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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第六章 『信長包囲網』
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【 七 】 本願寺

 元亀元年(一五七〇年)八月二十六日


 摂津中嶋の中州に浮かぶ野田・福島城を睨む織田軍四〇,〇〇〇人は、八,〇〇〇の阿波讃岐淡路衆を率いる三好三人衆と対峙していた。


 朝倉浅井との近江戦線により、畿内の守りが薄いと判断した三好三人衆は、摂津に野田福島城を築城し、畿内進出の足掛かりとした。

 これに対し、織田側の松永久秀・久通父子は、居城の信貴山城を出立し、河内に入国する。他方で足利義昭は畠山昭高に御内書を送り、信長と合力し紀伊・和泉国の兵を集結させ三人衆軍に対処するように命じた。

 緊迫した情勢の中、三好軍は信長が三好家討伐の為の前線基地として築いた古橋城に攻め込み、瞬く間に城兵を全滅させる。

 事態を危惧した信長は、近江の小谷城攻略を一時諦め、摂津へと向かったのであった。


 三好三人衆は、押し寄せた織田の大軍に恐れをなし、要害である野田・福島城へと籠城を決め、抗戦構えを見せる。


「むやみに攻め込めば損害を被ろう。まずは調略と致せ」


 信長は、西側が海、北・南・東は川に囲まれた天然の要害である野田福島城への我攻めを避け、誘降作戦を執ると、寄せ手の大軍に臆した細川信良、三好為三、香西長信ら三好の諸将は続々と寝返った。

 九月三日、将軍義昭が奉行衆二千を引き連れ、細川藤賢のいる中嶋城へ着陣する。



「敵は浮足立っておる! 一挙に攻め落とせ!」


 八日になり、信長は総攻撃を命じた。

 野田城・福島城の西の対岸にあった浦江城を三好義継、松永久秀隊が攻城する。

 天地を震わせる轟音が大地を駆け巡ると、方々の城壁から弾ける様な爆音と煙が続々と巻き上がる。

 織田軍はこの攻城戦に大鉄砲を用いた。

 大鉄砲とは通常の火縄銃に比べて口径が大きく、命中率は劣るが破壊力が大きい分、主に攻城戦や海戦に使用された。

 この世の終わりとも思える轟音に戦意喪失した城兵は、瞬く間に降参し、浦江城は落城。野田城・福島城攻めの砦とすると、織田軍は更に川を埋め、対岸に土手を築き、櫓を上げる。


「あのような恐ろしき兵器相手では太刀打ちできぬぞ……」


 見た事も無い巨大な兵器と凄まじいまでの鉄砲の火力に恐れおののく敵方は、遠方を見渡すと更に失望を深める事となる。

 織田方の別動隊、雑賀衆・根来衆の二〇,〇〇〇兵が遠里小野、住吉、天王寺に陣取ったのである。雑賀・根来宗衆は鉄砲傭兵部隊である。凡そ三,〇〇〇丁の鉄砲を装備しており、戦に加わると、容赦なくそれらを放った。



 この銃撃戦の様子は、信長公記でもこう記される。



 ― 御敵身方の鉄砲誠に日夜天地も響くはがりに候 ―




 「もはや抗う術はございません。どうか和議を結びたくお願い申し上げます……」

 

 三好の使者が陣所に訪れ懇願すると、信長は鬼の形相で一蹴した。


 「何たるふざけた事を申すか! 畿内の平和を乱す己ら賊徒の如き奴らは、悉く斬り捨ててやるわ!」


 使者は恐怖に顔を歪め、逃げ去る様に去って行った。



一二日

 ひんやりと湿った空気が草木を湿らせ、東の空はうっすらと明るくなりつつある。

 野田福島城の周辺は、篝火が夜通し絶えることなく煌々照らされており、時より鉄砲の轟音が鳴り響いていた。


「中々の堅城であるが、守る大将が弱卒では持ち腐れというものだのう!」


 織田陣営からは談笑がこぼれてくる。

 大地を埋め尽くす大軍に包囲された三好軍には為す術も無かった。


 周囲が余裕を見せる中も、信長は険しい表情で城の絵図を見つめている。


 (ここが済んだら直ぐに長政の首を切り捨てに戻ってくれよう……)


 姉川の大勝後も、信長は浅井長政への憎悪が消え去っていなかった。




 信長はふと朝空を見上げる。


 何事か気配を察しての事だった。


 すると、「ゴォーン・ゴォーン」という不気味な寺社の鐘が、山々に鳴り響いた。




「一体何事じゃ!」




 攻囲する織田の諸将は突然の音に騒然となる。

 その鐘の音は、一つ目の音を合図に、連鎖するように山々へと広がり増えていき、織田軍の周囲を覆う様に鳴り高まってくる。


(これは只事ではないぞ……)


 不気味に鳴り渡る鐘の音を聞いた信長は、ごくりと唾を飲み込んだ。

 すると、慌てた物見の侍が駆け込んでくる。



「本願寺が我らに対し挙兵! 鐘の音を合図に一向衆が続々とこちらに参ってございます!」



(……何と……!)



 信長は顔面を蒼白させ、無言で立ちすくんだ。



 本願寺とは、浄土真宗本願寺派の一向衆の事である。その本山は大阪本願寺と呼ばれ、摂津国東成郡生玉荘大坂にあり、ここ中嶋から目と鼻の先である。


 その勢力は西日本・北陸地方に及び、多数の信者と莫大な財を有している。

 本山には城郭の技術者を集め、周囲に堀や土塁を築き、塀、柵をめぐらし「寺内町」として防備を固めており、要害堅固な城郭都市になっていた。


 イエズス会宣教師ガスパル・ヴィレラは本願寺をこう記す。

 

『日本の富の大部分は、この坊主の所有である。毎年、はなはだ盛んな祭り を行い、参集する者ははなはだ多く、寺に入ろうとして門の前で待つ者が、開くと同時にきそって入ろうとするので、常に多くの死者をだす。(中略)夜になって坊主が彼らに対して説教をすれば、庶民の多くは涙を流す。朝になって鐘を鳴らして朝のお勤めの合図があると、皆、御堂に入る』


 強大な財力を背景に、武家権力の介入を許さない一大勢力となった本願寺に対し、細川晴元など時の権力者たちは、幾度もこれを攻め服従させようと試みたが、多くの信者を巻き込んだ徹底抗戦にあい、いずれも失敗に終わっている。


 第十一代法主顕如は、前法主・証如の時代以来進めてきた、門徒による一向一揆の掌握に務める一方、管領家であった細川京兆家や京の公家との縁戚関係を深めており、経済的・軍事的な要衝である大阪本願寺を拠点として、主に畿内を中心に本願寺派の寺を配置し、大名に匹敵する権力を有し、教団は最盛期を迎えていた。


 信長は畿内統一の大きな弊害となるであろう本願寺に対し、上洛直後の永禄十一年(一五六八年)には矢銭五千貫を要求している。また元亀元年(一五七〇年)正月には石山本願寺の明け渡しをも要求していた。



 「教団を脅かす仏敵から本願寺を守れ!」



 これに対して顕如は、全国の門徒衆に武器を携え大坂に集結するよう指示しており、この野田福島の戦いの最中、遂に信長打倒の狼煙を挙げたのである。

 


顕如は門徒衆へ以下の檄文を発した。


「信長の上洛以来、我らは無理難題を突き付けられ苦しんで来た。その上、この度は本願寺を棄却するとまで言っている。このままでは力も及ばない。門徒の者は命を顧みず、これに対抗する為決起せよ」



 鐘の音が止むと、周囲の山々から続々と門徒達が黒い塊の様になって迫ってくるのが分かった。


 「敵が迫って参ったぞー!」


 織田軍は大混乱に陥った。

 各所から怒声罵声が飛び交い、早くも乱戦が始まったようである。


 「恐るるな! 各自持ち場を守れ!」


 混乱を収束させようと指示が飛び交うが、方々から敵の喚声が沸き上がり、暗がりから続々と敵が襲い掛かってくる。


 「今こそ仏敵に天誅を与えよ!」


 顕如は自ら甲冑を着込み、信長本陣に襲いかかる。

 敵城を包囲する砦には石山本願寺から鉄砲が撃ちかけられた。


 「持ち場を乱すな! 踏みとどまって応戦せよ!」


 織田の物頭は叱咤するが、突如の奇襲に兵は浮足立ち、我先に逃げ出す。


 「ここで逃げれば後世の恥じであろう!」


 織田方の武将・佐々成政は、敵軍に踏みとどまり槍を振り回し応戦し、後に続いた前田利家、中野又兵衛の他、野村越中・湯浅甚助・毛利河内守秀頼・兼松又四郎らが先を争って敵勢へ突入した。

 毛利秀頼と兼松又四郎の二人は協力して下間丹後配下の長末新七郎と戦い、これを突き伏せたが、佐々成政は手傷を負い撤退し、野村越中は乱戦の中、討ち死にしてしまう。



 猛烈な夜襲により織田軍に大きな損害を与えた敵勢は、夜が薄らと明け始めると、嵐の様に去って行った。


 本願寺の奇襲に力を得た三好衆は、俄然士気を取り戻す。


 「敵は持ち場を離れたぞ! 提を打ち崩せ!」


 三好軍は織田軍がせき止めていた淀川の防堤を打ち破る。すると海水を含んだ凄まじい水流が、淀川を逆流し、瞬く間に織田軍の陣所を飲み込んでいった。



『細川両家記』はその様子をこう記す。


 —にわかに西風が吹いて西海より高塩水が噴き上がり、淀川逆に流れたり。 (中略)信長方の陣屋とも、ことごとくつかり、難儀に及ぶよしに候 —



 「これはかなわぬ! 一度包囲を解き陣形を立て直せ!」


 織田軍は流れ込んだ濁流を避ける様に後退すると、対岸に構えた三好・本願寺軍と睨み合いになった。


「これでは手が出せぬ……」


ため息をこぼす諸将をよそに、諸将を信長は歯ぎしりをし、拳を握りしめていた。


 本願寺衆は全国に門徒を抱える一大勢力である。彼等が敵対したという事は現在支配下に置いている領国内でも続々と一揆が起きるであろう。



 ここ摂津で時間をかける訳にはいかない。



 泥に塗れた織田軍の士卒は、暫し茫然と対岸に聳える野田・福島城を眺めるしかなかった。




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