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戦国立志伝・織田信長  作者: 意匠瑞
第三章 『桶狭間』
18/79

【十】大志

午後二時

 

一時の豪雨は嘘のようにぴたりと止み、信長の周囲は物音一つ感じられない「無」の静寂に包み込まれていた。

いや、眼前に現れた義元本陣の旗指物を目の当たりにして、幻ではないかと我を疑い、神経はその一点に集中された為であろう。


(まさか本陣にたどり着くとは)


今川の先鋒衆と思って向かっていた小山に陣取る軍勢こそ、信長が探し求めていた義元本陣だったのである。


「これは夢ではない……!」


顔中を泥で汚した信長は、一瞬呆然とした表情を見せた。

しかし、すぐに我に返ると、馬上から大音声で叫ぶ。


「天は我らに味方したぞ! 見えたるは義元本陣なり! 狙うは大将・義元ただ一人! その他の敵は打ち捨てにし突撃せよ!」


はやる信長は単騎先陣を切り、夢中で目前の山上に陣取る義元本陣目指した。

追走する織田軍はいきり立ち、全力で丘を駆け上がり信長を追い越し、追い抜き敵陣に乗り込んでいく。 


総勢三〇,〇〇〇の今川軍であったが、部隊を方々に展開した為、本陣を守るのは五,〇〇〇程の兵のみであった。


「出会え! 出会え! 敵の奇襲ぞ!」


物見からの注進も束の間、ドドドドと大勢人馬が駆け上がる音を聞き、戦闘に備えていなかった今川勢は大いに狼狽した。


「なぜ織田勢がここまで来ておるのだ!」

「味方が裏切り申したぞ!」

「敵は数万の大軍じゃ!」


気を緩め、隊列も整えていなかった敵勢は突然の奇襲に大混乱し、疑心案義となり雑兵はわれ先へと逃げ出し、同士討ちを始める。

織田軍は逃げ惑う今川軍の背中に容赦なく刃を振り上げ次々に討ち捨てにしていった。


「早く義元公を逃がすのだ!」


追い立てられ混乱する敵勢ではあったが、踏み留まり義元が逃げられるよう応戦する勇者も数多くいる。

戦況は次第に敵味方斬り合い、入り乱れる白兵戦の様相となった。


しかし、休憩に気を案じ、蒸し風呂の様な湿気から解放されようと具足を外す者も多くおり、たちまち斬り立てられていく。


織田勢は鬼のように今川勢に襲い掛かり殲滅していくが、混乱した数千の敵勢の中から義元を中々特定できない。


「はやく義元を見つけよ!」


信長は敵を追い散らしながらも、焦りの色を隠せない。

このまま義元に逃げられ敵の混乱が収まれば、いずれは数で劣る織田勢は今川軍に飲み込まれてしまうであろう。


信長は自ら槍を振り回し必死の形相で義元の姿を探した。



敵味方入り乱れて戦う中、ひときわ目立つ大きな体躯で槍を振り回し、敵をなぎ倒す若武者の姿があった。

信長の小姓であった前田利家である。

この時、利家は信長から出仕停止処分を受けていた。

信長の小姓から、元服後の「稲生の戦い」では見事首級を挙げる武勇を見せ、更に信長親衛隊である赤母衣衆の筆頭に抜擢されるなど寵愛を受けていた利家だが、一五五九年に信長の可愛がる同朋衆であった捨阿弥を無礼があったとして惨殺した事から出仕停止となり浪人生活を送っていたのである。

勘当された武士の帰参の方法は戦に密かに参加し、手柄を立てる事である。

利家は馬で逃げる敵の武将を見つけると、咄嗟に飛び掛かり、凄まじい応酬の後、遂には首級を挙げた。


侍首を取る事は並々ならぬ手柄である。


足軽と違い、重厚な武具と多数の配下に身辺を守られ、鍛錬を重ねた武者は易々と討ち取れるものではない。侍首一つ上げれば、その者の将来の栄転が約束される程の快挙であった。


利家は首を掲げながら、遠方にいる信長へ目を向けた。

しかし信長は目を逸らしそれを無視した。


「おのれ! 足りぬと申すか……!」


利家はカッとなるが、歯を食いしばると、再び敵中に飛び込んで行き、たちまちもう一つの侍首を挙げる快挙を遂げた。




敵は未だ混乱の最中、名のある武将も次々に討ち取られていく。

その時、乱戦の渦中から若武者の叫ぶ声が響いた。


「今川義元公とお見受けする!」


馬を捨てた義元は従者に守られ決死の撤退をしていたが、遂に信長の馬廻り衆・服部小平太に発見された。

義元の従者は主君を逃がそうと必死の抵抗をみせるが、小平太の声により群がった織田軍にたちまち斬り伏せられる。


「お覚悟召されよ!」


小平太は義元の胸目掛け、槍を渾身の力で突き入った。

肥満した義元であったが、「海道一の弓取り」と言われる勇将である。


「端武者がこしゃくな!」


義元は目を吊り上げ、叫び機敏に槍をかわすと、抜き身を振りかぶり小平太の脳天目掛け大きく振り落した。

咄嗟に後方へ避けた小平太であったが、渾身の刃を避けきれず、その刃先は膝に深く食い込む。

膝は大きく口を開けた様に裂け、大量の血しぶきが上がった。

小平太は苦悶の表情を見せながらも、尚立ち向かおうとするが、深く切り込まれた膝では踏ん張る事が出来ず前方に倒れ込んだ。


義元はそのまま逃げ出そうと即座に振り返ったが、横から突き飛ばされた様な衝撃を受ける。

横腹に目をやると、槍が深く食い込んでいた。

小平太と同じく信長馬廻り衆である毛利新介が横槍を入れたのである。 


「おのれ小者が……!」


義元はひるまず腹に刺さった槍の柄を握りしめ、新介に斬りかかろうとする。

死に際の怪力に、微動だにしない槍を捨てた新介は、咄嗟に義元に飛び掛かり組み敷く。義元は新介を撥ね退けようと抵抗するが、大量に出血し、力が入らない。瞬く間に押し倒され、馬乗りにされた。

新介は、必死にもがく義元の顔をぬかるんだ地面に押さえつけ、腰の脇指を抜き放った。

顔を泥に押し込まれ、身動きを封じられた義元はそれでも尚抵抗を止めない。

何事か大声で喚きながら、覆いかぶさる伸介の手に噛みつくと、鬼の形相を浮かべ、ブチりと親指を噛みちぎった。


「ぐっ」


新介の顔が歪む。

しかし、首筋に立てた刃をそのまま強引に突き入れた。

義元は首に小太刀を突き入れられながらも眉間に皺を寄せ、新介を睨み続ける。

しかし次第に力も抜け、新介を掴み抵抗していた腕はだらりと地面に落ちた。

信介は大粒の汗を額に浮かべながら、機敏に首を斬り落とし、それを高々と掲げ声高に叫んだ。


「織田家が馬廻り衆・毛利伸介! ただ今、今川の大将・義元を討ち取ったり!」



それまで阿鼻叫喚の喚声に覆われて戦場は、一瞬の内に静寂に包まれた。



刹那の後、その静寂を破る「おぉぉぉぉー!」という歓喜が大地に鳴り響く。


完全に戦意を失った今川軍は、織田軍の雄叫びに恐怖し、我先にと方々に逃げ去る。

腕を振り上げ、ある者は涙し、ある者は抱き合い、勝利を喜び合う士卒を余所に、信長は無言で空を見上げその奇跡を噛みしめた。


今川軍は、大将及び有力な家臣団をことごとく失い、駿河へと雪崩を打って退却した。



---------



将軍足利家御一家(将軍の継承権を有する要職)である吉良家の分家として栄華を極めた今川家は、主君義元の死により、一挙にその勢威は衰える事となる。


義元は名家の五男として生まれたが、兄死後の相続争いを制し、今川家を強大な戦国大名家として成長させた。

政治・外交面でも手腕を魅せ、東国の強豪・後北条家や武田家とも渡り合った勇将である。


その大志は、どこまで描かれていたのか。


全国でも有数の大兵団を有する今川家は、義元の下最大の栄華を極めたが、天を味方にする事は出来なかった。 



以上までで『 第一部 —完— 』となります。


弾正忠家を相続した信長は、直後から親族兄弟からも命を狙われる過酷な状況に陥り、自らの命を守るための戦に明け暮れてきました。

そしてようやく家中の反乱分子を抑え込んだ矢先、隣国の大大名今川義元の攻撃を受ける事となります。


信長は、よもや義元の首を取る事が出来るとは考えていなかったでしょう。


父信秀のような武勇を示す事で、『尾張攻め難し』と義元に印象付ける事が最大限の成果であり、その上での生き残る術を模索していたと、私的には思っています。


「桶狭間の戦い」は、戦場ですら未だにはっきりと分からず、詳細は不明な部分ばかりです。

しかし、「天は信長に味方をした」というのは間違いないでしょう。


数万の大軍で攻め寄せる敵軍の中から、大将を討ち取る事は戦国の戦では非常にまれな事です。

正に奇跡に近い戦果であると言えます。

信長による緻密な奇襲作戦が功を奏したのは間違いありませんが、「運」も味方にしたという事も、度返し出来ない事実だと思います。


近年、尾張を半ば統一した織田軍の兵力が三〇〇〇程度の筈がないという意見もある様ですが、戦国時代の軍隊は、一門・譜代衆を除き、江戸期に見られるような主君に忠誠を誓う直属の家臣団ではありません。

そのほとんどが、領地にいる地侍らで編成された連合軍です。

よく『ぶどうの房』に例えられますが、彼等は自らが生き残る為、より力のある勢力に属する事が当然であり、そこには領主への忠誠や忠義などはありません。

自分達一族が、いかに戦乱の世で生き抜いていくかが重要であり、そこに不義や不忠という概念は無かった筈です。

忠孝という考え方は、江戸期における幕府の教育政策の一環であり、そこは分けて考えていくべきでしょう。

すなわち、駿遠三の大大名今川義元が全軍挙って進撃して来たと知った土豪衆などの多くは日和見を決め込んだのではないでしょうか。

織田家に忠誠を誓う、譜代・一門衆をかき集めた数が、三〇〇〇であったのだと私は解釈しています。


ともあれ、信長は寡兵による奇跡の勝利を収め、その勇名は全国に知れ渡ります。

それまでは「その日その日を生き残る戦」に明け暮れていた信長が、領土拡大へと舵を切る転機となった訳です。


以降、物語は『第二部—美濃攻略—』へと繋がっていきます。

これまで通り話は、『信長公記』を軸に進めて行きますが、『武功夜話』も盛り込んでいきたいと思います。*個人的に吉乃の存在を否定したくないので、『武功夜話』否定派の方は、ご容赦ください。


桶狭間に勝利した信長でしたが、そこから軽々と全国統一に向かって躍進できる程甘くもありません。宿敵斎藤家との攻防の「第二部」是非楽しんで頂けたら幸いです。

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