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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第五章 『上洛』
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【 六 】 本圀寺の変


「本当にここで守りきれるのか……!」


義昭は白い息を吐きながら、怯えた表情で周囲の者に声を掛ける。


「ご心配無用です。敵は寄せ集めの集団。我らは将軍様に命を捧げる勇将揃いとなれば三好など物の数ではございませぬ」


傍に控える明智光秀は冷静に答えるが、その表情は険しく額からは大粒の汗が浮かび上がっている。

義昭は落ち着かず、尚言葉を掛ける。


「しかし敵は大軍じゃ。 どう食い止めるつもりじゃ……」


光秀は義昭を励ますように言った。


「義昭様。どうか落ち着いて下さい。ここは城門・塀に囲われ、城郭の構えは一通り備えております。少数でもしばしの時間は稼げましょう。さすれば織田の援軍が直ぐに参る筈です」


「……頼んだぞ……」


義昭は目を泳がせながら、士卒に縋った。




永禄一二年(一五六九年)一月五日


将軍足利義昭は、京都本圀寺を仮御殿として新政権の政務に取り掛かっていた。

将軍上洛の大儀を一先ず果たした信長は、前年の十月末には一度本城の岐阜へと凱旋し領国の経営にあたっている。


「信長は本国美濃を長く空ける事が出来ず帰っておる。攻めるなら手薄になっている今が好機じゃ!」


三好三人衆はこの隙を突き、将軍の滞在する本圀寺を一〇,〇〇〇の兵で急襲したのである。



外には小雪が舞っていた。

凍える寒空には、大軍の喚声と鉄砲の轟音が響き渡っている。寺社を包囲する三好軍は、いつ寺門を突き破って突入してくるか分からない。本圀寺を守る守備兵は明智光秀他わずか二,〇〇〇人程であった。

義昭は動揺し御殿を左右に、うろうろと動き回っている。


「こちらが弱気を見せれば忽ち突入されましょう。然らば一度討って出て、敵に我らは戦意盛んであると示しましょう」


守将・山県源内が提案すると、光秀他の諸将も同意した。


「指を咥えていても仕方あるまい」


兵たちは意を決し、正門前に集結した。


「敵は小勢だ! 門を打ち破り一挙に攻め込め!」


三好勢の先陣・薬師寺貞春は叫ぶと、正門へと突撃の指示を出した。


正に今突撃しようとした瞬間、突如として門が開かれ、一斉に鉄砲の轟音が響き渡った。

パン、パン、パンッ、という咆哮と共に、貞春の前面で突撃の準備をしていた足軽が次々になぎ倒された。


「逆襲じゃ! 矢玉に備えよ!」


貞春は咄嗟に指示を送るが、前面の足軽たちは突然の逆襲に足並みを乱す。


「それ! 敵は怯んだぞ! 一挙に突き崩せ!」


山県源内は、自ら先頭に立ち、馬上から槍を振るい門外の敵へと突撃する。

貞春は敵の奇襲に驚きつつ、押し返そうと声を嗄らした。


「小勢で玉砕する気か! 突き返し城へ突入せよ!」


しかし突然の敵の奇襲に動揺した寄せ手は、突撃してくる敵勢を捌ききれず狼狽える。


「敵は小勢だと言っておろうが! 包み込んで討ち取れ!」


物頭は叱咤するが、勢いに呑まれ、たちまち押し流され始めた。

寺内からは鉄砲が斉射され、暴れ回る城兵を援護する。

鉄砲の名手明智光秀は、物頭など敵の指示系統から的確に仕留めていった。

物頭を打たれた敵は隊形を維持できずバラバラに散らばり一人、二人と討たれていく。


「おのれ! 円陣を組み一度門から退け!」


側近まで狙撃され倒れていくと、貞治は溜まらず後退の指示を出した。

敵は、潮が引く様に一斉に城門から引き下がっていく。


「深追いするな! 敵が逃げた上は寺内に引け!」


槍を振るい暴れていた山県源内は、手際よく兵士をまとめると、速やかに寺門内へと退き、門は再び固く閉ざされた。


突然の奇襲を受けた寄せ手は、茫然として門を見つめていた。


「敵は思いのほか戦意旺盛の様だ。 無理強いすれば手痛き目にあうぞ……」


三好勢は攻撃の手を緩めざるを得なくなった。




---




一月六日 岐阜城


岐阜は大雪であった。

冷たい雪は城下の町に降り積もり、行き交う商人の人影もまばらである。町はしんしんと降る雪と静寂に包まれ、暫しの平穏を満喫していた。


「お主の悪評は中々のものよのう」


信長は相対する老将へ皮肉交じりに言った。

男は、額に深く入った皺を摩りながら、不敵な笑みを浮かべ反応する。


「いえいえ、上様ほどではございませぬ……」


そう言いながら深々と頭を垂れた。


「何を言う。 将軍殺しはお主の手引きだと専らの噂ではないか。 儂にはそれほどの大罪は犯すせぬわ」


語気を強めた信長だが、その表情に怒りは感じられない。


「これは意地悪を……。義輝公襲撃に儂は関わっていない事はお知りでしょう」


久秀は上目遣いに信長の目を覗き込んだ。


「そうであったか? お主には何かと黒いうわさが尽きぬからのう」


信長はそう言うと、静かな笑い声をあげた。



岐阜城で信長と談笑するこの男は、松永久秀という。

六〇歳を超える老齢であるが、戦場往来を重ね、鍛え上げられた身体は未だ生気に満ち溢れ、その鋭い眼光からは抑えられない野心があふれ出ている。


(こやつは儂と同類じゃ……)


久秀は、信長の笑いに呼応するように、にやりと笑みを浮かべ、再び頭を下げた。


久秀は元々摂津国の土豪であったが、三〇代で室町幕府管領であった細川家の被官・三好長慶に祐筆として仕えた。その後長慶が下克上を果たし畿内を制圧すると、その台頭と共に破格の出世を遂げ続け、永禄四年(一五六一年)頃には大和一国を任される大名となる。

三好一族と同格以上の権勢を誇り、畿内での影響力は計り知れない存在となるが、同時に黒い噂も付きまとっていた。


「松永は三好家を蝕む蛇の様じゃ……」


久秀の比類ない出世に反し、主人である長慶は、弟の十河一存、三好実休や、嫡子の義興までもが相次いで不慮の死を遂げてしまうのである。


畿内を席巻した稀代の謀将も、肉親の相次ぐ死に意気消沈してしまい、病を発症すると病床に付く事が次第に多くなっていった。後継者を甥の義継と定めるも、その後の行動は久秀に一任する事が多くなる。

久秀の三好家内の権勢は隆盛を極め、対抗できる人間は長慶弟の安宅冬康、阿波国の篠原長房など、僅かばかりとなっていた。


「とても偶然とは思えぬ……」


人々は不穏な噂話を口々にこぼすが、何も確証はない。

久秀はそんな噂など意に介せず、弱った長慶に近侍し日々助言を行う。


「上様、心苦しき事でございますが、今一つ由々しき問題がございます」


「何じゃ、言うてみよ」


長慶は病床でせき込みながら、久秀の言葉に耳を傾ける。


「冬康様は義継様のご後継に納得していないとか……。もしや御謀反を企てておらぬかと申す者もおります」


長慶は驚愕し咄嗟に身体を起き上がらせた。


「何じゃと! 義継を指名したのは儂じゃ! 何の文句があると言うのじゃ!」


久秀は狼狽える様な素振りを見せ、頭を下げる。


「落ち着き下され。 儂は噂の話をしているばかりでございます……」


長慶は息荒く怒りに震えている。


「しかし、冬康様の人望は家内でも随一でございます。 その勢威は日増しに高まるばかりにございますなれば、この後、義継様の御立場も危険になるやも知れませぬが……」


数日後、長慶は冬康を自らの居城に呼び出し、そのまま誅殺した。



「一体何をお考えなのじゃ……」


温和で人望長けた冬康の謀殺に、三好家内の諸将は憤慨する。

心神耗弱していた長慶は、久秀に言われるがまま、自らの手で三好家の首を絞めていったのである。


そして二か月後の永禄七年(一五六四年)七月四日、自ら誅殺した冬康の後を追う様に病死した。最期は冬康の殺害を激しく後悔していたという。


「どれも松永の思惑通りなのではないか……」


民衆たちですら久秀の謀略を噂するが、久秀は三好家の重職として、三好三人衆と共に義継を支える姿勢を示すのであった。


「儂以外に誰が義継様を補佐出来よう……」


長慶の死により、畿内の情勢は再び混迷を極めていく。

そして不穏な世情に触発されるかの様に、大事件が起こった。

久秀の嫡男久通が、義継、三人衆と共謀し、将軍義輝を殺害してしまうのである。


「もはや力無き将軍に存在価値などあるまい! 天下の執政を行う為、邪魔者には消えてもらおう」


長年三好家との対立関係にあった将軍義輝であったが、長慶存命中は合従連衡しながら両者はある種共存していた。しかし求心力であった長慶が死に、そのたがは外れてしまったのである。


征夷大将軍殺害と言う暴挙は、畿内のみならず日本中に衝撃を与えた。

そしてそれを主導した三好党及び松永の悪名は、全国へと広まっていく。


「早まった事を……」


三好家内で取次役なども行っていた久秀は、将軍を暗殺すれば予測も出来ない混乱が生じると懸念していたが、息子の行動を事実上黙認したのであった。

世間を敵に回した三好家は、長慶死後、その綻びを急速に示し始める。


後継者の義継を擁立した松永家に対し、三好三人衆は篠原長房らと共謀し敵対。家内を二分する内乱へと展開される。

そして徐々に劣勢に立たされた久秀は、居城である多聞山城を背後に東大寺に布陣。両軍の衝突は大仏殿の焼失へと繋がるのである。

将軍暗殺と大仏殿の放火という、天下の大悪事の首謀者として名高まった久秀はいよいよ窮地に陥る事となる。


その様な混乱期の中、尾濃で急速に力を付けて来た織田信長が、足利義昭を奉じて上洛を開始するとの噂を耳にする。


「噂の織田信長とは中々に曲者の様じゃ。畿内にこれに対抗できる者はおらぬであろう。早めに取り入っておくのが得策……」


数多の忍者集団を統括する久秀は、遠国の情勢にも鋭敏であった。

久秀は信長上洛に際し、いち早く人質と名物である茶器『九十九髪茄子』を差し出し恭順の意を示した。


「畿内は混迷の最中。 義昭公の上洛には儂の顔がお役に立ちましょう」


久秀と初めて対面した信長は、直ぐにその器量を感じ取り、邪魔者である三好三人衆を放逐する為、久秀の力を利用することにしたのであった。


「お主が松永か。悪事は兼々聞いておるぞ。よかろう、本領安堵の上、大和一国は切り取り次第と致そう」


「ありがたき幸せにございます……」


信長の後ろ盾を得た久秀は、織田軍の力を借り、遂に畿内から三人衆を放逐する事に成功したのである。




―――




談笑する二人の耳に、突如慌ただしく駆ける小者の足音が響き渡った。


「上様。京からの急使がご到着でございます」


信長は何事かと警戒する。小姓に促された使者は、肩で息を切らしながら言上した。


「本圀寺に三好三人衆が手の者凡そ一〇,〇〇〇が、襲撃に参ってございます!」


信長と久秀は瞬時に鋭い顔つきに変わった。

信長は素早く立ち上がると、大声で叫ぶ。  


「これはもたもたしてはおれぬ! すぐに将軍様を救出に向かう! 久秀、お主も付いて参れ!」


即断した信長は、着の身着の儘屋敷を飛び出ると、単身で馬に乗り岐阜城を飛び出した。

近習も驚き慌てて後を追うが、信長の神速ともいえる行動について行ける者は僅かである。

久秀も慌てて信長の後を追う。


(なんと性急な御方じゃ……!)


突如として出陣の法螺貝の音が響き渡り、それまで静寂に包まれていた城内は瞬く間に騒然となった。

先の桶狭間の戦いさながらの大強行軍に、諸将達は慌てふためき急ぎ出陣した。


「今将軍が討たれては我らの大儀も消え失せようぞ! 急ぎ京へ向かうのだ!」


少数の小姓と共に全力で馬を飛ばす信長は、後ろ向きに大声で叫び、後方で慌てて支度する士卒たちを叱咤した。



---



「山県殿が討ち取られてございます!」


本圀寺の義昭は顔面蒼白で御殿の奥で震えていた。


「これ以上突入されれば持たないでしょう……」


光秀は泥に汚れた顔を拭いながら冷静に呟いた。

守備側は敵勢の猛攻を幾度となく撃退し、時折門を開いては敵に突撃し牽制を繰り返していた。しかし多勢に無勢であり、徐々に兵力を消耗し、遂には守将山県源内が討たれてしまう。

戦意盛んであった主兵達も疲労が色濃くにじんでいた。

しかし攻め手の損害も尋常では無かった。


「もう少しで落とせよう。しかし兵も疲弊しておる。夜も更けて参ったとなれば、夜明けに一挙に総攻撃をかけ、殲滅しようぞ」


攻撃側の三好長勉は床几にもたれ、横の岩成友通に言った。

「中々に手強き相手じゃが、これ以上時間を無駄に出来ぬ」

友通も同意すると、本圀寺前に集まっていた敵兵は数町程退き、今宵は傍観の体勢に切り替えた。


「どうやら夜間の攻撃は諦めたようです」


寄せ手の動静を伺っていた光秀は義昭に報告する。


「もう一度強攻を受けていれば防げなかったであろう……。 明日援軍が到着せぬ時は覚悟を決めねばならぬやも……」


光秀は独り言の様に呟いた。



夜になり、冷たい雪は容赦なく兵士たちに降り注いだ。

夜襲を警戒する守備側は時折三好側へ鉄砲を撃ちかけ牽制するが、敵陣営は反応なく静まり返っている。

緊張し気の抜けないまま、長い夜が徐々に明けてくるころ、三好陣営に物見が駆け込んでいた。


「織田側の摂津衆が幾戦とも知れぬ数で後方より後詰に向かってきております!」


岩成友通は驚き声を上げる。


「何と! 時間を掛け過ぎたか! 本圀寺はもう落とせまい! 退路を塞がれる前に急ぎ退却じゃ!」


長勉も慌てて退却の命令を下した。


本圀寺の危急を知った細川藤孝、三好義継、池田勝正ら畿内の織田勢力凡そ一〇,〇〇〇人が、救援に駆け付け四方から三好勢を襲う気勢を見せたのである。


「敵が退却を開始しております!」


敵の動向を随時探っていた物見は大声を上げ告げた。

光秀は息巻いて義昭に言う。


「義昭様! 敵は撤退の用意を始めております! 恐らく後詰が参ったのでしょう!」


眠れず甲冑を着込み不安な夜を明かしていた義昭は歓喜する。


「誠か! 我らは助かったのじゃな!」


控える光秀は黙って頷くと静かに語り掛けた。


「ひとえに山県殿など決死のご活躍のおかげでございます。誠に素晴らしき戦ぶりでございました」


慌てて退却する三好勢は桂川河畔まで来ると、ここで織田側の援軍に追いつかれ一戦に及ぶ。しかし退却し士気の失墜した三好軍は、織田の援軍に散々に討ち負かされ、逆に客将小笠原信定を討たれるなど大損害を出して本国阿波へと撤退したのであった。




---




一月八日


「将軍様。よくぞご無事で」


雪中を強行し、僅か十騎の近習と共に本圀寺に到着した信長は、義昭の安否を確認し安堵した。


「誠に危き所であったぞ。奉公衆・摂津衆のおかげで命拾いしたわ」


義昭は疲労し、多少やつれた様子であった。


「将軍様をこのままここに住まわすのでは危険であろう」


そう思った信長は二条城に大規模な御殿を造営する事と決めた。


信長は大雪の中、岐阜から京までの道のりを僅か二日で走破した。晴天でも通常であれば三日はかかる道程である。

もしも光秀他守備兵の奮闘や、摂津衆の後詰が無ければ将軍は既に生きてはいられなかったであろう。将軍義昭が死ねば、補佐官である信長の大儀は泡沫と化し、美濃尾張の一大名へと戻るところであった。信長が軍備を整えず飛び出していくほど、事態は緊迫していたのである。


戦後、信長の対応は素早かった。

一月十日には三好軍と共同して決起した高槻城の入江春景を討ち、代わりに和田惟政を入城させ、摂津国(大阪府)に畿内の国人衆である池田勝正・伊丹新興・和田惟政の三人を摂津三守護として置き統治させる事とした。

畿内の世論は未だ信長を支持していない。彼が京を不在にすれば瞬く間に動乱が起こる事実がそれを暗に示していた。




信長は宿老の佐久間信盛を自室に呼び出した。


「三好の資金源は分かっておるな?」


彼は額に青筋を立てながら信盛に語り掛けた。


「堺衆の後ろ盾により、三好が増長しておるのは明白かと……」


信盛は神妙に応える。


「和泉の支配者は誰か分からせねばならぬな……」


信長は冷たい瞳を光らせ、静かに呟いた。




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