【七】油断
午前十一時
明け方の晴天は嘘のように雷雲が厚く空を覆い、薄暗さが辺りを包み込む。
風は嵐の様に強さを増し、木々を揺らし、旗指物はばさばさと大きく音を立てる。
義元は丸根・鷲津砦陥落の報を聞き、大いに喜び使者に告げた。
「未だ若年にも関わらず見事な戦振りよ。大高城は任せる故、更なる戦に備える様、元康に申し伝えよ」
上機嫌な義元に、更なる吉報が舞い込む。
鳴海城付近で対峙していた、織田軍佐々政次・千秋季忠ら三〇〇あまりの別動隊と今川先方隊とが激突し、瞬く間に五〇騎あまりを討ち取り壊滅させたとの事である。
義元は続々と届く緒戦の勝利を喜ぶと同時に、拍子抜けた様子である。
(尾張のうつけは猪の如き荒武者と聞いておったが、何とも情けなき有様じゃ。清州を出た様だが何もできずに右往左往しておる。尾張侵攻の前哨戦と思っておったが、この様子では一挙に清州を手に入れる事も容易かろう)
義元の目的は尾張侵攻であった。
まずはその前哨戦として、信長により封鎖された大高・鳴海城を救援しようと考え、その後は両城を足掛かりとして清州に押し進めるつもりである。
義元は信長にとって生命線ともいえるこの砦防衛の為、強い抵抗を受けると思っていたが、信長は予想外に統率力に欠け、重要な拠点はあっけなく見捨てられる結果となった。
(いや、松平の倅を褒めるべきか)
今川方の領地を除けば一応の尾張統一を果たした信長であったが、尾張国内から内通を求める声も絶えない現状を考えれば、信長に追従しようという者は予想外に少ないのかも知れない。
「海道一の弓取り」の異名を持つ勇将今川義元であったが、事態を楽観視した。
義元の行軍は非常に遅く、正午近くになっても大高城に到着せず、道中では戦勝を湛える品を持参した農民たちが列を作り義元隊に献上する。それらに一つ一つ対応しながら起伏の激しい桶狭間周辺をゆっくりと進んでいた。
駿河からの長い行軍に加え、折からの猛暑と湿気を帯びた強風は士卒の士気を奪い、一層の疲労感を与えている。
「あの小山で一時休憩致そう」
義元は大高城手前の「おけはざま山」とよばれる小高い丘に陣取り士卒に休憩を与える事とした。
義元の行軍を大きく鈍らせた農民たちの献上行為の中には、信長の放った間者が多く潜入している。
その中心は吉乃の実家である生駒家と交流深い、尾張海東郡を支配する土豪衆などであった。
土豪衆の一角である、蜂須賀家の頭領・蜂須賀小六は、多数の忍者を擁する諜報機関のとしての力も備え、勢力の大きな大名家の元を離合集散しつつ家名を保ってきた。
しかし、生駒屋敷で信長と知り合った後は、直ぐにその魅力に惹かれ、利害を省みず協力してきたのである。
「信長様は中々おもしろいお人じゃ」
彼等の働きもあり、信長は義元を思惑通り桶狭間に釘づけにする事に成功したのである。
義元は砦周辺を往来する信長の動向を把握はしてはいるが、この重囲の中まさか自身が奇襲を受けるとは考えてもいなかった。




