【 一 】 明智光秀
信長は即座に気に入った。
目前に座る色白で切れ長の目の中年男は、一見謙虚で丁寧な様だが、いかにも野心家といった自尊心に満ちた内心が垣間見える。
「朝倉家当主、義景様には戦乱の世を切り開く志も度量もございません。義昭公は義景様を見限り一刻も早く上洛し、衰退した将軍家の再興を共に出来る協力者を探しておられます」
信長の御前でも動じず、義昭と朝倉家の現状を明確に伝え、その問題点も辛辣に指摘する。
遠回しの言い方や前置きを嫌う信長に対し、光秀の解答は的確且つ明快で実に歯切れが良い。
信長は確認する。
「では義昭公は朝倉を見限る代わりに儂を後ろ盾にしたいと申すのだな」
「左様にござります。義景様は越前の豊かな経済力とそれに裏付けられた強力な家臣団を有する全国有数の太守でございますが、上洛し天下に覇を唱える野心がございません。義昭公がいくら上洛を進めてもあれこれと言い訳を申し日々を過ごすばかりにございます。それに比べ信長様は今川家を打ち負かし、近年美濃国を制する程の全国名だたる勇将でございますれば、義昭公は是非とも信長様の協力を得たいと考えておいででございます」
光秀は義昭を介し、上方の公家など貴族達との交流も深い様で、尾張や美濃の荒くれ者の田舎侍には無いどこか気品を持ち合わせ、礼儀作法の心得も確かである。
信長はにやりと口も元を緩める。
(この男の目指す先は朝倉の陪臣で留まるつもりではなかろう)
光秀の目的は、朝倉家から上手い事乗り換えをし、足利家の血筋である足利義昭を擁し上洛、今や傀儡と化した将軍家の権威を復活させる立役者になる事であった。
遡る事、永禄八年(一五六五年)
信長が美濃攻略に苦戦している頃、日本の中枢である京都では大事件が起きていた。
室町幕府第一三代将軍・足利義輝が四国から五畿内(京を中心とした近畿圏)に勢力を張る三好三人衆(三好長勉・三好政康・岩成友通)と松永久秀の軍勢に襲撃され、二条御所で討死したのである。
三好衆は義輝の従兄弟義栄を擁し将軍としたが、実態のない傀儡にすぎず、京の実情は三好衆と松永家によって支配されていた。
義昭は義輝の弟で、事件当時は大和興福一乗院の覚慶と名乗っていたが、三好衆に捕まり幽閉された。他国からの擁立や内部対立を防ぐ為、将軍の血筋は義栄以外に根絶やしにされるのである。
しかし幽閉されて二か月が経ったころ、覚慶は近臣の一色藤長と細川藤孝らの機転により脱出に成功する。そして義昭と改名し、仇討の為越前の太守である朝倉家を頼ったのである。
ところが、朝倉家当主義景は厚遇を持って義昭を迎え入れたものの、上洛をする気配を一向に見せなかった。富裕な大名であった義景は、義昭の権威を利用し中枢に関与し自身が天下に覇を唱える野心が無かったのである。
義昭は亡き兄の仇である三好衆を一刻も早く京都から排除し、自身が将軍となって室町幕府を再興するという熱意に溢れているが、徒に日々を過ごすばかりであった。
そんな折、配下の細川藤孝と親しく接する明智光秀という男が近づいてきた。
将軍はその権威こそ衰えているが、当時の日本国最高司令官という役職であり、日本人の心底では現代では考えられない程尊い身分として人々から畏敬されている。その血統者である義昭をないがしろにする者は居ない。
強かな光秀は、通常の身分では近寄る事も出来ない高貴な義昭と接する機会を得ようと近臣の細川に接近し、その高い交渉力を存分に発揮すると、遂には次期将軍の代理として諸大名への交渉役を請け負う事となったのである。
朝倉の家臣として義景に仕えながら、義昭へも取り入り両天秤にかける光秀をなじる者もいたが、彼は悪びれも無く言う。
「義昭様は将来将軍になられる御方です。将軍はすべての侍の頭領ですから、全国すべての武将は皆将軍の家臣でもあるのです」
所作に気の利く光秀を気に入った義昭は、彼を使い密かに諸大名への上洛交渉をあたらせた。
明晰な合理主義者である光秀は早速、新進気鋭の勢力である尾張の織田家に目を付け、義昭に注進する。
「義景様はもはや頼るに及びません。尾張の織田家は美濃を制し飛ぶ鳥を落とす勢いでございます。頼るべきは織田家に間違いありません」
こうして光秀は朝倉家の家臣でありながら、義昭の家臣として働く名分を得たのである。
―――――
信長は状況を把握すると多くは語らず一言放った。
「よかろう。準備が出来次第、義昭公をお迎えする故、そうお伝えすると良い」
光秀は深々と叩頭する。
「誠、ありがたき幸せにございます。義昭様もさぞお喜びになるでしょう」
そう言い、下がろうとするが、「それと……」と信長は続けた。
「これより義昭公との連絡を密にしていきたいと思う故、お主は取次ぎ役として儂に仕えるがよい」
光秀は一瞬慌てる様子で顔を上げた。
さすがの彼も信長の決断力の速さに驚き、返答に詰まる。現状は義昭から派遣された折衝役であると同時に、朝倉家に奉仕する身分でもある。
信長は先ほどと比べると多少不機嫌そうな表情を見せ言った。
「何を躊躇しておる。義昭公は将来、将軍になられるお方じゃ。全国の侍は将軍の配下なれば、お主は将軍の配下であり、それを補佐し上洛する儂にも同時に仕える事は至極当然の事では無いか。それとも将軍には付き添わず朝倉に居座り続けると申すか」
光秀は信長が自分と同じ方便を悪びれも無く堂々と語るのに驚くと同時に、同じく合理主義者としての人間性に共感した。
図らずも上洛を放棄した義景には咎められない言い訳と、織田家という後ろ盾を得られたと思い、再び深々と叩頭する。
「畏まってお受けさせて頂きます」
人材発掘の達人である信長は、即座に光秀の器量を認めたのであった。
―――
越前にいる義昭の元に帰った光秀は早速伝える。
「織田家は義昭様を擁しご上洛する意志は確かでございます」
義昭は喜びつつ応える。
「左様か。しかし信長は誠に信ずるに足る者であったか」
信長は永禄八年(一五六六年)にも同様に義昭上洛の意向を伝えたが、美濃斎藤家との対立が激化しており、約束を反故する結果となっていた経緯がある。
不安そうな義昭に対し光秀は眼をきらりと光らせ答えた。
「到底信用に値する者ではございませぬ。信長は誰の事も信じず、人の心を見透かす魔物の如き恐ろしき男と存じます。その猜疑心の強い眼差しは目前の者を射すくめ、戦慄させる強さに満ちております」
義昭は予想外の返答に絶句する。
光秀は続けた。
「しかしながらこの戦乱の世を切り開く者はそうでなければいけません。義昭様が頼るべく御仁は、全国探せども信長殿以外にはおりますまい」
光秀もまた信長の不気味な存在感に底知れぬ才能と可能性を見出したのであった。




