【 七 】 猛攻
「退け! 退け! これ以上留まれば皆殺しになるぞ!」
激しい銃撃の爆音は激しさを増していた。
徳川の鉄砲衆五〇〇に加え、根来衆三〇〇を含めた織田の遊軍が加勢し、武田の猛攻を蹴散らしていた。
信長は回避する敵を追わず、柵内での防御に徹する様厳命していた。
前線で防衛する足軽隊は、敵が柵を引き倒そうと取り付けば、群がるように槍を付け、襲い掛かってくると忽ち柵内に引き、そして敵が退けば再び食い下がって密着する事を繰り返す。機敏に立ち回る織田徳川連合軍に翻弄された敵は、柵や土塁に進退を阻まれ、鉄砲の猛射によって次々になぎ倒されていった。
武田軍は物頭ら指示系統から狙撃され、隊伍を乱すと、一、二陣共にどうする事も出来ぬまま死傷者を増やしていく。
逍遥軒信廉は、左程の働きも見せられぬまま、歴戦の猛将たちが次々に撃ち殺されていく様を見ると、すぐに戦意喪失した。
「無駄死には御免じゃ! 速やかに退け!」
第二陣信廉隊も左方へ流れる様に退避する。
「いいぞ! いいぞ!」
徳川軍は歓声を上げる。
過去辛酸を舐めさせられた、あの獰猛な武田軍が、鉄砲の前に手も足も出ないのである。
「損害を顧みるな! 怯めば忽ち鉄砲の餌食ぞ!」
喜ぶ徳川軍を他所に、すぐさま武田軍第三陣が突入を開始した。
具足を赤に統一した、小幡党の突撃である。彼らは乗馬の達者で構成された、西上野の関東州を率いる騎馬軍の精鋭である。
「これ以上敵に好きにさせるな! 柵に取りつき、一挙に引き抜け!」
信廉の二陣後方にぴたりとくっついて来ていた小幡党は、信廉隊を縦に、損害を抑えながら柵に取りつくと、続々と縄をかけ引き倒していく。
猛将小幡信真は、兵を手足の様に扱い、山県隊が切り崩した柵を起点に、続々と乱入すると、内外から周囲の柵をも破壊し、所々で白兵戦が始まる。
猛攻を受けた織田徳川の足軽は、溜まらず蹴散らされた。
「これまでの敵とは違うぞ! 柵内に入り込んだ敵から包み込んで討ち取れ!」
徳川の物頭達は兵を叱咤するが、精強を誇る小幡党は、個々が一騎当千の働きで、手が付けられない。気合の入った雄叫びが響き渡り、その後も次々に柵が破壊されていくと、徳川陣は二の柵まで侵入され、多数の損害を出していた。
「落ち着け! 鉄砲隊の準備はまだか!」
敵の執拗な猛攻に、徳川軍は浮足立っていた。
火縄銃の連射には限度がある。
銃身は熱せられ、銃腔に煤が溜まると弾込めが困難になり、暴発の危険性が増す。
鉄砲隊は、射撃手一人に対し、数丁の火縄銃と数人の助手が付き、射撃手が射撃している間に助手が火縄銃の装填を行うという連携作業で、連射性能を上げていたが、次第に乱戦に持ち込まれると、それらは機能しなくなる。
柵を越えた敵衆が現れれば、鉄砲足軽たちは素早く後方の柵に身を隠し、待機していた槍隊が前面に出て食い止めているが、突入してくる敵は次第に増えていった。
鉄砲による甚大な被害を受けつつも、敵の勢いは凄まじく、扶桑最強の武田軍は徳川の足軽衆をなぎ倒す。
「これは堪らぬぞ! 乱戦となれば、兵を前に出せ!」
混乱した物頭達が、白兵戦の指示を出そうと声を張り上げると、左方の丘から喚声が上がった。
「これはまずいぞ! 皆まとまって矢玉を防げ!」
小幡信真は、右方の丘を見上げ、咄嗟に防衛体制を築いた。
「放てー!」
丘上の号令と共に、凄まじい鉄砲の爆音が再び大地に響き渡った。
徳川陣地に乱入し、暴れまわっていた武田の武者は、忽ち吹き飛ぶように崩れ去る。
佐々成政、前田利家ら織田家遊軍五〇〇の鉄砲衆が応援に駆け付けたのである。
信長側近衆で構成された彼らは、長年鉄砲訓練を重ね、鉄砲の扱いに長じた精鋭部隊である。
「これは助かった! 落ち着き、甲冑武者から狙って放て!」
織田の援護射撃に、徳川衆も落ち着きを取り戻す。
激しい銃撃が再び開始されると、深追いし過ぎた侍たちは、一人残さず撃ち殺された。
「左右から撃たれては防ぎきれぬぞ! 退け! 退け!」
奮戦を続けていた小幡党も遂に崩れ、流れる様に退避を始めた。
一刻程が経ち、陽も高く上がっていた。
武田の猛攻は執拗に繰り返されるが、損害を増やすばかりである。
第四陣の武田典厩信豊に続き、穴山信君、内藤昌秀、小山田信茂、一条信竜ら精兵達が繰り返し突撃を敢行するが、結果は同じであった。
「おのれ! おのれ! 敵に休む隙を与えるな!」
勝頼は喚くように、ひたすらに突撃の指示を繰り返す。
凄まじい鉄砲の轟音は、頭の直ぐ傍で放たれているように、耳を劈いている。
設楽原は黒煙に覆われ、勝頼本陣は視界不良であるが、続々と届く注進から、多くの味方が為す術なく蹴散らされているのは理解していた。
勝頼は予想外の戦況に動揺が隠せないが、後方を脅かされた状況から、ここで退却する訳にはいかない。何としても敵に打撃を与え、袋の鼠となったこの状況を打破せねばならない。
「殿! 徳川陣に鉄砲が集まっておるようです! 織田側を攻撃しましょう!」
本陣に駆け付けた跡部勝資は、慌てる様子を隠さず、早口に言上する。
「佐久間の内応はどうなっておるのだ!」
勝頼が凄むと、傍に控える釣閑斎は目を泳がせる。
「応答がございませぬ……」
「おのれ! 卑怯者めが! 佐久間隊へ攻撃を移せ! 総攻撃じゃ!」
勝資と傍に控えていた長坂釣閑斎は、不安な表情を浮かべる。
「卑怯者を討ち取ってやるのじゃ!」
勝頼が半ば自暴自棄に吐き捨てる中、諸将から続々と使者が訪れ、注進する。
「山県様は、はやご退却をご注進にございます。再三の突撃で、我が軍の面目は保たれ申しました。これ以上の攻撃は無用との事にございます!」
「あの防衛陣は崩せませぬ! 被害が少ないうちに退くべきです!」
馬場信春、内藤昌秀、武田信豊、穴山信君ら諸将も、予想以上の凄まじい銃撃に、これ以上突撃を繰り返しても、戦況は好転しないと判断していた。
しかし、長坂釣閑斎と跡部勝資は反発する。
「あ奴らは、命が惜しいのでございましょう。ここで逃げ出せば、敵の猛追を受け、恥を晒すばかりにございますぞ!」
釣閑斎と勝資も必死であった。自分たちの献策がこの状況を生んでいるのであり、敗退すれば失脚は免れない。何としても敵に打撃を与え、活路を見出さねばならなかった。
「分かっておるわ! 逃げるなど微塵も考えておらぬ!」
勝頼の怒声は止まらない。
彼は焦燥しながらも、親族衆に対し、激しい怒りを感じていた。
被害を顧みず柵をなぎ倒し、敵に打撃を与える山県や小幡、内藤らに比べ、武田信廉、信豊、信君ら親族衆は、被害を最小限に済ませようと、明らかに消極的であった。
「分かっておるぞ! あ奴らは、儂の失策であると言いたいのであろう! 尚更このまますごすごと逃げ出すわけにはいかぬわ!」
勝頼は自らを叱咤するように、拳を腿に叩きつけた。
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