表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第六章 『信長包囲網』
49/79

【 十六 】 梟雄


「近頃、松永(久秀)がまた不穏な動きをしておるようじゃが……」


足利義昭は、切れ長の目を更に細めて信長に問う。

信長は頭を垂れ、粛々として答える。

「畿内の争い事は根が深くございます。野心多き松永めの、手綱を抑える事は難しいかと……」

信長は丁寧に返答するが、相変わらず表情は冷たく、口調も冷淡である。

義昭は、その態度が気に入らぬ様子で、普段から傲慢な口調も一層荒く、顎を上げ見下す様に話す。

「三好めを引き込んで戦をしようと言うではないか。放ってはおけぬぞ……!」

「ごもっとも。前将軍の仇敵を許す訳はございませぬ。三好と同調する様であれば、見過ごす事はありませぬ」

信長は顔をあげると、鋭い眼差しで義昭を見つめた。

義昭は咄嗟に目を逸らす。しかし、強い口調は緩めず、続けて言う。

「左様か。であれば、儂も安心してお主の裁量に任せよう……」


暖かな春風が両者の間を吹き抜けた。草花の甘い匂いが屋敷内にほのかに広がる。

しかし、二人を取り巻く空気は、肌を刺すような緊張感に満ちていた。



元亀二年(一五七一年)五月

大和国の松永久秀は、畠山秋高の家臣で、自らの指揮下にあった安見右近丞を奈良に招いて殺害すると、その本拠である交野城を攻めた。

「信長も一揆共に手を焼き、畿内にまで手が回らぬであろう」

織田家に追従していた久秀であったが、野心深き彼は、四方に敵を抱えた信長の勢いが衰えたと見ると、政治的空白を突き、畿内の勢力拡張へと動き出したのである。

久秀は、三好義継や三好三人衆と連携を取り、畠山攻めを本格的に開始すると、六月には連合して秋高の居城である高屋城を攻めたのである。


秋高は義昭旗下の幕臣である。これは明らかな将軍への敵対行動であった。

「松永め何を考えておる! 将軍に歯向かうのであれば討伐するのみぞ!」

義昭はこれに怒り、失脚していた大和国の旧主・筒井順慶の元へ九条家の娘を養女として嫁がせて取り込むと、両者の敵対関係は決定的となった。



信長は久秀の動きを知ると、苦々しい表情を浮かべる。

「さても強かな久秀めは、儂が不利と目算しよったか……」


のど元を締め付けられていた比叡山を殲滅した信長であったが、世情に明るい久秀が、それでも離反した裏側には、東国の雄・武田信玄の動きがあると読んでいた。

信玄が大兵団を催して西上するという風聞は、以前からしきりに聞こえて来ている。

扶桑最強と言われる武田軍団が西上してくれば、信長は本国の美濃・尾張で迎え撃たねばならない。そうなれば、畿内にはとても手が及ばぬ状況になり、その隙をついて勢力を拡大しようという目論見であろう。


「まさか比叡を焼くとは思わなかったが、武田が動けば信長も手が回らぬ。ちと危険な掛けじゃが、ここは何としても信玄を動かさねばなるまい……」


久秀は信長と敵対する危険を承知はしているが、将軍義昭が筒井家を擁立した以上、大和の覇権争いに発展する事は避けられない。

そうなれば、自ずと信長とは手切れにならざるを得ないのである。

「武田が動けば信長もいよいよ運の尽きよ。儂は、あやつと心中する気はないぞ」


事実、信玄はそれまで敵対していた関東の北条家と和睦し、甲相同盟を締結すると、三河徳川領国への侵攻を目論んでいた。元亀元年(一五七〇年)十二月には、配下の秋山虎繁を東美濃の遠山氏の領地を通って、三河へと侵攻させようとしている。

この時は、家康のいち早い対応により撃退したが、いつ総力を挙って西上してくるか分からない状況である。


徳川家と武田家の関係が不穏になる中も、信長は武田との抗争を避けようと、両家は表面的には友好関係を続けている。しかし信長が隙を見せれば、その様な同盟など瞬時にして泡沫と化す事は戦国の世の習いであり、お互いに理解している。

一揆勢の対応に苦慮している信長は、何としても強敵信玄との闘いを避けなければならなかった。


信玄西上の背景には、義昭による暗躍があった。

彼は信長との関係が悪化すると、彼を討伐する機会を虎視眈々と窺い、全国の諸大名に御内書を送り続けていた。

しかし一方で、兄である前将軍義輝を殺害した三好や松永への憎悪は変わらず、共闘する気は無い。

義昭は自ら撒いた種により、首を絞める形となってしまったのである。


「誠、愚かな将軍よ……」

信長は浅井・朝倉が健在で不穏な状況の中、敵対勢力が再び協力しない内に、各個撃破を行いたい。世論の激しい反発を覚悟しても、寺社勢力への攻撃を断行できる背景には、将軍家による天下泰平の世を作る、という大儀があってこそである。羊頭狗肉な人物といえ、将軍の権力はどうしても必要であった。

「松永がこれ以上勝手な行動をするのであれば、大儀の下、鉄槌を下さねばなるまい」

信長は、隙を見せれば直ぐに自領の拡大に走る畿内・摂津衆の強かさを苦々しく思いつつ、彼らが武田信玄と共闘すれば、信長は再び窮地に陥る事となる。


「表裏比興とはあ奴の事よ……」

信長は久秀の狡猾な笑みを空に描き、嘆息した。


―――


元亀二年(一五七一年)八月

久秀は信玄と秘密裏に書状を交わし、遠交近攻策を講じると、敵対していた三好衆とも再び手を結ぶ。そして義昭に擁立された筒井順慶に引導を渡すべく、辰市城へと襲い掛かった。

辰市城は松永軍に対抗するために、順慶が新たに築城した橋頭保である。

「積年の恨みを晴らすは今ぞ!」

筒井家は順慶の父順昭の代に台頭し、大和国の太守として君臨してきた。しかし、父の早世により僅か二歳で家督を継ぐ事となった順慶は、次第に松永の圧力を受け、長年の抗争の末、遂には放逐されてしまったのであった。

しかし、大和国には、筒井家を支持する勢力も根強く、勢力奪還を目指す順慶と、久秀及び三好家との抗争は泥沼化してきた。


ここで順慶に引導を渡そうと大軍で押し寄せた松永軍は、辰市城に押し寄せると、休む間もなく強攻を開始し、塀を引き落とし、堀に橋をかけ、怒涛の攻撃を仕掛ける。


「大義は我らにある! 積年の恨み、余すことなく晴らしてくれよう!」

兵力では劣る筒井軍であったが、将軍の後ろ盾を得た順慶は、ここぞとばかりに迎え討った。二十二歳となった彼は、幼少期から辛酸を舐めてきた恨みを晴らすべく、陣頭に立って勇敢に立ち向かう。

さらに、大和の諸勢力は概ね筒井家に同調した為、高樋城、椿尾上城、郡山城などから援軍が続々と現れた。

「小癪な者どもめ! 烏合の衆など押し返せ!」

久秀は予想外に敵が多い事に驚きつつも、城を我攻めにして落とそうと躍起になる。

しかし、福住中定城にいた順慶の叔父である福住順弘や山田順清隊らも来援すると、松永勢は忽ち劣勢に立たされた。

「三好どもに好き勝手されてたまるものか! 後ろから突き崩せ!」

「これはありがたい! この好機を逃すな!」

順慶は、味方の援軍が敵軍の後背から突き入るのを見ると、自らも、城門を開けて突撃した。

援軍と城兵相互から攻撃を受けた三好・松永軍は、忽ち総崩れとなる。


「これは予想もしなかったわ! 速やかに退け!」

久秀は形勢逆転した敵の勢いを押し返せず、たまらず退却を開始する。しかし浮足立ったまま隊伍を乱し退却した為、筒井勢の猛追撃を受け、実に首五〇〇を取られるという、大損害を受け大敗した。

これにより、順慶は筒井城を奪還することに成功し、久秀は信貴山城と多聞山城を繋ぐ経路が分断される憂いを見ることになる。


「おのれ、敵の勢いを見誤ったか……」

久秀は、自ら起こした戦により、劣勢に立たされることとなるのであった。



松永の離反と、この戦を皮切りに、畿内の政情は再び混沌に陥った。



同時期、摂津では三好・松永派の諸勢力と、幕臣側との闘いが激しさを増し、白井河原の戦いが勃発する。これは、和田惟政・茨木重朝ら幕臣衆と荒木村重・中川清秀ら三好派の戦いである。

両軍主力を挙っての合戦となったが、戦場でいち早く陣取った中川隊は、和田隊の陣形が整う前に奇襲を仕掛けた。

「兵力では我が方有利! 先鋒を崩せば自ずと勝利じゃ!」

猛将中川清秀は全軍をまとめ、一塊となって突撃する。

「小癪な清秀め! 我が太刀で血祭りに上げてやろうぞ!」

和田惟政は、敵の急襲に動じることなく、正面から迎え討とうと突撃の指示を出す。

しかし、惟政配下の郡正信は、隊伍の崩れたまま敵に当たるのは無謀であると判断し、口調強く、惟政に諫言した。

「殿! 多勢に無勢につき、勝目はございませぬ。大将たる者、可をみては進み、不可を見ては退き、無事をもって利をはからねばなりませぬぞ!」

この言葉を聞いた惟政は、顔を赤らめ激昂した。

「何たる讒言じゃ! ここで逃げては、将軍はおろか、信長様にも面目が立たぬぞ! 儂はここで死ぬ故、お主はここで見ておれ!」


そう叫ぶと、二〇〇騎余りを引き連れて、単独敵中に突撃してしまったのである。


「なんと愚かな! 短慮されては敵の思う壺ですぞ……!」

正信は懸命に引き留めていたが、大将自ら敵中に突撃した為、忽ち乱戦が始まってしまう。


「和田殿が早くも仕掛けしか! 我らも続け!」

触発されるように、後続の茨木軍も正面の荒木村重の本陣に突進を開始した。

正信は性急な戦いに巻き込まれた自軍に歯ぎしりする。

「早まりしか! 仕方なし! 我らも攻めかかれ!」


彼我入り乱れての激戦は数刻に及び、互いに多くの死傷者を出すが、荒木村重の計略により戦局は一挙に傾いた。

荒木隊は伏兵を用い、後退と見せかけ茨木軍を山陰に誘い込むと、二,〇〇〇の兵により取り囲んだのである。伏兵には鉄砲衆三〇〇を配備しており、誘い込まれた茨木軍は、四方から雨のような猛射を浴びる。


「おのれ! 只では死なぬぞ!」


勇将重朝は、続々と射倒される味方を何とかまとめると、自ら先頭に立ち、馬上槍を振り回して正面の敵へと突進した。

猛烈な勢いを見た荒木隊は色めき立つ。

「敵は死兵じゃ! 正面から立ち向かうな!」

窮鼠の様相で突撃してくる茨木隊のすさまじい勢いに物怖じしすると、忽ち包囲を突破されてしまう。


「お主も道連れじゃ!」

死中を突破した重朝は、血に染まりながら馬を走らせ、敵本陣にまで突入すると、遂には村重本人に槍を合わせる。

「小癪な! この死にぞこないが!」

村重はまさかの捨て身の逆襲に驚きつつも、自ら槍を扱き応戦した。

敵中に深入りした重朝は、瞬く間に四方から槍に貫かれ討ち取られたが、村重も槍傷を受ける、激しい乱戦となった。


「おのれ! 重朝も逝きしか!」

孤軍奮闘していた惟政も、茨木軍が崩壊すると忽ち取り囲まれ、正信と共に討ち取られる。

指揮官を失った和田・茨木軍は忽ち壊滅した。


「なんと! 父上が討たれたのか! 早く逃げねば全滅じゃ!」

後続する惟政の息子和田惟長は、父の討ち死にを知ると狼狽え、慌てて退却を開始する。

「若! 退却はお味方の士気を大きく奪います故、一軍の将たるもの、泰然自若と指示を送りますよう!」

見かねた叔父の惟増は、動揺する惟長を諫める。

「わ、分かっておるが、早く逃げねば殺されようぞ……!」

惟長は叔父の諫言を無視するように隊伍を乱し、崩れる様に高槻城に引き返した。

(……父の弔いにも及ばぬか……、情けなし)

惟長は諸将の失望を買いながらも、高槻城留守居役の将・高山友照・右近父子と合流すると、城の守りを固めた。


和田隊本軍を壊滅させた荒木・中川連合軍は勢いに乗り、茨木城を瞬く間に攻め落とすと、郡山城等支城も次々に攻略し、高槻城をも攻囲する。

包囲軍には松永久秀・久通父子と阿波三好家の重臣篠原長房も加わり、高槻城の城下町を二日二晩かけてすべて焼き払い破壊した。



摂津の支配圏は、大きく揺れ動いていた。


戦死した和田惟政は熱心なキリシタンであり、ルイス・フロイスとも親密な関係であった。高槻城に籠城している高山親子も同様であり、フロイスはロレンソ了斎を急ぎ信長の元へ派遣し、危急の報告をさせた。


「畿内の混乱を見過ごす訳にはいかぬ……」


摂津の状況を知った信長は、これを放っておくことは出来ず、直ぐに佐久間信盛を派遣し、停戦を求める。そして義昭も明智光秀を派遣し、調停を求めた。


(将軍を無視し、織田を敵に回すのは分が悪かろう……)

三好連合軍は凡そ三か月の間攻囲を解かなかったが、最終的には折れる形で撤退を決めた。

村重は摂津国内の勢力争いの中で起こった戦であり、信長と直接対決する危険を犯す気は無かった。

久秀も同様に、あくまで大和国支配における足利義昭との対立であって、織田軍と衝突する時機ではないと判断する。



「浅井・朝倉に加え、武田も動けば畿内に兵をやる余裕も無いであろう。今は大人しく戦機を待とうではないか」


混乱する畿内を一通りかき乱した久秀は、静かにひとり呟き、満足げな笑みを浮かべていた。



現在、Amazon kindleにて、会員向けに無料公開している作品もあります。

本作をご評価下さいましたら、是非kindleにも足を運んで下されば嬉しいです。


『叛逆の刻~ 明智光秀と本能寺の変~』

『勇将の誤算:~浅井長政~』

『武士の理: 戦国忠義列伝』(短編小説集)

『背信の忠義 ~吉川広家~』  など


https://www.amazon.co.jp/Kindle%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A2-%E6%84%8F%E5%8C%A0%E3%80%80%E7%91%9E/s?rh=n%3A2250738051%2Cp_27%3A%E6%84%8F%E5%8C%A0%E3%80%80%E7%91%9E

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ