が一歩前に出て仁王立ちする。
何だなんだ。
彼女は若者に向かってウィンクを送り、さらに右手の親指を立ててサムズアップした。
こいつの神経がどうにもわからない。
しかし…男は帽子を取り、深々と俺と妻に向かってお辞儀をした。
家路につく俺たちの影がだいぶ長くなっている。
俺の方の影は重い荷物で幾分傾いているが。
ようやくワゴンの前後ではなく、二人並んで歩く妻が俺の顔を覗きこんだ。
「まあまあじゃないの」
「アボカドの中身のことかい?悪事を防いだかもしれない話かい?」
妻が笑った。
「両方よ。何度繰り返したって正解はないものよ。いつだって店を出れば少しだけ後悔するわ」
「アボカドは家に戻って切ってみるまで判らんからな」
俺が頷くと彼女はエコバッグを持った俺の腕に手を回す。
「でもね、全然後悔してないこともひとつある」
「…」
「あなたを旦那にしたこと」
「…」
俺が黙っていると妻が珍しく頬を赤らめて怒り、ゴーヤで俺の脳天を叩いた。
「何よ!何でこういう時だけ黙るのよ」
「ぐう…叩いてから言うなって」
読んでいただきありがとうございました。
ラップはもっと上手にワードがリリックでライムがヴァイブス効いてるといいのですが。
まあ、ただのオヤジギャグですね。すいません。