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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第五章 『上洛』
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【 七 】 ルイス・フロイス

京の町は数えきれぬ程の人足の群れに覆われ、将軍襲撃という事件の直後とは思えぬ活気と賑わいがあった。


「将軍無くして京の治安は保てまい。逆賊に対するには、将軍の権威に相応の御殿が必要であろう」


此度の襲撃から、畿内の不穏な状況に杞憂した信長は、各国から人足を呼び集め、二条城の御殿建築に取り掛かった。


集まった人数は二〇,〇〇〇人を超え、その様子を伺おうとする野次馬の民衆でごった返している。

信長は町民の着る様な質素な衣服に身を纏い、腰には虎の革を巻いた格好で自らカンナを手に人足達に指図した。彼は身分の低い人足とも気軽に談笑を交わしながら共に汗を流して働く。戦に明け暮れた陰鬱な気分を晴らすかのように、快活に作業員たちに指示を送っていた。

そして見物の野次馬達には、男女を問わず履物を脱がず信長の前を通る自由を与える。

慣習や体裁に拘らない彼は、傍から見れば畿内尾濃の大君主とは思えぬ出で立ちであった。


「殿は若かれし時と変わらぬなぁ」


前田利家や丹羽長秀ら長年付き添う馬廻り衆達、そして従事する近国の大名達も、信長に刺激され、自ら汗を流して働くのであった。




「上様、先日ご依頼申し上げました者達が参ってございますなれば、どうかお目通りを……」


大声で作業の指揮を執る信長の元へ、摂津三守護の一人、和田惟政が現れ、耳打ちした。

埃に顔を汚した信長は、額の汗を腕で拭うと、白い歯を見せ笑顔で答える。


「そうであったな! あの橋の上で会おう!」


「ありがたき幸せにございます」


惟政はそう言うと堀の向こうからこちらの様子を伺う数人の人影に向かい、合図する。

その者達は信長の促すまま、濠橋の上まで来ると、膝を付き丁寧に言上した。


「これは信長様。お目通りをお許しいただき、誠にありがとうございます」


流暢に話す男の瞳は青く光り、毛髪は金色に輝いている。


「先日は悪かったな。お主ら異国の者との面会は初めてなれば、儂もどうしてよいか困惑しておったのだ。今作業の場となればいらざる作法などは不要。お主らの話をゆっくりきかせてくれ」


信長は再び額の汗を拭うと、配下に用意させた板に彼等を座らせ、自らも腰を下ろした。



目通りを許されたのは、ポルトガル人宣教師であるルイス・フロイスという。

フロイスは日本国有数の王である信長が、屋外で周りもはばからず、自分達と肩を並べ気さくに面会の場を設けた事に戸惑いながらも、御礼を述べた。


「誠にありがたき幸せにございます。我らはデウスの教えをこの国にも広めたいと思い、長き船旅をして参りました。信長様には布教の御許しを頂きたく参った次第にございます……」


信長の瞳がキラリを光った。


「その健気なる思いのみで、命の危険を省みず参ったとな……」


信長は鋭い眼光でフロイスの眼を覗き込む。信長の威圧に動じない者は皆無である。

しかし彼は一切目を逸らさず、真っすぐな瞳でこう答えた。


「人々の救いの道を教える事、デウスの御旨に添いたいという望みのほか、何の考えもございません。現世的な利益なくこれを行おうとするのであり、我々はこの理由から困難を喜んで引き受け、長い航海に伴う大いなる恐るべき危険に身を委ねるのです」



この言葉を聞いた信長は暫し沈黙する。


フロイスは平然を装うが、額から一筋の汗が流れ落ちた。

束の間、信長は再び白い歯を見せ、満面の笑みを浮かべる。


「誠、健気なる事よ。 お主達の事について、そして異国の事について色々と教えてくれ」


信長は宣教師が何故命の危険を犯し、はるばる遠国の地へ向かうのか、概ねの理由を理解

ている。彼の情報網はアジア諸国の情勢もある程度把握しており、大航海時代で行われているヨーロッパ諸国による植民地化の現状とイエズス会の本来の目的も理解していた。

しかし、目の前に現れたやつれた異国人は、汚れた衣服に身を纏い、貧しい人々へ施し、病人を介護するなど、デウスの教えを広める事こそが、人々の幸福であると真意に思っている様であった。


信長はその後、年齢は? 日本に来てからどれくらいか? 母国の家族は? など凡そ一刻(二時間)にわたり彼等と談笑した。


そして彼らに次の事を聞いた。


「もしも我が国でデウスの教えが広まらなければ、母国へ帰るつもりであろうか」


フロイスは被りを振り、こう答える。


「ただ一人の信者しかいなくても、何れかの司祭がその者の世話の為に、生涯この地に残るでしょう」


信長は表情を緩めながら言う。


「それほど健気なるお主達の活動があるにも関わらず、何ゆえ、都に汝らの修道会が無いのであろうか」


フロイスは表情に陰りを見せた。

すると横に控える日本人修道士のロレンソが、身を乗り出してこう答えた。


「穀物が発芽するに際しては、棘が非常に多く、たちまちそれを窒息せしめたのです……」


信長の表情は途端に険しくなる。

彼の言葉の真意は、異教徒に対する既存宗派(仏教徒)の迫害によるものであるとの事であった。


そしてフロイスも静かに呟く。


「京にも五年程前、一軒のイエズス会の家がありましたが、彼らに不当に奪われし次第にございます……」



橋前後の麓には群衆が集まり、伴天連が答弁している光景を見守っていた。

信長はおもむろに首を挙げ、群衆の中でも一際大勢の群れを成す、仏僧たちの方へ目をやり、睨みつけた。

そして彼等へ向かい指を指すと、集まるすべての人々に聞こえる大音声で叫んだ。


「あそこにいる欺瞞者どもは、汝らの如き者ではない! 彼らは民衆を欺き、己を偽り、虚言を好み、傲慢で僭越の程甚だしいものがある! 予はすでに幾度も彼等を全て殺害し殲滅しようと思っていたが、人民に動揺を与えぬ為、また人民に同情しておればこそ、予を煩わせはするが、彼等を放任しているのだ!」


群衆は俄かに静まり返った。


信長の恐ろしいまでの表情を間近で見た宣教師たちも、顔を青ざめさせる。


怒声を張り上げた信長が、顔を彼らに戻した時には、般若の形相は消えていた。

突然の豹変ぶりに圧倒されたフロイスは、額に汗を浮かべながら無言で深々とお辞儀をした。


その後、暫くの談笑の後、信長は腰を掛けていた板から立ち上がると、にこやかな表情でいう。


「お主達を気に入った。 また、貴僧と語る為に呼びにやるであろう」

そして随行した和田惟政に向かい言う。


「お主は伴天連に同行し、予がこの宮殿と城の中で、天下の君の為に造営した全ての建物をゆっくり全て見物させよ。また、公方様(将軍足利義昭)が彼を引見し、予と同様に彼と交わる為に、彼の許へ連れて行くように」と言い、作業の場へと戻っていった。


橋の周囲に群がっていた人々は、鳥の群れが一斉に飛び立つように四散し、人足達は作業場へと戻っていった。


フロイス達は面目を施し、口々に喜びの声を上げる。


「誠、明敏な君であるな。我らの活動もようやく前進するであろう……」


喜び合う彼等は、暫し作業を観覧する。信長は再び汗を流し現場指揮を執った。




概ね好意的に捉えた信長に対する印象に加え、フロイスはそこで彼の凶暴性をも目の当たりにする事となる。



数万人の人足が作業する中、後方から陣頭指揮にあたっていた信長は、一人の兵士が作業の手を休め、見物客の方へ歩いていくのが目に入った。

しばし見つめていると、その兵士は日よけ笠を深く被る貴婦人の元へ向かい、何事か話しかけると、嫌がる彼女の笠を捲り、顔を覗こうとしたのである。


「その者を逃がすな!」


信長は途端に叫び、鬼の形相で刀を握りしめると、その者へ向かい全力で走り出した。

信長の怒声に反応した近習達は、一斉に駆け寄り、その男を取り囲む。


男は驚き、恐れおののいて土下座した。


「どうかお許しくだ……」


命乞いする男の眼前を、一瞬眩い閃光が走ったかに見えた。

そして次の瞬間、その首はボトリと鈍い音を立て、地面に落ちた。


駆け寄った信長は、言い訳も聞かず、問答無用でその男の首を刎ねたのである。


「……愚か者め」


作業場の群衆は、その光景を見て凍り付いたのであった。



軍律の厳しい織田軍は、統制が取られている事で知られている。

初めて織田軍が上洛した際、街中で乱暴狼藉を働く兵士が全く現れなかった事に、京の人々は驚いた。三好軍が占拠した際は治安が乱れ、野盗強盗で人家は荒れていたのである。京の新たな支配者として人々を安心させるためでもあったが、信長の清廉潔癖な性格は、規律を乱す者を容赦しない。

特に女性に悪戯を働く者への対処は極めて苛烈であった。


「凄まじい男だ……」


宣教師たちは数万人の軍勢を手足の様に操る男の二面性に触れ、恐ろしくも、そして頼もしくも思い、宿場へと帰って行った。


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