氷の女王と呼ばれている会社の先輩が、俺と先輩をモデルにした官能小説を書いていた!?
「筒井君、仕様書のここの式、間違ってるわよ!」
「えっ? あっ、本当だ! も、申し訳ありません、浅霧先輩!」
「まったく……。すぐに作り直してちょうだい」
「は、はい」
とあるオフィスの一幕。
今日も俺は、隣の席の浅霧鏡花先輩からお叱りを受けてしまった。
ミスしたのは俺なので何も言えないのだが、絶対零度の凍るような視線で睨まれると、そのたびに心臓を万力で締めつけられたような感覚になる……。
流石陰で『氷の女王』と呼ばれているだけはある。
嗚呼、でも、今日の浅霧先輩も綺麗だなぁ……。
サラサラの流れるような黒髪に、切れ長の凛々しい目。
そして今にもスーツのボタンが弾け飛びそうなくらい、たわわわわわなお胸……!
ボタンが電車を止めた時のスパ○ダーマンみたいになってるじゃないか(迫真)。
――入社早々、隣の席の浅霧先輩に無謀な恋をして早や一年。
バリバリのキャリアウーマンなうえ絶世の美貌を誇っている浅霧先輩と、全てのステータスが100点満点中48点の俺では、逆立ちしても釣り合うはずもなく、未だにこうして隣からチラチラご尊顔を窺うことくらいしかできていないのが実情だ。
「ん? どうかした筒井君? 私の顔に何か付いてる?」
「い、いえ!? 何でもないです! ハハ……」
「まったく……。ボーっとしてる暇があるんだったら、手を動かしなさい!」
「は、はいぃ!」
嗚呼、また怒られてしまった……。
こりゃ浅霧先輩から男として見てもらえるようになるのは、一生無理そうだな……。
「ハァ……」
その日の夜。
一人暮らしをしている安アパートで、コンビニで買ってきたカツ丼を咀嚼する俺。
一人で食べる飯というのは何とも味気なく、心の空腹は一向に満たされる気配すらない。
「こういう時は、やっぱアレだな」
おもむろにスマホを操作し、『レクイエムノベルズ』のサイトを開いた。
レクイエムノベルズは所謂男性向けの官能小説投稿サイトで、俺にとっての心のオアシス。
会社で浅霧先輩から怒られた悲しみを、レクイエムノベルズで癒すのが最近のルーティーンなのだ。
「何読もっかなー」
新着欄を眺め、吟味する。
「……ん?」
その中の一つに、こんなタイトルのものがあった。
『キャリアウーマンは性奴隷!? ~オフィスで繰り広げられる、禁断の雌犬調教~』
「……ほぅ」
悪くないな。
俺の琴線に触れるワードがいくつかある。
作家名は『とある雌犬』。
あまり見た覚えがない作家だな。
ああやっぱり。
これがデビュー作じゃないか。
どれどれ。
俺は鼻歌交じりに、その小説を開いた。
『キャリアウーマンは性奴隷!? ~オフィスで繰り広げられる、禁断の雌犬調教~』
「筒伊君、仕様書のここの式、間違ってるわよ!」
「えっ? あっ、本当だ! も、申し訳ありません、朝霧先輩!」
「まったく……。すぐに作り直してちょうだい」
「は、はい」
とあるオフィスの一幕。
『氷の女王』の異名を持つキャリアウーマンの朝霧は、後輩の筒伊に厳しい叱責を飛ばしていた。
「本当に君はいくら言ってもミスが減らないわね!」
「も……申し訳ございません……」
「口だけの謝罪なんて何の意味もないわ。ちょっと一緒に来なさい」
「……はい」
朝霧は筒伊と二人で、狭い会議室へと向かう。
会議室に入ると、筒伊は後ろ手に鍵を掛けた。
すると――。
「さて、と、さっきは随分と生意気な口を利いていたじゃないか、京花」
「きゃっ!?」
豹変した筒伊が朝霧の腕を掴み、壁に押しつけた――。
「も、申し訳ございません、ご主人様……」
氷の女王の威厳はどこへやら。
従順なペットのような態度になる朝霧。
――そう、会社では先輩後輩である二人だが、プライベートでは性奴隷とご主人様という間柄なのであった。
「ククク、口だけの謝罪には何の意味もないんだろ? やはりイケナイ雌犬は、ちゃんと躾てやらないとな」
「ああ、そんなッ! ご、ご主人様、こんなところで……!?」
筒伊は朝霧の腕を掴んだまま、後ろに回り込んだ――。
「ええええええええええ!?!?!?」
な、何だこれ……。
これの作者ってもしかして、浅霧先輩……!?
冒頭の台詞なんて昼間の俺たちの遣り取りそのものだし、登場人物の名前も、漢字こそ変えてるけど、読みはまったく同じじゃないか……。
だが、にわかには信じられない。
あの『氷の女王』が、こんなものを書いてるなんて……。
震える指でこの先の展開も読んでいくと、お前ら会社の中で何をしてるんだよと思わずツッコミたくなるレベルの、変態プレイの数々が繰り広げられていた。
小説の中の浅霧先輩は、普段からは想像もつかないほど従順でしおらしく、逆に俺は超俺様なオラオラ気質になっている。
もしかしてこれが、浅霧先輩の理想なのか……?
先輩ってあんな顔して、実はドMなの?
い、いや、まだそう判断するのは早計だ。
これが本当に浅霧先輩が書いたものだという確証がない以上は……。
……よし、試しに明日、探りを入れてみるか。
「あ、あのー、浅霧先輩」
「……何?」
そして迎えた翌日。
仕事中に恐る恐る浅霧先輩に声を掛けると、今日も絶対零度の瞳で睨まれた。
思わず全てを投げ出して逃げたくなるが、グッと堪え、勇気を出して質問する。
「浅霧先輩って、小説の執筆に興味はあったりしますか?」
「ハ、ハアアァァッ!!? な、ななななな何を言い出すのよ急にッ!!?」
「っ!?」
途端、茹でダコみたいに真っ赤になった先輩は、露骨に狼狽し、これでもかと目を泳がせた。
こ、これは――!
「あ、いや、すいません。やっぱり何でもないです」
「も、もう! 仕事中は私語は慎んでちょうだいッ!」
「は、はい」
うん、ビンゴだわこれ。
『とある雌犬』の正体は、やっぱ浅霧先輩だわ。
「……ふぅ」
その日の夜。
俺は部屋で一人、悶々としていた。
まさか浅霧先輩が『とある雌犬』だったなんて……。
あんな小説を書いてるくらいだから、先輩も俺のことを憎からず思ってくれてるってこと?
いや、そうとは限らないか……。
単なる気まぐれの可能性もゼロじゃないし。
「あれ?」
その時だった。
ふと『とある雌犬』のマイページを確認しに行くと、新作が投稿されていた。
こ、これは――!
それはこんなタイトルだった。
『俺の性奴隷になれよ ~官能小説を書いていることが後輩にバレてしまったキャリアウーマンは、雌犬として調教されることに~』
「マジっすかあああああ!?!?」
こ、こんなの、読むしかないじゃないか……!
俺はゴクリと唾を飲み込みながら、小説を開いた――。
『俺の性奴隷になれよ ~官能小説を書いていることが後輩にバレてしまったキャリアウーマンは、雌犬として調教されることに~』
「亜沙霧先輩、これ書いたの、亜沙霧先輩ですよね?」
「――!!」
とあるオフィスの一幕。
『氷の女王』の異名を持つキャリアウーマンの亜沙霧は、後輩の津々井から、おもむろにスマホの画面を見せられた。
そこには亜沙霧が趣味で書いた、官能小説が表示されていた――。
「さ、さあ、何のことかしら……。まったく身に覚えはないけど」
「ククク、とぼけても無駄ですよ。この登場人物の名前やキャラ設定、完全に俺と亜沙霧先輩そのものじゃないですか」
「……」
そう言われると何も言い返せない。
せめて名前くらいは変えるべきだったかと後悔するも、後の祭り――。
「ゴ、ゴメンなさい……。勝手にモデルにしてしまったことは謝るわ。だからこのことは、どうか秘密に……」
「ククク、それは先輩の態度次第ですかね。――とりあえず、今夜俺の家に来てくださいよ。そこでこれからのことを、二人でじっくり話し合おうじゃないですか」
「――! わ、わかったわ……」
「わかっちゃったの?」
オイオイオイ、それでいいのかよ亜沙霧さん。
まあ文脈的に、亜沙霧さんも津々井に気があったんだろうし、むしろ望むところだったのかな?
案の定その後の展開は、亜沙霧さんが津々井に立派な雌犬として調教されてしまうというものだった。
うーむ、これをどう捉えるべきか……。
昼間に俺からあんな探りを入れられたうえで、浅霧先輩がこんな小説を書いたんだとすると、最早これは俺に対する先輩からのメッセージであると言っても過言ではない。
つまり「私はあなたが好きです」という……。
うわぁ、マジかぁ。
俺たちって、両想いだったのかぁ。
い、いや、待て待て。
まだあわてるような時間じゃない。
浮かれるのは、浅霧先輩の気持ちをちゃんと確認してからだ。
――よし、勝負は明日だな。
「お、おはようございます、浅霧先輩」
「あ、うん、お、おはよう、筒井君」
そして迎えた翌朝。
たどたどしく浅霧先輩に朝の挨拶をすると、先輩は頬を染めながら露骨に目を逸らした。
うん、官能小説を通して後輩にあんなメッセージを送ったら、誰でもそんな態度になりますよね。
ここはやはり俺が、男として勇気を出さなきゃな――。
「あ、もうこんな時間か。私はお先に失礼するわね」
「あ、はい。お、お疲れ様です」
が、結局話を切り出す勇気を持てないまま、気が付けば夜になってしまっていた。
クッ、このままでは浅霧先輩が帰ってしまう――!
言え!
今だけでいい!
一生分の勇気を出すんだ、俺――!
「あ、あの、先輩!」
「――! ……何?」
いつもの絶対零度の瞳で、ギロリと睨んでくる先輩。
思わず背筋が凍る――。
――でも、負けるもんかッ!
「先輩に大事な話があるんです! よかったらこれから、お、俺の家に来ませんか?」
「――!!」
途端、浅霧先輩は、耳まで真っ赤になった。
「狭い家ですいません。適当にこれ使ってください」
浅霧先輩にヨレヨレのクッションを渡す。
「あ、ありがとう」
先輩はそのクッションの上に、折り目正しく正座した。
うおぉ、夢を見てるみたいだ……。
あの浅霧先輩が、俺の家にいるなんて……。
そもそも何とも思ってない男の家に、普通女性が一人で来るものだろうか?
つまり俺の予想通り、やはり俺たちは両想いなのでは?
「と、ところで、大事な話っていうのは、何なのかしら?」
もじもじしながら上目遣いを向けて来る先輩。
か、可愛い……!
普段の氷の女王モードとのギャップで、キュン死しそうだ……!
いや、俺はまだここで死ぬわけにはいかない。
先輩がこうやって話を切り出してくれたんだ。
俺もちゃんと、それに応えないとな――。
「はい、これなんですが」
「――!」
俺も先輩の前に正座し、スマホを差し出す。
そこには『とある雌犬』のマイページ画面が表示されていた。
「この『とある雌犬』という作家は、浅霧先輩ですよね?」
「…………ええ、そうよ」
ああ、やっぱり……。
これで完全に俺たちが両想いであることが確定したな。
後は俺が、先輩に対する想いを告白するだけだ。
「バレたからには、私も自分の気持ちを正直に打ち明けるしかないわね。私は――」
「――!」
マ、マズい!
やはり告白は、男である俺のほうからしないと――!
「待ってください先輩! どうかそれは、俺の口から――」
「筒井君に、ご主人様になってもらいたいのッ!」
「…………は?」
んん???
今、何と??
ご主人様って言いました??
恋人じゃなくて??
「入社式で初めて目が合った瞬間から、全身を雷で貫かれたような衝撃が走ったの! 嗚呼、この人こそが、私が長年探し求めたご主人様なんだって確信したわ……。その想いが抑えきれず、遂にはあんな小説を書いてしまったのだけれど……、まさかそれを速攻で筒井君に読まれてしまったなんて……。やはりこれは運命よ! あなたが私のご主人様になることは、運命で決まっていたんだわ!」
「……はぁ」
微妙に会話が嚙み合っていないように感じるのは、気のせいだろうか?
何はともあれ先輩は、俺にどうしてもご主人様になってもらいたいということだけはわかったが。
イマイチその『ご主人様』という立ち位置がよくわからない……。
それは恋人とは、また別なのだろうか?
できれば俺は先輩とは、恋人になりたいのだが……。
「ねえ、お願いよ筒井君! どうか私の、ご主人様になって……。私を筒井君の、ペットにしてちょうだい……」
「――!!」
浅霧先輩に左腕をギュッと抱きしめられ、潤んだ瞳を向けられる。
ふおおおおおおおおおお!?!?
俺の左腕に、先輩のたわわわわわわわわわなお胸が押し付けられているううううう!!!!
こ、こんなの、もう……!
「は、はい……。俺なんかでよければ……」
「本当に!? ああ、よかった! これから末永くよろしくお願いしますね、ご主人様!」
「こ、こちらこそ」
――こうしてこの日俺に、ペットが出来た。
拙作、『塩対応の結婚相手の本音らしきものを、従者さんがスケッチブックで暴露してきます』が、一迅社アイリス編集部様主催の「アイリスIF2大賞」で審査員特別賞を受賞いたしました。
2023年10月3日にアイリスNEO様より発売した、『ノベルアンソロジー◆訳あり婚編 訳あり婚なのに愛されモードに突入しました』に収録されております。
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