表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第三章 『桶狭間』
9/79

【一】囮

永禄三年(一五六〇年)五月一八日夜


軍議は紛糾していた。


「やはり清州城に籠城するしか選択肢はあるまい!」

「後ろ盾もない今、城に籠ったところで落城を待つばかりではないか!」

「では大軍相手に真っ向勝負するとでも言うのか!」


上座の信長を尻目に、柴田勝家や佐久間信盛など幕僚達は口々に論議するが、どの者も強い口調とは裏腹に、不安と動揺の色は隠せない。

敵の大将・今川義元は既に本拠地駿河を進発し、尾張国境近くの沓掛城に入城している。先鋒の松平元康(後の徳川家康)ら三河勢は、前線の大高城に兵糧を運び、義元の入城に備える。


決戦は目前に迫っている。


夜になっても梅雨の湿った空気は城内を包み、士卒は汗に蒸れ、余計に苛立ちながら今後の対応を訴え合う。



論議は進展しないまま膠着状態となるが、頃合いを見て家老の林秀貞は説いた。


「今川は二〇,〇〇〇とも三〇,〇〇〇とも知れぬ兵を集め、既に尾張に向かっておる。対して我々はどうかき集めても味方は三,〇〇〇程が関の山じゃ」


結論の見えない討論の中、重役の林が語り出すと、皆静まり耳を傾ける。


「しかし、ここ清州城は天下に誇る堅城である。我らが心を一つにこの名城に籠れば、いかに今川の大軍と言え早々には落とせまい。戦況が長引けば相手はたちまち兵糧に貧し、退却の憂き目となる事は必定であろう。退却する今川軍に追撃をかければ思いもよらぬ戦果を上げられるかも知れぬ」

  

林の言葉に各将は、

何か救いを得られた気分になり、一同に賛成した。


「林殿が申すように。この清州に籠ればいかに大軍でもどうにもできまい」


気弱な林であるが、諸将の賛同を得られると、勇気づけられた様に信長に語った。


「殿。我らは信長様の下、一丸となりこの名城清州を堅守し、如いては義元に手痛き思いをさせて見せますぞ。籠城策のご決断を我らにお与え下され」


終始無言で、あるいは興味すら無さ気に聞いていた信長であったが、林の得意げな表情をみると一笑し告げた。


「相変わらずの小心振りよ、秀貞。お主が申すのは、まさしく十人いれば十人が説く凡策であろう。後ろ盾が無い今、到底この兵力差で成し得るものではない。万策尽きたる今は、皆も慌てず時が来るのをただ待っておればよい」


言い終わると信長は立ち上がり、奥にさがろうとした。


「殿! 何の作戦も無く軍議を終わりには出来ませんぞ! お戻りください!」


林は堪らず叫んだが、信長は無言で引き下がってしまった。


「……殿のご武運もここまでか」



座列の面々は一同にため息をつき、軍議は打ち切られた。



-------------------------------



寝屋に向かった信長は、蝋燭の灯の前で悟ったように正座し、瞑想していた。


(……まだか、盛重よ!)


家老佐久間盛重は、対今川の最前線といえる丸根砦の守備を任されていた。

近接する鷲津砦と並び、今川方に落とされていた大高城の抑えとして築かれたこの両砦は、同じく今川方の鳴海城とを分断する最重要拠点である。


砦の守備を命じる際、信長は盛重に聞いた。


「今川は今後どう出ると思う」


寡黙な盛重は、表情を変えずに淡々と答える。


「まずは孤立した大高城の救援にこの両砦を攻撃に参るでしょう。殿にとっても重要な拠点。激戦になる事は必至かと」 


「では丸根・鷲津砦が、当家の運命を左右する程の決戦の場となると」


「両砦が落ちれば一挙に清州まで進出する足掛かりとなりましょう。敵は信長様が必死に抵抗すると考え、大軍で殲滅に掛かるやも知れませぬ」


信長は一見淡泊に聞いている様であるが、どことなく表情に苦渋の色が感じられる。


信長の様子をよそに、盛重は続ける。

「丸根の守備はお任せ下さい。後世に残る武勇をお示し致しましょう」


「……そうか。頼んだぞ」


信長は一言告げ、盛重もそれ以上語らなかった。




信長にとり、清州に籠城する選択肢が無いわけでは無い。


林の言うとおり、清州に籠ればいくら今川の大軍といえども、容易には落とせない。

敵に一通りの抵抗を見せ、難敵と判断されれば頃合いを見て和睦を結び、三河の松平家の様に今川先鋒衆として生きながらえる事が出来るかも知れない。


しかし、信長は到底今川に追従する気にはなれなかった。


「人の運命などこの蝋燭の炎のように弱く儚いものだ。風前の灯の様な生き様は我慢できぬ。どうせ消えゆくなら大火の如く燃え、散ってくれよう」


信長は今川に対抗するには奇襲戦しか無いと考えていた。

日頃鷹狩と称し山々を散策する事で、尾張の地形は手に取るように熟知している。一矢報いるとすれば大軍が移動するには狭隘で見通しの悪い桶狭間しかない。そこで運よく義元本陣との白兵戦に持ち込めれば、相手に思わぬ痛打を与える事も出来るかも知れない。



しかし三河の松平を先鋒に、数万の大軍を率いる今川軍の目をすり抜け、義元の喉元に刃を突き付けるのは容易な事では無かった。

桶狭間で決戦を挑むには、何とか大軍を油断させ、分断し、義元本陣を孤立させる方法を考えなくてはならない。


(敵も味方も重要と認識する丸根・鷲津が見捨てられ、いとも容易く落城すれば義元はどう思うか……)


弟信勝の付け家老でありながら、終始一貫して信長を支持してきた盛重は信長を理解し、この役目を受け入れたのである。


(ただでは死なぬ。必ず勝機を見出して見せよう)



雲霞の如き敵の大軍は、丸根砦の目前に迫っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ