【一】嫡男
天文二一年(一五五二年)三月
晩冬の候、強く冷たい空風が大地に流れ込み、草葉を落とした木々は未だ厳しい寒さを堪えている。
広大な濃尾平野には、無骨な城郭が点々と建ち広がり、それぞれの勢力を主張し、しのぎを削っていた。
平野南西部、尾張国愛知郡は庄内川のほとりに位置する萬松寺では今、多くの人々が列をなし、盛大な葬儀がとり行われていた。
三〇〇人もの僧侶が集結し、寺所内に入りきれぬ民衆は一,〇〇〇を超える。警護の甲冑武者が要所に構える物々しい雰囲気の中、人々は志半ばで世を去った領主への追悼の意を捧げ、悲しみに暮れている。
「喝ぁぁぁつ!」
厳粛としたその空気を打ち消す、只ならぬ怒声が本堂の天井にこだました。
寺内を埋め尽くす人々はおろか、読経中であった僧侶までもが発声を止め、葬儀は一瞬にして真空の中に押し込まれた様な静寂に包まれる。
参列者は一斉に、声の主に目を向ける。
その者は、おおよそ葬儀の参列者として相応しくない、浴衣をだらしなく肌蹴た汚い身なりの青年であった。
皆が注目する中、彼は無造作に抹香を手に握ると、それを勢いよく位牌に投げつけた。
静寂の中、バシッという無機質な音が響き渡る。
「……何たるご乱行を……!」
見かねた一人の僧侶が苦言を呈するが、青年は鋭い眼つきで睨み返すと、僧侶は思わず目を背けた。
その眼光は殊の外強く、見るものを射すくめる威風に満ちている。
青年は無言のままくるりと振り返ると、再び参列の者達にも睨みを効かせ、大股に葬儀場を立ち去ったのだった。
余りに突然の珍事に、参列の人々は呆気にとられ、青年が去った後も静まり返っている。
そんな中、膝の上の拳を強く握り締め、震えながら下を俯く初老の男があった。
この若者を育てた傅役家老の平手政秀である。
(何たる暴挙に出たのだ……)
政秀は抑えがたい恥辱と憤りを感じつつも、その場に留まる事しか出来なかった。
そして静まる一同の中から、ぼそりと呟く声が聞こえた。
「これでは織田家もそう長くは持つまい……」
若者の名は、織田上総介信長。
尾張(現在の愛知県西部)を本拠地とする「織田弾正忠家」の当主織田信秀の嫡男である。
葬儀での故人はその織田信秀であり、彼は四十二歳という若さで没し、若干十八歳のこの若者が後継ぎとなるのである。
この暴挙からも分かる通り、信長は凡そ大名の世継ぎに相応しくない素行の悪さである。
領国の民衆は元より、近国の大名衆ですら口を揃え、織田弾上忠家の世継ぎは「うつけ者(ばか者)」と酷評していた。
所属する家臣衆はこれに大変な危機感を感じている。
織田弾上忠家は信秀の武勇の下、尾張国で強大な勢力を誇っていた。
元々は、尾張国の下四郡の守護代であった織田大和守家(清洲織田家)の家臣にして分家であり、清洲三奉行のひとつという、小身のいち配下衆である。
戦上手な織田信秀が死んだ今、周辺の一族衆・同盟者たちは、主筋の清州織田家をも凌ぐ勢力を築いていたこの弾上忠家を、失脚させる好機と捉える事は至極自然な事であろう。
清洲織田家の当主織田信友は元より、織田伊勢守家(岩倉織田家)の織田信安なども、この機に攻勢にでる事は間違いない。
戦国の気風旺盛な尾張国では、守護である斯波氏の力はすでに衰え、守護代の織田氏も分裂していたのである。
更に尾張国は、周囲を強豪大名に囲まれている。
東には駿遠三国一〇〇万石の太守今川家が君臨し、信秀生前から小競り合いを続け領内を虎視眈々と狙っている。
北に接する美濃国五〇万石を制する斎藤道三は、主家を乗っ取り、下克上を果たした梟雄である。信長との政略結婚を交わし現在は同盟国であるものの、表裏ならない曲者である。
信秀生前は、一応の統率を見せ、これら近国の重圧を凌いでいた尾張国であったが、彼らがこの好機を見逃すはずはない。
弾正忠家の危機はこれだけではない。
家中では素行の悪い「うつけ殿」を排斥し、折り目正しい次男の信勝に継がせようという気配も、日増し高まっているのである。
「何故、わざわざ敵を作る様な行いをなさるのだ……」
平手久秀は、幼少から育てた若君の考えが理解できず、困惑するばかりである。
内外共に不穏な状況の続く弾正忠家にあって、この信長の行動は、動揺する家中を更に刺激するのであった。