2ようこそ、絶望へ
「我が魔王軍は大規模侵攻をしようと思う」
魔王スメットは魔領にそびえ立つ魔王城の執務室にて、ある提案をしていた。スメットが聖女エルの死を風の噂で聞いてから三日目のことである。
「大規模侵攻………ですか」
魔王スメットの妄言を聞くのは、一人の女性。ディアという名の彼女は魔王城統括執事であり、スメット専属のメイドだった。今はスメットのために紅茶を注いでいる。
「ああ、そうだ。大規模侵攻だ。エルが死んだと聞いてからこの三日で俺は考えた」
メイドのディアは紅茶をスメットが寛いでいるソファ前の小テーブルに置く。ちゃっかり自分の分を用意しているのは……
「あ、座っていいよ」
「………それでは失礼します」
スメットに着席を勧められることが分かっていたからだ。
ディアは、メイドとして座るのはいかがなものか………と思うこともないが、主人に勧められているのだ。大人しくスメットのいるソファの向かいのソファに座る。
最初、ディアは着席を許可されても何度か断ったことがあるのだが、スメットが事あるごとに
『立っていて疲れない?』
『もしかして腰が痛いとか』
『え!? もしかしてイジメられてるの!?』
『遠慮なんていらないよ、座っちゃいなって』
と言ってくるため、ならもう座っちゃえと。
「それでね、今まではエルがいたからあまり王国とかに攻めてなかったじゃん? だからね、エルはもういないしここでドカンと攻めようかと思ってね」
「そうなんですね」
ディアは取り敢えず頷く。
ディアは美人だ。顔立ちは整いすぎているほどで、白銀の髪は肩の辺りで短く切り揃えられている。瞳はオッドアイで右が橙、左が紫と大変絵になる容姿をしている。
だからだろうか。魔王スメットはメイドのディアが動く度にこう呟く。
「………………これが萌えか」
一ヶ月前に齢が百になったとはいえ、スメットの容姿は悪魔と契約したときと変わっていない。
十五歳頃の見た目をした青年が達観した老人のセリフを言う。なんとも奇妙な構図だ。
「…………それで、大規模侵攻ということですが、具体的なプランはあるのですか?」
ディアが至極真っ当な質問をする。
「あぁ、実は怪獣に攻めて貰おうと思ってな」
【怪獣】
それは天職の一つ。善悪では悪に属する。
善と悪が争うこの世界では、大きく二つの勢力がある。善の天職五人全員が属する人間サイドと、悪の天職五人全員が属していることになっている魔族サイドだ。
そして怪獣は魔物に最も近い魔族だ。しかも、竜王を圧倒するほどの実力があるという。だが………
「怪獣、ですか。たしか封印されていませんでしたっけ?」
「あれ、そうだっけ?」
聖女エルを守りたいという過保護などこかしらの魔王と幾人かの手によって封印されていた。魔王スメットはそのことを覚えていない。
「それじゃ、大規模侵攻では邪教僧に活躍してもらおうと思う」
「………邪教僧は現在行方不明です」
「え? なんで?」
「分かりません」
「そ、そうなのか」
【邪教僧】
それは爺ゴブリンのことを指す。短命なゴブリンの中で最も長寿な生命体だ。天職の一つでもある。
実は邪教僧、同じくどこかしらの過保護な魔王が何かしらをやっていたりする。今頃は誰もいない秘境の大穴で救けを求めているだろう。
邪教僧は飲まず食わずでも死なない。但し、体力がそれほどではないため大穴をよじ登ることは不可能だ。
このことも、魔王スメットは覚えていない。
「なら、そうだな。猛蛇に頼もうと思う」
「猛蛇さんですか…………」
「どうした?」
「………いえ…………なんでもありません」
【猛蛇】
それは老害婆婆蛇のことだ。魔族の中でも五本指に入るとされる蛇族。それの今代の当主が彼女だ。実力も魔族の中で群を抜く。
だが、女喰らいで有名な婆婆蛇でもあった。性的にではなく、物理的に喰らうものだから、魔族からの人気は低い。
ディアは猛蛇と実際に対面したことがあるのだが、そのときに猛蛇は食事中であった。そのため、ディアの中で猛蛇はトラウマになっていた。
今も顔色が悪い。
「よし、それじゃあ早速魔法具を使って連絡しよう」
「あの、少し待っ」
ディアの静止の声を聞き届けることなく、スメットは少し大きめの魔道具を取り出して猛蛇に電話をかけた。ディアの顔が真っ青になる。
「あ、もしもし?」
「ん、蛇族の女中さん?」
「でね、猛蛇に用があるんだけど」
「え! 猛蛇が行方不明!?」
その瞬間、ディアの顔が輝いた。普段は無表情でクールなディアだが、今だけは生き生きとしていた。
スメットとしては猛蛇が行方不明になっていたから嬉しくはない。宛が外れたのだ。でも、にやにやとしていた。
「萌え…………」
そう、美人なディアが生き生きとしていたから。スメットは静かに猛蛇に感謝した。行方不明ナイス、と。
…………実は、猛蛇が行方不明になっている原因は魔王スメットだったりする。数年前に何かしらがあったのだが………魔王スメットは忘れている。
「怪獣がだめ、邪教僧がだめ、猛蛇がだめ、となると………」
「残るは魔王と狂戦士になりますが………狂戦士はだめですね」
【狂戦士】
それは狂ったスケルトンである。とにかく狂っている。狂戦士とは意思疎通がとれない。言葉が通じないからだ。
「あれ………なあ、ディア。俺は算数ができないみたいだ。ちょっと手伝ってくれないか」
魔王スメットは右手の指を五本たて、左手の指を一本たてている。それぞれ、人間サイドと魔族サイドにいる天職持ちの数だ。戦闘に参加できない者は抜かしてある。
五対一
人間サイドは恐らく天職持ちの五人全員が戦える。つまり、人類の上位五名は健在。
転じて魔族サイド。怪獣、封印。邪教僧、行方不明。猛蛇、行方不明。狂戦士、戦力外。要するに、魔王以外の天職持ちはいない。魔族サイド上位五名の内、戦闘に参加できるのは魔王スメットのみ。
「スメット様。計算は正しいです」
「え? これじゃ俺、フルボッコじゃん………」
「………………」
静かな時が流れる。そして、魔王スメットが再起動した。
「ま、まあ、兵力はそこまで差がないし」
「いえ、兵力は人間サイドの方が圧倒的に多いです」
魔王、再び撃沈。
…………兵力の差、これもどこかしらの過保護な魔王があれこれやっていたりするのだが………そのときの魔王は無自覚だった。
「ヲワタ」
静かな声が執務室に響く。魔王はソファに倒れ込んだ。唖然としているのだ。
その様子を、メイドのディアは不思議な目で眺める。
ディアはずっと疑問に思っていた。この魔王は何を言っているのだろうか、と。そもそも、大規模侵攻なんて必要ない。なんなら、怪獣、邪教僧、猛蛇、狂戦士、魔族さえも必要ない。
だって、悪魔ヴィンターと契約している魔王スメットがいるのだ。
神とでも対等に戦える、魔王スメットがいるのだ。
そんな彼がなぜ人間如き相手に頭を悩ませているのか、ディアには理解できなかった。
だって、魔王スメットが本気を出せば世界を崩壊に導くことも可能なのだから。
メイドのディアはオッドアイです。左右どっちの色だっけ?となるでしょう。そんなあなたに魔法の言葉。
創造の右手(橙)
破壊の左手(紫)