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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第四章 『岐阜』
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【 四 】 墨俣


永禄九年(一五六六年) 六月


織田家の斎藤家調略は着々と進んではいるが、軍事的侵攻にあたっては、やはり思うようにいかなかった。

齋藤龍興は織田家に対する危機感を感じていないのか、政務を怠り、稲葉山城の屋敷で側近と共に日々酒色に興じている。


いつもの様に屋敷でくつろぐ龍興へ、小姓が歩み寄り告げた。


「曽根城の稲葉良通様がおいでです」


龍興はあからさまに不機嫌になり、「多忙故、面会出来ぬと追い返せ」と突き返した。

竹中半兵衛による襲撃以降、龍興は特に配下の実力者に対し警戒感を露わにし、遠ざけている。


すると、小姓の静止を振り切り、良通は従者を引き連れ、大きな足音を立てながら龍興の居る主殿に入り込み大声で告げた。


「お邪魔申し上げる!」


龍興は驚き、罵声を上げる。


「何事ぞ! 無礼者め! ここをどこだと思っておる!」


威勢よく叫んだが、戦場往来を重ねた良通に睨まれると、それ以上の言葉は出なかった。


「殿、今一度話をお聞き頂きたく参った次第でございます!」


良通は野太い声色で言うと、龍興の前にどすんと無造作に座り込んだ。

周りの側近は良通の迫力の前に為すすべも無く、ただ呆然と見つめている。

龍興は眼前の恐怖を振り切ろうと、のど元に留まろうとする言葉を無理やり吐き出し、怒鳴り声を上げる。

「何を申すか! 余は多忙故、お主の話など聞く時間はないわ!」

「わずかばかりの時間じゃ!」


怒声は屋敷の天井に響き渡った。


地響きが起きる程の大喝に、龍興は後ろに跳び上がりそうな体を必死に押さえつけ、虚勢を張り、良通を睨み返す。

良通は咳払いをすると、多少語気を落ち着かせ龍興に語り掛けた。


「殿、尾張の織田家は、近頃活発に当家への工作活動を進めております。着々とその魔手を伸ばしておるこの状況を、いかとお考えなのです」


龍興は恐怖を消し去ろうと、敢えて強気な口調で答えた。


「分っておるわ! 余も対抗策を練っておる! 儂の指図を待てぬと申すか!」


良通は目を見開く。


「ではその策をお聞かせ願いたい! 自国を守り、しっかりと政務に取り組まねば人心は離れていくばかりですぞ!」


「うるさい、うるさい、儂は十分にやっておるわ! 指示を待てと言っておるのだ!」


良通はたちまち般若の形相となり、何事か叫ぼうとしたが、側近の一人が割って入った。


「稲葉殿! 主のご面前で無礼が過ぎますぞ! お主は殿の指示に従い織田の侵略を食い止めるのが役目であろうが!」


龍興も同調して言う。


「そうじゃ! 織田が浸食してきておるのは、お主共の働きが足りぬからではないのか。大言は自身の責務をしっかりと果たしてから申すが良い!」


良通は歯を食いしばりながら立ち上がると、そのまま屋敷内の者を悉く斬り捨てるかという程の憤怒の色を見せた。

立ち上がった良通に対し、龍興以下側近は恐怖のあまり座りながら後ずさりする。


その時、外から様子を伺っていた小姓が勇気を振り絞り両者の間に入ると、龍興に何か耳打ちした。仰け反りながら小姓の報告を聞いた龍興は、大量の汗を額から吹き出しつつ、呂律も回らない早口で言った。


「聞け! 織田の連中がまた性懲りも無く墨俣に参った様だぞ! とっとと行って追い返してくるがよい!」


「何を……!」


良通は怒り心頭で何事か言いかけたが、拳を握りしめたまま「ふぅー」と大きく息を吐くと、もはや諦めた様子で龍興に背を向け去って行った。




------------------------




良通は荒々しい仕草で馬に乗り、自身の居城・曽根城へと戻った。


「とんだ痴れ者じゃ。このままでは安藤の言う通り、破滅へのお供となりかねぬわい……」


もはや誰の為に命を投げ打って戦に出るのか、分らない心境である。



翌日、戦準備を済ませた良通は重い足取りで墨俣まで来ると、意外な事態に言葉を失う。

織田軍が陣取る場所には、過去に廃棄された簡易な砦が野ざらしのまま、河川敷にポツンとある筈であった。

しかし、その廃れた砦の周囲には、どこから持ってきたのか馬防柵が二重三重に張られており、奥では砦を修繕する様、突貫工事が着々と進んでいるのである。

馬防柵の後ろをよく見ると無数の鉄砲隊を配備しており、迂闊に近寄れば瞬く間に狙撃されるであろう。


馬上で唖然とする良通の元に、織田側の使者が訪れ書状を渡した。


(もはや築城の骨組みは出来上がった。鉄砲の配備もご覧であろう。いたずらに死者を出さずとも、帰って龍興殿に状況をご注進するが宜しかろう。---木下藤吉郎---)     


良通は書状を見ると嘆息した。


(木下とは妖術でも使えるのか。どこから木材を運び、どうやったら瞬く間にこの様な突貫工事を敢行できるのじゃ)


近頃続々と斎藤側の土豪衆を取り込んでいる者の噂は聞いていた。

自身にも幾度となく誘降の書状を送ってきている人物がこの藤吉郎であると気付いた良通は、元々戦意も失いかけていた事もあり、引き下がって自身の居城に引きこもってしまった。


「儂も進退を考えねばならぬ時が来たようだ……」



龍興は良通の撤退を聞き驚愕する。


「稲葉は裏切りおったのか! 今一度出兵の指示を出せ! もたもたしておられぬ! 稲葉山城下の軍勢も墨俣へ向かうのじゃ!」


流石に焦った龍興は急ぎ軍備を整えるが、後手に回った為に数日を無駄にし、既に砦の骨組みは出来上がっていた。


「躊躇する事はない! 付け焼刃の柵など蹴散らしてしまえ!」


斎藤軍の精強な騎馬隊は、大軍で殲滅しようと再三の突撃を繰り返す。

しかし、二重三重の馬防柵に邪魔され突撃出来ず、次々と狙い定められた鉄砲の餌食となり、いたずらに兵力を消耗するのみで引き下がるしかなかった。


「織田如きになにをしておる! 情けなき者ばかりではないか!」


龍興は自ら出陣し指揮を執る事も無く、敗戦の報を告げる指揮官たちをひたすらに批判する。終始後手に回る主人に対し、配下武将達の心は離れるばかりであった。




藤吉郎率いる小六ら地侍衆は、廃れた墨俣の砦に陣所を定めると、夜間に木材を木曽川上流から筏で運び、墨俣で搬出すると突貫工事に慣れた工夫を中心に、一気に馬坊柵を二重三重に張り巡らせたのであった。

墨俣の廃砦を活用する策は、柴田勝家や佐久間信盛も採用し実行したが、いずれも失敗していた。木曽川の広大な河川敷には、小石がころがるばかりで、塁や柵を築く為に必要な資源が無かった為、敵の急襲を受けると防ぐ術が無かったのである。


木曽川沿岸を本拠地とする国衆には、支配下に多くの工夫や職人衆がいた。小六は彼等を総動員し、水路での資材運搬や突貫工事を急場で実行させたのである。

これは柴田勝家など、大名直属の武士衆には成し得ない発想であり、戦法であった。



藤吉郎は小六と共に、自ら泥と汗にまみれながら陣頭指揮を執り、柵の取り付けを急ぐ。


「もたもたしておれば瞬く間に屈強な騎馬衆が現れようぞ! 柵さえ出来上れば敵も容易には近づけまい! とにかく急ぐのじゃ!」


主従は身分も体裁もお構いなしにと、汗をかく藤吉郎に刺激され、一丸となって工事を敢行した。

驚異的な速さで防御柵を完成させると、信長から配された鉄砲足軽隊を配置し、敵を牽制しながら一気に砦の構築作業に進んだのである。

これにより、わずか七日足らずで、砦の修繕と、簡易な防御柵を構築してしまったのであった。



完成した砦の櫓の上に立った二人は、遠く望む稲葉山城を見ながら語った。


「小六よ。まさかこの様にうまく行くとは思わなかったぞ」


しみじみ語る藤吉郎に、小六は静かに呟いた。


「天がお主に味方したという事じゃ」


二人は、失敗の許されない大役を見事にこなす事が出来、感慨に浸った。


斎藤軍はその後も幾度か攻撃を仕掛けてきたが、馬防柵と多数の鉄砲隊に為す術も無く、損害を増やすとその後は動きを顰めた。


「一先ずは諦めた様じゃ。 この先大軍で押し寄せて来ないとも言い切れぬが、信長様へ戦果の報告へと向かう事とする故、守備は任せたぞ」


藤吉郎は砦の守備を小六に任せる。


小六は厳しい眼差しで藤吉郎を見つめると返答した。


「まだ勝負は終わっておらぬぞ。ここからがお主の本領を発揮する時だ」


藤吉郎は小さくうなずくと、信長の元へと馬を走らせた。




------------------




「猿よ。驚くべき成果を持ち帰ったものよ! 砦の防衛はお主に任せよう。褒美は何なりと申すがよい!」


上座で足を崩し、だらしなく座る信長は、大笑いしながら上機嫌で藤吉郎を迎え入れた。

しかし藤吉郎は、いつもの様なおどけた素振りを見せず、額に汗を垂らしながら緊張した面持ちで平伏する。


「誠にありがたき幸せに存じます……」


信長は眉を顰め、いつもはひょうきんに手振り身振り相槌する藤吉郎らしからぬ態度を怪訝に思った。後ろに控える小姓達も、いつも御前で騒がしく囃し立てるこの猿面の男を不思議そうに見つめる。


「どうした。お主らしくないではないか。遠慮しておるのか」


藤吉郎は信長に問われると、ゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐな瞳で言った。


「この度の成功は、一重に蜂須賀小六はじめとした国境の地侍衆の活躍有っての賜物でございます。私の働きなど無いに等しく、願わくば彼等への褒美を頂きたく存じ上げ申します」


信長の表情は一変し、額に青筋が立つ。


「ならぬ! 表裏の知れぬ野盗の類に渡す褒美などないわ!」


藤吉郎はサッと床に額を擦り付けると、そのまま言上する。


「では、私めに頂きたい褒美は、その蜂須賀小六含めた国衆を、我が配下としてお付け下さいませんでしょうか」


「何と申す!」


信長は怒声を上げた。

藤吉郎は土下座したまま動かない。


「お主が如き小者が儂の指示を差し置いて、配下を所望するなどもっての他じゃ!」


動かないまま藤吉郎は続ける。


「何卒、ご容赦頂きたくお願い申し上げまする」


控える小姓衆は(この猿は何たる事を申すのか)と憤りつつも、信長の怒りに緊張し、唾を飲み込み、動静を窺う。


信長は怒りの表情を崩さぬままであったが、しばらく考え込んだ後に言った。


「……もう良い! お主の好きにするがいい!」


小姓達は目を大きく開き、驚きを見せる。

信長が言い終わるのも束の間、藤吉郎はバッと顔を上げ、瞳を爛々と輝かせながら声高に言った。


「誠にありがたき幸せにございまする!」


そう言い終えたかと思うと、信長の気が変わらない内にとばかりに、風の様に去って行った。


意固地な主人の体裁を考え、不本意にも蜂須賀衆を手元に置く事を許す形を取る様、一芝居打ったのであった。




「誠にずる賢い奴よ……」



藤吉郎が過ぎ去った後、信長は苦笑いしながら呟いた。



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