【 六 】 薄濃
天正二年(一五七四年)元日
岐阜城下は例年にない賑わいを見せていた。
「誠、上様のご威光は勢いを増すばかり。天下泰平の世を築くのは、上様の他おられませぬ」
京都の他、近江、摂津など近国から多くの武将が年賀の礼に訪れ、城内では盛大な酒宴が行われていた。
「憎き浅井・朝倉を撃退し、飛ぶ鳥を落とす勢いとは正に上様の事。本願寺の連中も、もはや怯えて年賀を迎えておる事でしょう」
忙しなく訪れる諸将らは、口々に信長に祝辞を述べていく。
信長はそれらに対し、終始上機嫌で応対し、普段口にしない酒を嗜んだ。
諸将の言う通り、信長の権勢は隆盛を極めていた。
伊勢長島での手痛い敗戦をモノともせず、昨年十一月には、河内国で反抗を続けていた三好義継を討伐した。
三好義継は、永禄十一年に信長が足利義昭を奉じて上洛して来た際、松永久秀と共に織田傘下に加わり、本圀寺の変、野田城福島城の戦いなどに参加した。
しかし、元亀二年頃から義昭暗躍による信長包囲網が築かれると、これに加わり、以後松永久秀と共に信長に敵対してきた。
信玄西上に活力を得た反織田戦線の有力武将であったが、突如の信玄死去により包囲網は瓦解。将軍義昭が追放されるに至るが、義継は引き下がれず、密かにこれを匿った。
これを知った信長は激怒する。
「性懲りもなく、無能な将軍を匿おうとは! 三好の童如きが、いつまでも儂に盾突くとは愚かな! 新たな天下の指導者は誰だか分からせねばならぬぞ!」
信長の怒りを聞いた三好家の多羅尾右近・池田丹後守・野間佐吉ら家老衆は恐怖した。
「もはや、誰にも止められぬ程膨張した信長にこれ以上逆らうとは、殿も何をお考えじゃ……。将軍の権威など最早無きに等しい……。信長は敵対者に容赦せぬぞ……」
彼等は示し合わせ、あくまで織田家に抵抗する主君を見限り、内通したのである。
多羅尾らは、早速織田軍に投降の意思を示し、城内に佐久間信盛勢を引き入れると、佐久間軍は忽ち天守下まで攻め寄せた。
「おのれ! 内部の裏切りか……!」
突然の襲撃に対し、城内の味方は瞬く間に四散してしまい、義継に抗う術も無かった。
本丸を囲う織田の大軍を眼下に、彼は冷静に呟く。
「憂世もこれまで……」
事に際し、戦国武将・三好義継は潔かった。
前途の望みを絶ち、女房衆と子息を自らの手で殺害すると、僅かに残った手勢をまとめ、郭外へ討って出たのである。
「それ! 一人でも多く道連れにしてやれ!」
押し寄せる織田勢の中、味方を手足の様に動かし、攻めては退き、自ら槍を扱いて荒れ狂う。凄まじい気迫に圧倒された佐久間軍は、数多の兵が負傷する損害を受けた。
「これは手強い! 敵は窮鼠の状態じゃ、迂闊に飛び込むな!」
大軍相手に一矢報いた義継は、悠々と城内へ後退すると、今生の別れを惜しむ事無く、手際よく十文字に腹を斬った。
享年二十五。
ここに、戦国大名三好家の嫡流は断絶する。
その潔く、見事な戦振りは、織田の諸将からも賞賛された。
―――
信長への目通りを待つ行列の中に、一際威圧感を放つ老将がいた。
松永久秀であった。
彼は三好義継と共に信長包囲網に参画し敵対していたが、義継が討伐されると、居城多聞山城を明け渡し投降した。
信長はこれを許し、久秀は助命の御礼に岐阜を訪れたのである。
御前に現れた久秀に、信長は冷たい視線を送り、吐き捨てる様に言う。
「儂に盾突きお主の行いは許される事ではないが、老い先短き老将へ、手厳しい仕置きを行っては儂の威厳も失墜しよう」
信長は無機質な声色で恫喝する様に言う。
久秀は全く動じることなく、淡々と応答する。
「誠、上様のご慈悲は、海よりも深く、天よりも高きモノと存じ申します。これより二心なく、心骨を注ぎ上様にご奉仕する所存にございます……」
深々と叩頭するが、戦場往来を重ねた古豪の鋭い眼差しは、正に獣のそれであった。
信長も悪鬼の様な鋭い眼差しで久秀を見返すが、暫しの沈黙ののち、フッと鼻で笑う様に息を吐く。
「お主の肝の据わりようは天下に比類なきモノよ。 到底信用などしておらぬが、ここで儂と刺し違えよと暴れられても困るからのう!」
そう言い、がははと笑い声を挙げた。
周囲の諸将もドッと湧いたが、久秀は無表情のまま、再び頭を垂れた。
織田の各将は久秀の助命を怪訝に思っている。
数年に渡り織田政権転覆の窮地に至ったのは、義継と久秀の離反の影響は殊の外大きい。
しかし信長は、畿内での影響力の大きな久秀を、手討ちにするには時期尚早であると判断した。不穏な畿内の世情安定の為に、久秀の器量は、まだ活用見込みがあると踏んだのである。
事実、宣教師ルイスフロイスは、久秀の手腕をこう称している。
「天下の最高の支配権を我が手に奪ってほしいままに天下を支配し、五畿内では彼が命令したこと以外に何事も行なわれないので、高貴な貴人たちが多数彼に仕えていた」
「久秀は、偉大なまた稀有な天稟をもち、博識と辣腕をもち、腕利きであるが、狡猾である」
一時天下を席巻した三好長慶を傀儡とし、畿内を切り回した久秀の貪欲な性質を、信長は内心気に入っていた。
―――
夜間になり、ようやく祝賀に訪れる客人も去った頃、信長は馬廻り衆及び、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉など、直参の家臣衆を集め、内宴を改めて取り行った。
「今宵はお主らに特別な肴を用意したぞ」
いつになく酔いを見せる信長は、顔を赤らめ、上機嫌で集まった諸将へ言う。
そして手で合図を送ると、白木の台に載せられた三つの器が、小姓の手により運ばれてくる。それは金箔で施され、煌びやかな光を放つ、球状の土器の様なものであった。
「なんと美しい!」
諸将は一同に感嘆の声を上げる。
「誠に珍奇な肴! いささか変わった形をしておりますが、一体何で出来ているのでしょうか!」
諸将はがやがやと私語を交わし、口々に賞賛言葉を並べる。
その反応を満足げに見ていた信長は、声高に言う。
「これは憎き朝倉義景と浅井親子の頭蓋だわ! 長年我らを苦しめて来たこやつ等であるが、ここは敬意を示し、戦勝を祝う肴と致そうと思い、用意致した次第だわ!」
信長はわははと声を上げ笑った。
場内は極めて一瞬であるが、沈黙に包まれた。
しかし束の間、諸将はハッと我に返る様に、一斉に笑い声をあげる。
「誠素晴らしい! いつも殿は我らの先を行きますな!」
彼等は取り繕う様に感嘆の声を上げ、信長の趣向を褒め称える。
「そうであろう!」
信長は一層上機嫌になり、盛り上がった宴会は深夜まで続き、皆謡や遊興に耽った。
敵将の首級に薄濃(はくだみ、漆塗りに金粉を施すこと)をする事は、世界各国で凡例が見られ、古来中国では敵将に敬意を払う儀式の一環として行われたというが、戦国期においても、日本国内では一般的ではなかった。
信長は諸将を驚かせようと、中国の慣例を取り入れ、趣向を凝らしたもてなしを行ったのである。
諸将はそれに対し、一同に感嘆と賞賛の言葉を口にするが、内心不気味な思いを抱く者も少なくなかった。
(……これをお市様が知ったら、さぞお悲しみになるであろう……。殿は少しばかり疲れているのではないか……)
羽柴秀吉は、おどけて場をにぎわせるが、その表情とは裏腹に、複雑な心境で信長の顔色を窺っていた。
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