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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第五章 『上洛』
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【 八 】 堺衆

「そのような大金払えるわけがなかろう!」


堺の会合衆は、信長の使者佐久間信盛から二〇,〇〇〇貫という高額の矢銭と服属の要求を受け、緊急の討議を行っていた。


「織田など田舎侍が京をいつまでも抑えられるわけがない! われらには三好がついておる! 恫喝に怯えては笑い者じゃ!」


堺は日本屈指の貿易港であり、交易による豊富な経済力を背景に会合衆(有力商人衆)を中心として武家支配を許さない、独自の自治権を擁していた。

富裕な商人達は、織田政権など一時的なものでしかないと甘く見ている。彼らは新興勢力の自治体介入を許さず、密かに三好衆へ資金援助し抵抗の色を見せていた。

信長は本圀寺急襲の背景には堺衆の資金が動いている事を察知しており、この豊富な財力を有する抵抗勢力を屈服させようと本格的に動きだしたのである。


興奮する三十六名の会合衆は、それぞれの既得権益を何としても守りたい。しかし信長は抵抗すれば焼き討ちすると恫喝してきており、彼らは明らかに動揺していた。


怒声が飛び交う論議の中、鋭い眼つきでその様子を伺う男がいた。


(強気な発言はするが、誰も打開策など持ってはおるまい……)


男は堺会合衆の一人、今井宗久という。

彼は大きく前に突き出た腹を摩りながら、収拾のつかない議論の頃合いを見計らう様に、徐に口を開く。


「ひとつよろしいでしょうか」


座列の面々は、それまで沈黙を保っていた宗久の突然の言葉に反応し、一同に視線を送った。


「皆のご意見もっともでございますが、先の戦で三好は織田方に散々に打ち負かされ、阿波へ退却しております。我らのみで対抗するには中々に難しき事と存じますが、いかがでしょう」


宗久の率直な意見に、息巻いていた彼等も思わず閉口した。

強気な意見を出していたが、三好の惨敗に内心衝撃を受けていた。しかし織田からの要求はあまりに横暴で、面子を重んじる豪商たちは佐久間の使者を一方的に突き返した。


「信長は返答次第で堺を焼き討ちすると暗に脅してきておる! その様な者に追随するというのか!」


一人が声を荒げる。しかし宗久は冷静に返した。


「我らがいかに資金を持ち、自前の軍を作ったところで、織田の大軍に敵うものではありますまい。信長は我らの財力を資金源として活用したいのです。脅し文句を言っている内に交渉に臨むべきでしょう。彼がその気となれば、堺は瞬く間に殲滅されてしまいます。一時の感情に左右されず、時勢を的確に読む事が今は重要なのです」


宗久は、ごほんと一つ咳払いをして周囲の者達を見まわしたが、反論出来る者はいなかった。


「二〇,〇〇〇貫は大金なれど、我らに払えぬ額でもございませぬ。戦乱が続けば兵器の調達も盛んにおこなわれ、我らも食に困る事はないでしょう」


宗久の声は次第に大きくなる。


「得体の知れぬ織田家に服従する事は賭けやも知れませぬが、今はあの者の勘気を被る事は得策ではありませぬ。交渉は私が引き受けましょう。皆、腹を括ってくれませぬか?」


会合衆は宗久の独演に流されるように、同意せざるを得なかった。

彼らは三好の後ろ盾を失い、信長の恫喝に怯えていた。数万におよぶ大軍団を堺に向けられれば、たちまち制圧される事は分かっている。しかし悪鬼と評判の信長に対し、綱渡りの交渉へと臨む勇気がある者はいない。

その様な中、ひとり情報処理に長ける今井宗久は、密かに信長へ相談を持ち掛けており、彼らを説得する役割を受け持っていたのである。


信長と密かに面会した宗久は、物怖じせず雄弁に語る。


「会合衆の面々は頭堅き者多く、財に驕り、時勢を読めぬ者ばかりにて交戦を訴える輩もおります。堺が焦土と化すことは信長様もお望みでは無いでしょう。私めが年寄り共を説得して参ります」


信長は自身を軽視する会合衆に敵意を抱いていた。

彼は人の顔色一つで心底に内在する嘲笑や軽蔑の意を瞬時に汲み取る。自身を甘く見る者に対して服従させずにはいられない衝動は、彼の心の中で年々強まるばかりであった。

奢る商人達を徹底的に屈服させ、追従させる事で、全国随一の貿易港である堺の財力を我が物にしようと、画策していた矢先、利に聡い宗久はいち早く自身の立場を得ようと取り入りに来たのである。


信長は口元を緩め応じた。


「よかろう。説得が上手く行きし時は、お主には良く取り計らおう」


堺を武力制圧する事も一つであるが、無理に事を荒げる必要も無い。堺衆の合力を得る為、発言権のある宗久の提案に乗る事が得策と判断した。

宗久は信長の前でも動じず満面の笑みを浮かべ「必ずや良いご報告を持って帰りまする」と叩頭する。



宗久は会合衆に対し、織田軍の脅威を語り、今後三好では対抗できない事、信長が本気になれば堺を焦土と化すことはたやすい事など、今後の行く末を必死に説いた。

軍事力では到底対抗できない会合衆は宗久の意見に同調し、遂には矢銭を収め服属を認めるに至ったのである。



宗久は再び信長の元を訪れ、事の経緯を報告する。

信長は喜んで宗久を迎え入れた。


「頭の固き年寄り共をよくぞ説得して参った。お主は堺の代官職として儂に仕えよ」


商人でありながら信長の前でも動じず、提案した通りの成果を挙げた宗久を信長は気に入り、配下として取り立てた。



宗久は時勢を鋭敏に読み、堺で随一の権益を得る事に成功したのである。



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