【 十一 】 珍客
京では、多くの貴族たちが行列を為し、信長の元へ集まっていた。
「誠、信長様のご威光は高まるばかりでございましょう。長年我らを苦しめてきた逆賊どもは息を潜めてしまったようじゃ」
「忌々しき売僧共は今だ力を持っておりますが、暫しの後には制圧し、畿内の平安を約束しましょう」
信長は丁寧な所作で、御礼に訪れる公家衆等に応じた。
信長は上洛以来、荒廃著しかった禁中に対し、大補修を加えて往時の姿に復させていた。
しかし、公家衆はその後も窮乏したままに置かれており、その所領も方々に売却されてしまっていたのであった。
朝廷との友好関係を望む信長は、四月村井貞勝・丹羽長秀らに命じて徳政を発し、人手に渡っていた公家衆の本領を、持主に還付する措置をおこなったのである。
三好衆により荒れ果てていた禁中および上京の町並みは、織田軍の入洛より復興を果たし、当初は田舎侍と見下していた公家衆等も、信長に対し軒並み好意的な感情を築いていた。
こういった背景から、長島や比叡山の殲滅という前代未聞の侵略を行っても、京の世論は信長を支持した。信長は単なる暴君ではなく、治世・外交にも細心の配慮を怠らない。
朝廷を敵に回せば世論を敵に回すことになり、信長は今後の戦の大義を得られない。
強大な戦力があっても、一つのきっかけから瞬く間に崩壊する危険は多方に溢れていた。
「街道の首尾はどうなっておる」
禁裏との接遇を終えた信長は、休むことなく屋敷へ戻ると、代官である坂井文介を呼び出した。
「概ね順調にございまする。これまで諸役を憚り閑散としていた町々も、人々の往来が活発となること甚だしく、沿道添沿いには行商人があふれてございます」
「左様か」
信長は上機嫌で相槌を打った。
彼は前年末から、諸国の道路を整備する様分国中に布達しており、諸所の道路は続々と完成していた。
分国中の入江や川には舟橋が設けられ、険路は平らに均されたうえ、石も除けられて大道となる。道幅は三間半と定められ、道の両側には松と柳の木が植えられ、土地の老若が日々掃除をおこなって、路上の水と塵を払うよう定めた。
以前は日中でも野盗が蔓延り、旅人は徒党を組んで町々を行き来しなければならない程治安が悪かったが、今では夜間でも一人旅が出来る程である。
街道沿いの諸所には、宿屋や出店が一定区間に設けられ、長い旅路を踏破する旅人や行商人達は、それらの場所で休息し、配慮の行き届いた治世に皆感謝するのであった。
加え信長は、並行的に関所の諸役を免除したため、これまで路次で人々の通行を妨げていたものは一挙に取り払われることとなったのである。
信長の勢力圏は一層流通が盛んになり、町々は発展していく。
この治世に感謝した民衆は、将軍に代わる新たな支配者として、信長を認めていくのであった。
三月一六日
ここで思わぬ来客が出仕した。
「今川氏真殿がお見えでございます」
信長は多少驚いた表情を浮かべるが、「相分かった」と上機嫌で応え、素早い動作で自ら出迎えに向かった。
「お目見えをお許しいただき、ありがとうございまする……」
現れた氏真は、目を伏せ遠慮がちに信長に言上する。
彼は今川家一一代当主今川義元の嫡子であった。
父義元が信長に討たれた後、二二歳で家督を継ぐことになったが、徳川家の離反を発端に次々起こった領国内の内紛を処理できず、次第に勢力を失っていくと、同盟関係であった武田信玄の侵攻を受け領国を圧迫される。そして遂には、裏切り者であった徳川家康の庇護下に置かれる事となったのである。
信長は、自ら父を攻め殺した仇敵であるはずの自分の元に、氏真が訪れたことを嬉しく思った。
「長旅の中、わざわざ来ていただき、忝く存ずる」
氏真は遠慮した素振りを見せながらも、名家今川家の十二代当主としての威厳は保とうと、礼儀作法に則り機敏に応じる。
「この度は畿内の混乱も収め、天下に並びない勢威を示す信長殿には、一度ご挨拶をせねばと思いまして」
そういい、手土産として持参した百端帆という釣花入を献上する。
「これは忝い。いらぬ気苦労をさせて申し訳なく思うが、ありがたく頂戴致そう」
恐縮して見せる氏真に対し、信長は終始機嫌よく慇懃に接した。
暫しの談話の後、信長は徐に問いた。
「ところで、貴殿は蹴鞠の達者とお聞き申す。是非その腕前を観覧したく存じますが、いかがでございましょう」
氏真は恐縮したように大げさな手ぶりを交え応える。
「大層な手前ではございませんが、私め程度の腕前で宜しければ……」
「これは喜ばしい。後日客人らを揃える故、ゆっくりと滞在していくと宜しいでしょう」
そしてそれから数日後、信長は相国寺に客人を招き、壮大な蹴鞠の会を催した。
招かれたのは、三条殿父子・藤宰相殿父子・飛鳥井殿父子・広橋殿五辻殿・庭田殿・烏丸殿ら名だたる蹴鞠の達者達である。
蹴鞠は、平安時代から続く球技であり、二枚の鹿革を馬革で縫い合わせて作る鞠を一定の高さで蹴り続け、その回数を競う競技である。
元々貴族の間で親しまれていたが、戦国期になると武士の嗜みの一つとして流行していた。
とにかく毬を落とさず蹴り続けることを目的とする競技であることから、日々鍛錬が必要であり、身体だけでなく心の構えも重要であると言われる。
氏真は、天下に著名な達者達にも劣らず、見事な技芸を披露し、会場は大いに賑わった。
「この度はお招きありがたき幸せにござい申しました」
氏真は満足した様子で信長にお礼を述べると、京を去っていった。
笑顔で氏真を見送る信長の心境は、なんとも言えないモノであった。
戦国の習いとはいえ、大国の大名であった氏真が、自らを破滅に追い込んだ家康の配下に成り下がり、ましては父を殺した張本人を前に、首を垂れる事は相当な覚悟がいる事である。
信長は、愚将と称され、配下衆から悉く見限られた氏真と接すると、意外にも好意を抱いていた。
「暗愚な将ではあるまい。時勢に翻弄されたということじゃ……」
信長は、武士の誇りや尊厳を保つ為に死を選択する事をせず、意地を捨て、自らの血脈を保つことを選んだ氏真の合理性に理解を示す。
「儂があの時義元に討たれていれば、一族郎党は皆惨めに殺されていたのだ。誰があやつを責める事が出来よう……」
信長には彼のような生き方は出来ないが、弱肉強食の戦国を生きながらえてきた氏真の生き方を否定することはできない。寧ろ自らに、曲者蔓延る配下衆をまとめる力はないと潔く身を引いたと考えれば、哀れさを感じるよりも、共感が生まれる。
(人それぞれに、身に相応の立場がある。力あるものが世を統べ、泰平の世を作れば良いのだ……)
信長は複雑に頭を巡る考えを周囲に悟られぬよう、笑顔で彼の背を見送るのであった。
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