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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第六章 『信長包囲網』
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【 四 】 小谷城

元亀元年(一五七〇年)六月二十一日


小谷城内は慌ただしく走る小者や小姓、従者の足音が騒がしく響いている。

長政は座敷に胡坐をかき、半開きとなった襖の隙間から、青天の空にポツンと浮かぶ白い雲を、只をじっと見つめていた。


「殿! 織田軍は城下を焼き討ちし、今にも城下へ攻め込まんとしております! 御命令を!」


物見の使者が途切れる事なく現れ、その都度同じ内容の報告を伝えるが、長政は「今は慌てず指示を待て」と繰り返すばかりである。

傍に控える小姓達は、不安な面持ちで主人を見つめるしか出来なかった。


(運命とは分からぬものよ……)


つい数か月前まで、信長と共に天下に覇を唱えようと意気込んでいたのが、まるで夢の様であった。


「これは父上の身勝手に振り回された結果であろうか……。いや……」




織田軍の越前侵攻を聞いた時、浅井家中は大きく動揺した。

父久政を中心とする強硬派は、即座に朝倉へ援軍を回す事を求めたが、遠藤喜右衛門・赤尾清綱ら長政側近は反対する。

特に喜右衛門は語気鋭く言う。


「織田家の勢威は隆盛を極め、尾濃から畿内の支配する並びなき大大名となってございます。我らが朝倉と組んだとて、もはや抗う術はございませぬ」


久政は喜右衛門の言葉を遮る。


「何を言う! 今我らが越前へと攻め入れば織田軍の退路は完全に防げよう! さすれば朝倉と挟撃し信長の首を討つなど容易いではないか! そもそもお主は信長が我が城へ来た時に首を取ろうと申したではないか!」


喜右衛門は大きくかぶりを振った。


「何事も行動を起こすには時機がございます。信長を討つべく時期はもはや失ったと申しておるのです」


「だまらぬか! この臆病者めが!」


久政派と長政側近らとの対立は激しさを増し、収拾がつかなくなる。

長政は両者の間で激しく逡巡するが、時機を失ったという喜右衛門の言葉に内心は納得している。

朝倉と連携したところで織田軍に勝てる見込みは無かった。


「……なによりもお市と子供達が不憫でならぬ……」


長政と信長の妹お市の仲は睦まじく、彼女を巻き込みたくなかった。


「話にならぬ! 我らは好きにさせてもらうぞ!」


「何を馬鹿な事を!」


久政は支持者を連れ強引に出馬してしまい、長政はそれを止める事が出来なかった。


―――



「いや、父を制御できなかったのは儂の力量不足じゃ……」

長政自身に迷いが生じ、確固たる決断が出来なかった故の結果であると、諦念していた。


長政は思い立った様に立ち上がると、それまでの思案を吹き飛ばそうと、頭を左右に大きく揺さぶった。そして大声で叫ぶ。


「もはやあれこれ考えても仕方がない! 腹を括り兄上と戦うのみじゃ!」


長政は、両手で自らの頬を叩く。


「喜右衛門を呼べ!」


長政は自らを奮い立たせるように、気合の籠った声で叫んだ。

小姓は突然の指示に驚き、慌てて喜右衛門の屋敷へと駆けこんだ。



「お呼びで……」

戦準備に追われていた喜右衛門は、急ぎ長政の元へと駆け参じた。

上座で胡坐を組んだ長政は不動で腕を組み、鋭い眼光で彼を迎えた。喜右衛門は、長政の周りを覆う、凄まじいまでの気迫を感じ取ると、多少安堵した。


(ようやく腹を括られたようだ)


長政は、それまでの動揺が嘘の様に落ち着き払い、低い声で喜右衛門に言う。


「もはや過ぎ去った事を後悔しても仕方あるまい。信長との戦は避けられぬとなれば、正々堂々と戦うまでだが、正面から衝突しても万に一つも勝ち目は無かろう」


喜右衛門は無言で頷いた。


「しかしたとえ織田の大軍であってもここ小谷城を攻め落とす事は一朝一夕では出来まい。あやつが城下で挑発を繰り返すのが良い証拠じゃ。素振りばかりで攻め込んでくる気配がない」


喜右衛門も同意見である。

今信長は小谷を攻められない。山頂に聳える小谷城は、天然の要害であり、いかに大軍でも短期間に落とす事は不可能である。織田政権は京都を制圧した後、摂津和泉へとし進出し中枢の支配体制を築いてはいるが、三好家や六角家の残党は未だ勢力を保ち、彼の足元をすくおうと虎視眈々と狙っている。そして、信長の力により将軍に成り上がった足利義昭は、信長に権力を抑えられると、傀儡と化した事実に不満を抱き、密かに打倒信長を画策していた。

ここで長政の攻略に時間を取られていれば、織田政権に不満を抱く敵対勢力が各地でどの様な混乱を引き起こすか予想できない。


「おっしゃる通り。野戦になれば勝ち目はありません。しかし、小谷に籠れば信長は手も足も出せませぬ故……」


長政は眉間に皺を寄せ、暫し考え込んだのち、一言口を開いた。


「朝倉はどうなっている?」


喜右衛門は即時に応える。


「義景様はやはり動きませぬが、景建様を総大将とした援軍をこちらへ寄越すと言っております」


「そうか」


長政は表情を崩さず、一言答えた。



喜右衛門には長政の心境が理解できた。

このまま朝倉の援軍と共に籠城を決め込めば、短期間で敵に落とされる事はまず無い。しかし長期戦になれば話は別である。信長は、こと戦略において我慢強く粘り強い性格である。

小谷が早急に落とせないとあれば、周囲の支城から攻略し、裸城にした上で徐々にこちらの体力を削っていく戦略をとるであろう。

美濃国斎藤家の稲葉山城を攻略した際も、実に七年の歳月を掛け、周囲を圧迫していくことで斎藤家を内部崩壊へといざなったのである。

織田軍による小谷への攻囲網を崩すには、北近江から織田勢力を一掃しなければならない。

その為には野戦で勝利を得、「浅井手強し」という結果を周囲に突き付けなければならなかった。

朝倉の支援なしに信長と戦う事は到底出来ないが、当主の義景が弱腰では、例え援軍を得て野戦に臨んでも士気は低いであろう。

織田軍は徳川の援軍を合わせおよそ二五,〇〇〇の軍勢で押し寄せているという。死地に活路を見出すには、浅井軍が全力で織田の主力をはじき返す他ない。


「挑発に乗らず、時機を見定め下さい……」


喜右衛門は、もやはこのような助言など必要ないであろうと思いつつも、一言伝え、座を立った。

長政は無言のまま喜右衛門を見送った。



―――



「やはり炙り出す事は難しいか……」


御虎前の小山に陣取る信長は、焼き討ちの挑発にも乗らず静観を続ける浅井軍を見ると、ギリと歯を鳴らした。


「全軍横山城への攻撃へと切り替える! 首尾よく後退せよ!」


織田軍は小谷城への攻撃を諦め、南方に位置する横山城攻略の為、姉川を渡り後退した。

横山城は、南近江と北近江、そして美濃へと繋ぐ分岐点に位置する重要拠点であり、小谷城の喉元二里ほどの距離にある。ここには浅井井演が守備しているが、小勢であった。



「敵は横山城を一挙に攻め落とす算段やもしれませぬ」


浅井家の物見は続々と駆け付け注進するが、長政は尚動かない。



(信長の考えは分かっている。儂を引きずり出す為の挑発であろう。その手には乗らぬ)



浅井軍は長政が何を考えているのか予測できず、不安を感じるまま時間ばかりが過ぎて行った。





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