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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第六章 『信長包囲網』
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【 八 】 延暦寺


九月十六日


「合流した浅井朝倉勢凡そ三〇,〇〇〇人。琵琶湖西岸をまっすぐと南下し、我らに迫ってきております」


物見の注進を聞いた森可成は、動揺する気色も見せず、瞳を瞑り、何事か思案している。

控える側近の武者は声を掛ける。


「我らの手勢は凡そ一,〇〇〇。とても抗える人数ではございませぬ。如何なさいますか……」


しかし可成は腕を組み、瞳を閉じたまま動かない。

諸将は不安げに彼を見つめながら、発言を待つしかなった。



本願寺決起により、摂津戦線に釘付けとなった信長の状況を知った浅井長政は、即座に動いた。


「これは天の与えし絶好の好機!」


長政は越前の朝倉義景と呼応し、凡そ三〇,〇〇〇の兵を集結させると、琵琶湖西岸から南下を開始した。

琵琶湖南西部、坂本を通過し、京へ乱入するつもりである。


坂本の守備を任されるのは、家老・森可成であった。

可成は、信長の家督相続時から追従してきた重臣である。

信長の信任熱く、琵琶湖南西の重要拠点・宇佐山城を任されており、浅井朝倉等の抑えとして彼らの動静に睨みを効かせていた。

しかし急速に拡大した領土により、兵は分散せざるを得なくなり、その守備兵は一,〇〇〇程である。

信長は、姉川の戦いにより打撃を与えた浅井勢に反撃に出る余力はないと見ていたが、本願寺衆が敵対した事は、痛手を被った浅井朝倉勢にとっては起死回生の好機であり、見逃す筈は無かった。


「信長は摂津に釘付けで動けなませぬ! 今こそ再び手を取り合って過日の復讐を果たしましょう!」


浅井長政は独力で対抗する余力は残っていなかったが、何かと腰の重い越前の朝倉義景を動かし、京へ攻め入るよう画策すると、手薄となった織田軍の防衛線を一挙に打ち砕く勢いで迫っていた。


危急の軍議となった宇佐山城内は色めき立ち、家臣達の動揺は隠せない。


「殿! 何かご指示は……!」


可成は暫し考え込んだのち、静かに語り始めた。


「敵は我らの数十倍の人数。城に籠る事も一考であろう……」


可成が語り出すと、諸将は額に汗を浮かばせながら黙って聞き入る。


「……しかし我らは京の守りとして、ここ宇佐山の地を任された。臆病風に吹かれ、城に籠り敵に易々と京へと侵入されれば、我らは末代までの恥さらしとなろう。ここは坂本まで打って出て敵を食い止めねば武士の面目が保てぬというもの」


可成の声色は静かだが、戦場往来を重ねた猛将らしい、腹に響く凄みがある。

齢四八となるが、槍の名手と知られ、逞しい体躯からは未だ生気が溢れている。

可成は徐に立ち上がると声高に言い放った。


「敵は所詮烏合の衆! 恐れるに及ばずと先の戦で立証済みじゃ! ここは我らで敵を手痛き目にあわせてやり、織田軍の恐ろしさを再び知らしめてやろうぞ!」


旗下の諸将も一斉に立ち上がり、喚声を上げた。

可成の鼓舞に、諸将は皆奮い立った。


可成は凡そ一,〇〇〇人の兵をまとめると、速やかに坂本まで北上し、街道を封鎖し、敵軍の襲来を待つ事とした。

しかし、従う士卒の顔色は優れない。


(僅かこればかりの味方で勝てるであろうか……)


彼等の不安を察してか、一際大きな声で陣頭指揮をとる可成の元へ、使者が駆け入った。


「信治様、茂綱様の部隊が御到着してごじざいます!」

「誠か! それは頼もしいかぎりじゃ!」


近隣の城主・青地茂綱と、信長の弟信治は、敵襲来の危急を聞き、凡そ二,〇〇〇の兵を率いて駆けつけてきた。

可成は二人を迎え入れると礼を言う。


「誠、感謝申し上げますぞ。裏切り者の浅井めに、手痛き目にあわせてやりましょう」


三人は頷き合い、作戦を練って敵を待ち構えた。




翌日、陣所の櫓から物見の叫び声が上がった。


「敵が参ったぞー!」


陣所は一斉に緊張に包まれる。

遠方から黒い波が迫ってくる様な大軍であった。

信治は思わずゴクリと唾を飲み込む。

彼は二十八歳の壮年であるが、寡兵で大敵にぶつかるのは初めてである。

可成は冷静に信治に語り掛けた。


「臆する事はございませぬ。兄上様は今川の軍を寡兵で打ち破っております。軍神は我らのお味方ですぞ」


信治は無言で頷いた。


数町離れたところで敵勢は動きを止めた。

湖風が激しく旗指物を煽り、バサバサと無機質な音を上げている。


前日にかけ、織田軍は簡易な土塁と柵を作り、そこへ鉄砲隊を配置している。

堺を手中に入れた後、信長は鉄砲の入手に一際力を入れており、森軍もその兵力に対して多くを配備されている。


味方が合流しても敵は一〇倍の数である。

織田軍の諸将は誰もが武者震いを抑えられない。


暫しの睨み合いが続き、緊張が最高潮に達した頃、徐に「大、大、大」と、不気味な法螺貝の音が敵陣から鳴り響いた。


「このような所でもたもたしておられぬ! 敵は小勢! すぐに蹴散らしてしまえ!」


敵先鋒・朝倉景鏡は刀を振り上げると、有無を言わさず正面からの突撃を指示する。

大軍先鋒の騎馬隊が落雷の様な音を大地に響かせ、ぐんぐんと迫ってくる。


可成は冷静な表情を崩さず、迫りくる敵軍をじっと見据えている。


「殿! ご指示は!」


みるみると迫ってくる敵に、近習達は焦りを隠せず指示を促すが、可成は動かない。

敵は馬の鼻先を揃え、鉾矢型の陣形で突っ込んでくる。相手の隊列を突き破る、密集型の攻撃的な隊列である。


「もう射程距離ですぞ!」


近習が叫んだその時、可成は大きく采配を振り上げた。


「引き寄せ狙い打てー!」


合図と共に、けたたましい爆裂音鳴り響き、烈火の猛射が敵の先鋒へ注がれた。

轟音と共に、先頭を走っていた数多の騎馬侍は、後ろに吹き飛ばされる様に一斉に落馬する。


「敵を休ませるな! 続けて放て!」


続け様に轟音が鳴り響き、後続の騎馬武者も大きく仰け反って倒れていく。

三人一組で構成された鉄砲衆は、それぞれ手際よく次の弾込めを行うと、その猛射は二度、三度と繰り返され、敵の突撃の勢いが俄かに削がれた。


「敵は怯んだぞ! 突っ込め!」


可成は自ら騎馬隊を率い、柵を飛び越え敵勢目掛け突撃した。

経験した事の無い鉄砲の猛射に怯んだ朝倉軍は、続けざまの突撃に狼狽し、我先に逃げ出す。


「何をしておる! 敵は小勢ぞ!」


物頭の叱咤が飛ぶが、恐怖に顔を歪めた足軽達は叫ぶ。


「何を申す! 甲冑を着込んだ武者の手足がちぎれ飛んでおるぞ! あのような恐ろしい兵器の前に突撃するなぞ御免じゃ!」


雑兵達は我先に逃げ去るが、矢玉は彼らの背中を容赦なく狙撃していく。


「おのれ! なんと無様な!」


取り残された侍衆は果敢に応戦するが、敵中孤立した者から次々に討たれ、先鋒は脆くも崩れる。



「深追いはするな! 一度退け!」

先鋒の敵を追い払った可成は、手際よく柵内へと退くと、再び鉄砲隊が銃口を揃え、敵勢に狙いを定める。


朝倉軍は敵の猛攻に臆し、潮が引く様に一斉に後退した。



「一体何をしておるか!」


激昂した景鏡は、第二陣・三陣と被害を省みず執拗に突撃の合図を繰り返すが、損害を増やすばかりで、どうにも防御柵を突破出来ない。


「腑抜け共め! 一度体制を整えよ!」


景鏡は遂に諦め、緒戦の攻撃は俄かに頓挫した。


「どうじゃ! また来てみよ! 矢玉の餌食にしてやるわ!」


織田軍は早々に退いた敵勢を嘲笑った。



「……やはり簡単にはいかぬか……」


浅井長政は攻撃に先立ち、敵の旗色を見て士気が異常に高い事を危惧していた。


「敵は窮鼠の状態。鉄砲の待ち構える正面へいたずらに攻撃を仕掛けても埒があきませぬ。暫し作戦を練りましょう……」


長政が冷静に戦況を説くと、義景は敵の猛攻に怯み、他意は無かった。

攻撃に失敗した景鏡は、無言でギリリと音を立て、歯を食いしばった。




九月十九日


三日の膠着状態が続いた。


「あの程度の敵に一体何をやっておるのか!」


義景は、小勢の防衛線を突破出来ず苛立ちが募っている。


一方で大軍相手に奮戦を続ける織田陣営は、生存の希望も芽生え、意気も上がっている。


「あと数日も耐えれば本軍も戻って来られよう!」


信治は意気揚々に声を上げると、可成も頷く。


「所詮は付け焼刃の軍勢。 内部で反目し合っては足並みも揃わぬであろうよ。 義景では到底まとめきれまい」


老獪な彼は、浅井朝倉の同盟も姉川の戦い以降亀裂が生まれていると察していた。加え朝倉内部の抗争も水面下で燻っている事も把握している。

士気の乏しい烏合の衆であり、小勢でも勝機はあると見込んでいた。


「とはいえ多勢に無勢には変わらぬわい。少しでも敵の気勢を挫いて時間を稼ぐのみじゃ」


大きく息を吸うと、気を緩めず敵の総攻撃に備えた。




陽も薄らと開け始め、ひんやりとした空気が湖畔を覆っている。

可成は夜通しで敵の状況を眺めていたが、遠方の松明が絶えることなく、忙しく聞こえる人馬の声に不安を感じていた。


「再三手痛き目にあわせてやったが、まだ仕掛けてくる気であろうか……」


様々戦略を練り思い耽っている可成の元に、顔面を蒼白させた使者が陣所に飛び込んで来る。


「殿! 危急の知らせが!」


息も切れ切れで話す使者は呂律も回らぬ早口で言上する。


「浅井朝倉に呼応し、延暦寺も敵に加担致しました! 比叡山より凡そ一〇,〇〇〇の軍勢がこちらに向かっております! ここはもはや袋のネズミ! お早く宇佐山へ退却下さい!」


「なんじゃと……!」


冷静沈着な可成も思わず絶句した。

北から浅井朝倉の三〇,〇〇〇に加え、西からは延暦寺の僧兵一〇,〇〇〇が攻め入ってくるというのである。

可成は暫し言葉が出ず、同じく動揺を隠しきれない織田信治、青地茂綱らも可成の様子を伺うばかりである。

焦燥を隠しきれない使者は、汗まみれの顔で可成を見つめ指示を待つ。

暫しの沈黙の後、何か悟った様な面持ちに変わった可成は、落ち着いた声色で信治、茂綱らに語り掛けた。


「今から宇佐山に戻るには時機を逃した様じゃ。敵に背を向け討たれる屈辱を味わうよりも、潔く戦って散ろうではないか!」


可成の鋭い眼光を見た信治は力強く応じた。


「天晴なる覚悟。兄上の名の下、儂も命に掛け戦ってみせますぞ!」


茂綱も深く頷いた。


廉恥を重んじる戦国武士の気風濃い彼らは、大軍に臆して逃げ出したとあれば、武士の恥と思い、到底勝機の無い戦に臨む決断をした。




陽も登り視界が開けると、目の前の大軍は一斉に陣太鼓を鳴らし、攻撃の法螺貝の音が辺りに響き渡る。


「来おったぞ! 目にもの見せてやれ!」


続々と襲い掛かる大軍を前に、僅か三,〇〇〇の織田軍は敵を恐れることなく、正面から突撃した。


「後世に汚名を残すな! 一人でも多く道連れにせよ!」


死を悟った織田軍は、可成を中心に猛烈な勢いを示し、終日激戦を繰り広げる。



「数で優る我らに負けの文字はないぞ! 取り囲んで一人残らず討ち取れ!」


一方、先陣に打って出た浅井長政は、兵を左右に分け、正面と側面から同時に攻撃を仕掛ける。

織田軍は、一時は一〇倍の敵をはじき返す奮闘を見せるが、延暦寺の援軍が加わると、寡兵及ばず、大波に飲み込まれる様に包み込まれ、崩壊した。


(殿……! 申し訳ございませぬ……!)



可成ら三将は、その名に恥じぬ働きを見せ、夕刻には悉く討ち死にした。



織田軍を蹴散らした敵軍は、そのまま直進し、可成の居城・宇佐山城へも攻めかかる。


「勢いに乗って城を落せ!」


比叡山の僧兵も合流し、四〇,〇〇〇人に膨れ上がった敵軍に対し、城兵に為す術はないと思われた。

しかし、森家重臣・城代の各務元正らは、士気高く攻め手を寄せ付けない。


「殿の命を無駄にするな!」


可成亡き森軍であったが、戦意は失っていなかった。


近寄る敵に鉄砲の猛射を浴びさせ、敵が怯むと、城門を開け騎馬隊を突撃させる。

小敵と見くびっていた浅井朝倉勢は、予想外の反撃に被害者が続出した。


「何と情けなき事か! 少しは意地を見せぬか!」


敵は執拗に強攻を繰り返すが、城兵は要害である佐和山城の地の利を生かし、頑強な抵抗を続けると、敵は兵を失うばかりで成す術がなく、いたずらに時間が過ぎて行った。


「ここでこれ以上、もたもたしておられぬ……!」


長政は義景と協議し、ついに城を落とす事無く、京へと向かう事となる。




可成らは、命を賭し、敵軍の足止めという大役を見事果たしたのであった。




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