恐怖! 蜘蛛女の怪
はぁ……、と少女は大きな溜め息をつく。
明るい茶色の髪に一房のサイドテールが印象的な少女・不二間 瑠璃華は一人、放課後の廊下を歩く。
瑠璃花の目指す先は生徒達で賑わう新校舎ではなく、人気のない旧校舎にあった。
鉄筋コンクリート造の新校舎に対し、旧校舎は古い木造で不気味とも言える独特な雰囲気を漂わせている。
「うぅ……、なんか暗いし、人いないし……」
放課後、夕方というにはまだ早い時間帯にもかかわらず、旧校舎は薄暗い。
というのも、新校舎が出来て以降、旧校舎は使われることがあまりなくなったため、最低限しか蛍光灯が灯っていないのが薄暗さの原因らしい。
そんな旧校舎に到着した瑠璃花は誰に言うでもなく呟く。
瑠璃花の手には一枚の紙が握られている。
紙には大きく、「新入生歓迎・超常現象研究会」と書かれており、部室の場所も記されている。
瑠璃花が旧校舎まで足を運んだ目的は、その超常現象研究会であった。
オカルトにそこまで興味があるわけではなく、入部希望でもない。だが、瑠璃花は超常現象研究会を尋ねる用があった。
(変な人たちばっかりだったらどうしよう……)
瑠璃花はそんな心配をしながら、超常現象研究会の部室の前までやってきた。
三回扉を叩く。
「ど~ぞ」
三度のノックの後、部屋から気だるげに返事が返ってきた。
「し、失礼します……」
瑠璃花が部屋に入ると、そこには一人の青年が座っていた。
明るい茶髪に精悍な顔つき、ワイルドという言葉が似合う雰囲気を漂わせる青年だ。
「6月に季節外れの新入部員、ってわけじゃなさそうだな。まあ、座りな」
青年に促され、空いている椅子へと腰掛ける瑠璃花。
長机を挟んで青年と向き合う形となる。
入部とは別の目的で訪れたことを言い当てた青年に対し、瑠璃花は若干驚いていた。
「あの、どうして入部希望じゃないってわかったんですか?」
瑠璃花は青年に問いかける。
「超常現象研究会に相談事を持ってくる奴は、だいたいそんな表情してるからだ」
得意げな表情で答える青年。
青年は立ち上がり、ポットからお茶を入れ、瑠璃花の前に差し出す。
「いい匂い……」
瑠璃花は出されたお茶を一口飲む。
すると、不思議と緊張がほぐれた気がした。
「部長特製のハーブティーだ、なんでもリラックス効果があるらしい」
俺はそういうのに詳しくないが、と青年は付け加え、元居た席へと戻る。
「さて、俺は紅 蓮司。二年だ。君は?」
蓮司に対して瑠璃花も名乗る。
「あ、不二間 瑠璃華です。一年です」
瑠璃花の自己紹介を聞き、蓮司は本題へと入る。
「で、超常現象研究会に何の用だ? まあ、超常現象研究会に来たってことは普通の話じゃないんだろうが」
「その、心霊現象っていうんですか? それに悩んでいて……」
瑠璃花は蓮司に悩みを打ち明ける。
それを聞いた蓮司は少し考える。
「そういうのは超常現象研究会の専門だが、生憎、今日は俺一人しかいなくてな。一応、話は聞くが内容によっては俺ではどうにもならんかもしれないぜ?」
本来は他に数人のメンバーがいるのだが、今日は他のメンバーが用事でおらず、蓮司の専門外の相談であった場合、他メンバーがいる時に出直してもらうかもしれない、と説明する。
「かまいません、とりあえず話だけでも……」
瑠璃花は了承し、自身の身に起こる不可思議な現象の説明を始める。
◆◆◆
始まりは二週間ほど前だった。
四月に高校へと入学し、友達もでき、高校生活にも馴染んできた頃、瑠璃花はある違和感を覚える。
──誰かに見られている。
そんな感覚を覚えた。
最初は気のせいだと思った瑠璃花だが、日に日に謎の視線の強さは増していき、学校で授業中に、自宅で食事中に、遂には自分以外誰もいないはずの自室ですら視線を感じるようになっていた。
謎の視線を感じるようになって一週間が経ち、瑠璃花は新たな恐怖に直面する。
夜に何もないところで音が鳴る、所謂ラップ音である。
誰かに付きまとわれているのではないかと考えた瑠璃花は親や友人に相談してみたが、視線は気のせい、ラップ音の正体は湿気による木材の軋みなど、瑠璃花の悩みを解決してくれる答えは得られなかった。
瑠璃花がなんとも胡散臭い名前である超常現象研究会を訪れるきっかけとなったのが、深夜の金縛りである。
夜にラップ音で目が覚めると、謎の視線を感じ、周囲を見回そうとするが体は動かせず、しばらく混乱していると、あることに気づく。
天井に誰かがいるのだ。
暗闇の中、目を凝らす瑠璃花は天井に青い着物の女が張り付いており、それがジッと瑠璃花を見つめていた。
瑠璃花は恐怖のあまり悲鳴を上げたかったが、体は動かず、気が付くと汗まみれで朝を迎えていた。
謎の視線やラップ音で悩んでいたところに、金縛りに遭遇し、瑠璃花の精神は疲弊し、一刻も早く何とかしてほしいと藁をも掴む思いで超常現象研究会を訪れたのだった。
◆◆◆
瑠璃花の話を聞き終えた蓮司は口を開く。
「なるほど、ずいぶんと大変な目に遭ったみたいだな」
「はい、もう耐えられなくて……」
「ふーむ……」
蓮司は少し唸ったあと、席から立ち上がり、瑠璃花の方へと近づく。
瑠璃花も合わせて立とうとするが、蓮司にそのままでいるように言われ立ち上がるのをやめる。
蓮司は瑠璃花の周囲を回りながら何かを探しているようだ。
その行動を不思議に思った瑠璃花は蓮司に問う。
「あの、何を?」
「ん~、目印があるんじゃないかと思ってな」
瑠璃花の問いに対する蓮司の答えはよくわからないものであった。
(やっぱり、来るところ間違えたかな……)
蓮司とのかみ合わない会話は瑠璃花にそう思わせるには十分だった。
近場にいるオカルトに詳しそうな人より、お寺とかを訪ねるべきだったか、などと瑠璃花が考えていると蓮司は瑠璃花の背後で立ち止まる。
「ん?ちょっと失礼」
「ひゃぁ!」
瑠璃花の背後で立ち止まった蓮司は、瑠璃花の後髪を掬い上げ、うなじをあらわにする。
セクハラか!? そう考える瑠璃花をよそに、蓮司は独り言をつぶやきだした。
「おお、やっぱりここか。これは糸? 物理的に本体とつながっているわけじゃないな。発信機みたいなものか。なるほど、アレだな」
瑠璃花の背後でうなじを見つめながら謎の独り言をつぶやく蓮司に対し、瑠璃花は逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
瑠璃花のうなじの観察を終え、席に戻る蓮司。
蓮司は瑠璃花にいくつかの質問を投げかける。
「謎の視線ってのは、いつも背後から感じるか?」
「! はい」
「夜のラップ音は木材の軋みというより、何かを叩くような音じゃないか? 爪みたいな硬いものでフローリングを叩くような」
「そ、そうです」
「金縛りにあったとき、左右から圧迫感を感じなかったか?」
「あ、感じました!」
ただの変態かと思われた蓮司は、瑠璃花が話していない情報を的確に聞く。
瑠璃花の蓮司を見る目が変わる。
変態ではなく、本物の霊能力者なのでは、と。
「だいたい分かった。今からでもなんとかできるが、その前に説明しておこう。変態だと思われたら心外だからな」
蓮司のことを変態ではないかと疑っていた瑠璃花はドキッとし、蓮司から視線をそらす。
「簡潔にいうと、君は蜘蛛の化け物に取り憑かれている」
「え!?」
「君に取り憑いているのは、おそらく荒絡念だ。
荒絡念ってのは、齢を経た蜘蛛が妖怪化した怪異で、人に取り憑いて、宿主の生気を吸い取って衰弱させる。
獲物に目印となる特殊な糸をくっつけて、それを目印に夜に襲いに来るのさ。
その発信機みたいな糸が君のうなじにつけられている。
謎の視線を背後に感じるのは、背後に目印をつけられたからだな、敵は正面からだと君を見つけられないらしい。
ああ、謎の視線ってのは当然、荒絡念の視線だ。
奴らは夜行性で日中は姿を隠しながら獲物を監視するだけで手は出さない。
夜のラップ音ってのは、荒絡念が生気を吸い取りに近寄って来るときに生じる音だな。
奴らは霊力なしでは見れないようになれるから、何もないところで音が鳴っているように聞こえるわけだ。
金縛りにあった時に見た青い着物の女ってのが荒絡念の本体だ。
奴らは背中に複数の肢を持つ。
金縛りにあったときに感じた左右からの圧迫感ってのは、取り囲むように展開された荒絡念の肢から感じたプレッシャーだろう」
蓮司の言葉はにわかには信じがたいものであったが、他の誰からも聞かなかった瑠璃花の霊障に対する具体的な答えだった。
さらに蓮司は言葉を続ける。
「時間があるなら今からでも祓えるが、どうする?」
「時間なら大丈夫です、お願いします!」
願ってもない、瑠璃花はそう思った。
瑠璃花の返事を聞いた蓮司は部室の戸締りを始める。
「ここではできないから場所を移す。今日の活動は終了だな」
部室の戸締りを終え、学校を出る蓮司と瑠璃花。
瑠璃花は、荒絡念をおびき出すために必要だ、と蓮司からお守りを渡される。
学校を後にした二人は、移動し、少し離れたところにある広場へと到着する。
広場に人気はなく、まるでこれから起きることを予知し、人払いを済ませたかのようだった。
「よし、お守りを返してくれ」
「え、あ、はい……」
蓮司にお守りを返すように言われた瑠璃花はお守りを返却する。
お守りは自分の身を守ってくれるものではなかったのだろうかと瑠璃花が考えていると、それを察した蓮司は説明を始める。
「学校を出たときに渡したお守りは、荒絡念が君を感知できなくなる護符だ」
「魔除けとかじゃないんですね」
「取り憑いている怪異を遠ざけたい気持ちはわかるが、それじゃ根本的な解決にはならない、平穏な生活のためには元を絶たないとな」
瑠璃花はあることに気が付く。
自身の首には荒絡念が監視をするための発信機のようなものがつけられている。
そして、蓮司に渡されたお守りは荒絡念の監視を妨害するためのもの。
自身の獲物が突然姿を消し、しばらくして別の場所で現れたのなら、獲物にちょっかいをかけられたと思い、様子を見に来るのではないか、そう瑠璃花は考えた。
そして、蓮司の元を絶つという言葉。
もしかすると蓮司はここに荒絡念を呼び出そうとしているのではないか、瑠璃花はそう考える。
──蜘蛛の怪物に取り憑かれている。
蓮司の語る内容は現実離れしており、信じがたい内容ではあったが、瑠璃花の中で最も核心に近い内容だった。
その蓮司の言う蜘蛛の怪物がこちらへ向かってきているかもしれない。
瑠璃花は途端に不安になった。
「あの、もしかして荒絡念がここに」
「来たぜ」
瑠璃花の言葉の途中で蓮司が言う。
その視線は一点を見つめていた。瑠璃花も蓮司の見ている方を見る。
そこには夕日に照らされて赤く染まった茂みがあるだけだ。
蓮司には自分には見えないものが見えているのだろうか、そう思った時だった、瑠璃花は強烈な寒気を覚える。
それは金縛りにあった時の感覚に似ている。
瑠璃花が寒気を感じると同時に、茂みの奥から青い着物の女がこちらに向かって歩いてきた。
「ひっ!」
瑠璃花から小さな悲鳴が漏れる。
茂みから出てきた青い着物の女には背中から蜘蛛の脚を思わせる四本の巨大な肢が生えていた。
乱れた白髪の隙間から赤く鋭いまなざしが蓮司を睨む。
「ワタシのエモノをヨコドリしようとシテるのは、オマエか?」
荒絡念は、とても低い、人間のものとは思えない声で話しかける。
蓮司は炎のような朱色の目で荒絡念を見据え、答える。
「違うな、俺はお前の方に用事がある」
蓮司は不敵に笑い、まるで挑発しているようだ。
瑠璃花を庇う様に荒絡念の前に立った蓮司は振り返ることなく、離れるように瑠璃花に言う。
荒絡念と戦う気だ、そう感じた瑠璃花は後ろに下がり、両者から距離を取り、成り行きを見守る。
「ニンゲンがワタシとタタカうキか?」
「ああ、そうさ」
蓮司は拳で構えを作り、荒絡念と対峙する。
荒絡念は蓮司に向かって手をかざし、白い糸を射出する。
射出された糸は粘着質であり、蓮司に絡まって身動きを封じる。
「ああ! 紅さん!」
頼りの蓮司は早くも荒絡念の先制攻撃によって身動きが封じられてしまった。
「ニンゲンがワレらカイイにカテるワケないダロウ」
「そうかな? とも限らないぜ?」
荒絡念の糸で身動きを封じられているにもかかわらず、蓮司に慌てた様子はない。
身動き一つ取れない状態でありながら、態度を変えない蓮司に荒絡念は苛立ちを覚える。
荒絡念は蓮司の顔に向かって手をかざす。顔に糸を巻き付け、窒息させるつもりだ。
蓮司の顔に荒絡念は糸を射出する。
しかし、その糸は蓮司に触れることはなかった。
「そろそろ反撃開始だ」
蓮司の体から紅蓮の炎が燃え上がり、荒絡念の糸を焼き払う。
燃え盛る炎に瑠璃花も荒絡念も驚愕する。
「ナ、ナンダそれハ!?」
「お前みたいな化け物がいるんだ、燃える男がいても不思議じゃねぇだろ」
蓮司は再び構えを取り、踏み込んで荒絡念との距離を詰める。
体にまとっていた業火は両手の拳に収束していく。
蓮司の繰り出す炎の拳を荒絡念は紙一重で躱す。しかし、炎の一撃は荒絡念の肢の一本をかすり、表面を黒く焦がす。
醜い唸り声を上げながら荒絡念は後退し、距離を取って体勢を立て直す。
両手から糸を出し、糸同士を絡ませることで強度を高め、鞭のようになった糸を振り回して荒絡念は反撃する。
距離を詰めようとする蓮司だが、糸の鞭の威力は強力であり、空気を切り裂き、地面をえぐり、直撃すれば致命傷は免れないであろうことは容易に想像できた。
そのため、蓮司は回避に専念し、距離を詰められないでいる。
炎を操る蓮司と蜘蛛の怪異・荒絡念、両者の戦いを見守る瑠璃花は夢でも見ているのかと錯覚するほど現実離れした光景だった。
「鬱陶しいな!」
糸の鞭により荒絡念との距離を詰められないでいた蓮司は悪態をつきながら後退し、距離を取る。
荒絡念に向かって右手を突き出し、両手の拳に灯っていた炎を右手へと集中させる。
距離を取った蓮司に対し、今度は荒絡念が前に出て距離を詰めていく。
右手へと集中した炎を炎弾として放つ蓮司。
荒絡念は炎弾を叩き落すべく、糸の鞭を振るう。
炎弾と糸鞭、両者の攻撃が衝突する。
競り負けたのは糸の鞭だった。
炎弾は糸の鞭を焼き切り、荒絡念へと直撃、爆発を引き起こして荒絡念を吹き飛ばす。
衝撃で転がり、地に伏す荒絡念に影が落ちる。荒絡念が顔を上げると、そこには炎の鉄槌が迫っていた。
爆発で吹き飛ぶ荒絡念と距離を詰め、蓮司は追撃を行う。身をねじって炎の鉄槌を避ける荒絡念。
反撃を許さぬ蓮司の追撃に荒絡念は蜘蛛肢による打撃で応戦する。
「ググ……!」
蓮司の炎撃に蜘蛛肢で対抗する荒絡念。
だが、攻撃するほど荒絡念は追い詰められていった。
蓮司の炎の拳は激突するたびに蜘蛛肢を焼き焦がし、荒絡念は攻撃・防御するほど蜘蛛肢にダメージが蓄積していく。
(コレホドとは……)
ただの非力な人間だと思っていた蓮司は炎を操る異能者で、さらに自身よりも強力であり、戦いを挑んだのはとんでもない誤算だったと後悔する荒絡念。
武器となる糸は焼き払われ、蜘蛛の如き剛脚は焼け焦げ、対抗手段を失い、もはや勝つ手立ては残されていなかった。
このままでは討滅される、そう思った荒絡念は目の前の敵を倒すことより、目の前の敵から逃げる方法を考える。
女を人質にするか、いや、それをするには女は距離が離れすぎている。そもそも女の下へ行くには、目の前の業火を突破する必要がある。この方法では駄目だ、他の方法を考える。
肢のいくつかを切り落とし、それを囮にして逃げる。今の荒絡念が思いつく最善手はこれしかない。荒絡念は行動に移す。
二本の肢を大きく振りかぶる荒絡念。
対する蓮司は、また肢による打撃が来ると考え、迎撃の構えを取る。
荒絡念の剛脚が蓮司めがけて振り下ろされる。
蓮司は拳に灯した炎を強め、迫りくる剛脚を拳を振るって打ち払う。
炎の打撃を受けた荒絡念の肢は彼方へと吹き飛ぶ。
肢を殴り飛ばした感覚が今までより軽かったことに蓮司は違和感を感じる。
荒絡念は肢による打撃に見せかけ、切り落とした肢を蓮司に投げつけ、蓮司が攻撃に気を取られている間に、逃走を始める。
自身に背を向けて逃げようとする荒絡念に気づく蓮司。
「逃がすかよ!」
逃げる荒絡念に対し、蓮司は構えを変える。
左足を踏み出し、右腕を後方へと引き、炎を右手の一点に集中させる。
逃げに専念し、蓮司から距離を取った荒絡念に対し、蓮司は右手を突き出し、集中した炎を解き放つ。
解き放たれた炎は荒れ狂いながらも渦を描くようにして荒絡念に襲い掛かる。
「燃え尽きろ! 炎竜破!!」
「ギャアアアァァァァァ!!!」
紅蓮の竜巻に巻き込まれた荒絡念は断末魔を上げながら跡形も無く燃え尽きた。そこには灰すら残りはしない。
荒絡念を討滅した蓮司は、後方で見守っていた瑠璃花の下へと向かう。
「終わったぜ。初回特別サービスだ、今回はタダで良い。なかなか楽しめたしな」
(二回目以降はお金かかるってこと!?)
その後、瑠璃花は蓮司に家まで送ってもらい、激動の一日が幕を閉じる。
蓮司は別れ際に瑠璃花に今日見たことは、あまり人に言わない方が良いと忠告する。
まあ、言ったところで誰も信じないだろうがな、と付け加えて蓮司は帰っていった。
蓮司が荒絡念を倒したことにより、謎の視線もなく、ラップ音や金縛りも解消され、瑠璃花は数週間ぶりにぐっすりと眠ることができた。
翌日、瑠璃花は再び超常現象研究会を訪れていた。
改めて蓮司に昨日の例を言うためだ。
超常現象研究会のドアをノックすると、どうぞ、と中から返事が返ってくる。
瑠璃花が部屋に入ると、部屋には蓮司に加え、一人の男子と二人の女子がいた。
蓮司が言っていた昨日いなかったメンバーだろう。
瑠璃花がそう考えていると、蓮司が瑠璃花に気づく。
「おお、昨日の! 不二間さんだったかな」
「はい、昨日のお礼を改めてしようと思って来ました」
「ほほう、彼女が例の……」
蓮司と瑠璃花のやり取りを見て、黒い長髪に眼鏡の女子が声を出す。
黒髪の女子は部員たちとアイコンタクトし、蓮司は苦笑いする。
「やあ、すまない。私は黒宮 巴、二年でこの同好会の会長だ。まあ、座ってくれたまえ」
「はあ……」
長居する気はなかった瑠璃花だが、巴に言われ、昨日と同じ場所に座る。
そして、金髪の女子が瑠璃花に紅茶を出す。
「君に言っておかなければならないことがある」
巴は真剣な表情で瑠璃花を見据えて言う。
ただならぬ雰囲気に瑠璃花も緊張し、紅茶の味がしなかった。
「君は昨日の一件で"怪異"の存在を知っているね?」
「はい」
「一度怪異に取り憑かれた者は怪異に魅入られやすくなる、ということも知っているかな?」
「ええっ!? 知りませんでした……」
怪異、昨日見た人ならざる者、超常の存在。
巴が言うには、瑠璃花は怪異に狙われやすくなっているらしい。
「昨日の一件で知っているだろうが、私たちは怪異に対抗する力を持っている。君は私たちの同好会に入るべきだと思わないかい?」
「そ、そうですね」
怪異に狙われやすくなっているのなら、怪異に対抗できる者のそばに居るべき。
巴が言っていることは真っ当だった。
瑠璃花としても、荒絡念のような存在に付きまとわれた際、蓮司の様に追い払える人物がいると心強いと思った。
「わかってくれたかい! じゃあ、さっそくこの入部届に必要事項を記入してくれたまえ!」
やけにうれしそうな巴に入部届を渡され、書き始める瑠璃花。
入部届を書きながら、ふと他の部員の様子を見た。
うれしそうな巴とは逆に、他のメンバーは瑠璃花をかわいそうなものを見るような眼差しで見ていた。
もしかして、蓮司をはじめ、部長以外のメンバーは部員が増えることに消極的なのだろうかと考えながら、入部届を書き上げる。
「書けました」
「うむ、ありがとう。 確認させてもらうよ」
瑠璃花の入部届を確認する巴。
記入漏れやミスは見当たらなかった。
「フフフ、アッハッハッハッハ! やったぞ! これで5人揃ったぞォ!」
突然、高笑いしながら盛大にガッツポーズする巴に驚く瑠璃花。
そんな瑠璃花の肩に金髪の女子が手を掛ける。
「あーあ、入っちゃったね。まあ、とりあえずこれからよろしくね。あーしは金城 詩恵理、アンタとおんなじ一年だから」
黒髪にパーマの男子も瑠璃花の下にやってくる。
「僕は青木 樹、ボクも一年だよ。哀れな被害者同士仲良くしようね」
「え、被害者ってどういう」
「私は職員室に行ってくるぞ! これで超常現象研究会も正式な部に昇格だ! 蓮司、詩恵理! 絶対に逃がすなよ!」
イヤッホゥ! とハイテンションな巴はスキップしながら職員室へ向かって行った。
上機嫌な巴の声に瑠璃花の質問は掻き消されてしまったため、瑠璃花は改めて樹に"哀れな被害者"とはどういうことか尋ねる。
瑠璃花の質問に、樹に代わって蓮司が答える。
「もともと、この超常現象研究会は巴が俺と詩恵理を巻き込んで作った同好会なんだよ。
巴は同好会では満足できなくてな、どうにかして人数を集めて部活にしようとしてたんだ。
同好会は3人から、部活は5人からって決まりがあるから、最低でも2人は新入部員が必要になる。
その哀れな新入部員一号が樹で、二号が不二間なワケだ」
「え、じゃあ、怪異に魅入られやすいっていうのは……?」
「あながち嘘ではないが、まあ、当社比みたいなところはあるな。樹、あれからどうだ?」
「今のところ、特に何もないですよ」
過去に同じ様な内容で超常現象研究会を頼ったであろう樹が特に何もないと言っている。
もしや騙されたのでは、そんな考えが瑠璃花の頭に浮かぶ。
しかし、そうであるならば、入部届を書いているときのメンバーの眼差しにも納得がいく。
「あの、今から退部することは……」
「ただいま諸君! 超常現象研究会は正式な部活として認められた。 今日より超常現象研究部と名称を改める!」
最悪のタイミングで諸悪の根源が返ってきた。
とてもうれしそうにしている巴に、やっぱり辞めます、というのはなんだか申し訳ない気がして、喉から出かかった言葉を瑠璃花は飲み込んだ。
「フフフ、超常現象研究部で最高の学生生活を送ろうじゃないか!」
巴の言葉にほかのメンバーも賛同している。
なんだかんだ言いつつ、蓮司たちもこの部活を楽しんでいるようで、悪い部活ではないのだろうと瑠璃花は考えた。
そして、超常現象研究部の活動内容の一つに荒絡念のような怪異を退治することが含まれているので、平穏な学生生活が送れるのだろうか、とも考える瑠璃花。
──こうして、非日常に足を踏み入れた瑠璃花の激動の高校生活が幕を開けたのだった。