【 九 】 死兵
九月二十九日
包囲から三か月ほどが経った。
兵糧はとうに底を尽き、飢え死にする者が日増しに増えていく。
彼らは当初、城内にいる鳥や虫を、或いは軍馬を殺して食べ、次には地面に生える雑草や木の皮をはぎ取りむさぼり、飢えをしのいだ。しかしそれらも次第に尽きると、餓鬼の様にやせ細り、骨と皮のみとなった彼らは精神の安定を失い、遂には死んだ仲間に群がっていくようになる。城内は餓鬼彷徨う、地獄絵図の有様となっていた。
本願寺より派遣されていた仏僧・下間頼旦は、当初門徒らを鼓舞し徹底抗戦を主張していた。しかし、徐々に兵糧がなくなり、城内から餓死者が続出する状況となると、弱気になる。
「このまますべての者が飢え死にするまで、包囲を続ける気か……」
頼旦は、織田軍の包囲網は長期間できないと踏んでいた。
朝倉浅井が滅んだ後も、畿内の反乱分子は各地に燻っており、大阪には本願寺が変わらぬ勢威を保っている。越前では、信長が守護代に任命した桂田長俊が、一向宗の攻撃を受け、討ち死にしており、東は武田家の活動も活発化していた。このような状況の中、三好や六角の残党ら各地の勢力がまた隆起すれば、信長は以前のように撤退を余儀なくされ、そうなれば、また追撃して痛打を与えるつもりでいた。
しかし、幾度の危機を乗り越えてきた信長は、この戦で長島を徹底的にせん滅する腹積もりである。各地が不穏な状況下の中であっても、ここ長島を支配下に置くまでは攻撃を止めるつもりはない。
「増長しきった売僧共を、これ以上野放しにしておけるか……!」
信長は、ギリリと歯を食いしばる。
大阪、越前、長島と強大な門徒勢力を誇る本願寺勢を各個撃破せねば、信長による政権はこのまま維持できない。信長を仏敵とみなした彼らは、まるで根を断ち切らねば永遠に伸び続ける雑草の様に、その抵抗を止めることはないであろう。
そのような手強い相手ではあるが、これまで信長が滅亡せず、繰り返し危機を脱却出来ているのは、理由があった。
彼ら一向宗門徒勢は、戦では命を惜しまず白刃に飛び込んでくる恐るべき相手であるが、元来統率された兵士ではなく、農民で構成されている為、組織的な連携は取れていない。本願寺顕如の号令のもと各地で一揆を起こすも、侍の様に領土を拡張し治世を行う指導者がいない為、織田政権を転覆に至らしめるほどの行動力はなかった。
顕如も自身らの既得権益を固辞する為、門徒らを動かしているのであって、自らが日本国の支配者になろうという、野心は持ち合わせていない。
信長に手痛い思いをさせ、政治不介入という自身らの権利を保持したいのである。
本来であれば、長島という一大勢力が危機となれば、大阪、越前の勢力が織田領に攻め入り牽制すべきであるが、各地の農民らは自らの家畑が手に入れば、わざわざ敵地に侵攻する理由もない。土地を守るという防御を、侵攻という攻撃に切り替える程の統率力ある指導者がいないのである。
信長は機動性の乏しい彼らの弱点を見透かし、浅井朝倉などといった武家による扇動が出来ない今、各個撃破する事は不可能では無いと判断したのであった。
「もうこれ以上の抵抗は出来ぬ……」
自らもやせ細った下間頼旦は、遂に降伏を決断した。
― 城は明け渡す故、籠城する者たちの助命をお願いしたい ―
使者の言上を聞いた信長は冷淡に返答した。
「あい分かった。皆命は助ける故、早々に立ち去るがよい。渡河には小舟を幾らか用意しよう」
「ありがたき幸せ……!」
あばらの浮き出た餓鬼の様な使者は、信長の返答を聞くと満面の笑みを浮かべ、小躍りするように砦へ帰っていった。
「宜しいので……」
佐久間信盛は不安そうに聞くが、信長は表情を変えず不動のままであった。
―――
砦の門が開け放たれ、精力を失った数千の門徒達が、手を取り合い、覚束ない足取りで続々と姿を現した。老人の手を取り、稚児を抱いた者もいる。
整然と構える織田軍は、用意した小舟に列をなして乗り込んでいく彼らを、不気味に見つめている。
城内の者が概ね退城したのち、列の最期に袈裟を纏った仏僧とおぼしき一群が現れた。各々やせ細り、疲労して浅黒く染まる顔は、見るに堪えない有様であるが、反面着込む煌びやかな衣装は、煌々と存在感を放っている。
これまで徹底抗戦を唱えていたであろう彼らも、流石に精気を奪われ、ふらふらと力なく歩いていた。
信長は彼らが見える場所まで姿を現すと、冷たい視線をぶつける。
(忌々しき売僧共が。 神仏の教えに反し、俗欲に塗れた事を、地獄の閻魔に裁かれるがよい……)
数千の門徒達すべてが砦から退出すると、速やかに織田軍が侵入し占拠する。
門徒達たちは列をなし、小舟に乗り込もうと河川敷に密集していた。
「構えよ!」
徐に、合図が送られた。
同時に彼らを取り囲んでいた数多の鉄砲衆が火縄を点じ、銃口を向ける。
門徒らが驚愕して何事か叫ぼうとした矢先であった。
「放て!」
物頭の号令が響くと、大地を震わせる轟音が長島一帯に鳴り響いた。
同時に、煌びやかな袈裟を纏った僧侶らが、吹き飛ぶように続々と血に染まり倒れこむ。
「なんと! 謀りおったな! この卑怯者どもめ……!」
下間頼旦は激高して歯をむき出し、織田軍目掛け罵りの声を上げたが、忽ち頭を撃ち抜かれ絶命した。
容赦のない射撃が絶え間なく続き、仏僧たちは瞬く間に、悉く射殺された。
さらに、織田軍の攻撃は指揮官らに留まらない。
耳を劈く轟音は、末端の河川敷で列をなす門徒達にまで及び、老若男女問わず、すべてに注がれた。
耳を塞ぎたくなる数多の悲鳴が一体に響き渡り、河に飛び込み逃げ出す者も、次々に頭を撃ち抜かれていく。河川は凄まじい雷鳴の如き猛射の中、瞬く間に血に染まっていった。
泣き叫び地面に頭を付け助命を叫ぶ者にも、子を、親を庇う者にも容赦なく矢玉が降り注ぎ、留まる気配もない。
いよいよ絶望した門徒の一部は、怒りの雄叫びを上げた。
「おのれ! 許さぬぞ! こうなれば道連れじゃー!」
彼らは、着物の中に隠し持っていた武器を抜き放つ。
容赦のない鉄砲の猛射が続く中、裸一貫で抜刀した門徒達は、正面の織田軍目掛け、数百人が一団となって突撃してきたのである。
「反撃してくるぞ! 焦らず狙い打て!」
織田軍の物頭は冷静に指示を送り、雨の様な猛射を注ぐが、悪鬼と化した彼らはモノともせず、横の仲間が倒れようと見向きもせず、凄まじい速さで突進してくる。
「どうなっておる! 敵は殲滅できておるのか!」
数多の鉄砲の乱射により、周囲は煙に包まれ、視界が遮られていた。
数町離れ、遊軍として控えていた織田信次ら譜代衆が率いる一隊は、攻撃には参加せず包囲の一部を担っていたが、寡兵であった。
「あそこの部隊は少ないぞ! 一人でも多く道ずれにしてやれ!」
正面の鉄砲隊へ向けて突進していた彼らだが、重囲が手薄いこの一隊を見つけると、突如雪崩を打つ様に右へと方向展開し、そこへ目掛けて一点集中の突撃を行う。
織田信次の軍は驚愕した。
「どこから湧いて出てきた! 慌てず応戦せよ!」
立ちこめる硝煙の中から突如として抜刀して現れた、餓鬼の如き群勢の急襲を受けた織田軍は忽ち大混乱した。
信長の叔父信次は兵をまとめようと指示を送るが、百人程の小隊であり、蟻のように群がり現れた敵に忽ち取り囲まれ、四方から白刃に貫かれる。
信直、信広ら織田家の親族衆も果敢に立ち向かうが、死兵と化した門徒勢の勢いは止まらず次々に突き殺されていく。
「何をしておる! 包み込んで皆殺しにせよ!」
信長は予期せぬ敵の逆襲に驚き、床几から立ち上がると、大声で指示を送る。
慌てた包囲軍は、急ぎ敵を包もうと隊を組むが、敵は瞬く間に信次らの小隊を蹴散らすと、重囲を突き破り、一部の門徒勢は後方の山間部へと逃走して行った。
「何たる失態じゃ……」
信長は、数千の門徒宗と下間頼旦ら指揮官を殺害したが、信次、信広らが討ち死にし、およそ八〇〇人もの死傷者を出す大打撃を受ける事となった。
まさかの損害を受けた信長は怒りに顔を歪め、ワナワナと震えるばかりであった。
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