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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第八章『天下』 
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【 七 】 蘭奢待


一五七四年(天正二年)三月

「信長様が、蘭奢待の切り取りを所望しております」


東大寺に激震が走った。


「何を馬鹿な事を! そのような事が許される訳がなかろう!」


僧衆は青天の霹靂の事態に、各々が驚愕し、狼狽える様に騒ぎ、拒絶する者が多数である。

(傲慢な田舎侍が、天下の名香を所望するとは、何様のつもりか……!)


順調に畿内の支配体制を築く信長は、ここでより一層の権威を示そうと思い立つ。

「天下に比類なき軍力を得たものの、未だ儂の足元を掬おうと邪魔立てする輩は後を絶たぬ。国宝と名高き蘭奢待を得る事で、儂の威光を全国へ示せば、また民衆の反応も変わろう」


蘭奢待とは、東大寺正倉院に収蔵されている香木であり、天下第一の名香と謳われる。

時の権力者達は、この香木を切り取る事を権威の象徴とし、幾人もの人物がこれを所望した。しかし、記録に残る限りこれが許されたのは、足利義満・足利義教・足利義政ら将軍家内でも、ごく僅かの人物のみである。


門外不出の国宝とも言うべき逸品を、公家や将軍家でもない一大名に切り取らせるなど言語道断である。

東大寺の僧侶らは強く反発するが、信長の意向を伝えに来たのは、日野輝資・飛鳥井大納言ら内裏からの勅使である。即ち天皇からの綸旨であった。


東大寺は、勅使に対し、苦々しい表情で言う。

「……誠難しき問題にございます。古来より、足利家以外に正倉院宝庫の開封例がございませぬ、天下の逸品を、そう易々と表に出す訳にはいかぬかと……」

「それは承知してございますが、これは内裏よりの綸旨にございます故……」

勅使の二人は静かに応えた。


(……信長は内裏にまで指図出来る立場か……)


僧衆は額に汗を浮かべ沈黙した。


信長は政策として、朝廷の保護を率先して行ってきた。彼が上洛を果たした後より、御料所の回復をはじめとする朝廷の財政再建を実行し、その存立基盤の維持に務めていたのである。


長らく続く戦乱の中、戦国期の朝廷の財政は逼迫しており、その権威も失墜していた。弘治三年(一五五七年)に即位した正親町天皇は、即位後約二年もの間、即位の礼を挙げられなかった程である。

信長が上洛を敢行した大義名分は、失墜した朝廷の権威復興と、正親町天皇を保護するという目的であった。

以後、逼迫していた朝廷の財政を、様々な政策や援助により回復させる。そして一方で、天皇の権威を用い、敵対勢力に対する度重なる講和の勅命を実現させた。

比叡山に籠った浅井朝倉との戦いや、足利義昭との戦いでは、正親町天皇の勅使により講和が成立している。


両者はある種、持ちつ持たれつの関係で共存していた。


強敵朝倉・浅井を滅ぼし、将軍を追放した信長は、ここにきて自身が天下の主導者であると、その権威を周囲に示す時期が来ていると判断したのである。


「民心が新たな支配者として儂を受け入れる様、派手な施策を実施しようではないか」


畿内の混乱も徐々に収束させつつも、本願寺や地方の大名など敵対勢力は数多存在し、足元の民衆達でさえ、未だ信長を新興の田舎侍と見ている者も多い。信長は、蘭奢待の切り取りという、限られた人物にしか許されない日本国中が羨む権威の象徴を得る事で、時の権力者として、全国へ勢威を広めようとの根端である。


僧衆は相談を重ね、絞り出すような声でこれに応じた。


「先例に習い、厳かに取り仕切り頂きます様、何卒ご配慮下さい……」


天皇の勅使を得たうえ、比類ない権勢を誇る信長に逆らえない事情もあったが、寺内では、内裏の権威復興に尽力する信長を評価する声もあった。



三月二十八日

信長は、滞在中の京都から凡そ三,〇〇〇の軍勢を連れ奈良へと下った。

奈良の民衆は、信長が軍隊を率いて現れると、俄かに動揺し、緊張する。

「このような軍勢を率いるとは、信長は奈良を占拠するつもりか……」

住民たちの不安とは裏腹に、軍律の行き届いた織田軍は、町民を困らせる様な悪事は行わず、極めて統制が取れていた。


信長はそのまま多聞山城へと入城し、勅使の到着を待つ。

当初、蘭奢待の眠る正倉院にて切り取りの儀式を行うと思っていた僧侶らであったが、信長は彼らに配慮する。

「正倉院への立ち入りなど恐れ多い事。大僧正の立ち合いのもと、多聞山城にて拝見させて頂きましょう」

独裁者として聞こえる信長の意外な配慮に、東大寺は多少驚きつつ、正倉院中倉から黄熟香が城に運ばれた。そして東大寺僧三人の立会のもと、切り取りの儀式が厳かに開催される。


大仏師トンシキが持参した鋸で一寸角二個を切り取る。

そしてその蘭奢待を手に取った信長は、厳かに言う。


「一つは正親町天皇に献上し、もう一つは我等が拝領」


天皇への配慮を怠らず、そう言上すると、作法に従い厳粛に儀礼を取り行った。

その手際の良い作法を見た僧侶らは、内心大いに感心した。


(身をわきまえぬ田舎侍と思いしが、只者ではあらぬという事か……)


統制と規律の行き届いた軍兵と、儀礼作法に通じた身の振舞いに、奈良の町衆も驚きを隠せなかった。

朝廷や東大寺の権威に関わる大問題であると危惧していた一部の公家や僧衆も、配慮の行き届いた信長の行動を、概ね好意的に捉えるのであった。


こうして信長は、権威の象徴ともいえる宝物を手にし、その評判は瞬く間に全国へと広まっていったのである。



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本作をご評価下さいましたら、是非kindleにも足を運んで下されば嬉しいです。

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『勇将の誤算:~浅井長政~』

『武士の理: 戦国忠義列伝』(短編小説集)

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