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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第四章 『岐阜』
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【 五 】 吉乃

永禄十年(一五六六年)夏


墨俣攻略により稲葉山城の喉元にくさびを打ち込む事が出来た信長は、いよいよ美濃攻略の最終段階に入る。

残すは斎藤家最大勢力を誇る西美濃三人衆をどう取り扱うかであった。三武将はすでに龍興を見限っており、自身の進退を憂いている事は間者からの報告で確認済である。

信長は藤吉郎らに命じ、調略の手を一気に押し進めていた。美濃三人衆離反の暁には、織田軍は尾張の全兵力を率い稲葉山城攻略まで踏み切るのである。


ここにたどり着くまで、信長は実に六年の歳月を掛けた。


信長は普段激高する事もあるが、平素は割と穏やかな人物である。

若年から内外の敵に囲まれる生活を送ってきた為か、人の心底を見透かす猜疑心の強さと威圧感は突出して強いが、こと軍略においては非常に慎重で表面的な苛立ちとは裏腹に何年も掛けじっくり着々と地盤を固めていくのである。


もはや美濃国侵攻への最終段階といえる墨俣攻略という時期においても、我慢強い信長は、美濃三人衆引き抜きという最期の一手が着実に打てるまで、時機を待っているのである。


「もはや龍興に抗うすべは残っておるまい」


長年苦しんだ美濃侵攻の目途が付き、束の間の安息を得た信長の元に、生駒屋敷から吉乃の兄、生駒右衛門が信長の元へ訪れた。


信長は少し驚いた。ここしばらく屋敷に行くことが無かったからである。


「信長様、目通り頂きありがとうございます。じつは吉乃の事でお伝えしたい事が……」

右衛門は遠慮がちに伝えた。

信長は背筋の凍るような寒気を感じる。表情は変えないが、額から一筋の汗が流れ落ちた。


「申してみよ」


「吉乃の体調優れず病床に伏す事いよいよ長く、回復の兆しが見えぬ状況でございます」


信長は押し黙った。


一見平静を装ってはいるが、その動揺は火を見るよりも明らかである。


「いつ頃から体調を崩しておるのだ」


「おごとく(長女五徳姫)様を生みし後から産後の肥立ちが悪く病に伏せりがちでございました」


(何という事だ……)


五徳が生れてから既に幾年も経っている。

信長は今川家との戦いの後は政務に追われ、生駒屋敷に行く事は極端に減っていた。

加え、たまに現れる信長に対し吉乃は、信長を心配させまいと気丈に振る舞い、病の素振りすら見せなかったのである。

信長は自らの配慮の無さに愕然とし、奥歯を強く噛みしめながら、震えそうな声を必死に制御し言った。


「屋敷に輿を差し向ける故、小牧山城の御殿に移るよう申し伝えよ」


信長は美濃攻略の目途が立った暁には、吉乃を正式な側室として城に迎え入れようと御殿を用意していた。


(まさかこの様な事になるとは……)


信長は悔やんでも悔やみきれず、通常であれば吉乃の身分では乗る事の許されない輿を用意し、御殿に迎え入れた。


吉乃の到着を城門前まで出迎えた信長は、よろめきながら輿から降りた彼女をみて呆然とした。


(ここまでやせ細るまで俺は気付かずにいたのか……)


吉乃は信長を見て笑みを浮かべながら歩み寄る。しかしその足取りは弱弱しく今にも倒れてしまいそうであった。


信長は彼女の手を取り、毅然と語り掛ける。


「お主には長年苦労を掛けた。これより正式な室として迎える故、城内でゆっくりと療養致せ」


信長は手を取りながら、吉乃の為に用意した御殿へと案内する。


吉乃は涙を浮かべながら恐縮する。


「私ごときにかように大そうな御殿まで用意頂かなくとも……」


信長は見るに痛々しくやつれた吉乃の面影を見ると、胸を締め付けられる思いが込み上げる。しかし必死にそれを隠しながら言った。


「余計な事を申すのではない。ここでゆっくりと静養するのだぞ」


「本当に……。ありがたき幸せにございます」吉乃は涙を拭いながら答えた。


吉乃を城内へ迎えた後、信長は足繁に御殿を訪れ見舞った。


「まだ幼き子達もおる。必ず元気になるのだぞ……」



信長は大名としての体裁など構うことなく、自ら食事を運び、声を掛け気遣った。


「信長様があれほど心を砕く姿を見たことがあっただろうか……。吉乃様には何とか元気になってほしいものじゃ……」


周囲の者達は、普段仁王の様に動じず威光を放つ信長の、あからさまに焦燥した様子を見ると言葉を失い、主人を気遣い皆涙した。



信長は日々の多忙な政務をこなしながら、毎日御殿に通い吉乃を見舞った。

病床の吉乃は半身を起こし、心配そうに言う。


「上様はご多忙でございましょう。私などに構わず政務に集中して下さい」


吉乃の枕元に座る信長は、俯き涙を浮かべながら吉乃の手を取って言った。


「俺は、お主無しでは生きていけぬ……」


吉乃は驚いた表情を見せる。


「上様らしくないお言葉ですね。 心配いりません、私は必ず元気になります。 私の事などよりも、お国の事、治世の事に心を砕いて下さいませ……」


信長は指で目柱に溜まる涙を拭うと、そっと吉乃を抱きしめた。



---



数か月後、小牧山に冬が訪れる。


一時は軽快に向かうかに見えた吉乃の体調は、肌寒さも強まる頃、急激に悪化した。

信長は懸命な介護を続けるが、もはや手の打ちようは無かった。



「上様、子供達をお頼み申し上げます……」



吉乃は、涙を流しながら手を握りしめる信長に見守られ、そのまま息を引き取った。


二九歳の若さであった。




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