わかりやすい目印……いや耳印
あの後。
日も沈んで暗くなってきたので早々にテントを設置して野宿をする事にした。
魔法で明るくして移動するというのも場合によっては有りだと思ったが、ディエリヴァに「明るさにつられて虫、飛んできたりしませんか?」ととても切羽詰まった顔をされたので野宿するしかなかったというべきか。
焚火の時点でも虫飛んでくる時は来るよな、と思ったが焚火の場合は虫が飛んできたとしてもダイナミック自殺みたいな感じで終わるからな……魔法で明かりを作った場合、そこに虫が飛んできたとしても別に死ぬわけじゃないから……
ディエリヴァの心配もまぁわからんでもないので夜の移動は控えるとしよう。
一応テント周辺に結界も張った。そもそも見張りは精霊に任せてるので別に結界とか必要ないんだけど、見張るのはあくまでも賊とか魔物とかだ。虫とかまで注目してくれるはずもない。
虫よけのためだけに結界ってのもどうかと思ったが、もしうっかりテントの中に小さかろうと虫が入り込んだとしよう。真夜中に響き渡るディエリヴァの絶叫とか想像したら近所迷惑とはならないだろうけど、それでも別のテントで寝てる俺が驚いて飛び起きるのは確実だし、それだけで済めばいいが悲鳴に呼び寄せられて魔物が近寄ってくる可能性もある。
残念ながら多分この辺りだと騒いだところで寄ってくるのは魔物だけだろう。
クルメリア大陸はフロリア共和国があった大陸と比べると異種族の方が割合多く暮らしている。別に人間種族と関わらないようにしているとかではなく、単純に土地柄だろう。
今回俺たちが降り立った場所は砂浜だが、これがこの大陸の反対側から上陸しようとしたとしよう。
断崖絶壁でまず登れないし、魔法を使って移動してきた挙句更にここから別の魔法を用いて上に上がらなければならないとか、ちょっといかがなものかとなってしまう。
というかそこそこ疲れてるところに更にそんな疲れる上陸の仕方ある? 楽なとこから降りて行くに決まってるだろ?
ちょっと健康の為にエレベーター使わないで階段で行こ、とかいうのとは大違いだからな?
他の場所から上陸しようにも、まぁ他は他で……あの砂浜が多分一番楽に上陸できる場所だと思う。
俺一人だったら他の場所から強引に行ってもどうにかなるかなと思ったけど、流石に同行者がいる時にやるのはどうかと自分でも思うのでセルフ却下だ。
ところで虫の恐怖に陥っているディエリヴァは最初テントも一緒に使って一緒に寝ましょうお父さんとか言い出したが、流石にそれは断った。
まだ小さな幼児ならともかく、ルフトと同じ年齢だろう娘と同じテントは正直どうかと思う。いや家族だからやましい事は何一つ考えてないけど普通これくらいの年頃の娘って寝起きの顔とか母親に晒すならともかく父親に晒したりするの拒否しないか? 思春期の娘がいる父親の愚痴とかで何かそんなん聞いた気がするんだけど。
とりあえずディエリヴァのテントに結界を張る事にして一人で寝るように言ったけど、大丈夫だろうか……いや、虫がどうとかいうのは大丈夫なんだろうけど、精神的に。
「というかだ、そもそも帝国にだって虫はいただろう」
「いました。いましたけど、あんな大きなのいませんでしたもん!」
テントの中から声が返ってくる。
まぁ確かにディエリヴァが見ただろう虫の大きさは明らかに違ったもんな。
「流石にあのサイズの虫がこっち飛んできたら見張り任せた精霊も何か言うだろうから大人しく寝ろ」
「ホントに大丈夫ですか!?」
「概ね大丈夫だろ」
「絶対とかじゃないんですね!?」
「残念ながら世の中絶対は無い。気休めでいいならいくらでも言えるが、求めてるのは気休めか?」
仮に地面の下から掘り進めて地上に出てくるタイプの虫とかがまさにテントの下から! なんて事があるかもしれないので、絶対とは言い難い。
帝国と比べるとここ未開の土地も結構あるからどんな生物が出てきても不思議じゃないんだよなぁ。
精霊の見張りと結界。一体どんなやんごとない身分の人物がテントの中にいるんだと言わんばかりにガッチガチに守りが固められてたので当然と言えば当然なんだが何事もなく朝を迎えた。
だというのにディエリヴァの表情は浮かない。まぁ、まだ森に入ってすらいないもんな。
とはいえ、俺が以前あの森の中を移動してた時はそこまで虫がいたわけじゃなかったはずなので、心配するほどのものでもないと思うんだよなぁ……
帝国で回収した食料の中からあまり日持ちしそうにないものから食べていく。収納具に入れてる時点でそこら辺気にする必要はないんだけど、何となく。
そうして食事を済ませた後は気が進まなかろうとも先へ進むしかない。
念の為とばかりに虫よけスプレーを噴射し、お守りのように虫よけを握りしめているディエリヴァはいっそ死地へ向かう戦士のような気迫さえあった。
昨日は俺の手を握っていたが、そうするといざ魔物と遭遇した時に咄嗟に俺が動けない可能性もあったので何だかんだお守り代わりに虫よけを握りしめる事にしたらしい。
一応殺虫スプレーもあるにはあるが、ディエリヴァに渡すと無駄撃ちしそうとしか思えなかったので渡したのはあくまでも虫よけだけだ。
「何だか白っぽくないですか……?」
コルテリー大森林が近づくにつれて視界に映る色の大半が緑に染まっていくはずが、まるでヴェールでも被るように森全体が白で覆われている事に気付いたらしい。
「待ってください、もしかしてあれ全部蜘蛛の巣とかじゃありませんよね……?」
虫を警戒するあまり、とんでもない想像しはじめたな。
「単なる霧だ。コルテリー大森林は常に霧に覆われている」
「霧……なんだ、じゃあ問題ありません」
問題点は虫かそうじゃないかなんだな……
「霧の中だと視界が悪くなるからうっかりするとはぐれるぞ。気を付けろよ」
念の為忠告だけはしておく。
はぐれた場合、合流が難しい。前世みたいに携帯電話とかあれば良かったんだが、そもそも電波が飛んでない。一応遠く離れた相手と連絡できるアイテムが無いわけじゃないんだが、魔道具なんで値段がそりゃもう驚く程に高額で俺は持っていない。というか、持ってたとして誰と連絡とるのって話だよな。
ハンスと行動する前まではほぼ一人で行動してた俺が遠く離れた誰かと常に連絡を取り合う状況ってどんなだよってなるだろ。
……今現在俺が探してる友人になら渡しても良かったのでは、と思った事もあったけど、思っただけで実行できる財力はなかった。仮に所持できて渡せたとして、姿を眩ませたあいつがその道具を処分してる可能性のが高すぎて、結局購入しなくて良かったんじゃないかってオチまでついたけどな。
霧が広がっているとはいえ、常に視界が白っぽいわけじゃない。一応それなりに視界は良好な方だ。
とはいえ、それでも霧がない森と比べるとやはり視界は悪くなる。霧がなければもう少し先まで見渡せたはずだが、実際は本来見えてるであろう範囲よりだいぶ手前までしか見えない。
カロリーハーフみたいに視界もハーフにしなくとも……と思うのだが、自然に文句を言っても仕方がない。
何歩か進むたびにディエリヴァが「お父さん、そこにいますよね?」と確認してくる。
返事をしつつ進んでいく。
これを何度か繰り返して、時々遭遇した魔物を倒す。
「そういえばお父さん、ミズー集落まであとどれくらいかかるんでしょうか……?」
ディエリヴァがそう問いかけてきたのは、代り映えのしない景色に飽きてきたからかそれともずっと同じ問いかけをするのに飽きたからか……どっちでも大差ないか。
「そうだな、まだ集落付近に近づいてすらいないが……あぁ、そろそろだな」
「そろそろ、ですか? あれ……? あの」
リーン、と涼やかな音が響く。
一定の間隔でリーン、リーンと鈴の音のような音が。
「え、あの、これは?」
「これが聞こえるようになったらミズー集落まではそう遠くない」
「あの、何で鈴? これずっと鳴ってるんですか?」
「そうだな。集落の中に入れば聞こえなくなる。もしくは集落から離れるか」
「……何のための鈴なんでしょうか」
「結界だな」
「結界、ですか」
俺が言った言葉を繰り返して、ディエリヴァは意味が分からないと言わんばかりの表情を浮かべた。
「少なくともこの鈴の音が聞こえてる範囲は魔物がこない」
まぁ、一定の間隔でずっとリンリン鳴ってるから、それが逆に気になって、とかいう弊害が出る奴もいるみたいだが。一定のリズムで鳴るだけなので俺としては慣れてしまえば意識の外に追いやることができるし、気にしなければ途端ここらは安全地帯だ。
例えばこの大陸に到着したのが――正規のルートで船で来たとして。そうするとこのコルテリー大森林に辿り着くまでにはかなりの距離を移動しなければならない。そうなるとこの辺りに来る頃にはすっかり日も沈んで……なんて事になってたりする場合もあるわけだ。
俺は常に精霊が見張りをしてくれるから野宿の時もぐっすり寝るけど、そうじゃない旅人なんかはこの鈴の音が聞こえてる範囲で野宿するように徹底している。
鈴の音が常に気になって眠れない、なんて神経質な奴以外は。
コルテリー大森林の中にある集落はミズー集落だけじゃない。他の種族が暮らしている別の集落も存在している。けれどこの森は決して安全な場所ではない。さっきまで魔物と遭遇していたのがその証拠だ。
各集落ごとにこの辺りからこの辺りまではうちの集落ですよと、謂わば縄張りであると宣言しているようなものだ。そしてその宣言する方法が結界となっているというだけの話。
そう説明すればようやくディエリヴァも納得したようだった。
「という事は他の集落に近づけば他の音が聞こえたりするんですか?」
「まぁ、そうなるな」
正直あまり立ち寄った事ないけど。
「結界になってるって事は、もしこの音を鳴らしてる鈴に何かあったら大変なのでは?」
「実際に鈴をそこらにぶら下げてるわけじゃないから探しても鈴はないぞ」
「そうなんですか? え、あぁ、じゃあ鈴の音とか鳴らす意味、って思ったけどここからここまではうちの集落の土地だ、みたいなのを示す役割なんでしたっけ。音が鳴らない、結界だけあってもそれに気付ける人がいなければ意味がない、と」
「そういう事だな」
ここからここまでうちの土地です、みたいに柵とかで囲うにしても魔物がうろついてる森だ。中途半端な強度の柵なら通りすがりの魔物が壊してしまう可能性もある。
目で見て物理的にわかりやすい囲いではあれど、壊される可能性を考えると設置するのもな、となる気持ちはわかる。余程暇なやつが毎日柵の様子を確認して壊れてたら直す、を繰り返していけるならいいけどそんな事に時間を割くくらいなら他の方法にした方が手っ取り早い。
何よりミズー集落はエルフの里だ。
物理的に柵で囲うよりも結界を作ってしまった方が魔物も近づいてこないしそっちの方が手間も労力も少ないのだろう。
リーン、リーンという音を聞きながら進んでいく。
そろそろディエリヴァの体力は大丈夫だろうか、と思っていたが今日は思ったよりも元気そうだ。そんなすぐに体力がつくとも限らないので念の為大丈夫か聞いてみれば、何だか森の中に入ってから身体が軽く感じるとの事。
……一応エルフの血を引いてるからか? と考えたが、別に俺森の中に来てもイキイキするのを実感しないしな。エルフ関係ないかもしれない。となると母親側の血筋による何かの力か。
ともあれ今のディエリヴァを見る限り、今日は抱える必要もなさそうだ。
途中で休憩する事もなくそのまま進み、どうにか今日中にミズー集落に辿り着く事ができた。