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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第一章『尾張の後継者』
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【三】ゆさぶり

信秀の葬儀が終わると、弾正忠家は未だかつてない不穏な気配に覆われていた。

突然の危機に、誰もが憂慮している。


深夜の那古野城の屋敷では、家老衆が密かに集まり物議を重ねていた。

筆頭家老林秀貞を中心に、秀貞弟の美作守、平手政秀、佐久間信盛、信長の弟・信勝後見人の柴田勝家、佐久間盛重といった織田弾正忠家重役の面々が連なって座っている。

薄暗い行燈あんどんの灯りに照らされた室内で、筆頭家老の林秀貞は顎鬚を摩り、眉をひそめながら言った。

「この度の信長様の行動はとても見過ごせるものではございますまい。一家の主となるべくお方があのような愚行に及ぶようでは、今後の織田家の瓦解は日を見るよりも明らかでしょう」

信勝後見人の柴田勝家も続いた。

「どうも信長様は自身で周りに敵を作っている様に思えてなりません。今、当家は四方に敵を抱えております。信秀様の威光によって抑えられている分家の連中も今後信用なりませんし」

苦々しい表情で沈黙する政秀。

「……」

一人、信勝付きの家老佐久間盛重は反論した。

「しかし信長様も何かお考えがあっての行動ではないでしょうか。うつけと呼ばれるも、初陣での采配は非凡ぶりを発揮致しております。一部信者ともいえる程の支持している者達もおります故……」 

すると秀貞の横に控える美作守は、身を乗り出し語気強く盛重の言葉を遮った。

「実父の位牌に抹香を投げつける事に、何のお考えがあろうか!」

盛重は言葉を遮られると、美作守を睨みつけた。


室内に一瞬の緊張が走るも、秀貞は大きく咳払いをして続けた。


「平手殿、お主の責任とは言えまいが、信長様がこのまま身勝手なる行動を続ければ、家中で何が起こるか予測も出来ない事を肝に銘じる事ですぞ」

政秀と同様に信長の後見人を任された秀貞であったが、彼はすでに信長を見限っていた。

奇行を繰り返す信長の行動は、すべて政秀の責任であると言わんばかりである。

沈黙を続ける平手であったが「……このことは殿にきつく申しておきます故……」と俯き加減に一言答えた。


家老平手政秀は、信秀以来の重臣として外交面などで活躍してきた。

天文一七年(一五四八年)には争い中であった美濃国主・斎藤道三との和睦を成立させ、道三の娘帰蝶と信長の婚約を取り纏める等、経験豊かな切れ者である。

しかし信秀も死に、後見の信長の評判があまりに悪く、その立場も危うくなりつつあった。

「何、お主を責めている訳ではない。 若の乱行に手を焼いているのは皆同じじゃ。 しかし若を何とか出来るのはお主くらいだからのう……」

秀貞は狡猾な笑みを浮かべ政秀に言うと、その夜の談議は締めくくられた。



密議を終え、屋敷に帰った政秀は眠れぬ夜を過ごす。

(わしの育て方が間違っておったのか。たしかに信長様には何か光る物を感じている。しかし、このままではそれを発揮するまでも無く破滅に向かってしまう事を理解できないのか……)

月夜の薄明りの中、布団に入り信長に何を言うべきか思い悩んでは消えていく事を繰り返し、ただ天井を見つめるばかりである。


すると不意に、外から物音が聞こえた。

政秀は一気に緊張し、速やかに身体を起こし、障子の外へ向かい睨みを効かせる。

すると月光に照らされた影が薄らと浮かび上がった。

政秀は静かに枕元の佩刀を握り締め、神妙にその影に問いかけた。


「このような夜間に何者じゃ」

すると影の主は小声でこう答えた。

「わしじゃ、林じゃ。少し話があってな。ここを開けてくれないか」

筆頭家老の林秀貞であった。


政秀は驚きながらも林を自室に招き入れた。

「突然夜中に現れるとは一体どうしたのじゃ」

予想外の訪問者に政秀は緊張を解かずに問う。

「いやいや。平手殿とは旧知の仲ですので、少し相談をしようと思いまして」

妙に馴れ馴れしく林はこう言い、あぐらをかいて政秀の前に座り込んだ。

政秀は眉をひそめて林を睨みつけるが、林はお構いなしにと語りだした。

「さて平手殿、今日の話だが、実際信長様の今後をどうお考えなのか聞きたく参った次第じゃ」

政秀は、やはりかという思いを感じつつ、それを悟られない様に強めに切り替えした。

「その様な事を聞きにわざわざ夜中に参られたのか!」

林は冷静に切り返す。

「まあまあ、そう言わずに、聞いてくれ。今日も話したが、今弾正忠家はお家存続の瀬戸際に立っておる。本当に信長様がご当主として相応しいか、方々で疑問視されていることはご存じであろう」

政秀は、ぐっと硬い表情になる。

林は続けた。

「わしは弾正忠家の今後を憂いておる。お家の為、ご当主は次男の信勝様が相応しいと思うのだが、お主はどうお感じじゃ」

政秀はバッと顔を上げると、目を大きく見開きながら強い口調で早口に訴えた。

「何を申す、林殿。信長様は信秀様が後継と認めたお方ですぞ。謀反とも取られかねぬ言動は慎しまれたい!」

室内に緊迫が走ったが、冷めた表情で林はぼそりと呟いた。


「……本当に信秀様が認めたと?」


政秀には、それ以上の言葉が出なかった。



信長の父信秀は戦国の混乱のさなか、尾張国内に急激に勢力を拡大させた人物であった。しかし、晩年は度々美濃・三河に侵攻しては何れも敗退し、支配力は大きく動揺していた。

この危機にあたって信秀は那古野城の信長を政務に関与させ、末森城の信秀と那古野城の信長が共同で領国支配を行うという二元体制が築かれていたのである。

しかし天文二〇年(一五五一年)前半頃になると、信秀は病床に伏し、替わって登場したのが信勝であった。

その後信勝は病の信秀とともに末森城に在城し、信秀を後ろ盾として尾張の統治権をある程度まで掌握していた。

信秀は後継として信長を指名していたものの、織田弾正忠家の領域支配は実質、信勝と信長と共同で担っていたのである。



政秀は何とか反論しようと必死に頭を働かせるが、目の前の男の欺瞞に満ちた表情を見ると、言葉でやりこめる自身が無かった。

政秀には葬儀の場における信長の暴挙は、弾正忠家の明確な後継者を定めることなく死去した、信秀に対する不満の現れであるとも思えるのである。


「平手殿も分っておるはずじゃ。信長様では織田弾正忠家をまとめられまい。しかし黙って信勝様に家督を譲るような簡単なお人でも無い……。」

顎下に長く伸びた髭を左腕で摩りながら、林は諭すように続ける。

「そして考えてみて下され。隣国に敵を抱える当家が内部で潰しあい兵力を消耗させる事こそ、つけ入る隙を与える愚かな行為だと思わぬかと」


ハッと何かを察した政秀は、背筋が凍りつく寒気を感じた。


(この男はわざわざ何を言いに来たかと思えば、まさか、わしに……)


政秀は額からは大量の汗を流し、言葉にならない動揺が喉の奥からあふれ出すが、声は出ない。

唖然とした表情で、只々口を開くばかりであった。


林はだまってこちらを見つめていた。


短い沈黙のうち、林は続けた。

「儂がこのような大事を伝えるのは、長年お主の苦労を見てきたからじゃ。儂は本当に織田家の将来を憂いておる。平手殿も同じであろう」

林はおおきく深呼吸すると、ゆっくりと立ち上がりながらこう言った。

「平手殿、お主も弾正忠家の将来を考えるならば時に冷静な判断も必要ですぞ。亡き信秀様の意志を継ぎお家を繁栄させる事も我ら家老の務めである故」


外は薄らと夜が明けつつあり、闇夜の静寂を解き放とうと、遠く鳥のさえずりが微かに響いている。


林が立ち去った後も政秀は全く身動きが取れなかった。

眼前には林の狡猾な笑みがまだ消えずに残っている。


(なにがお家を憂いているだ。あやつの魂胆は見えておる。気性激しい信長様よりも、信勝様が政権を握れば自身の発言力も一層高まる。しかし面等を向かって信長様に刃向う勇気が無いのだ。だから儂を使って大事を起こそうとしておるのだ……)


激しい動揺が少し落ち着いてくると、憤怒の想いが込み上げてくる。


すぐに信長様に報告すべきか。

しかしそれでは全面戦争を免れまい。

義理堅い政秀は弾正忠家崩壊という事だけは何としても避けたかった。



政秀は肩を落とし項垂れ、独り言を呟く。

「信秀様、儂は一体どうすれば良いのでしょうか……」


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