それはまるで背後に宇宙を背負うかのような
帝都の中心でもある城へと戻ってきた頃には、東の空がうっすらとではあるが明るくなりつつあった。今はほとんど外に人の姿は見えないが、それでももうじき帝都に暮らす人間が行動を開始しだす頃だ――と思っていたら、中心から離れた通りにちらほらと人がいるのが見えた。
見えたとはいえ、それは人の形をしているだけで実際に人間というわけでもない。
ゆらりと陽炎のように不確かな輪郭が徐々に形を作りはじめて人へと変化する。
そうして彼らは普段通りの日常を開始し始めた。帝都の住人として。
ハンスが言っていた朝市などで当り障りのない情報しか得られなかったというのは、つまりああいう相手に話しかけたからなのだろう。
ゲームでいうならNPCといった決められたセリフしか喋らない相手に近いだろうか。
あれが魔法であるというのは、恐らくすぐには気付けそうにない。今見た光景があってそこであぁ魔法か、と気付けたようなものだ。
となれば実際の人間である帝都の住人はこの事実に気付いてすらいないだろう。
それどころか、些細な罪を大罪として扱われ城へと連れられていき、恐らくは何かに使われている。結局のところ、俺が城に潜入するきっかけになった酔っ払いがどうなったかは分からずじまいだ。
……あの時あの酔っ払いがいなければ、果たしてルフトはどう動いただろうか。
ルフトの目的が皇帝の所まで俺を連れていく事であったなら、あの酔っ払いがいなくともいずれは何かそれっぽい情報を掴んだとか言って俺を城に連れていくのは言うまでもなかっただろうけれど……どこまでが彼の思惑通りに進んだのやら。
考えたところで意味のない事を何となく考えて、俺たちは城の中庭へと侵入した。
ミリアの鳥で城近くへと運ばれたとはいえ、流石にルフトから案内された場所やハンスが使った侵入経路をまた使って行くわけにもいかない。
現在城の中にいる帝国兵はほとんどが魔法で作られたナニカであるはずだ。彼らが帝都やそれ以外の場所へ俺たちを探しに来るかはわからないが、とりあえず出入り口として使われた場所をそのままにはしておかないはずだ。だからこそ、今度は別のルートから侵入する事にした。
ハンスがいたから案外するっと入り込めたけれど、それにしたってちょっと城の警備ザルすぎやしないか?
人手か? 人手がないからか?
「それで、どうします旦那」
ハンスが城に忍び込んだ際にある程度自分が移動した場所に関しては地図を作成しているので、大雑把ではあるが内部に関しては多少把握している。ルフトを助けにいくなら地下牢へ向かうべきだ。
「ハンス、お前にルフトの救出を頼みたい」
「旦那は?」
「俺はちょっと皇帝の所に行ってくる」
「……大丈夫なんですか、それ?」
「どうだろうな。わからんが、まぁどうにかするさ」
この場にいるのは俺とハンスの二人だけ。
ミリアには離れた場所で鳥を通しての援護に回ってもらう事にしている。
二人しかいない状態、更には敵地と呼んでもいいような場所で別行動とかどうかしているとしか思えないが固まって移動するのも危険だ。
どっちを選んでも危険とか、選択肢としてもどうかと思う。
けど、ルフトが牢に入れられてからまだそう時間は経過していない。救出するなら守りを固められる前、今がチャンスと考えた方がいい。しかし俺が行っても牢をマトモに開けられるかはわからない。魔法を使えばできなくもないが、魔法を使う事で皇帝にこちらの居場所を知られるのも困る。
……そもそも皇帝がどこまで何ができるのか、というのがわからないので思った以上に過大評価してる可能性もあるが、過小評価よりはマシなはずだ。
その点ハンスなら魔法を使わずとも牢屋の鍵くらいはどうにかできるだろうし、大勢を救出しろとなれば難しいだろうが救出対象は一人だけだ。それならハンスだけでいける。
俺の方で適当に魔法使ったりして暴れまわればハンスの方はよりこっそり行動できるだろうし、ハンスがルフトを救出してここを脱出できればミリアの鳥が連絡くれるだろうと思っている。
魔法が使える状態であれば俺一人ここを脱出するくらいならどうにかなる。
まだ少し不安そうであったがハンスはそれでもここで言い合うよりはさっさと行動した方がいいと判断したのだろう。無茶はしないで下さいよ、とだけ言って足音も気配もさせずに地下牢へ続くであろう廊下を走り去っていった。
やっぱ潜入とかそういうのに関しては俺よりもあいつの方が凄いんじゃなかろうか。あいつと出会った時はこんな風になるとは思ってなかったが……まぁ、人間て成長する生物だし。
俺も前世で人間だったとはいえ、今はエルフ。それなりに身体能力とかのスペックもあるにはあるけど、全体的に成長がゆるやかなせいでハンスを見てるとあっという間に成長してる感が凄い。
既に一度城内に侵入していたので、見覚えのある場所まで来る事ができればあとは簡単だった。見張りらしき帝国兵を遠慮なく魔法でぶっ飛ばして騒ぎを起こしつつ進んでいく。
はて、こういった時に国のトップにあたる人物がいるのってどこだろう? ゲームだと王様がいる場所は大体玉座の間とか執務室とか自室あたりだけど、下手したら何か普通にトイレに行ってましたなんて可能性もあるよな……それはそれで何か間抜けすぎる展開すぎてイヤだけども。
全身鎧を身にまとった帝国兵は、正直フロリア共和国側で遭遇した帝国兵と見た目だけは同じにしか見えない。全身鎧なんだから、そりゃ見た目は似たり寄ったりでもそうだよなって話だけど。けれど、それでも多少の身長の違いだとか、体格の違いだとかがあっていいはずだ。
だというのに今現在城内で遭遇している帝国兵は体格も身長もどれもがぴったり同じ形だった。
中身が人間だった場合ちょっとな……と思いつつも魔法で勢いよくぶっ飛ばす。壁に凄い勢いでぶつかった帝国兵はそのまま床に倒れるかと思ったが、まるで陶器が割れたような音と同時に粉々に砕け散った。
流石の俺も人間粉々にする威力の魔法ぶちかました覚えはないんだが……と一瞬とはいえ困惑しているうちに、どこから現れたのかってくらい大勢がやって来た。
そうしてあっという間に取り囲まれたが――
「薙ぎ払え」
慌てる事なく魔法をぶちかます。俺を囲むようにして室内だというのに暴風が吹いた。中心にいる俺には何の被害もないが、取り囲んでいた帝国兵たちは重々しそうな鎧姿だというのに軽々と風に巻き上げられある者は壁に叩きつけられある者は天井へと激突した。
「……魔法で出したな」
「気付いていたか」
とりあえず駄目元で玉座がある部屋にでも行ってみるか、と足を運んだらいきなり現れた帝国兵に囲まれたので魔法で対処したけれど、明らかに帝国兵の出現の仕方が不自然過ぎた。
それになんていうか人間相手にした感じが一切しなかったのもある。そもそも風で巻き上げてそこらにぶつけた時にも一言も声を出さないというのもおかしな話だ。
玉座の裏からそっと姿を見せたのは、数日前に遭遇して直後牢屋にぶち込んでくれた皇帝その人だ。
「そりゃな。兵士の登場の仕方があからさまに不自然だったし、あとは……いや、なんでもない」
あとはミリアの鳥精霊が鳥を生み出した時みたいな感じがした、とは言う必要もないだろう。
例えばここが魔法を得意とする種族が住む国だとかなら、兵士が魔法で空間ちょっとテレポートして移動してきてもおかしくはないけれど、人間至上主義謳ってるところだからな……そんなところでいきなり帝国兵が文字通り目の前に出現すれば兵士たちが魔法でというよりは、精霊を管理してるとかいう話が出ていた皇帝が何かしたと考える。
「それにしても……牢から脱走してまさかすぐに戻ってくるとは。次は無いと思わなかったか?」
「次も何も。生憎勝ち目のない戦いにチャレンジする程俺ギャンブラー精神は持ち合わせてないんで」
「勝算がある……と?」
ほとんど骨と皮だけ、と言われれば納得するような状態の皇帝がすっと目を細めたつもりなのだろう。実際はぎょろりとした目がより鋭さを増して睨んでるとしか言いようがなかったが。
その言葉に何もこたえないままでいると、皇帝は声を上げて嗤う。
「何をもってして勝利だと思っているのか……お前が戻ってきたところで何も変わらぬよ」
すっと手を横に薙ぐように動かすと同時、炎が出現した。
咄嗟に距離をとりつつ回避するが、立て続けに氷の刃が複数飛んできたので魔法で相殺する。
普通の相手なら随分な大口をたたいたものだと思っていたかもしれない。けれどもこいつの実力は本物のようだ。というか、魔法を使っているはずなのに詠唱めいたものがほとんどない。
ならば魔術かとも思ったが、ライゼ帝国の皇帝は代々人間種族でこれだけの威力を誇る魔術を使えるはずもない。これは……どっちかっていうと――
「まさかお前にも精霊が……?」
「ふむ、精霊憑きは理解が早いな」
自らの顎を撫でるようにしながら頷いてみせた皇帝に、やっぱりか……と面倒な展開に溜息を吐いた。
精霊憑きというのはそのまま言葉の通りだ。
精霊は目に見えない。そこかしこを漂ってる。これが世界の常識だが、目に見える精霊が存在しないわけじゃない。そういった力ある精霊が個人的に力を貸している相手の事を精霊憑きと呼ぶ事がある。
とはいえ世間ではそもそも目に見える精霊というものの存在自体伝承めいた噂話程度の認知度だ。
精霊憑きなんて存在もまたお伽噺の中ではたまに聞いた事あるかな、くらいの認識だろう。
ちなみにとても身近な精霊憑きと呼べる相手はミリアだ。そして俺もまたそういう意味では精霊憑きと呼ばれる存在に該当する。
「……その情報はどこから、と聞くまでもないんだろうな」
皇帝が帝国領土内の精霊を管理している、という話はある意味で壮大すぎて普通ならとてもじゃないが信じられない内容だ。しかし皇帝に力ある精霊がついているのであれば話は変わってくる。
この国に足を踏み入れた時点で精霊経由で俺の情報が伝わったとしても、これだけでは俺が精霊憑きであるかどうかはわかるはずもない。
しかしヒキュラ洞窟から出て最初に訪れた村で俺は精霊を呼び出した。普段は姿を見せないものの、その存在を肉眼で確認できる程度には力ある精霊を。
この時点で向こうに俺が精霊憑きであると知られたか、もしくは俺が牢屋にぶち込まれた後でルフト経由で知ったか……アリファーンを呼んだ時にルフトはそれを見ていないはずだが、だから知らないとも限らない。……情報の流れに関してはこの際どうでもいいだろう。今そこを考えたところでどうしようもないのだから。
ともあれ、長い間ずっと一緒にいて力を貸してくれる精霊が身近にいるのであれば、場合によってはわざわざ詠唱めいた言葉を出す必要がない事もある。ある程度精霊が察してくれるからだ。
まぁたまにその察しがちょっとこっちとは予想外の方に働く事もあるので過信は禁物だが。
しかし相手も俺と同じだとすると、正直かなりやりにくい。城内の警備をしている帝国兵のほとんどがこいつが魔法で出した存在だとすると、精霊の力もかなりのものなのだろう。
そう考えるとハンスと別行動しておいて正解だったなと思わなくもない。これもう隙見てとんずらした方が良さそうだなとすら思えてきた。
「考え事か? 余裕だな」
鋭くとがった槍のような氷が複数出現し、俺めがけて飛んでくる。
それらを回避、時には魔法で消滅させるが皇帝は攻撃の手を休めるつもりはないらしく、ひっきりなしに氷の槍が飛んでくる。もうこれ槍っていうか連射できるバリスタみたいな勢いになってないか……?
最初に炎が出ていたとはいえ、その後氷なのは単純に建物の被害を考えたからだろう。
こっちもハンスがルフトを救出に向かっている状況なので、安全な場所に避難できたのが確定してるならともかくそうじゃないうちから大炎上させるわけにもいかない。
状況としては完全に防戦一方なんだが、皇帝はその状況に業を煮やしたらしい。
「このままでは埒が明かんな……いでよ、我が同胞たちよ」
「……は?」
その言葉とともに皇帝を中心とした床に魔法陣が広がる。あらかじめ仕込んでおいたという感じでもない。あれはたった今、魔法でもって描かれたものだ。
そうしてそこからずるりと引きずり出されるようにして出てきたのは――
「タスケテ……タスケテ……」
「コロシテクレ……タノム……コロシテクレヨォ……」
怨嗟に満ちた懇願の声。
黒くどろどろとした液体のようなもので無理矢理つなげられたかのような人の姿。更には鎖で雁字搦めにすらなっている。
ぼたり、と液体と一緒に誰かの身体の一部分が溶け落ちたのか、悲鳴が響く。
ちょっとこれ、一体どういう状況なんだ……?