【 五 】 長篠の戦い
天正三年五月二十一日(一五七五年六月二十九日)早朝
木々に纏った夜露が朝日に照らされ、野鳥の高らかな歌声が山野を覆う。山の間から徐々に姿を現す太陽は、目の眩むほどの陽光を以て大地を照らし始めると、梅雨時と思えぬ雲一つない空を臨む、清々しい朝を迎えていた。
平穏な朝が訪れた起伏激しい狭隘な草原には、点々と土塁が掘られ、諸所には二重三重と入り組むように並んだ木柵が列を揃えている。
信長は十八日までに設設楽原西方小山に位置する極楽寺山に本陣を置き、嫡男信忠は前面の新御堂山へ陣を張る。
先陣は徳川家康がつとめ、信長本陣の東南は弾正山に陣を取り、続いて織田勢から滝川一益・羽柴秀吉・丹羽長秀の三将が家康本軍から左方の有海原に上り、東向きに展開し、武田勝頼に差し向かった。徳川・織田の陣前には、馬防柵が点々と張り巡らされている。
設楽原は原といっても、小川や沢に沿って丘陵地が南北にいくつも連なる場所である。信長本陣からでは相手陣の深遠まで見渡せなかったが、信長はこの点を利用し、四〇,〇〇〇の軍勢を敵から見えないよう、途切れ途切れに布陣させ、小川・連吾川を堀に見立て、川を挟む台地の両方の斜面を削って急斜面を作り、そこへ三重の土塁に馬防柵を設けるという、当時の日本としては異例の野戦築城策を講じた。
勝頼率いる武田本軍は、長篠城へ三,〇〇〇人程の包囲隊を残し、二十日までに寒狭川を越えて、有海原へ三十町ほど踏み出してきていた。その軍勢は甲信の兵に加え、西上野の小幡党、駿河衆・遠江衆・三河の作手衆・田峯衆・武節衆らを加えた総勢一二,〇〇〇の兵である。設楽原を前に、西向き十三ヶ所に分かれ、鶴翼の陣にて布陣すると、両陣の間は、わずかに二十町(約二,二〇〇メートル)程で対峙する。
設楽原を包む有海原の一帯は、左手は鳳来寺山から西に太山が連なり、右手は鳶の巣山から、西に延々と山塊が続く深山の地となっている。また太山と鳶の巣山のあいだには大野川が山並を縫って流れており、両山の間は南北に三十町ほどしか離れていなかった。そして北の鳳来寺山脇から流れてきた寒狭川がこの付近で大野川に合流しており、長篠はこの二川が城の南西を流れる平地に位置している。
「このような前面にまで本陣を移すとは、小賢しきばかりだわ」
信長は、家康陣所の弾正山にある小高い山に上り、敵方の動きを凝視していた。
勝頼はこちらの半数の兵にも関わらず、全軍を渡河させ、野戦築城を構える陣地の目前に迫って陣を敷いた。
彼らの前面には、佐々成政・前田利家・野々村三十郎・福富秀勝・原田直政らが、鉄砲衆一,〇〇〇挺を携え、控えている。
額に一粒の汗を浮かべ、敵軍を睨む信長の元に、息を切らせた物見が訪れた。
「酒井様、金森様の遊軍は、昨晩鳶ケ巣山砦に夜襲を仕掛け、中山砦・久間山砦・姥ヶ懐砦・君が臥床砦らの支城もろとも落としてございます! 現在、勢いを得たお味方は、長篠城の奥平様を伴い包囲軍を蹴散らすと、有海村駐留中の武田支軍まで掃討いたしてございます」
「左様か! よくやったぞ!」
信長は声高く応じた。
密かに信長の命を受けた酒井忠次と金森長近の奇襲隊凡そ四,〇〇〇人は、五〇〇挺の鉄砲隊を率い、正面の武田軍を迂回して豊川を渡河し、南側から尾根伝いに進み、長篠城包囲の要であった鳶ヶ巣山砦を後方より強襲したのであった。
よもやの奇襲と、凄まじい数の鉄砲の応酬を受けた武田の駐屯兵らは、幾度の激突を繰り返し迎撃するが、多数の鉄砲隊の前に為す術なく蹴散らされ、主将の河窪信実(勝頼の叔父)をはじめ、三枝昌貞、五味高重、和田業繁、名和宗安、飯尾助友など名のある武将が討死する大敗を喫していた。
この報告は勝頼の元にもすぐに届けられる。
「織田の夜襲により、鳶ケ巣山砦及び四つの支城も悉く陥落してございます!」
「なんだと!」
勝頼は思いもよらぬ注進に驚愕する。
鳶ケ巣山砦は、長篠城包囲の補給拠点である。これを落とされたとなると、設楽原に深入りした本軍は、退路を塞がれた形となる。
これにより武田軍は、野戦築城する正面の敵に挑むほか選択肢は無くなった。
「小賢しき事を! ここで退いては追撃を受け、恥を晒すのみじゃ! 正面から切り崩してやれ!」
勝頼は内心激しく焦燥した。
設楽原の台地は予想以上に起伏が激しく、前方の敵軍の全体像が把握出来ない。
土塁や馬防柵が随所に見えるが、点々と旗指物が見え隠れするのみで、その後方に数万人の兵力が待ち構えている様には見えない。
味方の物見は敵に飲まれ、過大に兵力を注進したと思った彼は、河を渡り、敵陣の正面に深入りする形で陣取る事となったのである。
しかし、いざ敵前に迫ると、無数の土塁と馬防柵は予想以上に強固に構築され、その後方に静かに待機する兵士の数を見ると歯ぎしりする。
「まんまと乗せられし事よ」
信長は武田との決戦に備え、領国の地形把握に努めていた。
強敵を前に、地の利を得るには戦前調査が不可欠である。彼は、日々鷹狩を行い、美濃尾張の地形は手に取るように把握していた。三河の地においても、家康から事細かい地形の情報を得、配下にも綿密な地形把握をさせていた。
「戦は凡そ始まる前に勝負は決している」
広大な地を支配する信長の情報収集力は、他の大名に類を見ない。
一方で勝頼は敵地の地形調査を怠った。
山川に阻まれた狭隘な平地という事は承知していたが、いざ降り立つまで、丘陵激しいこの地の特性を把握しきれていなかった。
また、騎馬隊対策であろう、二重三重に張り巡らされた柵と強固に構築された陣地は、勝頼の予想を大きく上回る規模である。
「僅か一、二晩でこれほど作るとは……」
尾張から美濃、近江そして畿内全域へと版図を広げた織田軍の機動力と財力を甘く見積もった勝頼は、戦の前に飲まれていた。
「ええい! あれこれ考えていても仕方がない! 掛かれ! 掛かれ!」
勝頼は湧き上がる焦燥を打ち消そうと、全軍に指示を送った。
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