剣聖
『デユラ砦を任せたい』
剣聖カレルブォにそう伝えたのは賢者グラッソだった。
聖女エルの死から数日後。人族サイドにて派閥や国、人種すらも跨ぐ大規模な会議が開かれた。
そこで決定された今後の方針は魔王の討伐。歴代最強と謳われる魔王スメットを殺害するにあたり、かつて無いほどの規模で作戦が組まれた。
異例なことに、この作戦には善なる天職持ちの五人も動員された。たったの五枚しかない切り札が、魔王一人を討伐するために使用されることになったのだ。
五対一。
数字だけ見ると人族サイドが有利に見えるが………そんなことはない。それほどまでに魔王スメットは強い。
善なる天職持ちの五人をまとめているのは賢者グラッソだった。賢者グラッソは賢者に選ばれるだけあってかなりの切れ者だ。
そんな賢者グラッソは、魔王討伐をするための作戦立案にも大きく関わっていた。
そのため賢者グラッソは勇者、聖女、剣聖、精霊王の四人へ作戦内容を伝えていた。
そんな最中、剣聖であるカレルブォが言い渡されたのは………
『デユラ砦を任せたい』
剣聖カレルブォが最初に抱いたのは疑問だった。
デユラ砦。
なるほど。確かに魔族サイド随一の砦だ。ただ、逆に言えばそれだけだった。
魔王を討伐するに当たってデユラ砦を落とす必要はない。デユラ砦を攻略しようがしまいが、魔王討伐においてさしたる影響はないのだ。
だから、剣聖カレルブォはデユラ砦を攻めることに消極的だった。
戦場に立ってすぐ、剣聖カレルブォはひたすらに剣を振るった。ただそれだけで魔族がバタバタと倒れていく。
デユラ砦には人族サイド百万の兵士も派遣されていた。そのため剣聖カレルブォが出る幕など本当はないのだが………切れ者の賢者グラッソのことだ。何かあるに違いない。
そう考えて剣聖カレルブォが魔族を葬ること早数時間。
「手応えがない………」
剣聖カレルブォは途方に暮れていた。特に強い魔族がいるわけでもなく、手に負えないような魔物が出てくるわけでもない。
(賢者グラッソは何を考えて自分をデユラ砦なんかに寄越したのか………)
未だに解決しない問題を胸に抱えながら、剣を収める。
(そろそろ引き上げるか。少し休息を取ろう)
剣聖カレルブォは前線から下がり、人族サイドのお偉方が居座る天幕へと向かう。
「攻防転換だ!」
前線付近にいたドアーフの兵士が声を荒らげた。
攻防転換。魔族が好んで使う戦闘法の一つ。攻撃と防御の二つの部隊を予め用意して、それら二つの部隊を交互に出す。
先程までは防御の部隊が出陣していたから、次に来るのは攻撃の部隊。剣聖カレルブォも先程まで前線にいたから分かるが、攻防転換というものは意外と厄介だ。
「次は攻撃の部隊だ、防御を固くしろ!」
「魔法障壁を張れ!」
「魔力を使い切った奴は下がってろ!」
人族サイドの兵士があれよこれよとしている内に、防御部隊の魔族達は砦へと退避していく。そして、入れ替わりにやってきたのは攻撃部隊の魔族。
意外な俊敏さで知られている半魚人を先頭にして駆けてくる。魔族の攻撃部隊後方からは火、水、風と様々な属性の魔法が飛んでいる。
血気盛んな魔族サイド。堅実ながらも確かな殺意を滲ませる人族サイド。両者がぶつかり、乱戦となる。
この数時間で見慣れた光景。剣聖カレルブォは少しばかりその行末を見守り、再び前線に背を向けた。
その時だった。
「………ッ!」
剣聖カレルブォでしても息を呑むほどの黒魔力。清濁が混在する戦場にて、確固たる意志を持った圧倒的な存在力。他の追随を許さない、恐ろしいほどの殺意。
「この魔力、間違いない………剣聖である俺が見失うわけがない」
剣聖カレルブォは人族サイドの後方にある天幕に行こうとしていた。一度休息を挟もうとしていた。だが、それは人智を超えた力を前に些事として片付けられた。
「なんだ、これは!」
「誰か偵察をっ………」
「いや、この圧倒的な魔力…………ッ」
「二つ名がある魔族なのか!」
人族サイドの兵士が慌てふためく。だが、剣聖カレルブォはどこまでも冷静だった。その冷静さを以てして、気持ちの昂りをコントロールするぐらいには。
「これは………魔王だッ…………!」
一度魔王と相対したことがあるのか、老戦士が恐怖に顔を歪めながら叫ぶ。
気づけば、剣聖カレルブォの口角は上がっていた。普段は剣呑な目付きからも喜びが溢れている。
「ふぅぅうううー」
長い一息。それを切り目に、剣聖カレルブォは駆け出した。目指す場所は黒魔力の出どころ。
「死ねっ!」
「長老の仇!」
「剣聖だ、討ち取れ!」
剣聖カレルブォの行く道を何人もの魔族が拒む。だが、そんなことで剣聖カレルブォの勢いを削ぐことなどできなかった。次々と斬り刻まれていく。
そして遂に魔王のいる場所へと到着する。
魔王は堂々たる姿勢で腕を組んでいた。
黒曜石のような黒色の甲冑は大きく、がっしりとしている。
剣聖であるカレルブォであってしても気圧されるほどの黒魔力は健在で、広範囲に渡って恐怖と不快感を撒き散らしている。
決してその顔の全容を掴ませない黒い兜からは全てを飲み込むような黒く鋭い眼が覗いていた。
剣聖カレルブォは大きく踏み込んだ。相手は魔王。出し惜しみなどしない。
今出せる最速を以ってして、全体重を刀身に集める。
狙うべきは首。甲冑と兜の間へ剣を滑り込ませる。
「業斬!」
技の名を口にし、刃渡りに獄炎を纏わせる。
先程まで魔族相手に戦っていたとはいえ、あれは準備運動の内にも入らないただの作業。疲れなどなかった。
今のところ剣筋は鈍っていない。コンディションは最高。緻密な獄炎の操作も怠らず、手首のスナップも効いている。
剣聖カレルブォはこれ以上ないほどの斬撃を繰り出していた。
それに対する歴代最強魔王は…………
「え!? 嘘でしょ! 剣聖来ちゃったよ!!!」
荘厳な仁王立ちに見合わないほど、狼狽えていた。