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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第六章 『信長包囲網』
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【 一 】 離反


「その様な事があって堪るか! 虚報に振り回されては武士の恥というもの!」


普段冷静沈着な信長らしからぬ大声に、周囲の武将達は驚き、後ずさりした。

「浅井に何の利があって儂を裏切るのだ! 誰か説明してみよ!」

烈火の如き激しい怒声に、信長旗下の諸将は沈黙するばかりである。

目を伏せ、各々が周囲の様子を見るばかりの中、一人松永久秀は、意を決した様に信長の元へ歩みよると、静かに言上する。

「上様落ち着き下さい。我が間者も一様に浅井裏切りと申しております。ここは冷静になられた方が良いかと……」

それに反応する信長は、険しい眼つきで久秀を睨みつけると、喉が裂けよと大喝する。

「黙らぬか! お主の様な表裏多き男の言葉など、信じるに値せぬわ!」

罵倒された久秀は、苦々しい表情を浮かべながら、引き下がった。


―――


元亀元年(一五七〇年)四月二〇日

信長は、義昭の命で若狭国(福井県)へと侵攻を開始した。


若狭国は守護である武田氏が支配していたが、その勢威は衰退し、内藤、逸見、粟屋など配下の各家が独立し内乱が続いていた。

永禄十一年(一五六八年)に、越前の朝倉氏がこの混乱を突き若狭に侵攻。守護の武田元明は敗北すると越前へと身柄を拘束され、若狭国は事実上朝倉家の支配下に置かれたのである。

しかし、武田家内では、これに反発する粟屋、逸見、熊谷氏らが織田家に追従の意を示し、武藤景久ら新朝倉派の諸将は織田に敵対したのであった。


「若狭を守護に還すべし」


足利義昭は、将軍として守護若狭武田家の復興を望み、信長へ武藤家の征伐を命じる。当主武田元明は義昭の甥にあたる人物であった。


信長は主命を受け、息巻いた。

「将軍を蔑ろにする者は天下の名のもと、成敗いたす!」

早速、徳川家康の援軍を加えた凡そ三〇,〇〇〇の軍勢で侵攻を開始。雲霞の大軍は怒涛の勢いで若狭国内へと押し寄せた。

「これはとても敵わぬ! 今すぐ朝倉に救援を頼まねば!」

独力では到底太刀打ちできない武藤景久は、即座に朝倉に援軍を依頼する。

朝倉家当主義景は、因縁ある織田家の侵攻に憤り、直ぐに出陣を指示した。

「織田ごときがいい気になりおって! あやつの好きなようにはさせぬぞ!」

義景は親族衆の景健、景鏡らに命じ、武藤救援の軍を編成するに至ったのであった。


朝倉家進軍の報を受けた信長は、薄らと笑みを浮かべた。


(まんまと食いつきおったな……)


旧来から犬猿の仲である朝倉家に対し、信長は彼らを屈服させる機会を狙っていた。本拠地美濃から京へと上る行路を脅かす朝倉は、織田家による政権運営に邪魔な存在である。

将軍の名の下、兼ねてから上洛を促していたが、義景は謀殺を危惧しこれを了承しなかった。

そこで彼は朝倉討伐の建前を得る為、自らが若狭へ侵攻すれば、義景は黙っている筈もないと思い、多数の間者を放ち義景の動向を逐一探っていたのである。


「朝倉が動きし事は、即ち将軍へ叛逆行為である! 天下の名の下、速やかに越前へ侵攻せよ!」


信長は、将軍に対する逆徒を征伐すると言う名目を得ると、揚々と進路を変更したのであった。



四月二十九日


「何故援軍が来ぬのじゃ!」

織田軍の急激な侵攻を受けた朝倉の属将は、浮足立った。

まさか若狭に向けていた軍勢が反転して越前へ攻めてくるとは思いもよらず、防戦の準備もままならぬ内に三〇,〇〇〇もの大軍に攻められ、士気は失墜した。

天筒山城を皮切りに、敦賀郡の朝倉側の諸城は、援軍の到来を待つことも無く次々に陥落し、朝倉一門である朝倉景恒の守る金ケ崎城も瞬く間に降伏開城した。


「何とも情けなき有様じゃ! 義景様といい、一族の名に泥を塗りおって!」

援軍の総大将として進軍していた朝倉景鏡は憤る。

「このまま織田をどう食い止めるつもりじゃ……!」

朝倉家の危機に際しても、居城である一乗谷を出ない主君義景に対する憤りも殊の外激しく、野心家の彼は、一族筆頭である景恒の失脚を密かに望み、援軍をわざと送らせていた。


「思わぬ弱敵よ! 一挙に一乗谷まで攻め入ってくれようではないか!」

信長は余裕を見せ、援軍に来た徳川家康に語り掛ける。

「誠、手ごたえのないばかり。朝倉といえ、信長様のご威光にはまるで歯が立たぬという事ですな」

家康が恐縮を見せながら応えると、信長は「そうであろう」と大笑した。

織田徳川軍はさほどの損害を出さぬまま、破竹の勢いで侵攻していく。

談笑する二人であったが、その余裕は、危急の使者の到着により一変する事となった。


「浅井長政離反により、軍勢を我らに向け進軍中です!」


「なんだと!」


陣所に飛び込んで来た使者の言上に対し、信長は思わず立ちあがり、大声を上げた。


同時に周囲にいた諸将も、驚愕の表情を隠せず、絶句する。


(……なんと、恐れていた事態が起きてしまったか……)


越前内へと歩を進めていた織田連合軍は、敵領国内に深入りしている。

ここで北近江を支配する浅井家が敵対すれば、退路を塞がれ、後背から攻撃を受ける事となる。

浅井居城の小谷から、ここ敦賀までは凡そ九里(三十六キロメートル)程であり、一日もあれば到着できる距離である。

これが事実であれば、追い詰めていた朝倉軍の反撃も避けられない。文字通り、前後を挟み撃ちされるのである。


各将達は皆焦燥の顔色を見せるが、信長がどういう反応を見せるか懸念し、口を出さなかった。

互いに目を合わせ、動揺する諸将の中、明智光秀は静かに拳を握りしめる。


(……やはり浅井など信用などしてはならなかったか……)



越前侵攻にあたり、彼は信長に懸念を示していた。

「浅井との約定は宜しいのでしょうか……」

信長は、浅井家との同盟に際し、無断で朝倉を攻撃しないという誓約を結んでいた為である。

しかし彼は「私情の戦に非ず」といって、全く意に介さなかった。

(浅井に相談すれば何かと反対するにきまっておる。もたもたしておれば時機を失おう。朝倉の自滅に付き合う程、長政も阿呆ではあるまい……)

信長は、独断で越前侵攻を強行したのであった。

義昭の配下でもある光秀は、若狭に出陣する時点から、朝倉の動向が気掛かりであり、義昭側近の細川藤孝に不安を語っていた。

「この征伐に朝倉は黙っておるまい。しかし朝倉と敵対すれば浅井がどうでるか予想も出来ぬ。義昭様はそこまでお考えなのであろうか……」


光秀は、心配していたこの懸念が、正に的中してしまったと額に汗を滲ませた。


しかし、この使者の通報を聞いた信長は、これを一蹴した。

「敵の虚報に踊らされるな!」

周囲の諸将は、予想もしなかった信長の反応を見ると驚き、流石に不安を語る。

「しかし、万が一真実であれば我らは袋の鼠ですぞ」

だが信長は彼らの懸念を聞き入れない。

「長政ほどの男が、朝倉に付く愚行を選択する訳が無かろう!」


合理主義者である彼は、この戦の大義は自分にあると確信している。名目は将軍への逆徒征伐である。浅井と交わした約束は、あくまで織田家が朝倉家を攻撃しないという事であり、この戦は将軍の命令に従ったという建前がある。浅井に何の咎めを受ける事ではないと高を括っていた。

何より賢明な長政が、自身に反旗を翻す暴挙を選択するとは思っていない。

世は織田家の台頭により急激な変転を遂げている。信長が浅井の顔色を窺って、同盟を提案した時とは状況が違う。浅井の戦力など目にも留めない大勢力となった信長は、将軍の名の下、天下の号令を下す立場にある。


「この期に及んで朝倉との旧交を重んじて何になる。時勢の読めぬ愚か者でもあるまい」


旧態の権益にしがみ付く愚者と長政は違う。勇猛果敢で分別があり、古い慣習から脱却するために、愚かな父を追放した新鋭である。だからこそ、愛する妹を嫁がせたのだ。

「旧交の情に流され、破滅を選ぶのは勇者ではない」

信長は、尾張の国人大名の嫡男として生まれ、生き残る為に叔父や弟など血の繋がる一門衆をも血祭りにあげ、のし上って来た。旧来の慣習や、血縁の情に流され隙を見せれば、瞬く間に命を取られる環境に生きて来た彼は、世を客観視し、冷めた目で見ている。

弱肉強食の世を生き長らえる為には、長政の選択肢は限られていると思い込み、考えは他に及ばなかった。


信長は使者の言葉を信じようとしなかったが、尚浅井離反の情報は留まる事を知らない。

柴田勝家や池田勝正など織田の諸将は恐々としながらも口々に言う。

「もはや浅井の裏切りは間違いございませぬ。これ以上深入りする事はあまりに危険にございます。何卒、速やかにご退却の命令を!」

しかし、信長は珍しく頑なであった。

「長政が裏切る訳がない! 虚報に踊らされるな!」

いつも冷静沈着な信長らしからぬ言動であったが、彼はそれほどに長政を信頼していたのである。


信長は、実の弟信勝に二度までも裏切られ、自ら手に掛けた過去がある。

世を諦観し、時には冷酷な決断をする反面、幼少期から母に疎まれて育った彼は、家族の情愛に飢えていた。それ故に追従する血縁衆を殊の外優遇するきらいもある。信勝の裏切りも一度は許したが、織田弾上忠家の崩壊を防ぐため、苦渋の想いで謀殺したのであった。


(またも裏切られるのか……)


信長は、気に掛けた義弟にまで裏切られたという事実を受け入れられないのであった。


すると諸将の中から一際大きな声が響いた。


「上様! 私は上様のお陰で農民から侍に取り立てて頂き申した! ここで殿を失っては私の生きる場所はありませぬ! どうか、私めが盾となりますなれば、速やかにお退き下され!」

信長は、はっと我に返った。

自らの手を取り嘆願するのは、木下藤吉郎秀吉であった。

彼は信長の草取りとして雇われてから、短期間で驚異の大出世を遂げ、侍大将にまで上り詰めた男である。

信長は周囲の意見を一蹴し続けていたが、猿の様な小男から、丸々とした真っすぐな瞳で訴えかけられると、苦々しい表情を浮かべ、しばし黙り込んだ。


(また猿めが生意気な事を……) 


信長はフウと大きく嘆息する。

そして、心配そうに彼を見つめる諸将に対し、声高に叫んだ。

「よかろう! 浅井の裏切りは間違いあるまい! 誠口惜しい事であるが、窮地を抜ける為、退却致す!」

居並ぶ諸将の全員が、安堵の表情を浮かべた。



決心した信長の行動は極めて迅速である。

「これは厳しい退却劇となる! 殿しんがりは猿だけでは荷が重かろう! (池田)勝正、(明智)光秀! 猿と合力し敵を食い止め、無事帰還せよ!」

「畏まってございます!」

告げられた三将は素早く頭を下げた。

気勢よく返答した彼等であったが、皆大粒の汗が額に浮かび上がる。

殿しんがり軍は、信長を生かして帰すため、敵の猛追を、身を挺して食い止めねばならない。被害を抑える為、兵力は最小限であり、戦場で最も命を落す危険の高い役目であった。

告げられた三武将とも織田家にとっては外様衆である。常に危険な任務を負う役回りであり、信長の命に逆らう事は出来ない。秀吉はそれを見越して誰よりも早く最も危険な役目を申し出たのであった。


「猿、無事生きて帰って見せよ」


信長は、厳しい口調で秀吉に言うと、馬首を返して全速力で去って行った。


(見ておれ長政、必ず後悔させてやろう……!)


信長は掌から血が滲むほどの力で手綱を握り締め、自ら馬を走らせた。


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