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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第七章 『 第二次 信長包囲網 』
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【 八 】 決別

元亀四年一月


「義昭公は信長様に対し、挙兵したとの事でございます……」

明智光秀の言上に、信長は目をいからせた。

「さても忌々しき公方じゃのう! 時勢を読めぬ事甚だしいわ! よい、引導を渡してやる故、兵を集めよ!」


信玄の西上を信じた義昭は、ついに信長に対し牙をむいた。

「さすがは武田じゃ! もはや信長に抗う術はなかろう! 朝倉の撤退は惜しい事じゃが、今を置いてあやつを潰す機会は無いわ!」

義昭は近江の今堅田城と石山城に幕府の軍勢を入れ、はっきりと反信長の旗を揚げた。

武田の出方に苦慮していた信長は、子を人質に差し出す条件を自ら付け、義昭に和議を申し入れたが、強気の彼はこれを一蹴する。

「信長が追い詰められているのは間違いないな! この好機を逃してなるものか!」

信長は仕方なく両城の攻撃を命じると、畿内に味方の少ない将軍派の城兵は、僅か数日で降伏するのであった。


一方、織田徳川連合軍を破り、怒涛の勢いで三河に侵入した武田軍は、二月になると、岡崎城・吉田城へと繋ぐ拠点の野田城を、ひと月かけて攻略し、徳川による三河の支配圏は大きく動揺していた。

しかし、武田家対応の為岐阜にいた信長は、どういう訳か義昭牽制の為、自ら京に入り、知恩院に陣を張った。

「将軍との決別がどのような混乱を起こすか。逆賊の汚名を被る訳にはいかぬが、あやつの運もこれまでよ」

そう呟くと、にやりと口元を緩めた。


信長の諜報機関は、武田軍の内情を、いち早く把握していた。


―― 信玄は持病が悪化し、これ以上の長陣は難しいようだ ――


これを知った信長は、小躍りする程喜んだ。

「なんと運命のいたずらとはよく言ったものよ! どうやら天は信長の味方の様じゃ!」

確信は持てない内容であるも、小城である野田城攻略に、ひと月も掛けた理由は他に無いと判断した。

事実、野田城攻略後、武田軍は動きを顰めてしまっている。


朝倉撤退に加え、信玄の西上も頓挫したとあれば、将軍の挙兵など取るに足らない問題であると、信長は余裕を取り戻した。

「今闇雲に将軍を討っては、逆賊の汚名は免れまい。……ここは不満であるが、今一度和議を申し立てるが吉であろう」

そう考えた信長は、将軍に対し再び和議を持ち掛けるも、義昭は一蹴する。

「信長の慌て様が、目に浮かぶわ!」

武田の動向を知らぬ義昭は、信長の低頭する様子を嘲笑うかの様に、洛中の居城である烏丸中御門第にこもり、頑なにこれを拒絶した。


「暗愚な将軍に、この世の政を任せては、民が苦しむだけよ……」

信長は仕方なく坂本城の明智光秀の他、柴田・丹羽・蜂屋らに攻撃を命じる。


「上様の権威は最早将軍をも凌ぐ。名ばかりで愚かな義昭様に付き合う義理もないわい」

幕臣と、信長の家臣との狭間で揺れていた明智光秀は、遂に義昭と袂を分かち、征伐軍として織田側の軍勢に参加した。

光秀はこれに乗じ、過去には上役であった幕臣の細川藤孝や摂津の池田知正、荒木村重らも取り込もうと説得する。

「もはやこれ以上将軍に付き添って、何になる。共に自滅するとあれば止めはせぬが、冷静に時勢を読むべきであろう」

「……お主の言う通り、愚鈍な将軍に付き添うのも、ここが潮時と言うものじゃ」

盟友である光秀の説得に、藤孝、村重は即座に同調し、挙って信長の元へ参じた。

しかし、村重の主筋に当たる池田知正は、旧友である細川藤孝の説得を振り切り、義昭の元へ参じる事となる。

ともあれ、信長は両将の帰順を殊の外喜び、各々に褒美を与えた。


藤孝は以前から、将軍の動向を信長に通報していた。

「義輝様とは似ても似つかわしくない、狭小な器の御仁じゃ……」

三好衆による足利義輝殺害時、弟・義昭も危険に晒されたが、藤孝は機転を利かせ、彼を救った。一説では義輝・義昭の庶兄とも言われる、寵臣第一の藤孝でさえも、時勢を読めずひたすら傲慢な将軍に愛想を尽かしており、後の世がどちらに転んでも保身出来る様、二股膏薬を行っていたのである。

荒木村重も、池田知正と共に主君を追放し、下克上を果たした梟雄であり、時勢を読む嗅覚は一際冴えている。独自の情報網は、武田家の動向なども既に察知しているのであろう。

主人知正は愚かにも将軍の元へと走ったが、摂津での権勢は最早知正を凌いでおり、利用価値のある自分が恭順の姿勢を見せれば、信長は咎めないであろうと算段した。


両者供、戦国期を生き残る強かな曲者達である。


幕臣衆に顔の利く藤孝、離合集散繰り返し信用ならない摂津衆をまとめ上げる力量を示す村重。共に、信長に取って今後必要な人材である。

外様筆頭として織田政権下で台頭してきた明智光秀と密に連携し、彼らは自らの立場構築の場はここであると決断したのであった。


勢いを得た信長は、威嚇として幕臣や義昭の支持者が住居する上京全域を焼き討ちにより焦土化し、烏丸中御門第を包囲して義昭に圧力をかけた。

さらには朝廷へ工作した末、四月五日に勅命を得ると、両者間はようやく講和が成立するのであった。


そして、それと同時期に吉報が舞い込む。

「武田信玄は、陣中にて死去した様子にございます」


もはや信長に抗える者は、いなくなった。


しかし七月三日、信玄の死を知らない義昭は講和を破棄し、烏丸中御門第を三淵藤英・伊勢貞興らの他に日野輝資・高倉永相などの武家昵近公家衆に預けた上で、南山城の要害・槇島城(山城国の守護所)に移り再び挙兵する。


「あの者と和解など出来ようか! 武田に怯える臆病者を共に地獄に落としてやるわ!」


これに対し、織田軍は七〇,〇〇〇もの人数で押し寄せると、一〇日には烏丸中御門第の三淵藤英が降伏し、槇島城も包囲された。

槇島城は宇治川・巨椋池水系の島地に築かれた要害であり、義昭の近臣・真木島昭光の居城でもあったが、十八日に織田軍が攻撃を開始すると、槇島城の施設は瞬く間に破壊される。


「武田軍は三河から動きを顰めております。噂では陣中で死去したとか……。もはや我らに抗う術もございません。信長は悪鬼の者でございますが、将軍様の命までは取らぬでしょう……」

「……ぐぬぬ……」

義昭は家臣達に促され、不本意ながらも再び降伏する事とした。


「もはやこれ以上、野放しには出来まい!」


信長はこれまで再三翻意を促して来た将軍に、これ以上の改心は望めないと判断した。

「悪将軍に今後の統治は任せられまい! やむを得なし事であるが、この京から出て行って頂こう!」


信玄という強敵との闘いを回避できた信長は、これ以上将軍の権威を利用する必要性は無いと判断し、彼を追放した。そして足利将軍家の山城及び丹波・近江・若狭ほかの御料所を没収し、自領としたのであった。


「おのれ……、この恨みは必ず晴らして見せようぞ……」

義昭は恨み節を唱えつつ、妹婿である三好義継の拠る河内若江城へ移って行った。



ここに足利家十五代将軍・義昭は、その実権を失ったのである。



畿内には、信長による新たな秩序が生まれようとしていた。




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本作をご評価下さいましたら、是非kindleにも足を運んで下されば嬉しいです。

『叛逆の刻~ 明智光秀と本能寺の変~』

『勇将の誤算:~浅井長政~』

『武士の理: 戦国忠義列伝』(短編小説集)

『背信の忠義 ~吉川広家~』  など

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