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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第七章 『 第二次 信長包囲網 』
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【 六 】 三方ヶ原(二)

「もはやお味方は持ちこたえられません! 御大将はお早く浜松へ撤退下さい!」


徳川武将・夏目吉信は主君に対し、決死の思いで凄んだ。

「何を申す! なぜここに参ったのじゃ! お主には城を任せたはずじゃぞ!」

馬の手綱を力強く握る家康は、顔を強張らせ、退却を促す吉信を一喝した。

「お味方は悉く蹴散らされましたぞ! 主君を守るのが配下の務めでございましょう!」

吉信は家康から浜松城の留守居を任されていた。


出撃していく主君を見守り、敵勢の動きを注視していた吉信は、坂上から突如反転して突撃を開始した武田軍を見て呆然とする。

家康は武田軍が坂を下りきった頃合いを見て、急襲を仕掛ける段取りであったが、完全に見透かされていたのである。


「これはまんまと謀らせしか!」


遠く、浜松城の櫓から戦況を伺う信吉は、歯を食いしばった。

家康は自軍を多く見せる様、部隊を左右に大きく広げる鶴翼の陣を引き、武田軍の消えていった三方ヶ原の高台目指し進軍していた。丘陵の先、緩やかな下り坂をゆっくりと進軍していると思われていた敵は、突如丘上で反転し、徳川軍を待ち構えていたのである。低地に釘付けにされた徳川軍は暫しにらみ合っていたが、徳川先鋒の石川隊が突撃を開始すると、刺激される様に全軍が衝突を開始した。


「なぜ突撃する! 何もかも後手ではないか!」


吉信は整然と待ち受けていた武田軍が魚鱗の陣で相対するのを見て歯ぎしりした。本来小勢が大軍と当たる時に用いられる陣形であり、徳川軍は大軍が小勢を包み込むに適した鶴翼の陣である。両軍はお互い常套とは異なる先鋒を取っている。

「あれでは長くは持たぬぞ……!」

吉信は拳を握りしめた。

鶴翼の陣は包囲した敵に対し威力を発揮する反面、兵を左右に広げる為中央の本軍が手薄になる欠点があった。

信玄はこの戦闘で一挙に家康の首を取るつもりである。魚鱗の陣はその意思の表れである。


三〇,〇〇〇の軍勢をもってしても浜松城は落とせない。信玄の戦略は敵の油断を誘い、この要害から有利な戦場におびき寄せ、一挙に殲滅する事である。年若い家康は挑発すれば面目を保つため、打って出ざるを得ないと踏んでいた。


「まんまと老獪な信玄めに乗せられしか! しかし逃げるに及ばず! 三河武士の強さを見せてやれ!」


家康は自ら馬上で采配を振るい、倍する数で高所から突撃してきた敵相手に健闘する。

しかし敵は戦国最強を詠われる武田軍である。魚鱗の陣で待ち構えていた武田軍の中央突破の突撃を受けると、戦意の乏しかった援軍佐久間隊から瞬く間に切崩された。

「信長様から被害は最小限にと言われておる。家康殿の玉砕に付き合う義理まではあるまい」

中央を分断された織田徳川連合軍は、僅か一刻あまりの間に散々に蹴散らされ、四散した。



「何をお考えか! 早く城へ戻って参られよ!」

城内から戦況を眺める吉信は、家康が早く退却してこられるよう城門を空け準備を進めたが、先鋒が壊滅しても本陣は動かず、迎撃の姿勢を見せた事から焦燥した。

「もはやここに留まってはおけぬ!」

彼は少数の主従と共に家康の元に急ぎ向かった。



空は暗く、薄っすらと雪が舞い、大地を凍らせている。

しかし阿鼻叫喚の戦場は、軍馬の嘶きと軍勢の激しい喚声で、凍てつく冷気を吹き飛ばしていた。

吉信が到着すると、家康は茫然としながらも癇癪を起したように拳を鞍に叩きつけ、突撃をしようといきり立っている。

「殿! 投げやりになってはいけませぬ!」

周囲の従者は家康の馬の手綱を握り、単騎で敵に突撃しようとする主君を必死に抑え込んでいた。

「御大将は正気を失い申したのですか!」

慌てて家康のもとに到着した吉信は、主君の様子を見るとなじる様に叫ぶ。

家康は吉信に言われると鋭い目つきで睨みつけた。


周囲からは武田の軍勢が見る間に迫ってきている。

散々に蹴散らされ多くの雑兵が逃げ出す中、徳川の諸将は主君を逃がそうと決死の抵抗を見せ踏みとどまっている。

「あの者共の捨て身の覚悟を無駄にするのですか!」

吉信はまさに今敵の槍によってくし刺しにされる味方を指さしながら叫ぶ。

家康は歯を食いしばり、目を怒らせながら次々に討たれていく味方を眺めている。

吉信は家康の腕を掴んで大喝した。

「気をしっかり持ってください! 殿はまんまと敵の策に乗せられました! 我らが身代わりになります上は、いち早く城に戻り諸将をまとめ再起してくだされ!」

家康はハッとしたような表情を見せ、吉信を見据える。

「もはや逃げ切れぬわ! 武士らしく潔く討ち死にしてやる上は手を放せ!」

家康は吉信の腕を振り払い、馬を走らせようと手綱を引いた。

しかし吉信は咄嗟にその手綱をつかみ取り、凄まじい力で逆方向へ馬を無理やり振り向かせる。

「何をする!」

家康は驚き、馬上で身を仰け反らせながら怒鳴る。

しかし吉信は意に介さず、刀のむねで思い切りその軍馬の尻を叩いた。

「バシン」という鈍い音と同時に、馬は驚き前足を大きく立ち上げる。そして凄まじい勢いで走り出した。

「待て! いう事を聞かぬか!」

家康は慌てて手綱を引くが、興奮し暴走する馬を制御できず、振り落とされまいと必死にしがみ付く。

「殿を無事城までお送りしろ!」

吉信は大声で家康の近習に告げ、近習達は慌てて家康の後を追った。


吉信は前方に向き直すと、大きく息を吸い込んだ。

「我は徳川家康! 討ち取って功名と致せ!」

馬に乗った吉信は、疾走しながらそう叫ぶと、二〇騎程の従者と共に黒く渦巻く敵軍へ駆け行き、消えて行った。


吉信の捨て身の突撃を遠目に、姿勢を持ち直した家康は数人の従者に守られ、浜松城へと向かっていた。

「おのれ、おのれ、おのれ……!」

家康は息を切らせ、苦悶の表情で馬を走らせる。


「逃げるな! 腰抜け共め!」

後方から複数の軍馬の足音が近づいている。武田の騎馬武者は逃げる者を容赦なくくし刺しにし、次々に討ち取っていく。

後方から迫るのは、武田家宿老の馬場信春の一団であった。

家康の近習は僅か十数騎。

「このままでは逃げ切れまい。殿、暇を頂戴したく存じますぞ!」

供の本多忠真は家康に言うと、突如走る馬を反転させ立ち止まる。そしてゆっくりと下馬すると大きく息を吸い込み、前方の敵を大喝した。

「来るがよい! 儂はここから一歩も動かぬぞ!」

言いながら両手に掲げた旗指物を左右の地面に突き刺した。

一瞬怯んだ敵の騎馬軍であったが、息を合わせる様に一斉に忠真に斬りかかっていく。


家康と共に逃げる従者たちは、敵が迫ると囮の者が立ち塞がり、食い止める事を繰り返し、多くの犠牲を払いながら、命からがら浜松城へと撤退するのであった。


城に到着する頃にはすっかりと日も暮れ、辺りは闇夜に包まれている。

泥にまみれ城に到着した家康と供する侍は、僅か五騎ばかりであった。


徳川軍はこの戦で二,〇〇〇人余りの死傷者を出す大敗を喫した。

鳥居四郎左衛門、成瀬藤蔵、本多忠真、田中義綱といった有力な家臣達の多くを失い、家康自身も命を落しかねない危機的状況に追い込まれたものの、夏目吉信、鈴木久三郎ら腹心が身代わりとなる事で、窮地を潜り抜ける事が出来た。

先の二俣城の戦いで城を放棄した中根正照、青木貞治などは、その恥辱を晴らすべく敵中に自ら飛び込み、討ち死にを遂げた。

更に、織田の援軍の中からも、侍大将の平手汎秀が討ち取られている。


織田徳川連合軍は、僅か二刻あまりの合戦で、完膚なきまでに打ち崩されたのであった。




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『勇将の誤算:~浅井長政~』

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