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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第一章『尾張の後継者』
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【二】初陣

冷たく乾いた風は未だ肌を刺すも、よく晴れ渡った小春日和である。

耕作の盛んな濃尾平野には、一面に田畑が広がり、徐々に新芽も芽生え始めている。

瑠璃色に染まる空へと向かう様に、延々と続く畦道を、颯爽と馬に乗り駆け抜ける信長と、それに従う若武者の姿があった。


「若、あのようなお振舞い……。 宜しかったのでしょうか……」


若武者は馬の名手である信長に遅れまいと必死に馬を操りながら、恐る恐る過日の行動について聞く。

信長は馬を操りながら、首をくるりと後ろへひねり、大笑しながら言い放った。

「何を言う犬千代! 己の保身しか考えておらぬ阿呆共を少し恫喝したまでよ!」

返答に困った犬千代は、複雑な表情で彼の後を追った。


信長の悪評は、父の葬儀での蛮行により、一層高まった。


元々、大名の子とは到底考えられない身なりや素行で、悪名は近国にまで轟いている。

袖を肌蹴けさせた湯帷子ゆかたびらで、まげは紅の派手な糸で毛先を茶筅ちゃせんのように結い、若侍を引き連れては、もたれかかりながら柿や瓜を食べ歩き、街中を闊歩しているのである。


「うつけ、うつけと評判であったが、父君の葬儀までぶち壊すとは、気でも触れているのではないか……」


近国に多くの敵を抱える弾正忠家の行く末を、民衆は皆不安に感じていた。


「見よ! もうあれだけの人数が集まっておるわ!」

信長たちが河川敷へと到着すると、そこには凡そ一〇〇人程の若者が集結していた。

どの者も身なりの決して整わぬ、眼光鋭い悪童たちである。

信長は、満足そうな笑みを浮かべ、颯爽と彼らの前に躍り出ると、声高に言う。

「今日は竹槍の実戦演習を行うぞ! 二手に分かれ勝負を行い、勝った方に褒美を与えよう!」

若者たちは、信長の声に即座に反応し、喚声を上げる。

「さすが若様! 皆! 実戦のつもりで戦おうぞ!」

湧き立つ彼らを他所に、戸惑う犬千代を信長は一喝した。

「何をしておる犬千代! お主も早く参加して参らぬか!」

演習を知らされていなかった犬千代は、数百人もの若者が集まっている事に驚いていたが、駆け足で群勢に参加する。

「手加減は無用! 本気で参れ!」

信長の号令の下、即座に槍合戦が始まった。

若者の集まりであるが、隊伍を組み、実戦さながらの模擬合戦である。

河川には「おおーー!」という喚声が響き渡り、近村では合戦が始まったのかと慌てて荷物を抱える村人もいた。

「いいぞ! 決して隊伍を乱すな! 敵の思う壺だぞ!」

信長は自ら陣頭に立って指揮を執り、夕刻になるまで共に汗を流した。


世間の評判とは裏腹に、彼の周囲に近侍する若侍達は、この若き指導者にある種、崇拝の心地を表しながら付き添っている。

信長の行動は破天荒ではあるが、常に戦を意識しており、武芸の鍛錬に怠りは無い。

奇妙に映る恰好も、いつでも戦場に出られる心構えとも見て取れる。彼は日頃から馬術の訓練を欠かさず、水練に励み、相撲や鷹狩に勤しむ。そして連日若者を集めては、竹槍での合戦演習を日常としていた。


当時の槍の長さは二間~三間(四メートル前後)が常識であったが、演習を重ねる内、信長は集団戦術における槍の長さの利点に気付き、三間半(約六.四メートル)という規格外の槍を装備させている。そしてその非常識な長さの槍を扱えるよう、密集戦術の訓練を日々重ねさせるのである。

さらに、礼節・作法などには全く興味を示さないものの、兵法や弓術、砲術などには平田三位などの専門家を師として熱心に取り組んでいた。


「おおよその若君は、老臣の言う通りの礼儀作法や大名の心得を学ぶモノだが、信長様はそんなものそっちのけで我らと共に演習に加わり、汗を流して下さる。 何とも心強いではないか!」


実践に臨む若武者達は、戦の心得を学ぶべく軍事訓練に勤しみ、場合によっては自ら陣頭に立って指揮を執る信長に信頼を日増しに高めている。

演習に参加する若武者達の顔名前を一人一人覚えている信長は、優れた働きをする物には声を掛け、褒美を与える。すると若者たちは、実戦さながらの気迫を以て演習に参加するのである。


信長は父の生前から、規律の行き届いた精鋭部隊を統率するに至り、信秀は期待を寄せていたが、多くの者は、礼儀作法を学ばぬ素行の悪い信長を嫌悪していた。


「あんなお遊びを行った所で、合戦になれば使い物にならぬわ」


しかし、そんな諸将の思惑をよそに、信長は初陣でその才気を遺憾なく発揮させ、彼等を一挙に黙らせる事に成功する。


天文一六年(一五四七年)の出来事である。


信秀は居城に信長を呼び出すと、神妙に告げた。

「吉良大浜(三河国)に今川が砦を築きおった。二,〇〇〇程の人数で立て籠もっておるが、敵情偵察をお主に任せる」

信長は目を輝かせ答えた。

「ようやく実戦に出させて頂けるのですね! 必ず敵を打ち砕き、吉報を持ち帰りましょう!」

すると、左方に控えていた後見人である平手政秀は慌てて咎める。

「若、敵情偵察と言っておられるではありませんか! 初陣で敵に当たるなど、以ての外!」

「そんな事を言って相手側から仕掛けられたら、どうするのじゃ」

「その時は速やかに兵をまとめ退却するのです! 退却も立派な戦ですぞ」

「何を腑抜けた事を!」

信長は不満を並べながら、もう一方の後見人である林秀貞を見る。しかし林は表情を変えず無言であった。


「……まぁ良い、初陣は林、平手に任せる」

信秀は咳払いをすると、どちらの意見も否定せずに締めた。


「よし! 直ぐに出陣じゃ!」

若干十四歳の信長は、八〇〇人の兵士を率い、意気揚々として出陣した。


通常、初陣は後見人に作戦を立ててもらい、危険な行為は行わないものである。

しかし信長は砦から数里先の丘に陣取ると、こう言い放った。

「今宵、吉良大浜砦を全軍で急襲するぞ!」

政秀は驚き静止する。

「若、何度も言っておるでは無いですか! 初陣は戦場の儀式の様なもの、采配を振った経験も無く、無謀な戦闘は行えませんぞ!」

「何を言う! 守備兵は多勢を良い事に油断しておる。今夜寝こみを襲えば敵は狼狽え、混乱する事必須だ! 臆病な事は言わず、お前たちは俺の指示に従えば良いのだ!」

政秀はグッと歯を食いしばる。


(またいつもの癖じゃ……!)


初陣は誰でも足がすくみ、虚勢を張れるものでは無い。いざ血の匂い香る戦場に立つと、今までは意識する事のなかった「死」という概念が突如目の前にぶら下がり、迫って来るのである。

机上で学んだ事など何の役にも立たず、ただ茫然と立ちすくむばかりというのが通常である。

しかし信長は、戦を仕掛けずに退却するなど毛頭考えていない。

「明日にも敵が我が国へ攻め入ってきたらどうするのじゃ! 初陣だからと手を抜いては意味があるまい! 敵に弾正忠家攻め難しと、教え込まねばならぬのではないのか!」

彼は幼少期から父の行う軍議に参加し、実践の教えを乞いて来た。

戦における進退に日々考えを巡らせ、あとはそれを実行するのみと思っている。


「じい! どうなのじゃ!」


政秀は苦渋の表情を浮かべ、考え込む。

若者の短慮と思いつつも、夜襲という作戦自体は悪くない。まさか敵が小勢で襲ってくると、相手も思っていないであろう。

加え、信長が日々若者を従え武芸鍛錬に勤しんでいる事を知っている。

「机の上で作法を学ぶことが、戦に何の役に立とうか!」

彼が言う日頃の口癖からも、実戦で学ぶことが何よりも大切であると、信じてならないのであろう。


政秀は同じ後見人の秀貞を横目でちらりと見た。しかし彼は不動で特に言い返す素振りも見せていない。

その様子を見ると、声を絞り出す様に言った。

「くれぐれも無理はなさらずに……。 危険と判断したら直ぐに中止いたしますぞ」


信長は憮然と空を見上げ、聞こえない振りをした。



日も暮れ、辺りは暗闇に包まれる。

砦の周囲は篝火が炊かれているが、内部は静まり、時折見張り番の談笑が聞こえてくる。


「よし、敵は見回りを残して寝ておるな。 小隊を作ってそれぞれ砦を囲え!」

信長は自ら数十名で構成する小隊に加わり、闇夜に紛れ、ゆっくりと砦へと近寄り、塀に取り付いた。


伝令が静かに往来し、砦の周囲を囲ったことを確認すると、静かに手を挙げ、矢に火をともす様合図を送る。

そして徐に命じた。

「一斉に放て!」

幾本もの火矢が天高く舞い上がった。

そして次々に砦内へと降り注ぎ、塀や壁にドスドスと、にぶい音を立て突き刺さる。

油のしみ込んだ矢は、砦の塀や壁に突き刺さると、忽ちそれらを燃焼させる。

そして所々に積んでいた藁に引火すると、一気に燃え広がった。


「一体何事じゃ!」


突然空から無数の火の鳥が飛び交い、次々に襲い掛かってくると、城兵は驚愕した。

「敵襲じゃ! 備えろ!」

「まずは火を消せ! 燃え広がれば焼け死ぬぞ!」

慌てふためく城兵の叫び声が、一斉に暗闇にこだまする。


塀際に進軍していた信長は大音声で叫んだ。

「各々! 乱入せよ! 」

信長の合図の下、兵士たちは次々に塀をよじ登り、砦内に乱入していく。


同時に破城槌が持ち込まれると、簡素であった砦の門は、轟音と共に忽ち打ち壊された。

「それ突撃じゃ!」

信長は先陣をきって、自ら砦内に乱入する。

「若! 深入りは禁物と言っておりましょうが!」

政秀は信長から離れまいと常に横に付き添っていたが、信長はそれを振り切り駆け込んでいく。


火の手が広がり、暗闇から続々と現れる敵兵に恐怖していた城兵達は、城門を打ち砕かれ新手の突入を受けると動転する。

「織田の奇襲じゃ! 幾千という大部隊で押し寄せてきおったぞ!」

具足も付けず油断していた敵兵は抵抗する間もなく槍で突き殺され、逃げる者の背中には、容赦なく研ぎ澄まされた刃が振り下ろされた。殺人に慣れた奇襲隊は、無駄な動き無く次々に屍の山を築いていく。

「これでもくらえ!」

信長は逃げる武者の背中に向け、渾身の力で大身の槍を投げつけた。槍は敵の背中に一直線に突き刺さり、敵は前のめりに倒れこむ。

「どうだ! 見たか!」

信長は奇声を上げ、返り血に染まった顔に笑みを浮かべながら左右を見渡し、次の獲物を探す。

必死に後を追い掛ける政秀は、後ろから大声で静止した。


「十分に被害を与えました! 敵が体勢を立て直す前に兵をまとめなされ!」


奇襲に混乱した城兵であったが、総数は味方の数倍に及ぶ。事態を察知した敵の新手は態勢を整え、徐々に集まりつつあった。


信長は、にやりと笑みをこぼしながら政秀の方を振り向き、大きく手を挙げた。

「今日はここまでだ!」

奇襲隊は信長の合図を受けると速やかにまとまり、風の様に暗闇の中へ消えていった。


追撃をする間も与えられなかった城兵は、屍の山を築き、燃え広がる砦を見つめながら、為す術もなく呆然と立ちすくむばかりであった。


―――


「わが子ながら、実に見事な働きぶりよ!」


戦後、初陣とは到底思えぬ信長の奮闘ぶりを聞いた父信秀は、大笑いしながら喜んだ。

「大したことはございませぬ。敵が腑抜けし者ばかりにございました故」

信長が恐縮した素振りで大言すると、信秀は再び大笑する。

「こやつめ、言うではないか!」

信長も父の喜びようを見ると、満足気であった。


後ろに控える林秀貞は、その様子を眉間に皺を寄せ無言で見つめていた。

(これは予想もしておらぬ結果だわ。まぐれにしても面倒な事よ……)


この報告を聞いた家臣衆は、信長の素行に表立って批判する者が明らかに減った。

そして信長と共に訓練を重ね、見事大勝を得た次世代の若衆たちは、若い主人の将来に、一層の期待をするのであった。


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