【 二 】 軍議
信長は嫡男信忠、次男北畠信雄はじめ、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、滝川一益、稲葉一徹、水野信元、森長可、佐々成政、前田利家ら尾張・美濃の直参衆およそ三〇,〇〇〇の軍勢を率い、家康と共に前線基地となる岡崎城に入城した。
主力戦力を率いやってきた信長を、家康は恐縮して迎え入れた。
「頼もしきご援軍。誠に感謝申し上げます」
そう言い、大きく低頭した。
「三河の大事は我らにも直結しよう。長年共に歩んできた徳川殿のご恩に報う、またとない好機ではないか」
信長は声高に応えた。
しかし、その表情は硬く強張った様子である。
「誠恐悦至極にございます……」
家康は丁寧に礼を述べつつ、信長の心境を概ね理解していた。
政情不安な畿内を控え、強敵武田と争うには時期尚早と思っている。しかし、三河国守備の要である長篠城を包囲され、これ以上消極的な姿勢を示していれば、いかに家康と言え、変心するかも知れないと危惧していたのであった。
ここで決戦を行うには不本意と思いつつも、避けては通れぬ事態と察し、尾張・美濃の主力勢力を率い参陣したのである。
織田、徳川両家の武将が岡崎城の大広間に集まり、軍議が開かれた。
上座に並び座る信長と家康は、眼下の諸将に聞こえるよう、声高に話し出す。
「長篠の首尾はいかがであろうか」
信長は徐に問う。
「中々に難しき状況かと。奥平には兵糧矢玉を豊富に与えておりましたが、五〇〇程の寡兵でございます。既に籠城より八日ほども経っておりますなれば、いつ落城してもおかしくありませぬ……」
信長は表情を崩さず淡々と聞いている。家康は額に汗を浮かべながら続けた。
「しかし奥平は、我らを決して裏切ることは出来ぬと存じます」
信長は小さく頷いた。
「そうであろう……」
長篠城の守備を任されているのは、奥平貞昌といい、三河と遠江の境に位置する、奥三河を本拠地とする国人大名の一人である。元々は駿河を拠点とする大名・今川家の属国であったが、当主今川義元が織田信長に討たれると、その混乱期に三河国で台頭した徳川家に従い、そして武田信玄の三河侵攻が開始されると、たちまち身変わって武田家に追従した。
このまま武田家の属国として、三河侵攻の先鋒衆として生きていくかと思われていた矢先の元亀四年(一五七三年)、信玄が陣中で病死したと察知した貞昌の父貞能は、冷静に時勢を判断し、再度徳川家に追従する事を決したのである。
先の三方ヶ原において、家康は老獪な信玄の計略に嵌り、完膚なきまでの大敗を喫していた。それ以降、東海における家康の支配力は急速に衰え、武田家に追従する者が続出しており、家康は何とか三河の権威を挽回したいと思い、離反した国人衆達を再度懐柔しようと調略を張り巡らすが、一向に成果は出ていなかった。
窮した家康は、国境の要所を領土とする奥平家への懐柔策として、「家康長女の亀姫と貞昌の婚約」・「領地加増」・「貞能の娘を重臣本多重純に入嫁させる」などという、破格の好条件を貞能に提示したのである。
これを受けた奥平家では、連日の密議を重ね、ついにはこの和談を受け入れる事とする。三河国の太守が小国の領主に対して行うには、考えられぬ好条件であった為である。しかしこれは同時に、武田家へ送っていた人質である、妻や弟を見殺しにする事を意味した。
「仙千代(貞能次男)は誠に不憫なれど、家名存続の為致し方ない。戦国の世に生まれし上は、覚悟出来ておろう……」
苦渋の決断を下した奥平家は、対武田家最前線基地である、長篠城の守備を任されることとなり、そして奥平離反に激高した勝頼は、すぐさま人質を処刑するのであった。
信長は厳しい表情のまま、家康の注進を聞いている。
「家康殿の親族となった今、裏切るわけにもいかぬであろう……」
そうぼそりと呟く。亀姫との婚儀を提案したのは、信長であった。
武田の脅威の前に、独断では生き残るすべのない家康は、常に信長の意向に従わざるを得ない。しかし、この和談が奥平家にとり、後戻りのできない制約となった事は確実であった。戦国の世の習いといえ、これ以上の変心を繰り返すことは出来ない。
奥平はどのような窮地に立とうとも、長篠城を死守せねばならないが、家康も婿を見殺しには出来ぬであろう、という期待も持つことも出来た。
「……しかし、いつまでも城は持たぬであろう。我らが軍勢も出揃ったとなれば、明朝にも救援に向かうと致すが、首尾はいかがいたすか」
信長は鋭いまなざしで諸将を見渡した。
徳川の筆頭家老の酒井忠次は、家康に促されるように言葉を発する。
「敵はおよそ一五,〇〇〇の大軍で長篠城を包囲してございます。狭隘な山城である長篠では、大軍での行動が難しくございますとなれば、必然として西方に広がる設楽原を決戦の場とする事が宜しいかと」
信長は小さく頷く。
「左様、戦は勝頼と申し合わせ、忠次殿のいう通り、殿設楽原にて行うがよいであろう」
忠次は恐縮して頭を下げる。
設楽原は原といっても、小川や沢に沿って丘陵地が南北にいくつも連なる場所であった。
遠くを見渡せる平原とは程遠く、足軽や鉄砲隊などは身を伏せ、随所に隠れることも可能であるが、機動力と突進力が利点である騎馬隊にとっては、致命的な場所であった。
「……しかし、そう上手くも行くまい……」
信長は独り言の様に呟き、諸将は沈黙する。
すると、一人の小姓が駆け足で家康の元へ駆け寄り、耳打ちした。
家康は表情を改め、信長に目で合図を送ると、居並ぶ諸将に対し声高に言う。
「奥平より使者が参ったとの事。ここへ通すとなれば、皆今一度話をきかれたい」
評定の間には緊張感が走り、信長の表情も引き締まる。
暫くして、一人の足軽と思しき侍が姿を現した。
体中泥にまみれ、城から十里ほどの距離を走破してきたであろう、その疲労は隠せず、御前でも肩で息をしている。
上座の二人に対し、畳に頭を擦り付け、畏まる武者に家康は声を掛ける。
「危急の使者、誠に大儀である。お主の名と、長篠の戦況を申してみよ」
武者は慌てて頭をあげ、早口に言上した。
「恐れながら申し上げます。私は奥平が家臣、鳥居強右衛門と申します。城は八日午後から敵に包囲され、幾度もの猛攻に合い申しましたが、貞昌様始め決死の覚悟で城を守り続けている次第にございます。しかしながら、十三日の夜に始まった敵方の強攻により、兵糧庫に火が付き、失い申してござります。これでは後幾日も持ちこたえられぬ次第でござりますれば、何卒家康様のご支援を頂きたく、使者として参った次第にござります」
頷きながら聞いていた家康は、強右衛門の口上が終わると、柔らかい表情で応じた。
「状況は相分かった。御覧の通り、信長様自ら援軍としてお越しいただいた。明日には大軍をもって支援に向かう上は安心せよ」
強右衛門は涙を浮かべ、平伏し感謝を述べる。
「誠! 恐悦至極にござりまする!」
家康は続ける。
「お主は夜通しの務めで疲れておろう。身体を休め、明日わが軍と共に城へ参ろう」
家康の言葉を聞いた強右衛門は、咄嗟に顔を上げると真剣な眼差しで語った。
「お気遣い誠に感謝申し上げます。しかしながら城兵は決死の覚悟で、私の帰りを待っております。一刻も早くこの状況を伝えに参りたく存じますれば、その件は何卒ご容赦頂きますようお願い申し上げます」
言い終わると再び素早く頭を下げる。
家康が何か言おうとしたところ、突如横に鎮座する信長が、笑いながら話し出した。
「誠に見事なる心意気よ! 命を懸け、城の重囲を抜け出したにも関わらず、また戻るとな! お主の天晴なる気概を止めはせぬ! 急ぎ城兵に織田と徳川の大部隊が来て、武田の軍勢を蹴散らすと伝えに行くがよい!」
強右衛門は突如話出した信長に驚き一瞬目をやるが、笑いながら話す彼の、不気味な威圧感に圧倒され、直ぐに頭を落とす。
「誠にありがたき幸せに存じまする!」
強右衛門は(この御方が噂に聞く織田信長様か……)と内心恐々と感じ、背筋に寒気が走る。笑ってはいるが、その野獣の様な鋭い瞳と、その奥に広がる深海の様な深く暗い不気味な雰囲気は、強右衛門を一瞬で飲み込んだ。
家康は信長に呼応する様に命じた。
「では急ぎ城へ帰り、織田徳川の四〇,〇〇〇人の大部隊が、明日にも駆け付けると伝えてやるがよい」
強右衛門は二度と信長の目を見られずまま、家康に促され広間を後にした。
「…さて、今聞いたように、我らの来援なければ長篠落城は免れぬ事態であろう。明朝には出立し、いち早く戦場へ向かわねばならぬ」
信長は鋭い口調で諸将に告げた。
「しかし、敵は天下に名高き武田の軍勢である。我らのおよそ半数であるが、正面衝突すれば損害も甚だしいであろうとなれば、いかがいたすか」
信長の意図を察し、家康は同調する。
「ごもっとも、武田軍は倍の兵力を打ち崩すと言われる、凄まじい突進力を持つ精鋭部隊。加え、大将勝頼は獰猛な武将。正面からぶつかるのは得策では無いかと」
信長は頷く。
「左様、先ほど忠次殿が言った通り、設楽原で申し合わせの決戦を行う事に他意はないが、敵の勢いを挫く為、堀や柵にて待ち構えるのがよかろう。これに勝頼が乗って来るかどうかではあるが……」
家康はすかさず応える。
「勝頼は勇猛果敢な武者でございます。朝倉の大将とは違い、決戦を申し入れれば、必ず受けて参るでしょう。我ら三河の兵は、武田の恐るべき突破力を、身を以て体験してございます故……」
家康は多少目を落とす。
言葉でこう言うも、武田には謀将というべき有能な配下衆が数多くいる。こちらが野戦築城して待ち構えている所に、わざわざ向かって来るとは考えにくかった。
家康の言動を見た忠次は、恐縮しながら意見を言上する。
「恐れながら、私めに妙案がございます。敵は長篠西方に鳶ケ巣山砦を築き、補給路と致しております。設楽原へ誘い出す一計として、ここへ奇襲を仕掛ければ、後方から圧力を掛ける形になるかと……」
「たわけた事を申すな!」
突如信長は顔面を紅潮させ、一喝した。忠次は驚き、咄嗟に頭を畳に擦り付ける。
「お主が如き者に指図を受ける筋合いはないわ! 我らは武田の数倍の兵力で来ておる! 奇襲など、姑息な手段で勝を取ろうなど思っておらぬわ!」
家康は慌てて信長に取り繕う。
「配下が差し出がましい事を。どうかお許しください」
諫められた信長は、すぐに平時の表情を取り戻し、冷静に告げる。
「設楽原での決戦は変わらぬ。騎馬対策として我らは柵や土塁を講じ、野戦築城で待ち構え、数で圧倒する事と致す」
忠次は頭を畳に擦り付けたまま、家康も冷や汗を浮かべながら、頷いた。
「では、各々戦の準備に戻れ! 明朝には出立致す」
張り詰めた緊張感が諸将を包んだまま、軍議は締められた。
気を落とし、座を後にした忠次は、嘆息しながら自らの屋敷に戻った。すると家康からの使者が訪れ言上する。
「今一度評定の間へお越しください。信長様もお待ちでございます」
忠次は驚き、冷や汗をかきながら急いで広間へ戻った。
(先ほどの失言の咎めでもあるのか……)
恐々として戻った忠次は、人の捌けた大広間に鎮座する信長の元を訪れると、平伏する。
「先ほどは悪かったな」
思いの外上機嫌に出迎えた信長に、忠次は安堵した。横には家康も機嫌よく座している。
「お主の奇襲作戦は理にかなっておる。是非とも採用したいと思いしが、敵に内通する者が居らぬとも言えぬ状況なれば、あの様に突き返したのじゃ。許してくれ」
「滅相もございませぬ」
忠次は素早く頭を下げた。
軍議は織田・徳川の諸将の多くが参加していたが、武田の調略の手がどこまで伸びているかは測りきれない。また城のどこに間者が潜んでいるかも分からない状況である。奇襲作戦は隠密が基本である。事前に察知されれば、壊滅の憂き目にあう可能性が高い為、信長は味方をも欺くよう演じたのであった。
「お主には三〇〇〇人の兵を預ける故、鳶ケ巣砦への攻撃を任せたいと思う。目付としてわが軍の金森長近ら五〇〇挺の鉄砲隊を共に向かわせよう」
「畏まってございます。誠恐悦至極でございます」
忠次は再び深々と叩頭した。
その後奇襲の段取りを三者で行い、作戦の成功を祈り信長は退席した。
残された家康と忠次は、同時に嘆息する。
「これで出来る限りの準備が出来ましたな」
忠次が呟くと、家康は小さく頷く。
「信長殿の思惑は分かっているが、何としても勝頼を設楽原へおびき寄せ、決戦に臨まねばならぬ……」
二人は目を見合い、頷きあった。
信長の作戦は、あくまで勝頼が設楽原での決戦に応じた場合のみで構成されている。
すなわち、もしも武田軍が戦わずに退却すれば、これを深追いするつもりはないという事であった。
信長には、武田との決戦を急ぐ理由が無い。畿内の安定に心血注ぐ時期であり、強敵本願寺が居座る状況から、東国の事は二の次であった。援軍派遣により、家康への義理が立てば、同盟者としての面目も保てるのである。
しかし家康側の意図は全く異なる。
この場を凌げても、織田軍撤退後に再び攻撃されれば、当然独断では対抗できない。そうなれば信長の支援を乞う事になるが、そう何度も自ら援軍に来てくれるとは限らない。
信長が自ら大軍を率いて来たこの時期を確実に生かし、武田軍に痛打を与えねば、今後の三河での支配権は存続できないと焦っていた。
家康は忠次ら腹心らと談義を重ね、勝頼を決戦に向かわせる術をあれこれと検討していた。
その中で、鳶ケ巣砦の奇襲は避けて通れぬ作戦である。
敵の補給路を断つ事で、退路をも塞ぐことが出来る為、これが成功すれば勝頼は焦りを感じ、決戦に誘導し易くなる。
背後を突くことで敵を戦場に誘導するという作戦は、奇しくも亡き武田信玄が、上杉謙信との川中島の決戦で用いた作戦である。
評定で信長が激怒したのは、間者や内通者の懸念という事も、もちろんあったが、何としても野戦に持ち込もうという徳川方の内心を感じ取り、苛立ったという事もあった。
評定後、家康は信長に非礼を詫びつつも、作戦の利点について今一度申し合わせ、信長も納得したのであった。
「さて、勝頼めはどうでるか……」
家康は空を見つめながら一人呟く。
彼は信長の命により、「織田は武田を恐れ、野戦では勝ち目が無いと、必死に平地に柵を作っている」との噂をしきりに流していた。
また、重臣である石川数正や本多重次、嫡男の信康など、徳川家の中枢を担う重臣から内応するという偽りの書状を多数送り付けるなど、敵の油断を誘う計略を数多行っている。
武田軍には、織田徳川などには負けはしないという、絶対的な自信がある。先の三方ヶ原での快勝が諸将の脳裏に沁みついている為、徳川譜代の重臣が、武田側に内通すると言っても、左程の驚きもない。
勝頼は放った間者から続々と届く情報を聞き、さらに意気込んでいた。
「いくら数を揃えたところで、所詮は足並みの揃わぬ烏合の衆。平地の決戦で我らが負ける訳がない」
家康も、間者の情報から武田側の状況をある程度把握している。
武田家内では、山県昌景ら信玄子飼いの勇将と、穴山信君ら親族衆、そして長坂釣閑斎ら勝頼側近衆との間で内在的な利権争いが起こっている。
親族衆は四男の勝頼を認めておらず、子飼いの武断派武将らは、思慮の浅い若将を公明正大な武将へ育てようと、何かと諫言する。そして側近衆はその彼らを批判し、自身の立場を高めようとするのである。
勝頼は軋轢が日々増していく家内の状況に苦慮し、何とか彼らを黙らせ、当主としての威厳を高めようと、戦果を焦っていた。
特に最近は側近衆を重宝し、何かと意見してくる山県らの武断派衆を遠ざけている。
(信玄めにしてやられた事を、息子へお返ししてやろうぞ……)
家康の脳裏には、悪鬼の様な武田軍に完膚なきまでにやられ、命からがら逃げ延びた苦い過去が蘇り、拳を握りしめる。
戦国の世で台頭する者は、敵を自軍に有利な戦場へと誘い込む様な、謀略を得意とする。
桶狭間の戦いの他、中国地方の雄毛利元就の厳島の戦い、関東の雄北条氏康の河越城の戦いなど、峻厳な情報戦を制してきた結果であった。
勝頼の驕りと焦燥を利用し、自尊心を刺激したうえ、奇襲戦により戦局を混乱させれば、勝頼は諸将の反対を押し切り、勇んで戦地へ向かって来る可能性は十分にあった。
三方ヶ原では、慎重な家康でさえ、面子を重んじ出撃していったのである。
「明日はまたしても、儂の運命の分かれ道になりそうじゃ……」
目をつむり、天を仰いだ家康は、幾度目かの窮地を切り抜けるべく、希望と絶望という複雑な心持を噛みしめていた。
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