【四】玉砕
午前四時
「火を消せ! 敵の挑発に乗るな!」
盛重は鬼の形相で兵を叱咤していた。
丸根砦は松平隊に包囲され、猛烈な攻撃を受けている。
砦には雨の様に火矢が降り注ぎ、砦や櫓の壁には、無数の矢玉が当たり、乾いた破裂音が各所でこだまする。城兵の応酬に怯むことなく、敵は塀に取り付き、破壊しようと四方から忍び寄る。
「怯むな! 大軍の敵は格好の的じゃ! しっかりと狙いを定め一人ずつ確実に仕留めるのだ!」
自ら矢を放ち応戦する盛重は、声も枯れよと士卒に怒号を飛ばす。
守兵たちも盛重に鼓舞され、死の恐怖を忘れ決死の防戦を続けていた。
「やはり抵抗激しいか。あまり損害を増やす訳にもいかぬ」
寄せ手の将、松平元康は呟いた。
「一端兵を退かせよ!」
元康は諸将に命じ攻撃を中断し、速やかに砦を囲う兵を集め始めた。
配下の諸将は不満を漏らす。
「小勢の敵相手に時間をかけてどうします! ここは一挙に攻め落としましょう!」
しかし元康は冷静に諭した。
「砦の兵は決死の覚悟で抵抗をみせておる。窮鼠の敵に真っ向から強行すれば、思わぬ痛手を被ろうぞ」
未だあどけなさ残る顔立ちだが、その眼光は殊の外鋭い。
反発する家臣を鎮める元康には、若年ながら武家の血を引く生まれ持った威光が備わっている。血気盛んな十九歳の若武者とは思えぬ慎重さに、武将達は内心物足りなさを感じつつも、それ以上言い返す者はいなかった。
松平家は現在、今川義元の庇護を受ける事で家を保っている状況であった。
過去には西三河一帯を治める大名家であったが、元康が幼少期の時に父広信が不慮の死を遂げた為、幼い元康では治世を行えず、近国の太守今川家を頼ったのである。
しかし庇護とは名ばかりで、戦場では常に危険な先方を任され、酷使される立場にある。元康に失策があれば瞬く間に松平家を取り潰すつもりであろう。
義元は、屈服した国人衆に使い道があるうちは活用するが、無用と思えば容易く併呑できる、恐るべき実力を持った大大名であった。
若干十九歳のこの青年は、この戦での活躍を義元に見せつけなくてはならないのである。
砦の盛重は、怪訝な面持ちで松平軍の動きを伺っていた。
「何を考えておる……」
敵は攻撃を止め、城門に殺到していた兵達を退かせると、方向転換をして鷲津砦方面へ向かい始めたのである。
「ここは手強いと感じ、鷲津から順に一つずつ落とす気か……」
数理先に見える鷲津砦は、朝比奈泰朝隊による猛攻を受けていた。
盛重は迷った。
追撃か、堅守か。
(鷲津落城を待てば更に時間を稼げる……)
(しかし、みすみす仲間を見捨てるのか)
(いや、信長様の奇襲を成功させる為ではないか!)
(このまま背後を突けば先鋒を追い崩せるやも知れぬぞ)
(馬鹿な。あやつらの罠に決まっておろう!)
盛重は脳裏に駆け巡る様々な思惑を振り払うように、左右に頭を振った。
(ええい! 何を考えておる! どの道死を決した戦ではないか! 華々しく散って見せよう!)
盛重は奥歯を噛みしめると、守兵達に向かい大声で命じた。
「敵は我らが恐ろしくなった様じゃ! この機に追撃をかけよ!」
砦内から喚声が上がった。
同時に重い砦の門が押し開かれ、盛重を先頭とした騎馬武者の一団が一斉に飛び出す。
彼らは黒い塊となって一直線に松平隊に向かい突撃した。
「掛かった!」
自ら殿を務め、佐久間隊の様子を伺っていた元康は叫んだ。
「城側へ応戦せよ!」
使い番を走らせ、速やかに全軍に転回を命じる。
(やはりおびき寄せる為であったか……)
敵の俊敏な動きを見た盛重は、計略であったと分かりつつも、大声で叫ぶ。
「怯まず、敵が隊伍を整える前に突き崩せ!」
馬上から刀を振り上げた。
速度を落とさず、みるみるうちに元康本隊に肉薄した盛重隊であったが、後方が突如色めき立った。茂みに隠れていた伏兵が盛重隊に横槍を入れたのである。
「おのれ! どこから湧いて出おった!」
不意を突かれた盛重隊は瞬時に混乱した。
「直ぐに円陣を組むのだ!」
元康は砦攻撃に際し、あらかじめ一部の部隊を伏兵として配置していた。
城兵の強い抵抗を予測し、端から敵をおびき寄せるつもりであったのである。
「小勢ながら、大兵の我が隊に立ち向かう気概はお褒め致そう! しかし武運もそこまでだ!」
元康は反転させた部隊を手足の様に操り、佐久間隊をみるみる包み込んでいく。
「ひるむな! 逃げる者はわしが叩き斬るぞ!」
盛重は手負いの獅子の様に暴れまわるが、混乱を収束できず次々に諸将を討ち取られていく。
刀を振り上げ、周囲を取り囲う敵兵を斬り払っていくが、吹き飛ぶように突然馬上から転げ落ちた。
「盛重さま!」
側近は驚き駆け寄るが、応答は無かった。
敵の大矢が眉間を貫いたのである。
敵兵は盛重を囲う側近衆を瞬時にくし刺しにすると、蟻のように盛重の遺体に群がり、瞬く間に首を掻き斬っていった。
(信長様、どうかご武運を……)
大将を討ち取られた城兵達は、最後の抵抗を見せ全滅した。