表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第六章 『信長包囲網』
43/79

【 十 】 四面楚歌

九月二十四日


京の山々は鮮やかな真紅の色に染まり、ひんやりとした秋風が都に流れ抜けていく。

都を見下ろす様に聳える比叡山も、霊山としての威厳を示す様に、見事な紅葉が荘厳さを際立たせる。


しかし、山の周囲は穏やかな状況では無かった。


比叡山を囲む様に織田軍の大軍勢が陣所を構え、早く戦が始まらぬかと、物々しい雰囲気に包まれているのである。


殺気立つ陣所には、比叡山の僧侶衆一〇人ばかりが呼びだされ、信長と対面している。

信長は穏やかな声色で僧侶たちへ語り掛けた。


「お主共に何ら他意はない。此度の戦、この信長に味方するならば、分国中の山門領を元通りに還付すると約束しよう」


僧侶たちはお互いに目を合わせ、何事か思案し合う様子であるが、言葉は発しない。

信長は返答に困る彼等を見ると、付け加える様に言う。


「もしも、出家の道理により片方へ味方する事が難しいと申すなれば、せめて中立の体制を取ってくれまいか……。 朱印状も用意しよう。」


信長はいつになく低姿勢で彼らの妥協点を探る様に問いかける。

僧侶たちは、凶暴と評判である信長を目の当たりにするまで、命を捨てる覚悟で陣所を訪れた。しかし、予想に反して信長は低姿勢で交渉に臨み、彼らに何とか手を引かせたい様子である。


(信長は、相当に追い詰められておるな……)


煌びやかな袈裟を纏った僧侶たちは、当初緊張の面持ちで信長と相対していたが、従来傲慢な性質なのであろう、信長の対応を見ると態度を一変させ、皮肉な笑みを浮かべつつ、互いに何やら相談を始める。


そして暫しの後、一人が徐に言葉を発した。


「誠、由々しき問題にございますな。我らの一存で直ぐに解答は申し上げる事は難しいかと……」


僧侶が言い終えた矢先、信長の表情は激変した。

般若の様相が浮かび上がり、殺気に満ちた声色で言い放った。


「ならばすぐに答えを出しに戻るがよい! 万が一この提言に違背するならば、根本中堂・三王二十一社を始め、諸堂ことごとく焼き払うであろう! その事を肝に銘じておくがよい!」


そう言い捨てると陣幕の奥へと去って行った。

僧侶たちは唖然として彼の背中を見送ったが、姿が消えると不満げな表情を如実に見せる。


(傲慢な田舎侍めが……)


僧侶たちは信長の野獣の片鱗を見せられ、一瞬背筋を凍らせる思いであったが、よもや比叡に手を出せる訳がないと慢心し、ぶつぶつと文句を言う様に陣所を後にしたのであった。


―――


森可成を中心とした防衛陣を突破した浅井朝倉連合軍は、宇佐山城の攻略を諦め、九月二〇日には大津に出て馬場・松本へ放火し、二十一日には逢坂を越えて醍醐・山科を焼き払い、都まで目前に迫っていた。

しかし信長が強行軍を決行し、二十三日には早々に京へと引き上げてくると、敵は比叡山へと退いてしまったのである。


信長は大変に焦った。


比叡山に籠られてしまっては手も足も出せない。

比叡山には、日本天台宗の本山寺院である延暦寺が存在する。平安時代初期の僧・最澄により開かれたこの寺院は、京都の鬼門(北東)を護る国家鎮護の道場として、人々からの深い信仰を集める。

そして延暦寺は本願寺と同様、その権威に伴う武力があり、数千人という僧兵を抱えている。また物資の流通を握り、膨大な財力も持つという、時の権力者を無視できる一種の独立国のような状態であった。

永享七年(一四三五年)、室町幕府六代将軍の足利義教は、京にとって「目の上の瘤」という存在であるこの一大勢力を武力で制圧したが、後に義教が殺されると、再び武装し、僧を軍兵にしたて数千人の僧兵軍に強大化させ独立国状態に戻っていた。


世は戦国期に入り、その権勢を更に強めている。


比叡は天然の要塞都市であり、浅井朝倉が数万人で立て籠もれば、たとえ一〇〇,〇〇〇人の軍で攻めても落とす事は難しいであろう。何より、人々の信仰の対象であるこの霊山を攻撃すれば、信長は激しい世論の批判を浴びる事となる。

それは足利義教が「暴君」として汚名を残した事を見ても明らかであった。


―――


交渉から数日、延暦寺からの回答は無く、事実上黙殺された。


「おのれ売僧共め……! あやつらの本質は見抜いておるぞ……!」


信長は拳を強く握りしめ恥辱を噛みしめた。


比叡山の堕落ぶりは世に聞こえていた。

彼等は出家の身分にも関わらず、禁止とされていた魚鳥を食し、金欲に耽り、女人禁制の山門には遊女が出入りするなど、内実は淫欲と俗欲に塗れているという。

信長は無神論者ではないが、兄弟・肉親を自らの手で葬り去って来た過去からか、世を諦観して見つめる性質である。僧侶たちが語る方便は、根拠のあるものでは無く、彼らが神の代弁者ではない事は、冷静に見極めていた。


「仏の教えとは本来、救いを求める人々を助けるもの。俗欲に塗れた、あやつらの肥やしにさせて何になろうか……!」


織田軍は、総力を以て比叡山を包囲した。

山麓の屋敷を補強して平手監物・長谷川丹後守・山田三左衛門・不破光治・丸毛長照・浅井新八・丹羽源六らを入れ、山門を包囲する砦を続々と築くと、簗田広正・河尻秀隆・佐々成政・塚本小大膳・明智光秀・苗木久兵衛・村井貞勝・佐久間信盛ら十六将を入れる。別動隊として柴田勝家・氏家ト全・安藤守就・稲葉一鉄らを配置した。そして信長自身は宇佐山城に陣を取る。

更に、叡山西麓の将軍地蔵山の古城跡には、義昭の幕臣ら二,〇〇〇余りが布陣した。


京に集結した物々しい軍勢は、人々を不安にさせる。

「信長様は、本当に比叡を攻める気なのかのう……」


盤石の陣容に思われる織田軍であったが、信長の苦境が取り除かれた訳では無かった。


比叡に数万の軍勢がいる限り、手を出す事は出来ない。

信長は苦肉の策と思いながらも、朝倉義景に対し、近習の菅屋長頼を派遣し、決戦をうながした。


「長期に及ぶ在陣は、お互い不易であろう。ここは武門の者らしく、正々堂々と一戦交えてはどうか」


しかし義景はこの提案を一蹴する。


「これは思いもよらぬ物言いじゃ! 長陣で困っておるのはお主たちであろう。我らは何も困っておらぬ。 最もな言葉で我らを惑わそうとしても無駄じゃ!」


信長は何としても早期決着を図りたかったが、彼の苦心を見透かした義景に一蹴されると、戦線は長期戦の様相を示した。



「信長は窮地に陥った!」



各地の反信長勢力はこれを好機と捉え、一斉に隆起する。


攻城戦を放棄した野田福島城の摂津戦線では、篠原長房ら、阿波・讃岐の兵二〇,〇〇〇の大援軍が兵庫浦に上陸し、織田軍に属していた瓦林城、越水城への攻撃を次々に開始する。

更に、上洛戦で破った六角義賢が一向衆と手を組み、南近江で挙兵した。

そして、本願寺の反信長蜂起に伴って、伊勢長島(三重県桑名市)でも門徒が一斉に蜂起し、これに呼応して「北勢四十八家」と呼ばれた北伊勢の小豪族も、一部が織田家に反旗を翻し一揆に加担する。

伊勢の一揆勢は、本願寺から派遣された坊官の下間頼旦を中心に、数万人に膨れ上がっているという。


信長は文字通り四面楚歌という状況に陥ったのである。



「ここは一度、和睦へ持ち込むしかあるまい……」



手詰まりとなった信長は、窮地を脱する為、将軍を動かすしかないと心に決め、拳を握りしめながら、空を見上げた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ