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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第四章 『岐阜』
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【 二 】 西美濃三人衆


永禄九年(一五六六年)六月



「もはや勘弁ならぬぞ!」


憤り激しく声を荒げた武士を中心に、三人の古兵ふるつわものが暗がりに集まっていた。

三武将とも屈強なその体つきからは、戦場往来を重ねた者特有の威圧感を備えており、殺人を重ねたその眼光は正に野獣の鋭さを放っている。


会するは、西美濃三人衆と呼ばれる、斎藤家内で最も勢力を持つ武将達である。

彼等の内でも、特に権勢を誇る安藤守就は、苛立ちながら語る。


「龍興様の振る舞いはもはや見過ごす事は出来ぬ。織田家も着々と美濃に浸食しておるのにまるで手を付けず我らに任せきりではないか!」


氏家直元は伸びた顎髭を触りながら目を閉じ、無言で聞き入る。

稲葉良通は冷静に言った。

「ではどうするのじゃ。この前の様にまた稲葉山城を乗っ取るとでも申すのか。お主では美濃を切盛り出来ぬことは、よく分ったはずじゃぞ」


良通の言葉に、安藤はギリリと歯ぎしりした。




――――――――――――――――――――



それは永禄七年(一五六四年)二月に起きた事件である。


若年で家督を継いだ斎藤家当主龍興は、当主としての分別も付かず、斎藤飛騨守ら、こびへつらう側近を手元に置き、酒色に溺れ、美濃三人衆など国政に口出しできる実力者は遠ざけるようになっていた。



三人衆の一人、安藤守就の娘婿・竹中半兵衛重治も遠ざけられた一人である。

半兵衛は体躯に恵まれず、容貌も女性のような武士であり、飛騨守など同僚から「青ひょうたん」などと呼ばれ甘く見られていた。

当然、当主龍興も同様に、半兵衛を軽視している。

半兵衛は元来真面目で大人しい性格であり、主君に対し讒言をする事はしなかったが、ある日、到底許せない出来事が起きた。



「半兵衛は肝の小さき男故、一つからかってやろう」


飛騨ノ守ら、龍興の権勢を笠に着た側近衆は、半兵衛が登城するのを待ち構えると、櫓の上から小便を掛けたのである。


「何たる狼藉! 許しておけぬぞ!」


武士として到底許せない侮辱を受けた半兵衛は激怒し、刀を抜きかかったが、その場で刃傷沙汰を起こすのは愚かな行為と思い、その場は憤怒を抑え、引き下がった。


それを見た飛騨守は嘲笑して言った。


「やはり半兵衛は腑抜けた臆病者じゃ」



傍から見れば、冷静に帰宅した半兵衛であったが、その内なる憤怒は拭えず、この事を舅の安藤守就に相談した。


「私も武士の端くれ。このまま黙ってはおられませぬ。近習たちが傲慢なのも、龍興様の日ごろの行いが秩序なき堕落したものだからでしょう。龍興様の目を覚まさせる為、城を乗っ取る計略を講じております上は、何卒叔父上のお力を借りたき次第でございます」


半兵衛は大胆にも謀反の策略を打ち明け、後ろ盾を乞いたのである。

安藤は驚き声を上げる。


「馬鹿な事を申すでない! 一時の気の迷いで身を亡ぼすつもりか。お主はまだ若い。そのような事をせぬとも、龍興様も分かってくれるはずじゃ!」


憤怒に燃える娘婿を諌めたが、半兵衛は意に介せず計略内容を語り出した。


当初は戯言と、聞き流していた安藤であったが、淡々と語るその内容を聞くと、徐々にその心も揺れてくる。


(こやつは実は、中々に恐ろしき男なのでは……)


普段大人しい半兵衛が考えたとは思えぬ、綿密な計画に息を飲んだ。


「……事がうまく運びし時は我が兵を貸し出そう」


龍興に思うところもあった安藤は、もしかしたら、という思いも湧きはじめ、協力する事を決めたのであった。



数日後、半兵衛は稲葉山城に人質として預けている弟重矩に仮病を使わせ、夜に見舞いと称して従者十数名と共に城内に入った。

医療道具箱に具足を積み込み城内に侵入した半兵衛たちは、重矩の部屋に着き、彼と合流すると、速やかに道具箱の甲冑を着込み、闇夜に紛れる様に方々に散った。


広間へと続く廊下を走る半兵衛は、城内を見回っていた宿直の侍を見つけると、後方から無言で斬り伏せる。

侍は言葉を発する間もなく、血しぶきを上げ前方に倒れた。


「何事じゃ!」


異様な物音を聞いた周辺の城兵は、怪しく思い、廊下へと現れるが、そこには甲冑を着込んだ武士が刀を振り上げている。


「どこから湧いて出た! 出会え! 出会えー!」


侍たちは、危急を城内に大声で伝えながら、咄嗟に斬りかかってくる。

しかし、具足を付けた半兵衛達に、丸腰同然の彼等は太刀打ちできず、瞬く間に斬り伏せられた。


突然の得体の知れない敵の襲撃により、城内は大混乱となり驚き慌て逃げ出す女中や侍衆で騒然となった。

半兵衛は喚声沸き上がる城内を鬼の形相で睨み和まし、見覚えのある後ろ姿を見つけると大声で叫ぶ。


「飛騨守! 覚悟召されよ!」


半兵衛に小便を掛けた斎藤飛騨守であった。


「まさか、半兵衛か! 臆病者が乱心し謀反を起こしおったのか!」


飛騨守は叫び逃げ去ろうとしたが、半兵衛は素早く追いつくと、背中目掛け大きく袈裟切りを払った。渾身の刃は飛騨守の背中を大きく切り裂き、天井に届くほどの血しぶきを上げ、転がるように前方へ倒れ込み即死した。


「一体何奴の仕業じゃ! 早く逃げ道を確保せい!」


事態を悟った斎藤龍興は幾人とも知れない敵の襲撃に怯え、従者に守られ命からがら隠し通路を使い、城下へ逃げ出した。


「合図を出せ!」


半兵衛は龍興の逃亡を見届けると、配下に命じる。

大、大、大とホラ貝の音が響き渡り、城内の人々は恐怖に駆られ、悲鳴を上げ慌て逃げ惑う。

呼応するように、城下に待機していた安藤守就の軍勢二,〇〇〇人が一斉に城内へ突入した。


「得体の知れぬ敵兵が数万の大軍で押し寄せたぞ! 早く城を捨て逃げろ!」


城兵達は何の抵抗も出来ぬまま悉く逃げ出し、城は瞬く間に制圧された。

こうして半兵衛は、天下の名城として名高い稲葉山城を計略により十数名で陥落させたのである。



この大事件と実行者の鬼謀は、瞬く間に全国に知れ渡った。


「何と! 竹中とは何者だ! 直ぐに使者を送れ!」


信長も即座に半兵衛へ使者を送り、美濃国の取り扱いについて交渉に入った。


しかし、半兵衛及び安藤守就の稲葉山城支配は、僅か半年で終わる事となる。

大魚を釣った彼等は、どういう訳か主君龍興に城を返還してしまったのである。



突発的な反乱により国を乗っ取った反逆者に対し、美濃国民の人心は付いて行かなかった。

また、半兵衛と安藤との間にも考えの相違が生じる。


半兵衛は言う。

「私は龍興様の蛮行を諌める為に謀反を起こした次第でございます。元々これが成功した後は、即座に城を返却し蟄居する腹積もりでございました」


安藤は必死に説得する。

「何を血迷ったことをも申す! この城を手にしたからには尾張・近江の者どもを切り崩し、天下に号令を放つ事も夢ではないのだぞ!」


当時の武士の目指す高見は一国一城の主、そして大国の太守となり、はたまた京を制し天下を治める事であった。そんな野望を持たぬ武士など皆無であると思い、安藤には半兵衛の考えは到底理解できない。


しかし半兵衛はそんな諫止には耳を貸さないようである。


「では人心がこの暴挙を支持し受け入れるならば考えましょう」


安藤は約半年間、分からず屋の婿を説得しつつ、近隣の斎藤家武将衆に配下に付くよう工作を進めるが、思うように進展しなかった。


経過を見守っていた半兵衛は、頃合いを見計らい冷静に守就に告げた。


「やはり謀反人を支持する者はいなかったようですな」


半兵衛は予想通りの現実を確かめると、潔良く近江方面へと蟄居してしまった。

安藤は歯ぎしりして悔やむがどうにも出来ず、ついには龍興に城を返却したのである。


一国を切盛りする者の器量は天の与えた才能である。それはごく一部の限られた者に与えられた特権であり、謀反によってその地位を取って替われるのは一部のカリスマのみである。

半兵衛は自分がカリスマでない事を冷静に判断し、理解していたのであった。



しかし、この乗っ取り事件は龍興の求心力の無さを内外に露呈した形となり、美濃国支配の綻びを見せる契機となってしまう。


小牧に本拠を置いた信長から最も近い、東美濃を支配する市橋氏・丸毛氏・高木氏などの土豪衆は、事件後の動揺を付け入られ、調略によって続々と織田家の傘下に加わる。

そして翌年永禄八年(一五六五年)には中美濃の加治田城・堂胴城・関城なども織田側の工作により内乱の末、織田家に組み込まれた。


この調略の中心人物として活躍したのが、木下藤吉郎であった。




-------------



安藤は顔を真っ赤にしながら、それでも納得いかないと言った様子で良通に食って掛かる。


「ではお主はこのまま龍興様に振り回され、破滅の道へとお供すると言うのだな!」


良通は鼻から大きく息を吸い、ドスの利いた低い声色で応じた。


「破滅が決まった事では無い。我らが健在の上は、信長も中々に手出しが出来ておらぬではないか。わしが龍興様の真意を確かめ、諫言し目を覚まさせよう」


頑固一徹の語源と言われる稲葉一鉄良通である。道理の通らない謀反は彼の本意ではない。


そんな良通をよそに、安藤は鼻息を吐き一笑した。


「結果は見えている事だ」


そう言うと、大きな足音をたて、二人の元を去っていった。


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