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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第九章 長篠の戦い
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【 一 】 四郎勝頼


息を切らせた使者が信長の前で膝をつき、肩を大きく上下させながら、早口に言上した。

「武田軍が数万とも知れぬ大軍を率い、三河へ侵攻を開始したとの事にございます」


「いよいよ動きおったか!」

信長は思わず床几から立ち上がった。


彼は今、凡そ一〇〇,〇〇〇にも及ぶ大兵団を編成し、石山本願寺と対峙していた。


織田軍は、長島一向一揆殲滅後力を弱めた石山本願寺に圧力を掛ける為、河内国で彼らと共同し、敵対してきた三好党の諸城を落とすべく、攻勢にでた。

圧倒的物量戦で瞬く間に新堀城を攻め落とすと、城主の香西越後守を処刑し、現三好家の中心人物となっていた三好笑岩(康長)を高屋城に追い込み、康長は城兵の助命を条件に降伏開城したのであった。

河内国の三好党を排除した信長は、いよいよ総本山石山本願寺への圧力を強めていこうという矢先であった。

「これはもたもたしておられぬ! すぐに本城へ戻ると致す!」

信長はすぐに岐阜へ凱旋すると、対武田家への対策を練る事とした。


武田家の活発な動きは、元々間者からの報告で把握していた。

信長は武田との決戦も近いと思い、後背の憂いを少しでも絶つため、畿内の安定化を急いだのである。


信玄亡き後、跡を継いだのは武田勝頼であった。

勝頼は四男で、諏訪御料人という側室との子であったが、信玄在世時に起こった内乱により異母長兄の義信が切腹しており、次兄の竜法は盲目で、三兄の信之は夭逝していた事から、彼が後継ぎとなっていた。

勝頼は出自の負い目もあってか、天正二年(一五七四年)ころから積極的に外征策を打ち出し、織田領である東美濃国の明知城・苗木城・串原城・遠山十八城・飯羽間城を続々と落とすと、徳川領の遠江国の高天神城をも瞬く間に落としていた。

信玄亡き後も、最強の武田軍は健在であると内外に知らしめた勝頼は、周辺諸国への勢威を強め、他国との国境付近で動揺していた国人衆は相次いで武田側についていた。


「いよいよこの時が参ったか……」

岐阜城に到着した信長は、大きく嘆息した。

扶桑最強と謳われる武田軍との衝突は、いずれは避けられないと思案していた。

しかし、できる事であれば正面衝突は避けたいと言うのが本音である。

畿内の平定に手を焼く現状の今、強豪犇ひしめく東国に手を回すのは時期尚早であった。

信玄の急死により、一時的にこの危機を免れていたが、ここにきて避けられぬ事態が近づいている事を諦観する。

「なんとか策を練らねばならぬが、いかがいたすか……」

信長は武田騎馬軍と正面から激突しては、大損害は免れ無い事を悟っている。

「少なくとも、敵の二倍から三倍の兵力は必要であろう」

敵を凌駕する物量戦で制圧する事しかないと思いつつも、それにより受ける損害は計り知れない。敵は武田家の精鋭部隊である。今まで戦ってきた一揆勢とは比べ物にならない組織的な戦術を以て向かって来る。一般に、平場で足軽隊が騎馬部隊を迎え打つには、二倍の兵量が必要とされていた。

何とか策を練り、自軍に出来るだけ有利な条件で戦うことが必須である。


信長はこの戦に際し、領国内の出来る限りの鉄砲衆を用いるつもりである。

一挺一〇石(現在の約六〇万円程)と高価な鉄砲であるが、信長は家督相続直後から、多くを配備する様務めていた。遡る事天文二十一年四月、信長一八歳の時、亡き養父・斎藤道三と会見した際、すでに弓鉄砲衆五〇〇を率いており、現在では、各国の総保有数を合わせれば、数千挺は下らないであろう。


鉄砲の技術は飛躍的に進歩しており、伝来当初は鳥嚇し程度とみなされていたが、今では多くの大名衆が実践投入している。

有効射程距離は凡そ三〇間(約五十五メートル)であり、練達者では五〇間でも的に命中させることが出来るという。また、早合など新たな装填技術も進化し、凡そ三十秒間ほどの間隔で連射も可能である。また信長は、紀伊国の傭兵集団である根来衆を多数呼び寄せていた。彼らや雑賀衆などの紀伊国に盤踞する傭兵集団は、複数人で交互に連射する二段撃ち・三段撃ちなどの連射技術を用いる。

畿内での抗争が泥沼化し、雑賀衆が本願寺と手を組み敵対すると、彼らの激しい鉄砲の猛射の前に、織田軍は為す術も無かったのである。

信長は彼らの射撃技術の高さに驚かされると共に、自軍にもその技術を取り入れようと、財力を存分に生かし、収集と訓練を急いだ。


しかし、いくら鉄砲を集めても、敵を殲滅する事は不可能に近い。甲冑武者を乗せた騎馬隊の速度は、単騎掛けで凡そ時速二〇キロメートルから二十五キロメートルであると言われるが、これは一秒に五メートル程進む速度である。

一発目の発射後、二発目の射撃までに敵は一五〇メートル程進む訳であるから、有効射程距離を鑑みて、敵軍に損害を与えられるのは、熟練の達者でも二発が限界である。

交互に射撃を繰り返しても、突進してくる敵に放てる矢玉は限られていた。


信長は眉間にしわを寄せ、大きく頭を振る。

(いや、それでよいのだ……!)


鉄砲掃射による目的は敵の混乱である。

想像以上の火力による鉄砲射撃を受ければ、武者のみならず、軍馬も激しく慌てるであろう。戦端で敵の出鼻を挫けば、思わぬ戦果が得られる可能性もあった。

また、通常では討ち取ることの難しい指示系統の侍大将達を上手く狙撃する事ができれば、敵はまとまった動きが取れなくなる。

混乱し、勢いを削がれた敵に対し、数倍の兵力を以て物量で圧倒するのである。


しかし、前提はあくまで平地での総力戦に持ち込めた場合である。

敵が鉄砲隊の待ち構える場所へ易々と誘導される訳がない。

武田家には信玄子飼いの老獪な智将が数多くいる。信長の考えうる戦法は、概ね相手も理解していると考えていいであろう。

目まぐるしく変化を遂げる戦局に対し、どれだけ持ち札を用意するかで、勝敗は決まるのである。


信長は再び大きく息を吐いた。

「戦は凡そ、始まる前に決着がついている」

屡々彼が口にするこの言葉は、情報戦の重要性を理解しての事であった。


彼は、過去に今川義元を桶狭間にくぎ付けにした様に、勝頼を自身が有利な地へ、導かねばならない。

しかし、信長の思惑通り事が進んだとしても、大兵団による鉄砲掃射は、未だ試みられる事のなかった事案である。二段撃ち三段撃ちなどで、絶え間なく猛射を続けるには、配下衆への訓練が行き届いておらず、鉄砲の轟音は指示系統の声を掻き消し、立ち上がる噴煙により視界は遮られる。

突進してくる騎馬隊相手に、鉄砲掃射が機能するかは、一種の賭けであった。


「信玄では難しかろうが、小倅の勝頼ではいかがであろうか……」

信長は複数の間者の情報から、勝頼の状況もある程度把握している。

彼は側室との間に生まれた四男である。その側室は諏訪御料人と言われ、過去武田家と敵対して滅んだ諏訪頼重の娘である。

仇敵の子という出自に反発する家臣は少なくない。特に穴山信君や武田信豊など、武田親族衆は快く思っておらず、独立志向も高まっているという。

勝頼自身もそれを察しており、亡き信玄の幻影を打ち消そうとするかのように、積極的な外征策に講じているのである。

これまでの成果をみれば、勝頼の思惑は概ね成功していた。特に高天神城の陥落は、信玄でも実現できなかった大成果である。これまで懐疑的であった諸将も、これには口出しできなかった。

勝頼はこれに慢心し、さらに功を重ねようと焦っている。


浮かんでは消えていく様々な思惑に、苦い表情を浮かべる信長の元に、再び使者が訪れる。

徳川家康からの急使であった。


「家康様からのご伝言でございます」


信長は労いの言葉を伝え、神妙に聞き入った。

「武田軍は奥三河が長篠城へ一五,〇〇〇もの大軍で攻め寄せてきております。今奥平が守っておりますが、寡兵ゆえ長くは持ちませぬ。これに対し三河の兵のみで援軍を送ることは厳しくございますなれば、なにとぞ信長様からのご支援をお願い申し上げたく参り申しました」


使者の言葉に、信長は力強く応じた。

「長年同盟者として辛苦を共にして参った! ここで友を見捨てては、武士の恥と申すもの。直ちに総力を以てご支援に向かうなれば、そう家康殿にお伝えされよ!」


使者は満面の喜びを示し畳に頭を打ち付け御礼を言上すると、飛び出すように三河へと帰っていった。


「すぐに陣触れを出せ! 新たなる正念場が参ったぞ!」

信長は抑えられぬ武者震いを起こし、声高に命じた。



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本作をご評価下さいましたら、是非kindleにも足を運んで下されば嬉しいです。

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『勇将の誤算:~浅井長政~』

『武士の理: 戦国忠義列伝』(短編小説集)

『背信の忠義 ~吉川広家~』  など

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