【 一 】 木下藤吉郎
永禄九年(一五六六年)六月
「どうか私めに、墨俣攻略の主命をお与え下さいませ!」
小柄で色黒の、まるで猿の様な容貌のこの男は、まん丸の瞳を輝かせ信長に乞いた。
「お主の様な小者に何が出来ようか!」
上座で胡坐を組む信長は一喝したが、それほどの怒気は感じられない。
男は「ひょえっ」と首を竦め、頭を畳に擦り付け答えた。
「私ごときが大言妄想を申し、失礼申し上げました! ご勘弁して下さいませー!」
信長はやれやれといった表情を見せ告げる。
「まあよい、そのことは考えておく故、下がるがよい」
言われると男は恐々としながらも軽快な足取りで、風のように信長の元から去って行った。
「猿めが、また図々しい事を……」
信長は呆れた様に呟くと、薄らと笑みを浮かべた。
男の名は木下藤吉郎。卑賤の身でありながら信長の目に留まり小者として雇われていた者だが、機転の効く働きぶりを見出され、遂には足軽大将として取り立てられた、家内でも希有な存在である。
藤吉郎が御前に現れるまで信長は終始機嫌悪く、身辺の小姓も近寄れない状態であった。
しかし、この男はそれを意に反さず、飄々として現れ、身分にそぐわない提案を堂々としてきたのである。
小姓衆は「農民上りが大言を申しおって」と苛立つと共に、信長が烈火のごとく怒り狂うのではないかと緊張した。
しかし信長は予想に反し、強い口調とは裏腹に藤吉郎の提言を受け入れるかのようであった。重臣の柴田勝家でさえ、信長の前では粗相の無いよう額に汗を垂らしながら面会するのに対し、この男は生来の人たらしたる人才が備わっており、信長の前でもそれは同様であった。
信長の機嫌が優れないのは、隣国・美濃攻略が思うように進まない為であった。
一五六〇年、桶狭間の戦いにより今川義元を討った信長は、尾張の支配圏をほぼ確立し、領国地盤を固めると共に、近国への侵攻を画策した。
当然、信長の中では舅・斎藤道三の仇である斎藤義龍治める美濃国への攻撃が優先であった。
美濃国は石高五四万石の豊かな土地柄であり、尾張の五十七万石と合わせて統治できれば百万石を超える、全国有数の大大名へとのし上がる事が出来るのである。
そんな矢先の永禄四年(一五六一年)、義龍は三五歳の若さで病死し、一四歳の息子龍興が家督を継いだ。
信長は好機とばかりに美濃に侵攻するが、屈強な美濃衆は手強く、三度の激戦の末惜敗し、尾張に撤退を余儀なくされる。
信長は主君が変わっても尚、美濃衆の粘り強さは健在である事を痛感し、強硬策を諦め、周囲の地盤を固めてから、じっくりと侵攻する方針へと、転換を余儀なくされるのであった。
一方、尾張の東側、三河国では今川家の混乱を機に松平元康が徳川家康と改名して主家から独立しており、背後を脅かす存在となった。桶狭間での進退を見た信長は家康の器量を評価しており、お互いの利害を計った上で攻守同盟を切り出す。
「お互い大国を相手に見据え、苦労しておる。我らと同盟を結び後背の憂いを絶とうではないか」
家康にとっても、現在は領国経営に注力したい中、未だ健在の今川家や甲斐・信濃を治める大名武田家を相手にしなければならない立地を考えれば、またとない好条件である。
「誠に嬉しきご提言、かたじけなく存じます。これより我らは共に手を取り合い、戦乱を生き抜きましょう」
こうして両者は織田・徳川の通称・清州同盟を結び、信長は美濃国への工作に専念する事になった。
背後の脅威を取り除いた信長は美濃侵攻に専念する為、居城を清州から美濃国に近い小牧城へと移し、更には美濃国西方の北近江(滋賀県北部)を支配する浅井家と婚姻同盟を、美濃国東方の信濃国(長野県)を治める武田家とも同盟を結び、正に盤石の体制を築くのであった。
しかし、それだけの体勢を整えても美濃国攻略は容易では無かった。
美濃には西美濃三人衆と呼ばれる三武将(稲葉良通・安藤守就・氏家直元)が主家を凌ぐ勢力を保ち屈強な武士団を形成している。地の利を生かした進退で織田軍を寄せつけないのである。
信長は当初、平野部から直線的に龍興居城の稲葉山城攻略を目論んでいたが、いずれも上手くいかず、山間部からの侵攻に切り替えた。
そこで抑えるべき重要な拠点に、墨俣の地があったのである。
「墨俣に前線基地を置ければ、一挙に稲葉山城へ侵攻する足掛かりとなる」
信長は重臣の佐久間信盛や柴田勝家などにその任務を与えるが、墨俣は「洲の俣」とも称され、その名の通り長良川の支川が入り組む天然の要害である。中州の周囲は平原が広がり、軍隊の侵入は即座に察知され、入り組んだ河川をいくつも渡る間に敵勢は軍勢を送り込む。河川を渡った部隊は、砦を築こうにも周囲は平原で資材も無く、川に阻まれ木材を運ぶことも出来ない。味方は仕方なく河川岸の小石を集め、即興の石塁を築くが、押し寄せて来た騎馬隊は物ともせず瞬く間に蹂躙され、作戦は頓挫してしまうのである。
いつしか日は流れ、美濃攻略着手からすでに六年の月日が流れていた。
「信長様の軍神ぶりはもはや影をひそめた様だ」
桶狭間の奇跡の大勝から、盤石だった領国経営も若干の歪みが生れつつあった。
日々苛立ちを隠せない信長は次の一手に窮し、正念場に立っているのである。
そんな中、仕事を与えれば予想の何倍もの成果を持ってくる、猿の様なこのお調子者が見計らったかのように突如仕事を乞いてくる。
「あやつには荷が重すぎるわ……」
そう思いつつも、あの男であれば何か奇想天外な策略を以てこの難関を乗り越えられるかも知れぬと、そう思わせる不思議な魅力のある人物なのであった。
藤吉郎は、生駒屋敷の小者として奉仕していた時に、信長に気に入られ、馬取りとして仕える事となった。生駒家の盤踞する尾張国丹羽群小折は、幾多の行商人や浪人などが行き来する流通の要所であり、尾張と美濃の国境付近に勢力を張る土豪衆との繋がりも深い。特に、尾張海東郡周辺を支配する一大勢力である蜂須賀党とは、血縁を交わす親密な間柄であった。
蜂須賀家は、斎藤家や織田家など、その時々で有利な大名家へ味方をするなど、鞍替えを繰り返す事で家名を保ってきた弱小土豪の一つではあったが、その一方で、多数の間者(忍者)を抱える諜報機関としての実力も養ってきた。
その情報網は、遠国関東や九州までに及び、世の時勢には一際鋭敏である。
信長が、奇跡の大勝利を得た桶狭間の決戦では、この蜂須賀党の力を得た事により、奇襲を成功させることが出来たのであった。
しかし、この大戦で活躍した蜂須賀党の当主蜂須賀小六は、戦の恩賞が少ないとして、信長と仲違いしていた。
「野盗の類がたいそれた事を……」
信長は合戦後、蜂須賀党の配下武士衆にはない機動力とゲリラ戦法を手中に入れようと、小六に配下になる様促した。
しかし、時勢に応じ味方する勢力を選ぶものの、独立勢力としての勢威を保っていた蜂須賀党は、この要望に応じる事を渋った。
「誠にありがたきお申し出でございますが、ご返答は暫しお待ち頂きたく存じます……」
信長はこの返答に激高し、小六の桶狭間における恩賞を過小なものとする仕打ちを与えたのであった。
しかし、今に至っては美濃攻略に蜂須賀党の力を借りざるを得ない状況に至っていると信長は感じている。
だが、一度振り上げた拳を容易に下げる事のできる人物ではない。
その時に現れたのが藤吉郎である。
「あやつは人の心を見透かす、ずる賢き奴よ」
信長は苦々しく嘆息を漏らす。
翌日、藤吉郎を呼び出した信長は告げた。
「猿に墨俣攻略の大役を与える。心して取り組むがよい!」
藤吉郎は小動物の様な丸い瞳をギラギラと輝かせ
「お任せください! この猿、命を賭してご期待に沿えまするぞ!」
応えると、小躍りする様に城を飛び出して行った。




