【八】雷雲
正午
風は嵐の如く強まり、木々の激しいざわめきは隣にいる者の声をも遮る騒がしさである。
分厚く黒々とした雲が空一面に広がり、遠く空の彼方から「どぉーん」「どぉーん」と雷神の太鼓の音が響き渡り、徐々に近づいて来ている。
「一体どこにいる! 居場所が分からねば、戦にならぬではないか!」
中島砦に到着した信長は焦っていた。
桶狭間付近を進軍していると思われる義元本陣の行方がはっきりとしないのである。
信長は各所に点在する今川軍の分隊に遭遇しないよう、避ける様に右往左往しながら、ようやく中島砦へとたどり着いた。
義元本軍に遭遇するまでは何としても兵力を消耗させる訳にはいかない。
丸根の盛重を見捨てたのはすべて義元本陣を攻撃する為である。
信長は櫓の上に立つと、強風を真正面に浴びながら、方々の山々に薄ら散る今川勢の旗指物を眺める。
(どこにおる。かならずこの内のどれかにいるはずなのだ……)
信長は、びっしょりと汗に濡れた拳を強く握りしめた。
敵中深く入り込んだ織田軍にもはや退路は無い。
このまま義元の居場所が分らなければ大軍に押し包まれ壊滅を待つばかりであり、一矢報いるどころではないのだ。
近習達は、皆不安そうに信長を見つめている。
信長は絶望の中、徐に空を見上げた。
「もしあの世があるとするならば、先に逝った者達と出会う事もあるのだろうか……」
父信秀に弟信勝、平手政秀らの死に顔を頭に浮かべ、自身の死を冷めた思いで想像する。
信長は暴風を顔に受けながら、今にも降り出さんとする雨雲を見ながら、少し笑みを浮かべた。




