【 一 】 甲斐の虎
元亀三年(一五七二年)五月
三好・松永の反乱をようやく抑え込んだ信長の元に、間者からの報告が届いた。
「甲斐・信濃の武田が西方へと攻め上るとの噂が、頻りに流れております」
息をつかせぬ報告に、信長はいら立ちをあらわに露にする。
(次から次へと、何とも忌々しい……!)
信長は、ここにきて武田との全面対決も近いと思い、息を飲んだ。
「時機が悪いにも程があろう……」
これまで信長は、武田家との友好路線を保ってきた。
美濃攻略後、京を目指していた信長にとって、東国の武田家と争う事は時間無駄でしかなかった。
強敵との闘いを避けたい信長は、同盟者徳川家との関係とは別に、武田家ともこれまで友好を保ってきた。
永禄八年(一五六五年)には、信長の姪であり、東美濃国衆・遠山直廉の娘を養女として、武田家の世子である武田勝頼に嫁がせ、その養女が嫡子(信勝)を出産した直後に死去すると、嫡男・織田信忠と信玄の娘、松姫の婚約を成立させるなど、信長は武田家との関係を崩さぬよう、神経を削って関係を維持してきたのである。
一方で信玄も外交策に苦慮していた。
一五六〇年に今川義元が信長に討たれると、甲相駿同盟を破棄し、駿府へと勢力拡大を目論んだ。しかし、武田・今川・北条という三国同盟を一方的に反故とした信玄に対し、関東の覇者・北条氏康は激怒し、両国は敵対関係となってしまう。
信玄にとっては大きな誤算であった。
北方の上杉謙信とは長年に渡り抗争を続けている状態であり、上杉、北条、今川、徳川と前後左右から敵に挟まれる形となってしまったのである。
更にその混乱は、武田家内部にも波乱を呼び、後継者である嫡男義信が父信玄を排除しようと叛乱を企図したのである。
義信の正室・嶺松院は今川義元の娘であった。
信玄は転換させた外交策により、自らの首を絞める形となり、窮地に陥った。
苦慮した彼は、美濃で国境を接する織田家との良好な関係を望み、三河の家康も同様に武田からの直接的な圧迫は避ける事が出来、三家は関係を維持できたのである。
しかし、元亀二年(一五七一年)一〇月三日に北条氏康が死ぬと、信玄は再び外交政策の一新を画策した。
頃合いを見計らい、氏康の跡を継いだ息子の氏政と関係を修復すると、再度同盟を結ぶ事に成功する。
西国への侵攻を決意した信玄は、本願寺へも協力を仰ぎ、加賀国で大規模な一向一揆を隆起させると上杉領の越前へ乱入させ、謙信をくぎ付けにした。
遂に後背の憂いを無くした信玄は、東海への侵攻を開始しようと言うのである。
そして武田家と織田家は、一挙に緊張した関係へと変貌する。
信長による比叡山焼き討ちが実行されると、信玄は書状で信長を「天魔ノ変化」と激しく非難し、信長はその書状に対し「第六天魔王信長」と署名し返信した。
信玄は熱心な天台宗信徒であり、焼き討ちから逃れた天台座主の覚恕法親王は、甲斐国へ亡命し、仏法の再興を信玄に懇願した。そして信玄は覚恕を保護し、覚恕の計らいにより権僧正という高位の僧位を与えたのである。
「信長めの増長は、これ以上許す事は出来ぬぞ」
信玄は本願寺衆との繋がりも深い。
本願寺顕如の室・如春尼は、信玄の正室三条夫人であり、二人は義兄弟になる。本願寺衆との衝突が顕在化した織田軍に対し、信玄は仏敵討伐の大義を得たのである。
無論、信玄の外交路線変更にはもう一方の背景もある。
即ち、中枢を支配している織田政権の危機を察しての事でもあった。
信長は畿内を三好・松永に脅かされ、北は朝倉・浅井が数万の軍勢を以て健在である。比叡山焼き討ちは信者のみならず、全国の大名並びに民衆の不信を買うには十分な大事件であり、更には全国に信者を有する本願寺衆との敵対にも繋がってしまうという、由々しき事態である。
宗教勢力との抗争は泥沼化を呈する。
彼らは信仰心の下、命を投げ捨てて敵対を続ける、恐るべき相手である。武家同士の戦の様に、利害を以て制する事が出来ない。法主の指令が続く限り、彼らは進んで槍先に飛び込んで来るのである。
信長の危機的状況を確信した足利義昭は、これ見よがしに信長討伐の御内書を全国各地へ発給し、状況を鑑みた信玄は、ついに織田徳川との抗戦に踏み切った訳であった。
これにより、信長は幾度目かの窮地に再び追い込まれる事になる。
―――
「敵に囲まれたまま信玄と戦うのは、まこと厳しかろうぞ……」
扶桑最強と謳われる武田軍と衝突するとなれば、織田軍は全兵力を挙って戦いに臨まなければならない。しかし、摂津の不穏な状況に加え、浅井朝倉が目の上の瘤の様に存在する中、兵を一極集中させることは不可能である。
「おのれ! おのれ!」
信長は突如激しく拳を畳に叩きつけた。
「忌まわしき将軍めが小賢しい事ばかりしおって!」
信長の窮地を喧伝して味方を募った義昭の思惑通りに事は推移している。
(事が片付いたら覚えておれよ……!)
信長は顔を紅潮させ、ギリリと歯を鳴らした。
周囲の小姓は主人の怒りに緊張し、姿勢を仰け反らせ不動である。
激昂した彼に、声を掛ける事の出来る人物はいなかった。
信長は、暫しすると徐に立ち上がり、大声で叫ぶ。
「もはや猶予も無い! 憎き浅井めへ引導を渡してやろうぞ!」
信長は浅井討伐を決め、全軍に出陣命令を下したのであった。
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