【 一 】 因縁
「弱将の下には弱卒しかおらぬ! 我らの力を見せつけてやれ!」
激しい雷鳴が上空に鳴り響き、滝の様な豪雨が小谷の山間に降り注いでいた。
信長は自ら馬を操り、抜刀しながら先陣で叫ぶと、目の前の雑兵を斬り捨てる。
「織田が大軍で総攻撃を仕掛けて参った! ここにいては殺されるばかりじゃ!」
突然の事態に狼狽え、叫び、膝を付き助命を嘆願する敵足軽達を、織田の奇襲隊は容赦なく槍で突き殺していく。
「逃げる者は放っておけ! まずは砦を乗っ取るのだ!」
鍛え上げられた信長の怒声は、豪雨の中でも味方諸将に響き渡る。
敵は数知れぬ敵に怯え、多くの者が逃げ出し、逃げ遅れた士卒も悉く絡め取られた。
「……どうか! どうかお命だけは……!」
捕縛された敵兵は、御前に突き出され、必死に命乞いする。
豪雨に打たれ、ずぶ濡れの信長は、鋭い眼つきで凄む様に答えた。
「誠情けなき者共よ! 望み通り逃がしてやる故、義景には大嶽砦は何の抵抗も出来ぬまま敵に落ちたと伝えるがよい!」
眩い稲光と共に、落雷の轟音が辺りに響き渡る。
雷光に照らされ、一瞬浮かび上がった信長の表情は、不動明王さながらの恐ろしいものであった。
逃がされた城兵達は、弾ける様に砦を飛び出し、義景本陣へと走り去っていった。
「……逃がして宜しいのですか」
近習は不安げに問うと、信長は不敵な笑みを浮かべ、ぼそりと答えた。
「大獄砦が落ちれば、臆病者の義景は浅井を見捨て逃げ出すであろうよ」
――
天正元年(一五七三年)八月
将軍を追放した信長は、これまでの劣勢を一挙に挽回するように、果敢な行動に移った。
まずは義昭の挙兵に呼応した三好三人衆討伐の軍を挙げると、淀古城に立て籠もっていた岩成友通を攻める。
友通は、戦場往来を重ねた古豪らしい働きを見せ、大軍相手に奮戦するも、織田方に内通していた大炊頭義元、諏訪飛騨守らの裏切りに遭い敵中に孤立し、細川藤孝の家臣・下津権内に討ち取られた。畿内に進出していた三好衆は、友通の討ち死により崩壊し、雪崩を打つ様に、四国へと逃げ去った。
畿内に蔓延る三好党を駆逐し、将軍追放による畿内の混乱を収束させた信長の元に、待ちに待った吉報が舞い込む。
「山本山城の阿閉貞征が城を明け渡したいと申して参りました」
「ついに事の時が参ったぞ!」
使者の言上を聞いた信長は、興奮を抑えられぬ様子で、即座に陣触れを発した。
貞征は、小谷城防衛の一翼を担う山本山城主である。浅井軍の主力一,〇〇〇騎を率い、重要拠点を任された重臣であったが、浅井に未来は無いと、遂に見限ったのである。
朝倉軍撤退後、織田方の圧迫と調略は一層強まり、浅井の防衛線は次々に崩壊していた。
八月八日
信長は三〇,〇〇〇人の討伐軍を率い出兵。山本山・月ガ瀬・焼尾等の砦を次々に降すと、小谷城の包囲の環を縮め圧力を掛けた。
「長政はいつもの様に朝倉を呼ぶであろう。 この度こそ、まとめて血祭りに挙げてくれるわ!」
小谷に対する兼ねてからの前線基地である、虎御前山砦に陣取った信長は、眼前に臨む小谷城に向かい、吐き捨てる様に言った。
一方、浅井からの援軍要請を受けた義景もようやく危機感を感じたのか、即座に動く。
「まさか信玄が死のうとは……。 小谷の次は越前じゃ。なんとしても食い止めねば……」
全軍に出陣の要請を行った義景であったが、ここで予想外の事態に直面する。
親族衆筆頭家老である朝倉景鏡が、出陣要請を断ったのである。
景鏡は、義景の眼を凝視しながら、淡々と告げた。
「我らは長年の戦役に疲弊しており、兵を出す余裕もございませぬ」
「何を言う! ここで浅井を助けねば次に攻められるのは我らぞ! 今こそ正念場ではないのか!」
朝倉義景は罵声を上げた。しかし、景鏡は動じない。
「正念場はこれまでにも何度もございましたな。その都度我らは義景様の代わりに戦火に身を投じて来たのです。この度は辞退させて頂きたい」
そういうと徐に立ち上がった。
「待て! 話は終わっとらんぞ!」
義景は慌てて引き留めるが、景鏡は意に介さず去っていった。
「……おのれ一体どういうつもりじゃ……!」
これは景鏡に留まらず、筆頭家老の魚住景固他、有力武将の多くも、出陣要請を拒否したのであった。
「もはや義景様については行けぬ」
再三の失態により、義景は家内の求心力を概ね失っていたのである。
信長包囲網の中心人物として、これまで楽観論を講じ続けていた義景も、信玄死去の報を知ると、流石に動揺を隠せなかった。
越前を攻めるには浅井という盾があり、東方からは信玄という強力なカリスマが織田領を脅かしていた。さらには六角・本願寺・長島一向衆・三好そして将軍足利義昭らが信長の後背を脅かす事で、自らが危険に晒される事はないと、高をくくっていたのである。
しかし、義景が終始消極策を講じる内に、信玄が死に、三好は畿内から放逐され、将軍は追放されてしまった。包囲網は各勢力が一蓮托生で当たってこそ、はじめて機能するものであって、個々では到底太刀打ちできない。
「おのれ……! おのれ……!」
義景は歯ぎしりして悔やむが、もはや後の祭りである。
義景は焦りながら国中に陣触れを発し、応じた山崎吉家・河合宗清ら二〇,〇〇〇の軍勢を率いると、近江へと急ぎ向かうのであった。
八月一〇日
小谷城北方の余呉に布陣した朝倉軍は、小谷城の背後に位置する北西の田上山に戦陣を構築、同時に大嶽砦などからなる小谷城守備の城砦群を築いた。
小谷城後方の高所を抑えた義景は、天然の要害に頼り、長期戦の構えを見せるのである。
「これで信長も、うかうかと手は出せまい……」
高所の大兵を前にした信長であるが、一時の様な危機感は感じられず、吐き捨てる。
「誠小賢しき愚将よ。 ここはひとつ、あやつの肝を冷やしてやろう」
彼は自ら本隊を率いると、田上山と小谷城の間にある、山田山に割り込む様に進軍を開始したのである。
朝倉軍は色めき立った。両軍の狭間へ移動する事は、後背を敵に晒す事になる。
「隊伍を崩し移動している敵に奇襲を欠ける好機ですぞ!」
朝倉家臣・山崎吉家は義景に攻撃を進言した。
しかし義景は応じない。
「挑発に乗るな。高所に拠れば手も出せぬであろう。長期戦になれば反織田勢力が各地で反乱を起こすはず……」
弱気な義景に対し、吉家は強気で言い返す。
「待っていても状況は好転しませんぞ! ここはまたとない好機です! お任せくれれば、我らの軍で一気に攻めかかります!」
しかし義景は大きくかぶりを振った。
義景はこの期に及んでも、過日の戦いの様に、睨み合いを続ければ織田軍は撤退せざるを得なくなると考えていた。
度重なる失態を犯し、戦場でも常に消極的な義景に対し、士卒の意気は上がらず、吉家はどこまでも優柔な主君に対し、憤りを隠せない。
「このまま待っていても戦況が有利になるはずがない……」
十二日
突然の豪雨が小谷一帯を襲った。
「火薬を濡らすな!」
凄まじい暴風雨に、朝倉軍の侍たちは慌て騒ぎ立てる。風雨に遮られた視界は、前方の敵味方の区別もつかない。
義景は陣小屋に避難し、あれこれ今後の戦況を考えるが、打開策が見いだせる訳も無く、虚ろな目で一点を見つめるばかりである。
(またしても長陣となれば身が持たぬ……。早々に切り上げられぬだろうか……)
鬱々とした心境の中、風雨が去るのをひたすらに待っていた。
数刻も経たぬうちに雨が止み、戦場に薄らと陽が差し込む。
悶々と漂う湿気を避けようと表に出た義景は、周囲が騒がしく色めいている事に気が付いた。
「一体何事じゃ」
すると突如泥まみれとなった軍兵が一人、義景の前に駆け込み訴える。
「大獄砦が奇襲により陥落致しました! 生き残った者は次々に本陣に駆け込んできております!」
「……なんと!」
義景には、その後の言葉が出てこなかった。
大獄砦は山田山から南に下がった位置にあり、連山の中にある小谷城よりも高所に位置する前線基地だった。地の利を得た、最も重要な拠点を早々に奪われたのである。
山田山に陣取った信長は、雷鳴轟く分厚い雲が徐々に近づいて来るのを確認すると、間もなく訪れる豪雨を利用し、奇襲する作戦を思いついた。
そして奇襲隊を編成すると、自ら部隊を率い、砦を急襲したのである。
「砦を奪われた義景は早々に逃げ出すに違いない! 各々、追撃の準備を怠るな!」
奇襲隊で自ら槍を振るった信長は、泥に汚れた額を拭うことも無く、興奮した様子で配下の諸将へ命じた。
義景は大いに狼狽えた。
「大獄が落ちれば地の利を失ったも同然……」
危急を告げる物見の武者は、止むことなく陣所へ駆け込んでくる。
「丁野砦も陥落! 守備兵は離散した様子!」
朝倉軍には最早、織田軍に抗う気概も残っていなかった。
「このまま指を咥えて見ていても、わが軍は崩壊していくばかりです! 浅井と共に討って出ましょう!」
山崎吉家は離反相次ぐ朝倉諸将の中、義景の要請に応じた数少ない家老である。彼は再び強い口調で義景に決断を促した。
山頂に展開した部隊は、もはや戦う意思を失っている。義景が先陣を切って兵を鼓舞し、敵に一当てでもしなければ、瓦解する事は目に見えていた。
「……しかし……!ここで戦うよりも、本拠地で迎え撃った方が地の利も得やすかろう……!」
義景は、やはり首を振り、拒んだ。
裕福に育ち、戦は景鏡など一族に任せて来た義景は、自ら采配を振った経験はほとんどない。先陣に立つなど、命の危険を伴う行為など以ての外である。
「殿! 覚悟を決めねば!」
吉家は決死の覚悟で促すが、もはや誰の助言も耳に入らなかった。
「お主の言い分も分かるが、ここにいてはあまりに不利であろう! 急ぎ越前に戻り迎撃の準備をするのじゃ!」
「何をおっしゃいます! ここで逃げても必ず信長は我らを滅ぼしに来ますぞ! 浅井はどうするのです!」
吉家だけでなく、居並ぶ諸将も猛反発するが、義景は彼らの言葉を振り切る様に、使い番に指示を出す。
「大獄を取られては連携も出来ぬ! ひとまず退却じゃ!」
諸将は絶句する。
「何たる不甲斐なさ……!」
朝倉の家臣たちは、義景の行動力の無さが残念でならない。
越前国で栄華を極めた朝倉家は、信長包囲網の要として反織田勢力を先導する事の出来る富と名声があった。
義景が当初から「打倒信長!」と陣頭に立って旗を振れば、信長は既に挽回の出来ない状態にまで追い詰められていた筈である。
しかし、先代孝景から受け継いだ「文治に重きを為し、軍務は一門衆に委任する」という方針が根付いたためか、自らが積極的に戦に介入していく姿勢を見せぬまま月日を重ねてしまった。
金ヶ崎での追撃、比叡山籠城、近江出陣と、三度の好機を自ら手放したのである。
義景に戦国武将として人並みの闘志があれば、無論これらの戦機を見逃す訳がなく、そもそも足利義昭が越前に亡命して来た時に、これを助けて上洛をしないなどという選択肢は無かった。
富裕な大名の子として生まれた義景は、戦国の世にあっても、命の危険を犯す事を避け続けてきたのである。
―――
朝倉軍は雪崩を打つように退却を開始した。
敵の様子を伺っていた信長はにやりと口元も緩める。
「やはり動き出したぞ! 一人も逃がすな!」
叫ぶと同時に自ら兵を率い追撃を開始する。
彼は大獄砦の陥落を知れば、気弱な義景は必ずや撤退すると考え、動向を注視していたのであった。
「さても情けなき大将であろうか! もはや朝倉に反撃の力も無い! このまま越前まで乱入せよ!」
信長自ら指揮する追撃軍は、逃げる朝倉軍を執拗に追い掛け、追い回し、斬り捨てて行った。
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